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おいち不思議がたり [本のはなし]

ひさびさに、あさこのあつこのおいち不思議がたりシリーズ新作『闇に咲く』。
といっても、
この6月に、さらに同シリーズの新作『火花散る』が出る(出ている?)らしいから、読むのも追いつかない。

このシリーズの主人公は、蘭方医として名を馳せていたが、今は深川の菖蒲長屋で一町医者として働いている松庵の娘、おいち。
互いの信頼と愛情で結ばれた二人だが、この二人に血のつながりはない。養女なのだ。
養母であるお里も、おいち5歳のときに亡くなった。

おいちは今、父の薫陶を得て医者修行中。
ときどきお里の姉で豪商のおかみさんとなったおうたがふたりを訪ねて来て、なにかと(いらぬ)世話を焼く。

だが、このシリーズで特異なのは、おいちがこの世に思いを残して亡くなった人の姿が見えるという能力をもっていること。今風に言うと、サイキックですね。

さらに、この二人の他に、本所深川界隈を仕切る岡っ引きの仙五朗親分や、おいちに思いを寄せる飾り職人の新吉などが登場する。

今回は、大川端で立て続けに夜鷹が殺されるという残忍な事件が起きる。
しかも、腹を一文字に切り裂かれて。

そんなとき、おいちは強烈な血の臭いを感じ、大けがをしたけが人が運び込まれるような予兆を感じる。
そしてやってきたのは、一人の若い男。
血を流しているわけでも、血を吐くような病にかかっているわけでもないようだった。

男は小間物問屋『いさご屋』の主、庄之助。
商家の主とはとても思えない優男だった。
相談事があるという。
それはとても現実とは思えない話だった。

若くして死んだ双子の姉が自分の中にいる、という。

あさのあつこさんの作品の登場人物には、たとえばバッテリーの主人公など、いわゆる発達障害(今までならアスペルガーなどといわれた)か愛着障害と思われるような、コミュニケーションに独特の難しさを抱えてキャラクターがよく登場する。
今回は、「解離症状」とか「多重人格」とかの診断名がつくかもしれない。

おいちは真相をさぐるため、松庵や仙五朗親分の心配を振り切り、いさご屋に乗り込むことにする。
行ってみると、いさご屋の雰囲気は異様なものだった。
偶然、飾り職人の新吉も雇われていた。

やがて、いさご屋内部の確執と、連続する夜鷹殺しが結びついていく。
途中まで、なんとなく謎が解けそうな気がして読んでいたが、最後の方で急にどんでん返しがある。ちょっと急すぎるような…。
なので、これ以上の紹介は封印。

いつもながら、あさのあつこさんの語り口は切れ味よく、ぐいぐいと物語の中に引き込んでいく。
ものすごく血なまぐさい話なのだが。

寝る前に読んでいたら、2日で読み終わったが、睡眠不足。

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弥勒シリーズ第6弾 [本のはなし]

通勤ということをしなくなると、途中で本を読むことがなくなり、ぐっと読書量が減った。
自宅にいればいつでも読書すればいいではないかと思われるかもしれないが、
自宅ではもっぱらビデオに撮ったテレビドラマ(たいていは海外ドラマ)を1.3倍速で観て過ごしている。
なぜか本を読む気がしないのだ。

この4月から週3日勤務するようになったのだが、通勤時間がなんと20分。
乗車時間はわずか9〜11分。読む時間はない。
本を読むのは、もっぱら夜寝床に入って眠くなるまで。せいぜい30分。
なかなか進まない。

でも、あさのあつこ弥勒シリーズの最新作『地に巣くう』(光文社時代小説文庫)は、一気に読んだ。
一気に読まないと、登場人物の人間関係がわからなくなるということもある。

壮絶な過去をもつ小間物問屋遠野屋清之介と、彼に強い興味と敵愾心をもつ北町奉行所定町廻り同心、木暮信次郎、それに岡っ引きの伊佐治親分が絡むのはいつもの物語なのだが、
今回はなんとしょっぱなから木暮信次郎が何者かに襲われ、腹を刺されるという衝撃的な事件が起こる。
しかも、その後、大川にあがった屍体が、信次郎を襲った男であることが判明する。

今回は、20年前に病死した信次郎の父親、先代の同心、右衛門の衝撃の過去をめぐる物語である。
これまで衝撃の過去といえば、清之介のものであって、信次郎はいわば先代の同心のぼんぼんのような立場で、性格に難はあっても謎や影はなかった(はずだった)。
だが、この事件をきっかけに、信次郎は亡き父の真の姿を明るみにだそうと、遠野屋清之介に助力を頼む。
といっても、素直に頼んだわけではないのは、いつものこと。
善人と信じられてきた父親は、ほんとうはとんでもない悪人だったのか。
先代の同心、右衛門を尊敬してやまない伊佐治親分は、先代の過去を暴こうとする信次郎に反発する。

これに、遠野屋の二番番頭信三が出先でたまたま見つけた、腕の立つ半襟職人とその一家や、信次郎が襲われる前に会っていた、両国の両替商のお内儀などとのからみが、徐々に右衛門の過去のなぞと結びついていく。

それにしても、清之介に対する信次郎の執拗な関心はいや増すばかり。
清之介もまた、自分の過去を何とかして暴こうとする信次郎に抗えないものを感じている。

表面だけみると、性格のねじくれた同心と正直でまっとうな商人の二人が、実は根は似た者同士であるということが繰り返し繰り返し語られるのだが、そのしつこいまでの叙述に、もういいよ、わかったよと言いたくなってきた。
あさのあつこさんは、どうしてここまでそれにこだわるのだろう。
その疑問は、この先、この物語はどこに行き着くのだろうという疑問ともつながっている。







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男親の気持ち [本のはなし]

年下の友人が、直木賞をとった門井慶喜の『銀河鉄道の父』を読んで、「父親ってそうだよなあとつくづく思った」と言った。
本人は二人の子をもつ父親。
「そうだよなあって、どんななの?」と聞いてみたが、答えがはっきりしない。
何とも言葉では言えないらしい。

私の父は分裂気質の研究者であったから、親子と言ってもあまり親密とはいえない関係で、亡くなって6年が経つ今、父親がどんな気持ちを抱いていたのかは、知る由もない。

しかも、姉と私の娘二人だったから、これが息子だったらどうだったのだろうという興味もあって、読んでみた。

これは宮沢賢治の父の、そして宮沢賢治自身の人生を描いた小説である。
宮沢賢治に関する研究はたくさんあるようだが、私自身はこれまでほとんど読んだことはなかった。
ただ、保育園で初めて働いた時、子どもたちに何か絵本を読んであげてと先輩保育士に言われて、『セロ弾きゴーシュ』を読んだ。
今、青空文庫で読んでみると、年少児にはとんでもなく難しい物語だったとわかる。
その先輩は、「それは私も好きな物語」と言ってくれたが、それは私の誤った選択をなぐさめてくれたのだろう。

それはともかく、
この小説の最初の章は「父でありすぎる」というタイトルである。
まさにこれがテーマなのかもしれない。
とにかく子供に対する愛情が人一倍強く、憲治や妹が病気になって入院すると、泊まり込んで寝ずに看病し、下の世話までやるような父親なのである。
そのせいで自分が病気になり、一生腸に悩まされるようになるのだが。

その一方で、父親たるもの、男たるものこうあるべしという社会規範にとらわれてもいて、その思いを口にはできず、自分を戒めているのである。

憲治自身も妹トシに対して熱い愛情を注ぎ、トシが病で入院した際には泊まり込んで看病し、下着までも洗った。

この本がいいと言っていたあの友人も、こんなにあふれるほどの愛情に苦しんでいるのだろうかとふと思う。

とにかく、葛藤だらけの人なのである。
一つは、質屋と古着屋という家業についての葛藤。
父はその仕事の傍ら、地元の文化人として全国から有名な講師を招いて講習会などを催したりしていた。どこか自分の家業を恥じているところがあったようだ。
それでいて、自分がそう親に言われたように、憲治ら息子にも「質屋に学問は必要ねえ」といって大学に行かせまいとする親なのである。
ところが、結局は息子ばかりか娘までも、質屋の仕事を嫌い、親に逆らって大学に進む。
実際に、父も子どもたちも、とんでもなく優秀だったらしい。

父は浄土真宗の熱心な檀家なのだが、憲治はその父からもらった本がきっかけで日蓮宗に帰依して、熱狂的ともいえるほどの信徒となる。
何につけ、東北人とは思えない(これは偏見!東北人だからこその)熱い思いを抱えた人たちである。

小説家はともすれば重苦しくなりかねない悲劇的な憲治や父、妹たちの人生を、独特のリズムでつづっていく。

それにしても、私にとって男親というものは、永遠の謎かもしれない。

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人間の暗部を描くスウェーデン・ミステリ [本のはなし]

北欧ミステリの中でもスウェーデン・ミステリは、「マルティン・ベック」シリーズで有名なマイ・シューヴァル&ペール・ヴァールーを始め、日本でも長く人気を誇っている。

その二人の後継者と目されているのが、
アンデシュ・ルースルンドと ベリエ・ヘルストレムのコンビである。
以前にもこのブログで『制裁』を取り上げ、2人の特異な経歴を紹介した。
http://sendagi-sennsei.blog.so-net.ne.jp/2008-01-17
詳しいことはそちらを読んでいただくとして、
今日紹介するのは、『ボックス21』(ハヤカワ文庫)。
『制裁』から続くグレーンス警部のシリーズは、全世界で500万部を超えるベストセラーとなっている。

本書が刊行されたのは2005年ということだが、なんと著者の一人、ヘルストレムは今年2月17日にガンのために永眠したという。享年59歳。
かつて服役したこともあるというから、身体的にも不健康な生活だったのだろうか。

冷夏のストックホルムで起きた2つの事件が、グレーンス警部を巻き込み、やがて深刻な問題を引き起こしていく。
一つは、アパートの一室で、鞭で打たれ意識を失った売春婦が無残な姿で発見された事件。
もう一つは、ヘロイン依存症の男が覚せい剤に洗剤を混ぜて売り、多くの死者を出してマフィアの怒りを買った事件。

グレーンス警部は覚せい剤事件の背後に、宿敵ヨッフム・ラングがいることを直感的に気づく。
だが、ラングはグレーンス警部の手で逮捕され、服役中。
これまでなんども逮捕されているが、証人を脅して証言させないため、刑を逃れていた。
刑務所内でも服役囚をてなずけて、出所後に犯罪の手引きをしていた。

一方、むごたらしく鞭打たれた姿で見つかったのは、リトアニアから人身売買でやってきた娼婦リディアだった。
彼女はストックホルム南病院に運び込まれたことで、2つの事件が結びつく。
病院に勤める女医の弟が、ラングにてなずけられたジャンキーだったのだ。
ラングは、姉に薬をせびりに来た弟を病院で銃殺して逃げる姿を姉の女医に見られてしまう。
やってはならないミスだった。
グレーンス警部は今度こそ、きちんとした証人を立てて、ラングを有罪にすることができると喜ぶのだが…。

一方、病院に運び込まれたリディアは、逃げだした仲間のアレナと密かに連絡をとり、これまで計画して準備してきたあるものを駅のロッカーから取り出し、病院に持ち込むように頼む。
それは銃と爆薬。
リディアは、それをもって病院の地下の遺体安置所に人質をとって立てこもる。

被害者がなぜ、今になって犯罪者になるのか?
しかも、要求はグレーンスの長年の同僚ベングトをよこせということだけ。
なぜなのか…?
人質が一人殺され、若い研修医が膝を撃ち抜かれるにおよび、ベングトがその要求に応じざるを得ないことになる。

…と、ここから先は、ネタバレになるので書けないのだ。
グレーンスの深い懊悩。
これまでの警官としての努力がまったく無になるような事態。
さらに、グレーンスに疑惑を抱く長年の同僚スヴェン。

帯に「ラスト3行、心をえぐられる。」とあるが、
最終章は、事件の3年前にさかのぼって、物語をなぞるような短いエピソードが重ねて示される。
そして、最後の3行というのが、最後の1ページなのだ。
で、思わず、えっと前のページを見直してしまった。

人身売買というスウェーデンの、というより人間の暗部。
その犠牲となる女たちの苦しみ。
貧困と憎悪の中で薬物依存にはまる人間。
犯罪と戦いながら人を傷つけ、自らも傷つく警官たち。

最初のほうの娼婦の物語を読んでいるときには、気持ちが暗くなり、読み続けることがなかなかできなかった。
だが、途中から本を置くことができなくなり、睡眠不足に…。

スヴェンがグレーンス警部に語る次の言葉には、う〜んと考えこんでしまった。

「罪悪感は、他人になにかをしてしまったときに抱くものだ。自分に対して何かをしてしまったとき、人は恥の意識を抱く。罪悪感には耐えられる。恥は耐えがたい」

かつては罪悪感の西洋人、恥の日本人という対比がよくされたが、
そう単純なことでもないというのが最近の認識となっているのだな。
それにしても、こんなミステリにさえ、それが出てくるなんて。



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『銀漢の賦』 [本のはなし]

暖かくなったかと思ったら寒くなり、おまけにこの季節には珍しい風雨で洪水……。
一体、地球はどうなっているのやら。
相模大野で午前中の仕事があり、私としては珍しく6時半ごろに起床して出かけた。
千代田線で代々木上原で小田急線に乗り換えれば、1時間弱で到着する予定だったのだが、日比谷まで行ったところで、なんと後続の電車が途中の駅で急病人の救助を行ったために運転間隔調整が必要、ということで5分停車。
代々木上原の接続も、寒いプラットフィームでかなり待つはめに。
ところが午後、帰りも車両点検とかでやっぱり遅れ。
日本の交通システムはかなり老朽化してしまっているのではないか?

と、話は飛んで。
昨年12月23日に亡くなった葉室麟の『銀漢の賦』を読んだ。
2005年に54歳でデビューして2年後の2作目がこの作品。
松本清張賞を受賞している。

銀漢の漢は川という意味。銀漢は天の川のことをいうのだそうだ。
西方の小藩、月ヶ瀬藩の群方・日下部源五と家老にまで上り詰め、「月堂」という号をもつ文人としても名を馳せた松浦将監、この二人は、同じ普請組の子弟として、同じ剣道場にも通った幼い頃からの親友だった。
そして十蔵。2人が剣道場からの帰りに偶然ぶつかったことから親しくなった村の子どもである。
この3人が夏祭りの夜、見上げた空の天の川に感嘆していた際に、漢詩では天の川を銀漢というと将監が教えたのだ。

日と月と星。
この物語は、少年時代から頭に霜を置くようになるまでの、3人の漢(おとこ)の物語である。

源五は居合と鉄砲の名手だが、藩の財政を立て直すための新田開発になくてはならなかった雲居川の井堰工事に、妻も子供も顧みず献身的に働き、妻を病で亡くしてしまう。

源五と将監は、少年時代にともに覚悟をきめて斬り合いの場にのぞみ、命を賭して戦ったことがあるほどの親友であった。
だが、ある事件をきっかけに断絶し、将監はやがて学問ができることが認められて、遠縁の名家の婿養子に入ったことから出世の道を登り始める。
実は、将監の父は江戸で不覚の死を遂げていた。
この死の裏に、藩の政争があったことがのちに明らかとなる。
だが、その将監も家老となり、藩を我が意のままに牛耳る存在となりはてたのか…。
源五はそれを疑っている。

十蔵は成人してのち、村人の一揆を煽動したかどで、家老となった将監により刑死してしまう。
源五は十蔵の亡き後、その妻と娘を引き取る。

この幼い頃、親友だった3人が、それぞれの人生を歩みながら、ときに敵対し合い、それでも心のどこかでつながっている。
葉室麟お得意の涙を誘う友情物語でもある。

時代小説は、現代社会を下敷きにしているようなところがあって、そのあたりが松本清張賞受賞の理由でもあったのだろうか。
でも、それから10年経って、ますますその色彩は濃くなっている。

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本屋大賞の本を読む 本屋の話 [本のはなし]

本が好きなので、本屋や図書館がらみの本はたいてい読みたくなる。
今回は、『書店主フィクリーのものがたり』(早川epi 文庫)という本。
帯に本屋大賞第1位(翻訳小説部門)と謳ってある。
本屋さんだから本屋が主人公の小説は、ぜったいはずさないだろうな。

著者は、ガブリエル・ゼヴィン。
ネットには、「1977年ニューヨーク生まれ。ハーバード大学を卒業したのち、映画の脚本の仕事に携わる。」としか紹介がない。
その後、ヤングアダルト小説を書き始めて、2014年にこの本がベストセラーになったらしい。

まだ30代のときに書いたものにしては、えらく老成した主人公だ。
プリンストン大学の大学院でエドガー・アラン・ポーを研究していたという主人公フィクリーは、その一方で、大学のアカペラ・グループでは第2テナーを務め、ロックバンドの歌っていたという人物。インド人の血が混じっているらしい。

妻の助言にしたがって、妻の故郷アリス島に移住し、そこで「アイランド・ブックス」という本屋を開く。2階が住まい。
この本の、「本屋のない町なんて町じゃない」という言葉が、ずしっと響く。
どこも「町じゃない町」ばかりになって来つつあるから。

ここでは著者を招いての読書会なども開催している。
読書クラブって本当にアメリカの文化なのね。
以前、刑務所で読書クラブを開いている人の本を紹介したけど、ここでは警察署長。
島の警察署長ランビアーズは、この本屋が出来てから本に親しみだし、今では署員のための読書会も定期的に開いている。
ただし、本が売れるのは観光客が島に押し寄せる夏の間だけ。

ところで、この本のプロローグは、出版社の販売員アメリアがフェリーでアリス島に向かうシーンから始まる。
本好きのアメリアはすでに婚期を逃し、なかなかよい相手にも巡り合わないでいる。
彼女の向かった本屋の看板には、こんなことが書いてあった。

     島の本屋
   創業1999年
 アリス島唯一の優れた文学書籍販売元
 人間は孤島にあらず、書物は各々一つの世界なり

ちなみに、人間を孤島に例える言い方は、英語の文章によく出てくる。
もちろん、人間は孤島ではないというふうに、なのだけれど。
『ロビンソン・クルーソー』や『キャスタウェイ』など、孤島に流れ着いた人の物語もいろいろあるし。
日本では鬼ヶ島に鬼退治に行ったり、島流しにされたりするけど、島そのものを人間に見立てる発想ってないような気がする。

本筋に戻ります。

アメリアが訪れたアイランド・ブックスの店の中は、本が所狭しと積み上げられ、ちょっと動くと本の山が轟音を立てて床に崩れ落ちるありさま。
愛妻を車の事故で亡くしてから、店主のフィクリーは酒浸りの毎日だったのだ。
偏屈ぶりが講じて、本屋も閑古鳥が鳴く状態に。
話も聞かずに追い払おうとするフィクリーに、食い下がるアメリア。
ヤングアダルト小説なんて、と鼻もひっかけないような物言い。
著者のゼヴィンは、ヤングアダルト小説出身だから、自分を笑っているわけだ。

酔っては夢の中で今は亡き妻と会話している孤独なフィクリーにある日、不思議なことが起こる。
店唯一の稀覯本だったエドガー・アラン・ポーの『タマレーン』が盗まれたのだ。
同時に、彼に失神発作の症状があることがわかる。
だが、盗難騒ぎのおかげで、店は物見高い客で一時的に賑わう。

そんな時、店の中に褐色の肌の赤ん坊が置き去りにされたのだ。
マヤ、2歳。赤ん坊というより、幼児だ。
エルモの人形に手紙がついていた。(エルモの人形、私ももってる!)
本好きな子になってほしい。だから本がたくさんあるところで、そういうことに関心のある方たちの間て育ってほしい…と。

フィクリーはマヤを養子にすることに決める。

実はこの小説、物語と連動する形で、章ごとにフィクリーの好きな小説の感想が書かれている。
読んだことのない本も多いけど、本好きにはこれもワクワクするところ。
なかなか含蓄に富んだ言葉もある。
この感想文が、マヤへの手紙の形になっていくのだ。
手紙といっても読書指南といったところか。

マヤを引き取って育てるフィクリーに、アメリアは惹かれ、二人は愛し合うようになる。

とまあ、本のうんちくのあれこれの合間に、フィクリーとアメリアの恋の進展が描かれ、マヤの賢さも描かれ、さらには警察署長ランビアーズの恋などもあり、なかなかハートウォーミングな、ときに胸が熱くなる、そんな小説なのである。

社会派のミステリーにいささか疲れたところで
新年に読むにはもってこいの良い本だった。


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『サラバ!』で考えさせられた [本のはなし]

前から読みたいと思っていながら、分厚い単行本2冊を読み通すエネルギーがなさそうで、文庫本になるのを待っていた西加奈子著『サラバ!』が、3年たってようやく文庫本3分冊になったので、さっそく購入して読んだ。
彼女の本は初めて読む。

帯も表紙の裏のあらすじも読まず、まったく予備知識なしで読みだしたので、第1章「猟奇的な姉と、僕の幼少時代」の次が、第2章「エジプト、カイロ、ザマレク」というタイトルだったので、いったいこれは何の話だろうと戸惑った。
なにせ、日本の小説の章のタイトルで、外国の地名-しかもエジプト、カイロ、ザマレク!―が出てくるなんて予想もしていなかったので。

実は、今から30年以上も前に、商社に就職した友達がカイロに語学留学していたので、2週間ほどエジプトを旅したことがあった。
なので、ザマレク近辺の様子は思い浮かべることができる。街に響き渡るコーラン(アザーン)の放送の声も。ナイルに浮かぶ白い帆の小舟ファルーカも。

著者の西加奈子さん自身がイラン・テヘランで生まれ、カイロで育ったという経歴を知って、なるほどどうりで街の風景などの描写が詳しいわけだと納得。自身の体験から描いているのだろう。

エジプトに行った時、「ナイルの水を飲んだ者は、かならずナイルに戻ってくる」と聞いたので、いつかまた訪れてみたいと思っていながら、その後のエジプトでのテロ事件や政情不安で、とても行けそうもないと思っていたので、この小説の中で再訪できたような気がして嬉しかった。

そんなことに驚きながら読み始めたのだが、物語はそうした旅情とはかけ離れた(ファンタジーと言ってもよいような)ドラマが、激動の世界情勢と主人公圷(あくつ)歩の一家の物語が交錯する形で展開していく。

歩は、父の海外赴任先のテヘランで生まれ、イラン革命でいったん帰国し大阪に住むが、すぐに新しい土地にも溶け込んだ歩と違い、姉貴子はなかなかなじむことが出来ず、孤立を深めていく。

姉はガリガリに痩せていて、その不器用な態度に同級生から「ご神木」というあだ名を頂戴するような子どもで、しょっちゅう怒りにまかせて部屋中を破壊したり、部屋に引きこもったりするのである。
母親との関係は最悪なのだが、この母親も、ほかの人の気持ちには無頓着な自己中心の女性として描かれる。

一家の悩みの種は、奇矯なふるまいをする「猟奇的な」姉である。
周囲のことは一切お構いなしにひどい騒ぎを起こすこの姉を見ながら、歩はひたすら目立たないよう、まわりに気に入られるよう、「良い子」として生き延びていこうとする。
彼は、姉とは対照的に顔立ちもよく、どこに行っても人気者である。それを自分でもよくわかっている。
こうした歩の、表向きの顔とは裏腹の、醜い顔、内心の意地の悪い思いがしばしば吐露されているのだが、実際には相手の反応が読めるので、口に出して言わなかった、ということが繰り返し記述される。

それでもカイロでは、歩はヤコブというコプト人の少年と親しくなる。言葉の壁を越えて(というところがミソ)、理解しあえる友となるのだが、両親の離婚でエジプトも後にせざるを得なくなる。
ここで「サラバ!」の意味が分かり、涙。

日本に帰国後、母は次々に恋人をつくり、姉は近所のおばちゃんが教祖とされた正体不明の宗教にのめり込んでいく。そこへ阪神大震災が起こる。
逃げるように東京に移った歩は大学生になってからも、あいかわらずモテモテで、次から次へと女性と関係をもつ。

この小説の中で、このような二面性をもつ人間として歩は描かれるのだが、醜い内心を(文章で)さらした後に、決まってその醜さを自分から指摘するのである。まるで言い訳するように。
このパターンが繰り返されるので、なんだかずるいなという気がしてきた。腹黒い嫌な奴なのに、自分は腹黒いとわかっているから許して(本当はいい奴なんだ)、と言っているようで。

この後の話はネタバレになるから書かないが、歩にも大きな変化、しかも自分ではどうしようもない変化が洗われることだけは言っておこう。
そして、対照的な姉と弟、自己中心的な母親と出家する(徹底的な愛他主義の)父親の対比などを通して、自己とは何かということが問われていく。
自分の欲求のままに生きるのが、正しい自己としての生き方なのか。他人の考えや期待に沿って生きるのは、だめなのか。
自己と他者との関係について、深く考えさせられた小説だった。

とても面白く感動もし、著者の力量に感服もしたが、1か所だけ気になったところがあった。
それは、最後のほうで大人になった歩が姉と対峙するシーン。

姉がかつてのめりこんだ教会の建物の跡地に建った2棟の大きなマンションを背に、姉が立っているのだが、「西日が背中から当たって、姉の顔を影にしていた」と描写されているのだ。
大きなマンションがあって、それを背にして立ったら、背中に夕陽は当たらないだろうに・・・。
この場面がクライマックスと言ってもよいだけに、こんなことに引っかかっても仕方がないと思いながら、でもね・・・。

と書いて、最初投稿したのだが、後で読み直すと、背中は歩の背中なのかもしれないと思えてきた。
つまり、姉の前に立つ歩の背中に夕陽があたって、目の前の姉の顔が(自分の)影になっている・・・と考えると、矛盾はない。なるほど、これならすっきり。
でもなぜ、大事な対決シーンなのに、作者は姉の顔を隠そうとするのだろう…。
歩自身へのコンフロンテーションを行うのは、姉でも他者でもなく、歩自身だということの暗喩なのだろうか。
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スウェーデンが出てこないスウェーデン・ミステリ [本のはなし]

それにしても時の経つのが早すぎる。
繰り返し言っていることだけれど。

一つは、最近再び数独にはまって、無駄な時間が過ぎていくせい。
とくにスマホの数独は,Hardの段階に達して、ときどきギブアップせざるを得ない問題が出る。
そういうのがあると、ますます熱が入ってしまうのだ。
いいかげんにしないと。とは思うものの・・・。
これがアディクションなのね。

で、ブログを更新する時間もなくなり、それより本を読む時間も無くなるので、書くことがなくなるのが致命的。
ケーブルテレビのミステリドラマは録画して、何度も同じものを見直したりしているのだが…。
これでは頭がボケてしまう。

なんて、グタグタ言い訳するのはよして、おすすめブックスの紹介と行きましょう。

トーヴェ・アルステルダール『海岸の女たち』(創元推理文庫)。
スウェーデン・マルメ生まれで、現在は3人の娘とストックホルムで暮らす著者は、もともと映画や演劇のシナリオライターとして25年のキャリアをもち、ベストセラー作家の編集者も務めていたという。
これが50歳を前にしてのデビュー作なのだが、当然ながら完成度が高く、一気にベストセラーの仲間入りして、「北欧ミステリの新女王」と呼ばれるようになったのだそうだ。
最近の北欧ミステリの傾向を反映して、国際的な社会問題が物語にからんでいる。

最初のシーンは、スペインの観光地タリファの海岸。
どうやら船で運ばれてきて、上陸寸前に海に投げ出されたアフリカからの難民とおぼしき女性が、必死に生き延びようとして、海岸にたどり着く。
名前はない。

次の場面では、テレーセという若い女性の観光客が登場する。
ハンサムなサーファーに誘惑されて、酒と薬を飲まされた挙句、レイプされ、タリファの海岸に放り出されたのだ。
あわてて逃げ出そうとして、何かを踏みつける。
何か、ぐにゃりとした物体。黒人の死体だった。

その同じ日、ニューヨークでは、劇場の舞台美術家として評価を得つつあったアリーが、待望の妊娠をしたことに気づく。
フリーランスのジャーナリストである夫のパトリックは、取材のためにパリに行ったまま連絡がない。
夫から劇場に届いた封筒には、謎の写真の入ったディスクと手帳が。
夫の行方を捜すために、アリーは単身パリへと向かう。

一方、テレーセは、父親が警察と赤十字に事情を話したため、警察に呼ばれて海岸で見つかった死体のことを聞かれる。
ここには遠くアフリカから密航してくる難民たちが大勢流れつくのだ。
幸運にも生き延びた難民たちには、ヨーロッパのあちこちで奴隷のような運命が待っている。
どうやら、パトリックはその取材をしていたようだ。
なにか大きな情報をつかんだのかもしれない。

というわけで、スペインやらアフリカやら、ニューヨークやらが出てくるのだが、肝心のスウェーデンはほとんど出てこない。


このアリー。生まれはチェコスロバキアのプラハだが、幼い頃、母とともにアメリカにやってきたという背景をもつ。
そこには、1968年の「プラハの春」や、その後の弾圧、そして、1989年のベルリンの壁の崩壊に続く、チェコスロバキアの「ビロード革命」いった激動の歴史があった。

しかし、アリーナと言う名前もアメリカ風にアリーと変え、母国語も忘れた。
アリーの夫を探す旅は、自らの過去と初めて向き合い、そのルーツを探る旅ともなっていくのだ。

パリで夫の足取りを追ううちに、アリーは奴隷労働を強いられている難民の救出にあたっているボランティア団体と知り合う。
夫もこの活動に賛同していたようだ。
徐々に難民を奴隷にする闇の勢力の存在があきらかになっていく。
だが、誰が味方で、誰が敵なのか…。


妊娠してつわりに苦しみながら、パリからリスボンへ、そしてタリファへと向かうアリー。
飲まず食わずであちこち走り回り、襲われてもめげない主人公に、ありえな~いとつい声を出したくなるのだが…。

一方、地中海を密航して命からがら生き延びたアフリカ女性の悲惨な行程も描かれ、最後にアリーの行程と交差する。
なかなかできた構成である。
手に汗握る冒険活劇を物語る技は女性離れしていて、さすがシナリオライターで鍛えただけある。

この舞台美術家が探偵役というのは私も初めてだが、著者の経験や知識が物語のあちこちに行かされていて、面白い。


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ワンダー! [本のはなし]

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たまたまのぞいた近所の書店の児童書コーナーで、美しい黄緑色の分厚い本がうず高く平積みされていた。
ハリー・ポッターシリーズでもないのに何だろうと見てみると、「世界累計1000万部の話題作」というシールが貼ってある。
『もうひとつのWonder ワンダー』(ほるぷ出版)という本だった。

『もうひとつの』というのは、前作である『Wonderワンダー』という本が2年前に翻訳出版されて、児童書ながら米国ではNYタイムズベストセラー第1位となっていたのだ。

『もうひとつの』の山の中に『Wonderワンダー』が1冊だけ残っていたので、こちらをとりあえず読んでみることにした。ちなみにこれも出版の翌年にはすでに6刷まで出ていた。

この本の主人公はオーガストという男の子だ。
なぜこの本の題名が「ワンダー」なのかは、冒頭に掲げられたナタリー・マーチャントの楽曲「ワンダー」の一節から推測できる。

  遠い町から医師たちが
  私を見るためにやってきた
  揃ってベッドのわきに立ち
  目にしたものに息をのむ
  
  そして言う
  これは神の手による奇跡だと。
  とんなに頭をひねっても、説明することなどできないと

Part1は彼の語りだ。
その章の初めにも「ワンダー」の一節が紹介されている。
 
  この子が私のゆりかごにきて、
  運命の女神はほほえんだ

オーガストは「下顎顔面異骨症」という重大な先天異常をもって生まれてきた。そのために、飲食や呼吸さえも危うくなって何度も形成手術を繰り返したが、両親と姉の深い愛情と庇護のもとになんとか生き延びてきた。
しかし、手術のためだけでなく、見る人をぎょっとさせる特異な顔貌のために、学校には通わず、母が自宅で勉強を教えてきた。

そのオーガストが10歳になり、両親はいよいよ学校に通わせる決断をしたのである。
10歳というのは、日本では小学生だが、オーガストが通うことにした私立学校では中学の1年生にあたるらしい。
小さい頃には近所の公園で一緒に遊んだ友達もいたが、ほとんどが初対面。
あらかじめ校長先生はジャック・ウィルとジュリアンとシャーロットという3人の同級生に彼を引き合わせ、学校を案内するように頼む。

ジャックと優等生のシャーロットは、驚き怖気づきながらもオーガストに親切にふるまう。
だが、ジュリアンだけは嫌悪と怒りを隠さない。いろいろな意地悪を始めるのだ。
おまけにジュリアンの母は、オーガストの存在が子どもたちの心を傷つけると言い、特別入学を許されたのは問題だと、転校させるように騒ぎ出す。

Part2は、オーガストの美人の姉、ヴィアの語り。
章の初めにはデヴィッド・ボウイの『スペース・オディティ』の一節。いわば彼女のテーマだ。
 
  はるかなる世界
  蒼い地球
  そして、なすすべもないわたし

弟を気づかう優しい姉で、弟にひどい対応をする人は友達といえども断固許さず向かっていく。だが、両親が弟ばかりに目を向けていることに、苛立ちと不満をかかえてもいる、普通の思春期の女の子だ。自分が同じ遺伝子を持っていたら…とひそかに悩んでもいる。

 Part3は、学校の食堂でオーガストの隣に来て親しくなった、サマーという女の子。テーマはクリスティーナ・アギレラの『ビューティフル』
 Part4は、ジャック。テーマはサン=テグジュペリの『星の王子さま』
 Part5は、ヴィアのボーイフレンド、ジャスティン。テーマは戯曲『エレファントマン』から。
 Part6は、再びオーガスト。ここでのテーマは『ハムレット』から。
 Part7は、ヴィアの友達のミランダ。テーマはアンダイン『美しいもの』から
 そして最後は、オーガスト。ユーリズミックス『ビューティフルチャイルド』から

  あなたなら、空に手がとどく
  飛びなさい・・・・・・美しい子どもよ
 

こんなふうに章ごとにオーガスト本人の視点から友人、きょうだいの視点へとかわり、その子どもたちの住む体験世界が重層的に描かれていく。
 この1作目でさえ、読んでいて涙があふれてきたのだが、2冊目となるとさらに・・・。

 『もうひとつの・・・』では、1作目でいじめっ子だったジュリアン、幼なじみのクリストファー、優等生のシャーロット(うわべだけの親切?)が語り手となって、オーガストをどう体験していたかを語る。

作者のR・J・パラシオは、なぜ1作目でジュリアンやシャーロットを描かなかったかとよく聞かれたが、いじめっ子の話をいじめられる子どもの話と一緒に語るわけにはいかないと書いている。それでは、単純な相対化に終わってしまうからだろう。

巻を変えて、じっくり彼らの語りに耳を澄ませると、これまた涙がこぼれ落ちてくるのである。あたたかな涙である。

今年の秋には映画も公開されるそうだ。
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天才数学者のひ孫 ポアンカレ捜査官がカオスを呼ぶ! [本のはなし]

ハヤカワのポケミスの『捜査官ポアンカレ-叫びのカオス』というミステリーを本屋で見つけて、さっそく購入した。刊行されたのは2013年8月だから、すでに4年前になるのだが、どういうわけか気づかなかった。
主人公はアンリ・ポアンカレという名のインターポールのベテラン捜査官。
世界的に有名な数学者のひ孫という設定である。

曾祖父のジュール=アンリ・ポアンカレという人物は、19世紀後半から20世紀初頭にかけて数学や数理物理学、天体力学の分野で数々の功績を残し、世界的な賞も多数獲得しているフランスの実在の天才数学者である。カオス理論などでも有名で、科学を志した人ならば、その名を聞いたことのない人はいないだろう。
最近でも、ミレニアム懸賞問題として100万ドルの懸賞金がかけられたポアンカレ予想とよばれる仮説を、2002~3年にかけてペレルマンというロシアの数学者が証明したというニュースが世界を駆け巡り、彼が100万ドルの懸賞金を受け取る、いや受け取らないということが話題になった。

といっても、内容はチンプンカンプンなのだが。
これでも受験勉強をしていた頃は、数学の難問に挑戦するのがクイズ感覚で楽しくて仕方がなくて、難問ばかりを集めた問題集を次々と片づけていたのだが、東大の理科一類に入学したとたん、そんなものは数学と言えるものではないということをつくづく思い知らされたのだった。
なにしろ、数学科や物理学科などに進む人の頭はとびぬけているという印象があった。
ところが、その数学科に進学した同級生が、「世の中にはとんでもなく頭がいい奴がいるんだよ」と情けなさそうな声で言った。
「数式を見ただけで、それが図になって見えるんだって」

そんなわけで、そのポアンカレのひ孫という設定に、これは読まねばと思ったのは、過去のコンプレックスがうずいたからだった。

この本をパラパラとめくって驚いたのは、ミステリなのに、自然科学の論文のように写真や図像がいくつも提示されていたことだった。それも、木の葉や地図や人体の血管など。
これは「単連結な3次元閉多様体は3次元球面S3 に同相である」というポアンカレ予想(Wikipediaからの拝借)になぞらえて、地球上には相同的な形をなすものが多数存在するという仮説がこの物語のなかに重要なヒントとして繰り返し出てくるのだ。

ミステリだから当然事件が起こる。
アムステルダムのホテルの最上階で、世界貿易機関で講演する予定だった数学者が爆死するという事件である。それもジェット燃料を使って、その部屋だけがすっぽり破壊されるという極めて手の込んだものだった。
なぜ数学者が殺されなければならなかったのか?

数学者の死に曾祖父からの因縁を感じたポアンカレが捜査に乗り出すのだが、そこに彼が逮捕したセルビア内戦の戦争犯罪者パノヴィッチの陰謀の影が…。私怨か?テロか?

彼はヨーロッパとアメリカを股にかけて捜査に当たる。
今、スペインにいたかと思えば、次にはイギリスにいたり、アメリカのボストンやNYにいたり…。ものすごいテンポ。
第三世界の過激派やら、終末の預言者やら、過激派組織やらが登場するかと思えば、その合間合間に数学者の遺した、謎の写真や図像に関する考察が混じり…。

副題の「叫びのカオス(All Cry Chaos)」というのもジュール・ポアンカレのカオス理論にちなんだものだろうが、物語もカオスなのだ。わからないところは、すっ飛ばして読み進むしかない。

作者のレナード・ローゼンは、このデビュー作でアメリカ探偵作家クラブ賞最優秀新人賞にノミネートされたという。
数学から、経済、政治、聖書、化学、ロケットなどの多方面の知識がちりばめられた内容からてっきり理系アタマの人かと思ったら、もともと英語を教える高校教師から出発し、ハーヴァード大などで英作文講座の教壇にも立ったことがある、文系の人だった。そちら方面での著作もあり、ラジオのコメンテータなども務めたことがあるという。
博覧強記の相当アタマのいい人なんでしょうね。

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