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感情労働がついに4コマ漫画に [こんなことあんなこと]

今日の朝日新聞の夕刊の4コマ漫画「感情労働」が登場!!

「地球防衛家のヒトビト」というしりあがり寿さんの漫画。
この漫画、ただでさえ漫画が苦手な私としては、絵が面白くないし、
字は読みにくいし、でお気に入りというわけではないのだけれど、
長く連載されているところを見ると、けっこう人気があるのかな。

この回も、4コマ目のオチがごちゃごちゃしていて、よくわからない。

地球防衛家のヒトビト20170118.jpg
やりとりを書き起こすと、このようなストーリ。

①茶の間で父が新聞を読んでいる。
父「お客さんの前でキモチをおさえる感情労働って大変なんだなー」
母「感情コントロール料をとればいいんじゃないか?」

②感情コントロール料の高い店
蝶ネクタイのウェイター「おまたせしました」

③感情コントロール料の安い店
むすっとした女店員(ドン とどんぶりを置く)

④逆に感情コントロール料をもらえる店
鼻毛ぼうぼう、舌をベロベロだし、ブーっとおならをする(?)コック
「てめーなんかにオレの料理がわかるかー」
「オシリ ペンペン」と自分のおしりを叩く。
ひいてしまった父 ← お客さんのほうがおさえてる

最後のコマはともかく、
高級レストランの料理が高いのは、もともと高い感情労働の料金が含まれているから。
そのおかげで、お客さんは胃袋を満腹させるだけでなく、
丁重にもてなされたという満足感を得ることができる。

安い食堂の料理には、安い感情労働の料金。
あまり気を使わないってことね。
でも、お客さんも気楽に食事ができる。
愛想は悪いが、味で勝負っていう店もあるかも。

感情労働も、ようやく一般の人々の口の端にのぼるようになったのかしらね。
記念すべき日かも。

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共通テーマ:日記・雑感

『ラニーニャ』を読んで知ったこと [本のはなし]

私にとっての伊藤比呂美さんは、詩人というよりも『良いおっぱい、悪いおっぱい』や『おなか、ほっぺおしり』といったいわゆる育児エッセイの著者という印象が強い。

最近では、年齢とともにケアの対象が子供から犬(『犬心』)や父(『父の生きる』)などに変わってきたが、そうした密着した人間関係の生々しい実体験を言葉にしてきたという点では、ユニークな文学者だと思う。

また、『とげ抜き新巣鴨地蔵縁起』では、詩ともエッセイともつかぬ、説教節と詩が融合したような独特の流れのある文体で、父や母の介護に奮闘する体験を描いていたのも、とても面白かった。

今年、岩波現代文庫に入った『ラニーニャ』は、1999年に「野間文芸新人賞」を受賞した作品なので、育児エッセイ以後、『とげ抜き』以前の期間に書かれたものということになる。
詩でもエッセイでもなく、小説。

あとがきを読むと、1997年に夫と別れて子連れでアメリカのカリフォルニアに引っ越したために、お金を稼がなくちゃということで、小説を書くことにしたのだそうだ。

この文庫に収録されているのは、『ハウス・プラント』と『ラニーニャ』と『スリー・りろ・ジャパニーズ』の3作品。
私は、この時期の伊藤比呂美さんの作品をほとんど読んでいなかったので、
この文庫を読みだしたときには、てっきり育児エッセイの続きのように思っていた。
子連れでカリフォルニアにきて、外国人の夫と暮らしているというシチュエーションが、本人のものとそっくりだったので。
ただ、『ハウス・プラント』では「子ども」としか呼ばれない子どもが一人だけだし、『ラニーニャ』では、カノコちゃんではなくあい子ちゃんだし、サラコちゃんではなくグミちゃんだし。
で、これはエッセイじゃないんだと途中で認識した次第。

でも、性や生理にかかわる生々しい言葉はやはり伊藤比呂美だし、『とげ抜き』につながる、説教節的な文体はここにも見られる。
ただ、お金が必要だからと書いたからなのか、なんだか読んでいても苦しくなるような世界だ。
とくに子どもの神経症的な反応が描かれていると、気持ちが落ち込む。
なにせ生まれたころから知ってるからね。
単なる読者なんだけど、ともだちの子みたいな感じがあって。


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JRの非効率さ [日々の出来事うっぷんばなし]

新年早々、うっぷんばなしですみません。

2月4日に仙台に出かけるので、えきねっとで予約をしようとした。
なんども使っているのだが、これがほんとうにめんどくさい。

第一、切符の予約がなんで1か月前からしかできないの?
個人で旅行しようと思っても、予約が取れてないと計画も安心して立てられないじゃない?
予約が取れないなんてことはない?
それほどいつもすいているということ?
でも、グリーン車は△印だったから、早く予約しないととれないこともあるってことよね。
私は乗らないけど。

それに、えきねっとのほかに、ビューカードとMy JR-EASTという窓口があって、
それぞれにIDとパスワードが要求されるけど、どこからでもログインして予約はできるみたい。
これがややこしくて。あと、Suicaの窓口もある。

案の定、ログインしようとしてIDとパスワードがわからなくなり、問い合わせて再設定するはめに。
これがいちいちメールでURLが送られてきて、そこから改めて再設定する仕組み。
それは仕方がないのだけれど、メールが届くのにものすごく時間がかかる。
回線が混んでいるのだろう。

ようやくログインができて、行きの列車を検索して、いざ切符を予約しようとしたらカードが決済できないという。期限切れだった。
それで、登録情報の変更へ。

それから改めて乗換案内から予約へと進み、往復乗車券を購入しようかどうしようか迷う。
「問い合わせ」をクリックすると、往復乗車券は片道・往復・乗り継ぎで201キロメートル以上の場合に割引になると書いてあり、東京と新青森の例が示されている。
でも、東京と仙台間が往復201キロ以上になるかどうかは、わからない。
この説明が「役に立ったかどうか」の質問があったので、「立たなかった」を躊躇なくクリック。

そして、翌日の帰りの列車を再び検索して予約しようとしたら、
それはまだ1か月以上前だから受け付けないとさ。
往復なんだからいいじゃない、融通が利かないのね。

しかたなく、行きだけ特急券と片道乗車券を予約して、座席も指定して、ようやく購入にたどり着いた。
と思ったら、23:40~0:20は「メンテナンスの時間」とやらで受け付けないとさ。

ここまで1時間以上もかかってしまったからだけど。
そりゃあないよね。
結局、明日ゆっくり往復の切符を予約すればよかったわけだ。
新年早々、これはぜったい老化のせいではない。
JR東日本のシステムの問題だ、と断固、いっておきたい。

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話題の『みかづき』 [本のはなし]

今年最後のおすすめブックは森絵都さんの『みかづき』。

発売当初から話題で、年末にきていろいろTVにも取り上げられているので、今更なんですが。

書評を見て通販で購入し、届いた本の分厚さに、まずびっくり。
昔の大きなアルミのお弁当箱くらいある。(この比喩がわかる人はかなり年配だわね)

さらに、読みだすといきなり、主人公(の一人)大島吾郎が運命の出会いをするのが、昭和36年、千葉県習志野市立野瀬小学校、と具体的な年と地名が出てくるので、おやっと思い、これまでのファンタジックな森絵都さんの世界ではないぞと、思わず居ずまいを正した。

子どもが主人公ではない。
とはいえ、最初に登場する舞台が小学校なので、当然子どもはたくさん登場する。
吾郎はこの小学校の用務員なのだが、「勉強がわからない」という子供たちの勉強を用務員室で見てあげているうちに、教え方のうまさから子供たちがたくさん集まるようになったのだ。
その中に、勉強ができるらしいのに、なぜかやってくる女の子、蕗子がいた。

蕗子の母、大島千明はシングルマザーで蕗子を育てながら、家庭教師をやっている。
千明は吾郎の教育の才に目を付け、一緒に塾をやらないかと誘う。

千明は、戦争中、尋常小学校が国民学校に名前を変えた年に入学し、小国民として教育させられた挙句、卒業した年には敗戦で再び小学校に名前を変えたというみずからの体験から、文部省と公教育を目の敵にしているのだ。そして、理想の教育を追い求めているらしい。
公教育が太陽なら、私塾などは月だというわけだ。

最初から、いきなり教育の話?と戸惑う。
その一方で、吾郎が子供の勉強を見てやる気のいいだけの男かと思ったら、
その子供たちの母親と関係をもち、首になるという
性格破たん者のような面をもつことがわかってくる。


ちょっと絵都さんの作品に、こんなドロドロした男と女の話?
と、これも戸惑う。

とにかく、吾郎と蕗子の母、千明は結ばれて、塾を経営することになる。
ときはベビーブームの子どもたちが大勢生まれ、
東京への通勤圏となった習志野周辺もどんどん開発が進み、住民が爆発的に増えてきたころだ。
教え方のうまい吾郎のおかげで塾は大繁盛。
おのずと塾同士の競争もし烈になるのだが、公教育にはない真の教育を追求しようという千明の経営する塾では、塾講師の採用にも教育にも心を砕いているので、評判が評判を呼んで、有名塾となり、次々、近辺に教室を拡大していく。

その一方で、吾郎との間に二人の女の子が生まれる。
蕗子と二人の娘たちも、それぞれ親の影響を受けて、育っていくのだが…。

というわけで、あっという間に年が過ぎ、話が展開していくのだが、
そこに当時の世相が具体的に描かれ、単に男と女の物語ではおさまらない、
社会小説のような展開となる。

絵都さんのインタビューをテレビで見たが、絵都さんはこの小説を書くにあたって、膨大な資料を集め、独自の年表を作ったのだそうだ。実際その年表を見せてくれていた。
たしかに、その甲斐はあって、具体的な商業施設や娯楽施設の名前などもでてくるので、ああ、あの頃はあんなことがあったなあ、と思いをはせつつ読むという楽しみもある。
だが、年表をたどりながら書いたな、という感じがにじみ出ていて、
ちょっとと思ったのも事実。

だが、一家の塾の経営をめぐる波乱万丈の物語を通して、戦前から現代にいたる日本社会の、しかも教育制度に光をあてて、物語を書こうとした発想も意欲もすごいと思う。知らないことも多々あった。
それをだいたい目撃したり体験したりしてきて、とくに大学闘争を経験した私としては、よくぞ書いてくれましたという感じである。

そこに娘たち三人三様の個性あふれる生き方も面白い。
かつてカフェーで女給をしていたという千明の母、頼子というキャラクターもユニークだし。
女たちの歴史として読むこともできる。
ただ、重いのがね。

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師も走る季節に [こんなことあんなこと]

年も押し詰まったこの時期に、原稿の締め切りを2件かかえて
ぎりぎり締め切り日の夜にやっと書き終えて、いざファイルを保存しようとクリックしたら、が~ん!Wordが壊れてしまった!!

新しいPCにしてからも、やたらとWindowsの自動更新があり、
デフォルトのホームページが、勝手にYahooから富士通のMy Cloudのホームページに代わっていたりした。ひどい。陰謀だ。
おまけに、突然プログラム終了になることが多くなった。

ただ、これまではすぐに自動復旧が働いて、自動保存のデータが復元されて出てくるので、あんまり気にしてなかった。

ところが、今度ばかりは自動復旧が働かず、ほんとに壊れた。
バックアップを見ても、6時間近く前に保存したデータしか残ってない。

そこから必死で記憶をたどり、原稿を復元すること3時間。
ようやく日をまたいだところで完了。あやうくセ~フ。

翌日は、朝大学で講義、午後出版社でインタビュー、夜友人と会食。
その翌日は、9時から企業のコンサル。
その後、初台リハビリテーション病院への見学。
すごいスケジュール。

でも、初台は面白かった。
長嶋さんがリハビリをしてあそこまで回復したのもここ。
話はちょくちょく聞いていたので、驚きはしなかったのだけれど
やっぱり百聞は一見に如かず。

なにしろ、この病院、看護部がない!のですよ。
ケア部門があって、今はたまたま部長が看護師なのだけれど、ケア部門には看護師(准看護師・ヘルパーさんも含む)のほかに、セラピストと総称されるOT・PT・STがいて、ソーシャルワーカーもここにいる。
みんなでケアに当たるのだ。医師もチームの一員。
なにしろ制服も白衣ではなく、全員が職種の別なく上下作業着のような軽快なパンツルック。
シャツの色はブルー・ピンク・グレーなど数種類ある。

しかも私物の服ではなく、サイズの違う制服をそれぞれが棚から取って着用するのだ。
肩のところに名前が書かれたワッペンをマジックテープで付けていて(洗濯の時には外せるよう)、そのワッペンの色でようやく職種がわかる仕組み。

職種の壁はなく、夜勤はナースだけだが、早番遅番などはほかのセラピストたちも入る。
申し送りも一緒にやるし、医師(院長も)も含めてみんな一つの部屋で共有のパソコンを使っていた。部屋でパソコン仕事をしているスタッフはわずかだ。

ここの病院では、とにかく家庭に帰すことが目標なので、24時間がリハビリという考えで、どこのリハビリ施設にもある、機能訓練用の立派な機械の備わったフロアもあるのだが、病棟が家庭や外の生活に近いように環境設定してあり、そこでの生活がすべてリハビリになると考えられている。
そこでの生活のなかに治療があること、対等な立場での話し合いによる運営など、基本的な理念としては、精神科でいう治療共同体だなと思った。制服だけは違うけど。

とにかくPTやOTのプログラムが終わったら、部屋に戻ってお休み、なんてことはないのだ。
患者さんはだれも昼間はベッドに寝ていない。ベッドにオーバーテーブルなどもない。

食事も全員が食堂で食卓について椅子に座って食べ、(車いすで食べたりはしない)
お風呂も機械浴はなく、職員が抱えて入れている。


それに椅子やテーブルも木製だし、生の花と本物の大きな木のポットが飾られていて、季節柄クリスマスツリーのデコレーションがしてあり、これも、担当者の手でホテルやデパートの飾りつけのようなアートになっていた。

食事も、フロアごとに厨房があって、そこで給仕しており、
食堂の前には、レストランのような写真付きのメニューがスタンドにおいてあった。
それも本格的なメニューで、私も知らないカタカナ料理もあった。

よく病院や施設では、壁にベタベタといろんな掲示物がはってあるものだが、
ここでは掲示物は事務の担当者がすべての病棟に同じ、きれいに印刷したものを貼りだしていて、
アクリルの板で覆ってあるので、美しい。
棚に、中に入れたものをマジックで書いたシールなんてものも貼ってない。

それにスタッフ全員の名前と顔写真が廊下にこれも美しく掲示されていた。
看護以外の職種も大勢いるので、男性スタッフも多い。
男女が入り混じって仕事をしているのは、いい感じ。

見学に歩いていると、会うスタッフごとに「こんにちは」とあいさつしてくれた。
これまで実習指導に行くと、何しに来たとばかりに一瞥されたり、
無視されることが少なくなかったので、これには感心した。
ちゃんとそう指導しているとのことだった。

スタッフもスタッフステーションでおしゃべりしたりしていない。
患者さんが部屋から出てきているので、スタッフもそばにいるのだ。

そのせいか、病棟がざわめいていて、活気があった。
お年寄りの多い病棟ではよくある、昼間は患者さんはうつらうつらしていていて静かで、
突然ギャーと奇声が聞こえたり、四六時中通奏低音のようにうめき声が聞こえているような雰囲気とは違った。

トイレも、一人一人のタイミングに合わせて、昼だろうが夜だろうが連れていく。
おむつもつけないし、せん妄で暴れたからって拘束はしない。
もちろん、転倒予防のために車いすに乗せたり拘束したりもしない。
第一、拘束帯がおいてないのだ。


こないだ、腹を立てて出て行った患者さんの後を、スタッフが交代で9時間もついて回ったという話をしてくれた。
その患者さんは、自分の会社に寄ったり、いろいろ歩き回って手を焼かせたらしいのだが、説得しても聞かないので、ただついて歩いているうちに、病院に戻る気になって、戻ってきたのだそうだ。

これだけのサービスを提供するには、とにかく手のかけ方が半端ではないので、スタッフの負担も大きい。
入浴介助だけでも大変だろう。
そういうわけで、やはり体力的にきついのだろう、若いスタッフが非常に多かった。


こういうきめ細やかな"普通の日常ケア"が、高度なリハビリテーションになるというのは、精神科でも同じなのだが、なかなかそれがプロフェッショナルの仕事とは見てもらえないことが多い。
ここでも、こうした日常的なケアに力を入れていることで、「専門技術」が身につかないと思ってしまうスタッフも辞めていくということだった。

看護部がなくなると、一人一人が自分で専門職としてのアイデンティティを持たざるを得ないし、リハビリのプロとしてやるべきこと、視点といったものを自分で確立させないといけない。
それはほかの職種も同じだ。

いろいろと考えさせられた見学であった。



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統計調査の罠 [日々の出来事うっぷんばなし]

12月に入り、いろんな仕事がたまりにたまって、目が回りそう…。
実際、以前めまいに襲われたのは12月だったから、気をつけねば。

で、職場のストレスについての頼まれ原稿を書くのに、いろいろデータを集めていたら、びっくりすることがあった。

厚生労働省が毎年行っている労働安全衛生調査というのがあるのだが、そこで、「過去1年間にメンタルヘルス不調により連続1か月以上休業又は退職した労働者がいる事業所の割合」という調査項目があって、平成25年の調査で10.0%という結果が出ていた。
24年の調査では、8.1%だからかなり増加していることになる。

で、最新のデータを知りたいと思い、平成27年の調査結果を検索したら、
0.4%という数字が目に飛び込んできた。

ええっ、おかしいなと思ってよくよく文章を読むと、こうなっていた。
「過去 1 年間にメンタルヘルス不調により連続 1 か月以上休業した労働者の割合」。
しかも、(受け入れている派遣労働者を除く。)とついている。

事業所じゃなくて、労働者にかわっていた!
そりゃあ、事業所を単位として、1か月以上休業または退職した労働者が一人でもいれば、1とカウントされるのと、全労働者を母数にするのとでは、数字が違ってくるわよね。

でも、見かけの数字は激減していることになるけれど、
こういうふうに統計の取り方を突然変更して、毎年調査している意味があるのだろうか。

ほかにもこの統計、首をかしげるところがあって、
「農業、林業」はあるのに「水産業」はない。
宮古の「漁師の徒然なるブログ」のフォロワーとしては、とっても気になる。

あと、「複合サービス事業」というのがあって、これって何だろうと思ったら、
これに似た別の調査には細目が書いてあって、複合サービス事業には、郵便局と協同組合があった。
郵便局(この名前はまだ生きているのね)は金融サービスと運輸サービスが含まれているからか。協同組合もいろいろやっているね。

ちなみに、サービス業(ほかに分類されないもの)ていう項目があって、
「対事業所サービス業」「対個人サービス業」「対社会サービス業」に分かれてるの。

対社会サービス業ってなんだと思ったら、なんと、「廃棄物処理業」と「政治・経済・文化団体」があり、さらに「宗教」とあった。ふ~む。

というわけで、忙しいのに、そういうところで遊んでしまってますます追い詰められています。
いや、追い詰められているから、ついこういうところで遊んじゃうのかも。
いそいで原稿にもどらなきゃ。

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アート小説というジャンル [本のはなし]

原田マハさんは前にも取り上げたことがあったと思うが、今回は『デトロイト美術館の奇跡』。
マハさんお得意の名画シリーズ、アート小説というらしい。
帯に「アメリカの美術館で本当に起こった感動の物語」とある。

折しも、上野の森美術館で「デトロイト美術館展」を開催中。
そちらを見てからブログに紹介しようと思っていたのだけれど、この分では行けるかどうかわからないので、紹介してしまうことにした。

デトロイト美術館に所蔵されているセザンヌの<マダム・セザンヌ>がこの本のテーマ。
デトロイトといえば、自動車産業で栄えた都市。
自動車産業とともに衰退した都市でもある。

第1章は、その自動車工場に長年勤めたアフリカン・アメリカン、フレッド・ビルと妻のジェシカの物語。つましい生活の中で、デトロイト美術館(通称DIA)に行き、この小さな<マダム・セザンヌ>の肖像画を見ることを楽しみに生きてきた人たちである。

第2章は、ロバート・タナヒルの物語。フレッドと対照的な大金持ちで、若い時からヨーロッパ美術の有名なコレクターだったが、やはり<マダム・セザンヌ>をこよなく愛し、豪邸のリビングにも飾っていた。死後、その多くをDIAに寄贈し、モダンアートの「ロバート・タナヒル・コレクション」として有名になる。

第3章は、DIAのキューレーター、ジェフリー・マクノイドの物語。やはり、<マダム・セザンヌ>を愛し、そのために故郷から遠いDIAに勤めたほど。膨大な「ロバート・タナヒル・コレクション」のカタログを製作者である。
ところが、自動車産業の破綻により、デトロイト市も財政破綻し、破産が決定的となる。
その穴埋めとして、DIAのコレクションの売却計画が持ち上がる。

そのとき、フレッド・ビルが訪ねてくる。そして、いかに今は亡き妻や自分がここのコレクションを愛してきたか、この絵画こそが友であったこと、もっとも「気の合う友人」が<マダム・セザンヌ>であることを語る。

そして、第4章はデトロイト美術館の<奇跡>。
いかにしてDIAは生き延びたのか。 

そして、今、上野の森美術館でDIAのコレクションが見られるというわけだ。
これは見に行かないわけには行かないではないか。
それに、これだけ近く(歩いていける)に美術館があるのだから、
フレッドのように、ちょくちょく絵画に会いにいってもいいではないか。

と思ったわけ。

ただ、気になったことがあった。
この4章からなるそれぞれのセザンヌ愛が語られているのだが、当の絵に対する3人の感想が、同じようなのだ。
たとえば、どっしりした構図なのに、どこかしら軽やかさを感じる。
服の青は単純な青ではなく、ほんのりとバラ色が混じって、まるで朝焼けの空をまとったようなやわらかさと清々しさがある。それは夫人の頬のほんのり差したバラ色と見事に呼応している・・・。

それほど惚れ込んだ絵画なら、それぞれがそれぞれの言葉で表現できるはずではないか?
まるでカタログの文言をそのまま引用したように、表現するなんて…。

せっかくの名画に傷を見つけたみたいに、残念な気持ちになった。
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ひえ〜時間が消えていく〜 [こんなことあんなこと]

あっという間に12月だあ!
どういうわけか仕事がたまって、押せ押せになって、ついに年末に来てしまった。
どうしよう……。

これまでなんとかやってきて、けっこうなんとかなるという気持ちがこの事態を招いたんだなあと思うけど。

週1回の非常勤の仕事も準備にけっこう時間がかかり、
1回講義をすると、あとは1日ぐったりしてしまう。
とはいえ、ついつい新しい体験を求める気持ちも刺激されて、昨日はお昼を別のところで食べようと、別のルートで西日暮里まで。

適当なランチを探して歩くと、JR駅の近くに海鮮料理の店を見つけた。
目立たない場所にあるせいか、けっこう空いていた。
海鮮料理の店なのに、ランチには肉料理もあり、豚肉と長ネギのオイスターソース焼きを所望。
今朝のテレビで年をとると肉も必要といっていたから(単純)。
これがボリュームもたっぷり、お味も満足。
その上、お魚のアラのお味噌汁がついてお値段も830円と安い!

ただ、完食してしまうとお腹がいっぱい。これは問題。
ということで、西日暮里から家まで歩いて帰ることにした。
スマホで見ると、徒歩12分とあったから。

ぼちぼち歩いて行くと、普段は地下鉄なので見たことのない街並み。
5分ほど歩くと、よみせ通り商店街のゲートを見つけ、ここを通って行くことにする。
よみせ通りも谷中銀座まではよく来るが、こっちまでは来ない。
けっこう新しめのおしゃれなお店が出来ている。
入ってみたいが、今日は何分くらいで帰り着くかを知りたいので、あえて素通り。
谷中銀座にも入らず、まっすぐ進む。
三崎(さんさき)坂に行く前に不忍通りに出て、ひたすら家へ。
結局、18分くらいで着いた。
スマホの12分より6分も遅くなったのは、よみせ通りを経由したから?
まっすぐ歩いているつもりが、けっこうキョロキョロしていたかも。
でも、このくらいなら歩くと健康にいいかもしれない。

ところで、昨日、テレビをつけたら報道番組で中村ユキさんが特集されていた。
『わが家の母はビョーキです』の作者だ。
彼女と統合失調症を病む母との幼い頃からの体験を再現ドラマと彼女の漫画を入れつつ、紹介していた。

母が発症する背景になった父との確執なども描かれていたが(この辺りから見た)、あとは寝ているときに母が包丁を幼い彼女の顔に突きつけていたとか、とつぜん「豹変して」、「死ね死ね」と迫ってきたとか、恐ろしい場面の再現シーンが続く。
精神科病院のシーンも、窓に鉄格子がはまっているのは、昔はそうだったかもと思うが、病棟入り口のドアまでが、よくドラマで見る刑務所のような鉄格子なのは、いくらなんでもないでしょうと思う。

最近の入院シーンの窓にも格子が見えた。これはいまどき、ないわね。ある?

解説に出ていた病院の院長が最近の治療として、自院でやっているECT(電気けいれん療法)の実際の場面を見せた。麻酔して行う修正型のECTだったが、通電がうまくいっているかを確認するため、片足だけけいれんするのを確認するというところまで見せた。

私自身は、古いタイプのECTもこのタイプも実際に見たことはなく、初めて見た。
その後、このとき施術をうけたという患者にもインタビューした(顔は隠して)が、軽やかに小走りでやってきた若く華奢な女性は、頭も心もすっきりしたと語って、また小走りで部屋を出て行った。

最後に中村ユキさんと旦那さんが、統合失調症は怖くないと口を揃えて語っていたが、この番組を見る限り、じゅうぶん怖いじゃないか!と思ってしまう。

こういう番組を作るのは、ほんとうに難しいのだなあと思う。
授業で私が話すときも、ふつうに生活していますという大多数の患者さんの様子を語るのは難しい。
ついつい印象に残る患者さんの話をすると、それは激しい症状や奇異な行動をみせた人の話になってしまいがちになる。
海外のドラマのように、登場人物の中にふつうに統合失調症の患者が出てくるような番組がもっと増えれば、いろいろなケースがあるとわかるかもしれないが。

最近では、ニューヨークに住むシャーロック・ホームズとジョンならぬジェーン・ワトソンの二人が事件の解決に挑む『エレメンタリー』では、ホームズは薬物依存を克服するためにAAに通っている。
また、ワトソンももとは外科医だが、患者を死なせた罪悪感から医師を辞め、付添人になってホームズとであったという設定。父親が統合失調症でホームレスだったということが、語られている。

終わってしまった 『ER』でもメインスタッフにも彼らの家族にも精神障害を持つ人がたくさん登場した。

ただ一方で、海外のドラマでも『羊たちの沈黙』をはじめ、最近は精神障害者(サイコパス)が凶悪な犯罪者という設定のドラマも多く、精神障害者がみんなああだと思われるのも問題ではある。

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ライトノベルにチャレンジ [本のはなし]

一穂ミチ『きょうの日はさようなら』を読んだ。
集英社オレンジ文庫というシリーズ。
2015年1月に創刊されたそうで、サイトを見ると

ちょっとミステリー、
ちょっとファンタジー、
ちょっとロマンス、
ちょっと読みたい
極上のエンターテインメント、
ここにあります。
物語好きのあなたに贈るライト文芸レーベルです。

とある。ライト文芸、ライトノベルをラノベともいうらしい。なんでも短縮するのね。

ところで「きょうの日はさようなら」って森山良子のヒット曲だわよね。
(「きょうの日」って日本語としておかしいね)
30年以上前に中野の患者会にかかわっていたとき、毎月の定例会の最後は、決まってこの歌を合唱して終わった。定番の曲だ。
あらためて調べてみた。

1966年のヒット曲。金子詔一作詞作曲。
こんな歌詞。

 いつまでも 絶えることなく
 友達でいよう
 明日の日を夢見て
 希望の道を

 空を飛ぶ鳥のように
 自由に生きる
 今日の日はさようなら
 またあう日まで

 信じあうよろこびを
 大切にしよう
 今日の日はさようなら
 またあう日まで
 またあう日まで

いかにも60年代の、希望に満ちた時代の歌だ。
今歌うのはこっぱずかしいかも。

で、この歌をモチーフにしたのがこの小説。
主人公は、17歳の女子高生明日子(あすこ)。
といってもややこしいのだが、時代は2025年の近未来。

双子の弟 ひきこもりの日々人と父の3人で暮らしている。
母は病気で亡くなった。
以来、3人の間に会話はない。なぜかきょうだいは父を憎んでいるのだ。
明日子と日々人も、メールでの会話だ。

この作品、あとで語り手が代わるのだが、明日子が語り手のところでは、今風(といっても10年後だが)の言葉遣いで、おまけに汚い男言葉があふれている。
日々人が「ほかに男できたんだろ、クソビッチ」と送れば、「黙れ童貞」と明日子が返すという具合。こんなふたりのやり取りがず~と続くのだから、たまらない。

しかも、「イミフな言葉」とか短縮ワードだらけで、まったく意味不明なことも。

ま、気を取り直して、作品の紹介を。


退屈な夏休み
父が、突然、聞いたこともないいとこがいて、我が家に引き取ると宣言した。
名前は今日子。生まれは1978年。
とすると、年齢は47歳になるはずなのだが、父は今日子たちと同世代だという。

30年前に、自宅が火事になり、彼女以外の一家全員が焼死してしまうという事故があり、
命を取り留めた今日子は、将来の治療を期待して冷凍保存されていたというのだ。
だが、今日子のことは、これまでのいきさつも含めて、一切口外してはならないと父はいう。
理由も明かせないと。

そして、30年ぶりに解凍されてやってきた今日子は、17歳のまま、大好きなセーラー服を昼も夜も着ているという、ちょっと変わった女の子だった。
同世代ではあるのだが、やはり30年の時代のギャップは大きい。
今日子はゲームやコミックの大ファンで、相当な腕前なのだが、
日々人のやっているゲームとはかなり違う。
古いゲーム機を引っ張り出して、打ち興じる日々人と今日子。
どんどん二人は接近していく。
父でさえも、夕食までには帰宅して、今日子と楽しそうに、だが敬語で話している。
母が亡くなって以来、失われていた団らん。

二人は、父の言いつけを無視して、希望する今日子を外に連れ出す。
今日子は、自分の過去を知りたがっていたのだ。

だが、その過去には、恐るべき秘密が潜んでいた…。

と、途中からちょっとミステリータッチになるのだけれど、
そこはライべ、さほど深刻にも重たくもなく、話は進んでいく。
最後も、決してハッピーエンドとはいえないのだけれど。

こういう小説が売れるのね。
集英社文庫では、2017年ノベル大賞募集ですって。
現代っ子の風俗をあまりに知らなさすぎて、とても応募するような作品はかけないわね。










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喪中はがき [こんなことあんなこと]

今年もあとわずか。
ぼちぼち喪中はがきが届き始めた。
その中に、高校時代の化学の先生の奥様から、先生が亡くなったとのお知らせ葉書があった。

当時、私は化学クラブの唯一の生徒だった。
その先生は大学を出たばかりで、意気込んでいたのだろう。
いろいろ考えさせるテストをしたりしていた。
だが、同級生の中には家庭教師について勉強していて、
難しい問題も正答する生徒が結構いて、
先生は、自分に教えることはあるのだろうかと落ち込んでしまい、
私はその愚痴の聞き役になっていた。

実験室は私にとっても避難所みたいだったから、
せっせと薬品棚を整理したり、汚い暗幕を洗濯したりした。
だけど、汚かったのは薬品が飛び散ったせいで、
洗濯したら、ボロボロになってしまった。

他のクラスの実験がうまくいかないときには、
私が授業中でも呼び出され、実験助手のような手伝いもした。
それを暗黙の了解で許してくれる先生もいたのだ。

競馬が趣味で、日本中の競馬場に出向いていた。
そんな話を授業中に楽しそうにしていた。

そうそう。私が高校時代に通っていた塾は、
奥さんの経営する美容院の2階の畳部屋が教室だった。

いわゆる、「髪結いの亭主」というわけだ。
厳しくて有名な先生だったが、酒好きで、ちびちび酒を飲みながらの指導だった。
親もそれを承知で通わせていたのだから、のんびりした時代だった。

つまり、私の世話になった先生は、ギャンブル依存症とアルコール依存症だったわけ。

この塾に通っていた私の同級生とほかの高校の生徒が、数年後、お見合いで結婚した。
偶然だというが、びっくりしたものだ。

けれど、その同級生も急な病でもう亡くなってしまった。
訃報を同窓生に知らせる役割を私に頼んでくれと言い残したそうで、
旦那さんから電話をもらって、北九州にかけつけた。
年の瀬の押し詰まったころに病気が発覚して即入院となり、
年末年始を自宅にいったん帰宅して過ごし、年明けに手術し、
手術は成功といわれたものの、急変して亡くなったのだった。

そのいったん帰宅した際に、一人で子供たちや親せきや、自営業の旦那さんの会社の人などに一人ひとり、こまやかなお礼状をしたためていた。
それを葬儀で旦那さんが読み上げたときには、本当にやるせなかった。
そんなまわりに気を遣う、きちんとしたいい人だから、早死にしちゃうんだよと。

今年喪中はがきが届いた化学の先生も、まだ70代半ば。
まだまだ早すぎる死だ。
だが、なん年か前に娘さんが亡くなったとの、これまた喪中はがきをいただいていた。
すぐに電話してみると、
娘さんには高校生の息子さんがいて、その子を引き取って育てていると話していた。
どんな毎日だったのだろう。
それ以前から心臓手術を受けたことがあるとも聞いていたので、心労がたたったのだろうか。

年の瀬の喪中はがきは、いろいろな思いにかられることが多い。
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