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代打で現場復帰 [こんなことあんなこと]

4月からさる大学の特任教員として勤務している。
1昨年、教員をしていた大学院の後輩が講義中に倒れ、まだ職場復帰できないでいたことから、助っ人として非常勤で学部の授業を数コマ引き受けていた。
2年たったところで、あと1年、大学院や委員会業務などもやってほしいとの依頼で、週3日、月12日の契約で引き受けることになった。
通勤時間が20分ちょっとということが、引き受けた重要ポイント。

大学を定年退職してから、もう大学は十分やったと思って個人営業を始めたのだが、ここへきて思いもかけない現場復帰である。
自営業のほうも兼業するが、私としては「社会復帰」といった感覚。

おまけに同じ看護系の大学とはいえ、初めての組織に勤めるのは戸惑うことばかり。
これまでいろいろな職を経験してはいるが、新人オリエンテーションを受けたのは一番最近で28年前のこと。会議の会話にもついていけない。みなさんとても早口で、よく聞き取れなかったりする。これは年のせいか。

3週目にようやく保険証がもらえ、4週目にしてようやく職員証がもらえた。
この間、免許証もパスポートももたない私は、身元を証明するものが何もなく、
病気になったり事故を起こしたりしないようにと、まるで難民になったような気分だった。

週3日のはずが4月はあれこれ忙しく、実習病院の打ち合わせなんかにもでかけたため、14日出勤することになり、5月に調整することになった。

それでも学部生の卒研や修論のゼミなどはやはり面白く、つい張り切ってしまい、1週目にしてどっと疲れが襲ってきた。
なにせ、院生が社会人なのでゼミも夜間開講なのだ。
会議も昼休みに(早口なのは、時間がないせいみたい)。

おかげで昼食や夕食を食べるタイミングが分からず、朝、パンを2食分買っていくが、おなかがすく。
もともと、普段の生活ではあまり空腹感やら食欲やらを感じない質で、
前の職場では、お昼を食べたらその後は何時間も食べたり飲んだりせずに仕事をして、気づいたら夜の9時だったなんてこともあったのだが、ここへきてやたら感じるようになった。
珍しく間食にお菓子を食べたりしている。
あれやこれやまだ混乱していて、集中できないせいかもしれない。

とにかく前の職場のことをあまり持ち出さないこと、1年しかいないのであれやこれや口出ししないことを肝に銘じているのだが、これがなかなか難しい。
あと2日でやっと4月が終わる…。



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弥勒シリーズ第6弾 [本のはなし]

通勤ということをしなくなると、途中で本を読むことがなくなり、ぐっと読書量が減った。
自宅にいればいつでも読書すればいいではないかと思われるかもしれないが、
自宅ではもっぱらビデオに撮ったテレビドラマ(たいていは海外ドラマ)を1.3倍速で観て過ごしている。
なぜか本を読む気がしないのだ。

この4月から週3日勤務するようになったのだが、通勤時間がなんと20分。
乗車時間はわずか9〜11分。読む時間はない。
本を読むのは、もっぱら夜寝床に入って眠くなるまで。せいぜい30分。
なかなか進まない。

でも、あさのあつこ弥勒シリーズの最新作『地に巣くう』(光文社時代小説文庫)は、一気に読んだ。
一気に読まないと、登場人物の人間関係がわからなくなるということもある。

壮絶な過去をもつ小間物問屋遠野屋清之介と、彼に強い興味と敵愾心をもつ北町奉行所定町廻り同心、木暮信次郎、それに岡っ引きの伊佐治親分が絡むのはいつもの物語なのだが、
今回はなんとしょっぱなから木暮信次郎が何者かに襲われ、腹を刺されるという衝撃的な事件が起こる。
しかも、その後、大川にあがった屍体が、信次郎を襲った男であることが判明する。

今回は、20年前に病死した信次郎の父親、先代の同心、右衛門の衝撃の過去をめぐる物語である。
これまで衝撃の過去といえば、清之介のものであって、信次郎はいわば先代の同心のぼんぼんのような立場で、性格に難はあっても謎や影はなかった(はずだった)。
だが、この事件をきっかけに、信次郎は亡き父の真の姿を明るみにだそうと、遠野屋清之介に助力を頼む。
といっても、素直に頼んだわけではないのは、いつものこと。
善人と信じられてきた父親は、ほんとうはとんでもない悪人だったのか。
先代の同心、右衛門を尊敬してやまない伊佐治親分は、先代の過去を暴こうとする信次郎に反発する。

これに、遠野屋の二番番頭信三が出先でたまたま見つけた、腕の立つ半襟職人とその一家や、信次郎が襲われる前に会っていた、両国の両替商のお内儀などとのからみが、徐々に右衛門の過去のなぞと結びついていく。

それにしても、清之介に対する信次郎の執拗な関心はいや増すばかり。
清之介もまた、自分の過去を何とかして暴こうとする信次郎に抗えないものを感じている。

表面だけみると、性格のねじくれた同心と正直でまっとうな商人の二人が、実は根は似た者同士であるということが繰り返し繰り返し語られるのだが、そのしつこいまでの叙述に、もういいよ、わかったよと言いたくなってきた。
あさのあつこさんは、どうしてここまでそれにこだわるのだろう。
その疑問は、この先、この物語はどこに行き着くのだろうという疑問ともつながっている。







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男親の気持ち [本のはなし]

年下の友人が、直木賞をとった門井慶喜の『銀河鉄道の父』を読んで、「父親ってそうだよなあとつくづく思った」と言った。
本人は二人の子をもつ父親。
「そうだよなあって、どんななの?」と聞いてみたが、答えがはっきりしない。
何とも言葉では言えないらしい。

私の父は分裂気質の研究者であったから、親子と言ってもあまり親密とはいえない関係で、亡くなって6年が経つ今、父親がどんな気持ちを抱いていたのかは、知る由もない。

しかも、姉と私の娘二人だったから、これが息子だったらどうだったのだろうという興味もあって、読んでみた。

これは宮沢賢治の父の、そして宮沢賢治自身の人生を描いた小説である。
宮沢賢治に関する研究はたくさんあるようだが、私自身はこれまでほとんど読んだことはなかった。
ただ、保育園で初めて働いた時、子どもたちに何か絵本を読んであげてと先輩保育士に言われて、『セロ弾きゴーシュ』を読んだ。
今、青空文庫で読んでみると、年少児にはとんでもなく難しい物語だったとわかる。
その先輩は、「それは私も好きな物語」と言ってくれたが、それは私の誤った選択をなぐさめてくれたのだろう。

それはともかく、
この小説の最初の章は「父でありすぎる」というタイトルである。
まさにこれがテーマなのかもしれない。
とにかく子供に対する愛情が人一倍強く、憲治や妹が病気になって入院すると、泊まり込んで寝ずに看病し、下の世話までやるような父親なのである。
そのせいで自分が病気になり、一生腸に悩まされるようになるのだが。

その一方で、父親たるもの、男たるものこうあるべしという社会規範にとらわれてもいて、その思いを口にはできず、自分を戒めているのである。

憲治自身も妹トシに対して熱い愛情を注ぎ、トシが病で入院した際には泊まり込んで看病し、下着までも洗った。

この本がいいと言っていたあの友人も、こんなにあふれるほどの愛情に苦しんでいるのだろうかとふと思う。

とにかく、葛藤だらけの人なのである。
一つは、質屋と古着屋という家業についての葛藤。
父はその仕事の傍ら、地元の文化人として全国から有名な講師を招いて講習会などを催したりしていた。どこか自分の家業を恥じているところがあったようだ。
それでいて、自分がそう親に言われたように、憲治ら息子にも「質屋に学問は必要ねえ」といって大学に行かせまいとする親なのである。
ところが、結局は息子ばかりか娘までも、質屋の仕事を嫌い、親に逆らって大学に進む。
実際に、父も子どもたちも、とんでもなく優秀だったらしい。

父は浄土真宗の熱心な檀家なのだが、憲治はその父からもらった本がきっかけで日蓮宗に帰依して、熱狂的ともいえるほどの信徒となる。
何につけ、東北人とは思えない(これは偏見!東北人だからこその)熱い思いを抱えた人たちである。

小説家はともすれば重苦しくなりかねない悲劇的な憲治や父、妹たちの人生を、独特のリズムでつづっていく。

それにしても、私にとって男親というものは、永遠の謎かもしれない。

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英国人はモースがお好きーなんでなんだろう [テレビ番組]

英国の人気TV番組「主任警部モース」の原作者コリン・デクスターが今年3月21日、このドラマの舞台でもあるオックスフォードで亡くなった。86歳だった。

このドラマ、英国では1987年から2000年まで放映されており、コリン・デクスター自身、ヒッチコックのように自分の作品にカメオ出演するのが好きで、30回も出演しているのだという。
私もときどき彼を見つけてニヤリとしたことがあった。
ただ、シリーズの終わりのほうでは、いつもモースが事件の関係者である女性を好きになり、それがたいてい犯人だったりするパターンにまたかという気になった。

そのモース役で英国アカデミー賞を2回受賞し、大英帝国勲章(CBE)も受賞したジョン・ソウは、2002年に食道癌で亡くなっている。60歳だったというから、ずいぶん若くしての死だったわけだ。

その後、この作品のスピンオフ『オックスフォードミステリー・ルイス警部』がモースの部下だったルイス警部を主人公に作られ、2006年から放映されている。
私は、このシリーズではルイスの部下ハサウェイを演じたローレンス・フォックスの大ファン。
オックスフォード警察で働く、ケンブリッジ大学神学部卒でミュージシャンという、屈折した役を演じるフォックスについては、このブログでも取り上げたことがある。

このシリーズが続いている傍ら、英国では2012年に単発の『刑事モースーオックスフォード事件簿』というもう一つのスピンオフドラマが放映された。
モースの新米時代を描いたこの作品は、翌年からシリーズ化された。
日本でもNHKのBSプレミアムで、毎週土曜の午後4時半から午後6時の時間帯に放映されている。
http://www6.nhk.or.jp/nhkpr/post/trailer.html?i=13370
時間帯が時間帯なので、ビデオに撮ってみているが、なかなかよくできている。

このドラマ、舞台は1965年のオックスフォード。
原題は”Endeavour”。「努力」という意味の英語だが、モースファンならすぐわかるだろう。
彼が誰にも言いたがらない本名なのだ。

若かりし頃のモースを演じるショーン・エヴァンスは痩せているし、ジョン・ソウには似ていないと思ったが、何回も見ているうちに、大きな目がジョン・ソウに似ているようにも思えてきた。
この60年代という、ビートルズが台頭した時代にあって、モースはすでにクラシックとくにワグナー好きな変わり者として、周囲から馬鹿にされていた。
だが、優れた観察眼と天才的なひらめきで事件を解決に導いていく。
あの才能は経験と時間で培われたものではなかったのだわね。
「栴檀(せんだん)は双葉より芳(かんば)し」なのであります。

それにしてもモースがこんなにも英国で人気なのはなんなのだろう。
英国ではシャーロック・ホームズよりも好かれる探偵なのだそうだ。

私は一度だけオックスフォードのリトルモア病院という精神科病院に見学に行ったことがあり、到着が遅れてホテルが見つからず、職員宿舎に1泊だけ泊めてもらったが、オックスフォードはケンブリッジよりも大きな都会だった。
リトルモア病院では、肩より長い金髪をたなびかせた若い男性師長にびっくり(うっとり)したものだった。
ドラマの中にも、リトルモア病院の名前がときどき出てくるのだが、たいてい字幕ではカットされている。

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人間の暗部を描くスウェーデン・ミステリ [本のはなし]

北欧ミステリの中でもスウェーデン・ミステリは、「マルティン・ベック」シリーズで有名なマイ・シューヴァル&ペール・ヴァールーを始め、日本でも長く人気を誇っている。

その二人の後継者と目されているのが、
アンデシュ・ルースルンドと ベリエ・ヘルストレムのコンビである。
以前にもこのブログで『制裁』を取り上げ、2人の特異な経歴を紹介した。
http://sendagi-sennsei.blog.so-net.ne.jp/2008-01-17
詳しいことはそちらを読んでいただくとして、
今日紹介するのは、『ボックス21』(ハヤカワ文庫)。
『制裁』から続くグレーンス警部のシリーズは、全世界で500万部を超えるベストセラーとなっている。

本書が刊行されたのは2005年ということだが、なんと著者の一人、ヘルストレムは今年2月17日にガンのために永眠したという。享年59歳。
かつて服役したこともあるというから、身体的にも不健康な生活だったのだろうか。

冷夏のストックホルムで起きた2つの事件が、グレーンス警部を巻き込み、やがて深刻な問題を引き起こしていく。
一つは、アパートの一室で、鞭で打たれ意識を失った売春婦が無残な姿で発見された事件。
もう一つは、ヘロイン依存症の男が覚せい剤に洗剤を混ぜて売り、多くの死者を出してマフィアの怒りを買った事件。

グレーンス警部は覚せい剤事件の背後に、宿敵ヨッフム・ラングがいることを直感的に気づく。
だが、ラングはグレーンス警部の手で逮捕され、服役中。
これまでなんども逮捕されているが、証人を脅して証言させないため、刑を逃れていた。
刑務所内でも服役囚をてなずけて、出所後に犯罪の手引きをしていた。

一方、むごたらしく鞭打たれた姿で見つかったのは、リトアニアから人身売買でやってきた娼婦リディアだった。
彼女はストックホルム南病院に運び込まれたことで、2つの事件が結びつく。
病院に勤める女医の弟が、ラングにてなずけられたジャンキーだったのだ。
ラングは、姉に薬をせびりに来た弟を病院で銃殺して逃げる姿を姉の女医に見られてしまう。
やってはならないミスだった。
グレーンス警部は今度こそ、きちんとした証人を立てて、ラングを有罪にすることができると喜ぶのだが…。

一方、病院に運び込まれたリディアは、逃げだした仲間のアレナと密かに連絡をとり、これまで計画して準備してきたあるものを駅のロッカーから取り出し、病院に持ち込むように頼む。
それは銃と爆薬。
リディアは、それをもって病院の地下の遺体安置所に人質をとって立てこもる。

被害者がなぜ、今になって犯罪者になるのか?
しかも、要求はグレーンスの長年の同僚ベングトをよこせということだけ。
なぜなのか…?
人質が一人殺され、若い研修医が膝を撃ち抜かれるにおよび、ベングトがその要求に応じざるを得ないことになる。

…と、ここから先は、ネタバレになるので書けないのだ。
グレーンスの深い懊悩。
これまでの警官としての努力がまったく無になるような事態。
さらに、グレーンスに疑惑を抱く長年の同僚スヴェン。

帯に「ラスト3行、心をえぐられる。」とあるが、
最終章は、事件の3年前にさかのぼって、物語をなぞるような短いエピソードが重ねて示される。
そして、最後の3行というのが、最後の1ページなのだ。
で、思わず、えっと前のページを見直してしまった。

人身売買というスウェーデンの、というより人間の暗部。
その犠牲となる女たちの苦しみ。
貧困と憎悪の中で薬物依存にはまる人間。
犯罪と戦いながら人を傷つけ、自らも傷つく警官たち。

最初のほうの娼婦の物語を読んでいるときには、気持ちが暗くなり、読み続けることがなかなかできなかった。
だが、途中から本を置くことができなくなり、睡眠不足に…。

スヴェンがグレーンス警部に語る次の言葉には、う〜んと考えこんでしまった。

「罪悪感は、他人になにかをしてしまったときに抱くものだ。自分に対して何かをしてしまったとき、人は恥の意識を抱く。罪悪感には耐えられる。恥は耐えがたい」

かつては罪悪感の西洋人、恥の日本人という対比がよくされたが、
そう単純なことでもないというのが最近の認識となっているのだな。
それにしても、こんなミステリにさえ、それが出てくるなんて。



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地球の自転が早まってない?公転か? [日々の出来事うっぷんばなし]

このところ、本当にあっという間に1週間が経ってしまう。嫌になるほど。
家にいると、1日の時間はさほど短くなったとは感じないのだけれど、
1週間、1か月が驚くほど速く過ぎていく。
ということは、自転の速度じゃなく、公転速度の問題?

今日のうっ憤話は、時間のことじゃなくて。
たまたま散歩がてら、隣駅のスーパーまで足を延ばした時のこと。
赤札堂です。はい。

ここはものすごく古い建物で、駅そばの交差点の好立地ながら、いまどき3階建てで
エレベーターもなく、お年寄りは階段の下に、買い物カートを置いて
えっちらおっちら階段を上っていく。

売り場も狭く、その割に客は多いので、1階の食料品売り場など、
レジが2列、それぞれタテに2つずつ並んでいる。
通りも狭くて、1列に並んで、前のレジが開くと、次に並んでいる人から前を超えて進んでいく仕組み。(わかりにくい?)

それで、その日も結構混んでいて、私のすぐ前には年配の女性、その前にそれよりちょっと若いと思われる男性(私と同世代?―この時間にスーパーで買い物しているくらいだから、同じく定年退職組?ー)が並んでいた。

で、前のレジの清算が済んで、次が空きそうだったのだけれど、私の前に並んだ人たちが動かなかったので、気づかないでいるのかと思い、「前のレジが空きましたよ」と声をかけた。
でも、年配の女性も、前の男性もなぜか動かない。
ちょっと声を大きくして「行けますよ」というと、
前の男性が振り向いて「いいんです」という。
で、「前が空きましたよ」と繰り返し言うと、手前のレジに待っている別の女性のほうを意味ありげに目をやり、「わかってますよ。」という。
その女性が動かないから、自分は動けないのだということ?

でも、その女性はすぐそのレジが空くので、後ろの人が行ってもいいのでは?
そう言ったのだが、その男性、「わかってますから、余計なことは言わないでいいですよ」と、後ろの年配の女性にも同意を求めるそぶりを見せながら、なんだか人を馬鹿にしたようなにやにや笑いを浮かべて言う。
さも、私がここのやり方を知らずに余計なことを言っている人みたい。

頭にきて、「声をかけただけなのに、『余計なこと』って何なんですか!」とつい声を荒げてしまった。
さらに「もう20年もこの店を使っているんですからね!ここの並び方くらい知ってますよ」と言ってやりたいと思ったが、それはぐっとこらえた。

久しぶりに怒りが爆発しそうになった。と、いうか、爆発してしまった。
「怒るおばさん(おばあさん?)」だな、こりゃ。

実はよく、講義の中でよく紹介する「怒るおじさん考」という事例があるのだ。
新聞の読者の投書欄に載っていたエピソードで、投稿したのは定年退職した男性。
土曜の午前中に病院を受診しようとして、車の渋滞に遭い、
着いた時にはすでに窓口が閉まっていたという話だ。

その瞬間、そのおじさん、「薬が切れて、死んだら責任をとれるのか!」と怒鳴りだしたというのだ。
しかも、そのときそれがいかに理不尽な怒りであるかということも、周りの冷たい視線も意識していたという。

そのおじさんは、今となっては「穴があったら入りたい」ような気持ちだというのだが、
こう反省している。

「現役をリタイアすると人間関係のストレスがなくなる代わりに、自分が社会から必要とされていないという思いも強くなる。体のあちこちに故障が生じ、入れ歯の不具合が拍車をかけ、感情を平静に保つのがなかなか難しくなる。」

私は入れ歯はまだないし、「自分が社会から必要とされていない」とも思わないけれど、どうも「感情を平静に保つのが難しい」というのは、年のせいなのか。

普段はストレスフリーの生活をしていて、不整脈も高血圧もすっかり良くなり、主治医からは薬を止めましょうかと言われているくらいなんだけど、
どこかにたまっているものがあるのかもね。

それにしても嫌な奴だった…。(書いてスッキリした!)






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『銀漢の賦』 [本のはなし]

暖かくなったかと思ったら寒くなり、おまけにこの季節には珍しい風雨で洪水……。
一体、地球はどうなっているのやら。
相模大野で午前中の仕事があり、私としては珍しく6時半ごろに起床して出かけた。
千代田線で代々木上原で小田急線に乗り換えれば、1時間弱で到着する予定だったのだが、日比谷まで行ったところで、なんと後続の電車が途中の駅で急病人の救助を行ったために運転間隔調整が必要、ということで5分停車。
代々木上原の接続も、寒いプラットフィームでかなり待つはめに。
ところが午後、帰りも車両点検とかでやっぱり遅れ。
日本の交通システムはかなり老朽化してしまっているのではないか?

と、話は飛んで。
昨年12月23日に亡くなった葉室麟の『銀漢の賦』を読んだ。
2005年に54歳でデビューして2年後の2作目がこの作品。
松本清張賞を受賞している。

銀漢の漢は川という意味。銀漢は天の川のことをいうのだそうだ。
西方の小藩、月ヶ瀬藩の群方・日下部源五と家老にまで上り詰め、「月堂」という号をもつ文人としても名を馳せた松浦将監、この二人は、同じ普請組の子弟として、同じ剣道場にも通った幼い頃からの親友だった。
そして十蔵。2人が剣道場からの帰りに偶然ぶつかったことから親しくなった村の子どもである。
この3人が夏祭りの夜、見上げた空の天の川に感嘆していた際に、漢詩では天の川を銀漢というと将監が教えたのだ。

日と月と星。
この物語は、少年時代から頭に霜を置くようになるまでの、3人の漢(おとこ)の物語である。

源五は居合と鉄砲の名手だが、藩の財政を立て直すための新田開発になくてはならなかった雲居川の井堰工事に、妻も子供も顧みず献身的に働き、妻を病で亡くしてしまう。

源五と将監は、少年時代にともに覚悟をきめて斬り合いの場にのぞみ、命を賭して戦ったことがあるほどの親友であった。
だが、ある事件をきっかけに断絶し、将監はやがて学問ができることが認められて、遠縁の名家の婿養子に入ったことから出世の道を登り始める。
実は、将監の父は江戸で不覚の死を遂げていた。
この死の裏に、藩の政争があったことがのちに明らかとなる。
だが、その将監も家老となり、藩を我が意のままに牛耳る存在となりはてたのか…。
源五はそれを疑っている。

十蔵は成人してのち、村人の一揆を煽動したかどで、家老となった将監により刑死してしまう。
源五は十蔵の亡き後、その妻と娘を引き取る。

この幼い頃、親友だった3人が、それぞれの人生を歩みながら、ときに敵対し合い、それでも心のどこかでつながっている。
葉室麟お得意の涙を誘う友情物語でもある。

時代小説は、現代社会を下敷きにしているようなところがあって、そのあたりが松本清張賞受賞の理由でもあったのだろうか。
でも、それから10年経って、ますますその色彩は濃くなっている。

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なんで、こうなるの?名前にまつわるあれやこれや [日々の出来事うっぷんばなし]

私の名前は武井麻子

麻子という名前は、今ではさほど珍しがられないが、私の世代ではあまりなかった。
なにしろ、「天下、麻のごとく乱れる」とか「快刀乱麻」とかいうくらい、麻は乱れるものだから。
麻薬というのも、麻痺というのも、そんなところから出てきたのかしら。

おまけに、私が子供の頃は、お笑い芸人エンタツ・アチャコの最盛期で、アサコをもじってアチャコ・アチャコとからかわれた。

英国の病院で研修している時には、病棟主任が男性のマレーシア人だったので、
アサコを覚えるのに、アショカから連想して覚えていた。仏教を広めた古代インドのアショカ大王だ。
これは許せる。
ところが、英国人のナースが私の名前を覚えた方法は、"a suck of potatoes"
これを早くいうと、ア・サ・コ(ブ・ポテイトース)となる。
英国ではポテトがご飯のようなものだから、どこのうちでもポテトを大袋で買い込んで、貯蔵しているのだ。
身近な存在と思ってくれたならうれしいが、ジャガイモのイメージかと思うと複雑だった。

でも、親がこの変わった名前をつけたのは、吉川英治の小説『宮本武蔵』から。
幼少期の武蔵が、庭に麻の種をまいて、それが芽を出し、日に日にまっすぐ伸びていく上を飛び越えることで、体を鍛錬したというエピソードから。
ところが、その親の願いを裏切って、いっこうに背は伸びなかった。
麻のごとく乱れるほうになったのかも。

だけど、この名前、なぜか間違う人が多い。
タケイアサコを、アサイタケコと呼ぶ人がいる。

最近、武井浅子あてに仕事のメールが来た。
それで、武井子と下線をつけて返信したら、
すっかり恐縮して、謝りのメールが来た。

その文章がこれ。

 お忙しい中、再度のご確認をありがとうございます。
 では、このまま進めさせていただきます。
 お前の誤字大変失礼致しました。

ふむふむと思っていると、すぐにまた、訂正のメールが来た。
 
 「お名前の」と書くべきところ、書き間違え、失礼いたしました。 

読み直して、笑った、笑った。「お前の」誤字か。

そして、数日後、今度は別のところから、仕事の依頼のメールが届いた。
宛名は、武井朝子。

うん、もう… いいかげんにせんかい。
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『精霊たちの家』 [本と映画のはなし]

私の好きな映画に『愛と精霊の家』がある。
1993年の映画で、スクリーンではなくテレビで2回ほど見た。
映画は、メリル・ストリープ、アントニオ・バンデラス、ジェレミー・アイアンズ、グレン・クロース、ウィノナ・ライダー、ヴァネッサ・レッドグレイヴなど、そうそうたる俳優が出演しているが、その割に話題にならなかったように思う。

私が気に入ったのは、この映画が南米のチリを舞台にした一種の時代劇なのだが、主人公クララ(メリル・ストリープ)は予知能力をもち、精霊と会話する能力をもつという、ファンタジーが混じったストーリだったこと。
『メアリー・ポピンズ』『E.T.』『ショコラ』などなど、リアルな世界とファンタジーの世界が交差する物語が大好きなのだ。

クララが亡くなる前に孫娘(ウィノナ・ライダー)に語りかける、“Life is a miracle, life is a gift”という言葉に、ぐっと来てしまった。
そこに大きな世界観が詰まっているように感じて。
でも、あんまりこの映画のことについて誰かと話をしたこともなかった。

ところが、本屋で『精霊たちの家』(上下、河出文庫)を見つけて、すぐにあの物語だ!と分かった。
でも、なぜ今頃?
後付けに、池澤夏樹=個人編集 世界文学全集Ⅱ-07を文庫化したものですという解説があり、ああそんな全集に載るくらいの有名な文学作品なのだとわかった次第。
おそまきながらもいいところ。

この物語の作者はイザベル・アジェンデ。
ある程度の年齢の人なら、この名前に何か思い当たることがあるだろう。
1973年にクーデターで暗殺されたチリのアジェンデ大統領の姪っ子なのだ。
彼女自身も身の危険を感じ、亡命したベネズエラでこの小説は書かれた。

本のストーリよりも、作者本人の個人史を紹介しよう。
それはこの物語とオーバーラップしているので。

彼女は父が外交官だったため、赴任先のペルーで生まれるが、まもなく両親が離婚し、
彼女と母親はペルーの祖父母のもとで暮らすことになる。
その時住んだお屋敷が、この物語の舞台にそのまま反映している。
この祖母が、クララのモデルだそうで、実際に心霊術を行ったりしたそうだ。

その後、母の交際相手の外交官とともにボリビアやベイルートで生活するが、
その異邦人の生活が、彼女の作品に結実しているといってもよいようだ。
レバノン内戦の激化でベイルートからチリに帰国した彼女は、高校を卒業してすぐ、国連の出先機関に勤め、間もなく雑誌やテレビ関係の仕事をするジャーナリストとなる。

そして、この本にも偉大な《詩人》として登場する、ノーベル文学賞を受賞したパブロ・ネルーダとインタビューした際に、「君は最低のジャーナリストだ。豊かな感受性や空想力がありすぎて、今にとんでもない嘘をつくことになる。だから文学をやりなさい」と言われたのがきっかけで、物書きになったのだという。

しかし、その後もジャーナリストとして働いていたが、叔父サルバドール・アジェンデが選挙に勝利して政権についた後、ピノチェットの率いる軍部のクーデターによって、暗殺されるという事件が起こる。
軍部の恐怖政治が国を支配するなかで、彼女は人々の救済と支援に当たるが、ついに職を追われ、夫と子どもとともにベネズエラに亡命したのである。
そこでこの物語を書いたわけだが、それは一種の悪魔祓いの儀式だったと彼女は書いている。

原作は3世代に及ぶ大河小説であり、映画もそれを忠実に描いているとはいえ、クララたちが体験した残虐非道な世界は、とても映画では描き切れない、小説ならではのものである。
だが、それも作者自身が実際に体験したことと思うと、戦慄が走る。
人間はどこまで残酷になれるのだろうか。

そうした歴史的政治的ドラマと並行して、この物語にはロマンスや夫婦の裏切り・嫉妬などの家族ドラマもある。ややこしすぎて、映画を1回観ただけではストーリがつかめなかった。

だが、小説を読んでも、どこか常識-少なくとも日本人の-を超えた関係性で、
登場人物に感情移入をする一方で、あまりに狂気じみている一方で、きわめてドライでもあるために、ついつい気づくと距離を取って読んでいた。
ちなみに、映画の中で狂気を演じて印象的だったのは、クララを愛する義理の姉を演じたグレン・クローズ。彼女はこうした役を演じるとすごい。

ところで変な連想だけど、日本とチリの文化の違いなどを考えていて、この小説と対置できる日本の文学はと考えて、思い浮かんだのは「源氏物語」だった。
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小倉のそれから [旅のはなし]

二日目の小倉は、午後からの仕事だったので、またまた旦過市場へ。
小倉駅からモノレールで2駅。ところが1つ手前で魚町銀天街へ行けるとわかり、急遽途中下車。
なつかしい。
といっても、私が知ってる魚町銀天街はこんなに立派じゃなかったような気がする。
でも、中学・高校でお世話になったカナダ人修道女が晩年、卒業生がやっている銀天街の喫茶店に行ってコーヒーを飲むのを楽しみにしていたと聞いた。
本来なら、定年でカナダの修道院本部に帰国するはずだったのだが、最期まで日本で過ごしたいと言って残ったのだという。
私が小学校の頃は、修道女は足首までの長さの黒いドレスとノリのきいた白いとんがり帽子と長いアゴがついたのようなベールで顔を覆った修道服で、一人で街中を歩くというようなことはできなかった。
その後、とんがり帽子とアゴはなくなり、スカート丈も短くなり、グレーになって、全体に明るくなった。
今では私服になっているから、きっと私服で銀天街まで外出してたんだろうな。
その頃、一緒にお茶したかったなあと思う。
日本に長くなって、カナダに帰省すると、変な英語をしゃべっていると家族が笑ったそうだ。
日本語訛りになってしまったらしい。

そんなことを思い出しながら、銀天街を通り抜け、旦過市場に。
牡蠣やさざえがたくさん。さざえって夏の物だと思ってたけど、ちがうのね。
でっかいアワビも。
旦過市場のうれしいところは、魚が一匹一匹綺麗に並べられて売られているところ。
東京の魚屋みたいに発泡スチロールに詰め込まれたり、ざるに山になって入れられたりしていないのだ。
なんと、発泡スチロールに水を張った中に、数匹のフグが泳いでいた。
生きたまま売られているんだ。 

野菜もいろいろだったけど、やっぱり高いようだった。
イチゴを買って行きたかったけれど、仕事前だったので、買えなくて残念。

旦過市場から、会場まで地図を見たら近そうだったので、歩いて行くことにした。
スマホで調べたら、徒歩16分とあった。
東京ならぜったい歩かない距離だ。
でも、出てくるとき東京は雪だったので、キャリーバッグはやめて、リュックにしたので歩きやすいと思ったのだが・・・。
リュックの重さまでは考えなかった。

結局、20分以上歩いて到着。よく歩いた。
帰京して翌朝、下半身の筋肉痛で目が覚めた。
新しい体重計で見ると、筋肉量が増えていた!
このくらいの荷物を背負って、このくらい歩くといいってことね。
2日にわたって通算4時間、立ったまま講義とワークショップをしたのも、響いたみたい。
日頃の運動不足がたたったってことか。

それにしても、私を呼んでくれた女医さんが、高校の後輩だとわかったんだけど、なんと15歳も年下だった。
ちょっとがっくり。
でも、お世話になった先生方の多くは亡くなられているし、親しかった友も同じく。
確実に時間は過ぎ去っているということを改めて実感。

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