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あまり変えないで。 [日々の出来事うっぷんばなし]

このところ、OutlookだかMicrosoftだか,責任の所在はわからないが、
メールの受信トレイやwebのトップサイトの表示の仕方が勝手にコロコロ変わって、
受信したメールが勝手に削除メールのトレイに入っていたり、
受信メールが一瞬現れて、消えてしまったり、勝手に処理されていることが多くなった。
(誰からかわかったので、再送してもらった)

ほかにも、これまではよく使うページのリストがすぐに表示されたのに、
それがなくなって、いちいち探さなくてはならなくなったり、とっても使い勝手が悪くなった。

受信トレイも、「優先」と「その他」に分かれてしまい、
いちいち両方を確認しなければならなくなったし。
最初にこの変更への意見のアンケートがあったので、「面倒になった」と回答したけど、
それ以外にも言いたいことが山ほどあるのに、アンケートは1回答えたら、次には現れなくなった。
ほんとうに迷惑な話だ。
これは「フィルター」ってところをクリックして、「優先トレイを表示」のチェックを外したら、優先とその他の区別はなくなったけど、これで大丈夫なんだろうか。
かってにちょこちょこ変えないで!と言いたい。

こういう不満はどこに伝えればいいんだろうね。


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心理劇を楽しむ時代小説 [本のはなし]

あさのあつこさんの『冬天の昴(とうてんのすばる)』(光文社文庫)。

北町奉行所定町廻り同心、小暮信次郎と小間物屋「遠野屋」を営む清之介、それに信次郎に仕える岡っ引きの伊佐治の3人の駆け引きが面白い「弥勒」シリーズの第5弾である。
実は第6弾の『花を吞む』がハードカバーで今年1月に出ているらしく、早く読みたいのだが、ほかにも読む予定の本が山になっているので、文庫になるのを待とう。

あさのあつこさんは、やっぱりうまい。
文章にリズムと流れがあって、なんだか浄瑠璃を聴いているような気分になる。
あるいはテレビの時代劇のナレーションを聴いているようにも。

物語は品川宿の旅籠『上総屋』の女将お仙の数奇な運命から始まる。
御家人だった夫が、女郎宿で遊女と心中事件を起こし、骸となって自宅に運び込まれたのだ。
実直で小心な夫が、そんな大胆な行動に出るとは考えられなかったが、その汚名を濯ぐこともかなわず、家は取り潰され、姑も「恨みを晴らしてくれ」と言い残して、井戸に身を投げて果てた。

その後、流れ流れて上総屋の女将になったお仙。そこに通ってくるのが、小暮信次郎その人である。例によって孤独を抱えて、どこまでもクールな信次郎。女泣かせなんだなあ…。

あるとき、小暮信次郎の同僚で本勤並(ほんづとめなみ)になったばかりの赤田哉次郎が女郎と心中するという事件が起きる。
お仙の夫と同じように、およそ心中などを起こしそうもない、若く実直な人物だった。
裏に邪悪な匂いを嗅ぎつける信次郎。

一方、遠野屋清之介の過去にただならぬものがあるとかねてより疑っている信次郎は、足しげく遠野屋に通い、まるで真剣で切り結ぶようなやり取りを繰り返している。それを楽しんでもいるようである。それを脇で見ている岡っ引きの伊佐治はそんな信次郎に呆れている。

信次郎はお仙に、夫の心中事件を探ってみるように言う一方で、清之介にお仙の用心棒を頼む。清之介はその意図を知りたがるが、信次郎はなかなか明かさない。

一方、遠野屋の表座敷では、小間物に加えて反物や帯、足袋などの商人と合同で売る催しが女客の人気を呼んでいた。その客の一人、材木商『伊勢屋』の内儀、お登世の様子がおかしい。どうやら清之介目当てに来ているようだ。
もともと伊勢屋の一人娘で、婿を取ったのだが、どうやら男狂いの気があるらしい。その様子が尋常ではなくなってきた…。

あさのあつこさんの小説の魅力は、登場人物の心の機微が細やかに語られるところである。
たいてい、主人公はどちらかといえば発達障害的な、人の気持ちに無頓着で、人間関係が一方的になりがちなタイプで、時代劇の人情話にはまるで向かないタイプだ。
小暮信次郎もそうだが、遠野屋清之介もかつてはそのような人間だった。遠野屋の娘おりんと出会って、生き直すことにするまでは。
それを人情でつなぎとめているのが、岡っ引きの伊佐治ということになるか。

伊勢屋の内儀、お登世は言ってみれば、ボーダーラインの患者。
このお登世が、すっかり狂乱して遠野屋に現れたとき、清之介の片腕として遠野屋の商いを盛り立てている「おうの」がお登世を落ち着かせるのだが、このお登世をめぐるやりとりが、まるで精神療法の物語みたいになっているのである。
ま、物語だから、そんなにうまくいくものか、とは思うけどね。

最後はすべての物語が一つに収斂していく。見事である。

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新しい掃除機 [こんなことあんなこと]

日々、通勤することもなく自宅で過ごしていると、
身の回りがどんどん雑然としていく。
以前から、手軽にお掃除できる器具を通販で買っては使いこなせないまま、
捨ておくことになっていた。

マキタのハンディな掃除機も、過充電で2台もつぶしてしまったし、
(なんで充電が完了したところで、スイッチが切れるようになってないんだろう)
何とかスウィーパーというのは、逆にあまり使わないでいたら
放電してしまって充電ができなくなってしまった。

今度は、スティック型の充電式掃除機を購入。
充電完了すると、赤いランプが青に変わって知らせてくれる。
1回の充電で使える時間も長い。
スティックでも使えるし、外殻を取り外してハンディ・クリーナーにもなるtwo-way.

デンマーク製なのだが、掃除機のわりに取扱説明書が分厚くて、
ヨーロッパを中心に、なんと22か国語で書かれている。
日本語は最後から2番目。
暇なとき、これで知らない外国語の勉強になるかも。

さっそく使ってみた。
軽いという触れ込みだったのだが、
問題は、スティックの長さだった!!
背の低い私が取っ手のところをもつと、必然的に床からの角度が小さくなる。
長いスティックをほぼ床に平行に突き出すような感じになって、コントロールしにくい。
おのずと手元が下がっていき、太い筒を両手で抱えるみたいになって、スティックが余るのだ。
ちっともハンディじゃない。とほほ。

片手で軽々操作しているコマーシャルは、
すらりと背の高いモデルさんだからね。
20センチは違うだろうから、このスティックもそのくらい短くしてほしい。

それでも、吸引力はさすが。
結構ごみやほこりがとれた。
それだけ汚かったってことだけど。
毎回、取れたごみを捨てて掃除機を掃除しなければいけないのが厄介かも。
ほこりがそこで飛び散るし。
う~ん。理想の掃除機はないものか…。
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意外な作家の闘病記 [本のはなし]

このところ、身の回りに予期せぬ出来事が相次ぎ、とくにこの1週間はあたふたしているうちに時間が過ぎてしまった。
朝も6時台に目が覚めて、なんだかボーっとしている。
しばらくはまだ落ち着かない日々が続きそうだ。

  ☆ ☆ ☆

先月小倉に行ったときに知った郷土の作家たちの作品を一人ずつ読んでいるところで、今日紹介するのは、加納朋子さんの『無菌病棟より愛をこめて』(文春文庫)。
『ななつのこ』や『七人の敵がいる』など、好きな作家のひとりである。

『無菌病棟』は、その加納さんが、なんと『七人の敵がいる』を書いた直後に急性白血病を発症した、その闘病記なのである。
そんな大変な体験をしていたなんて全く知らなかったので、書店でこの本を見つけたときはびっくりしてしまった。

この本で、夫も同業者だとあって、調べてみたらなんと、推理作家の貫井徳郎だった。これまたびっくり。
売れっ子作家同士で結婚して子どもまでいて、二人ともたくさんの作品を次々に発表しているなんて、すごい。
そこに急性白血病だなんて。しかも、厄介なタイプのものだったらしい。

だが、なにしろ、作家である。
たとえ重篤な病気であっても、興味津々、しっかり観察し、情報を集め、書いてやろうと意気盛んである。ちゃっかりと主治医に将来の取材の約束まで取り付けている。
それだけではない。患者としてうろたえる姿も、放射線治療や化学療法の苦痛にあえぐ場面も、リアルにとらえて描写している。
(巻末に、彼女に骨髄移植をした弟の詳細な体験レポートも載っている。)

それは、作家としての性というだけではない。自分の体験を伝えることで、同じような苦しみや恐怖を体験している人の助けになればという気持ちなのだ。
彼女自身、無菌病棟に入院して出会った患者同士のコミュニケーションにたいへん助けられた経験があるからだ。
実際、私の身近にも癌と告知され、これから入院・手術を待っている人がいるので、事細かに入院に必要な物品、不要な物品などを書いてくれているのはありがたいことだった。

その一方で、かつて40歳そこそこで急性白血病で逝った友人のことを思い出し、ああ、こんなことを知っていればやってあげたのに、なんで何もしてやらなかったんだろうと、後悔の念も湧いた。

加納さんは、もともとポジティブ志向の人なのだろう。苦しい治療に耐える(病気に耐えるのではなく、というのが、こうした悪性新生物の厄介なところだ)ために、入院中も歩いたり、階段昇降や腕立て伏せを繰り返したりして体力を維持しようとする。
また、体力と体重を維持するために、治療の副作用で味覚異常が起きて食欲がなくても、吐いても食べられそうな食品を探しては無理にも食べようとしたり、呆れられるほどの頑張りようなのだ。
彼女は、そうした頑張りのおかげで、回復したと信じているのだが、読者(たぶん患者の家族だろう)から、頑張っても駄目だった人もいる、そういう人は頑張りが足りなかったというふうにとれる書き方はひどいとお叱りの手紙をもらったそうだ。

それにしても、治療の過酷さはすさまじい。癌細胞をやっつけるために、致死量の薬を投与されるなんて、想像を絶する。

彼女の場合、骨髄のすべてが完璧にマッチし、さらに若く体格もよい弟からの骨髄移植が可能であったという幸運もあった。
夫や義母、父や姉妹の熱心な協力も万全であった。
さらに言えば、高額な治療費や部屋代を払える経済力もあった。これは夫が貫井徳郎と知れば、そのくらいは出せるだろうなと納得するが、知らなかったときは、どうするんだろうと他人事ながら心配になった。それくらいかかるのだ。

さらに治療が功を奏して寛解状態になったとはいえ、100%健康になったとはいえないようである。

この本を読んだおかげで、たまたま郵便局の人が勧誘に来たので、さっそくがん保険に入った。女性特約付き。
我ながら、影響されやすい・・・。

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あきない世傳 金と銀 波乱万丈の奔流編 [本のはなし]

ある雑誌の星占いにこんなことが書いてあった。ちなみに星座は山羊座。

 現在、あなたの人生で何かが停滞しています。完成直前だったあなたの「巣」が、作りかけのまま放置されているか、度重なる嵐のダメージによって、見るも無残な状態になっているのかも−−? 

 ドッキリである。たしかに停滞感はある。オフィスを開設して2年経つが、自宅でパソコンに向かって仕事していることのほうが多く、活用されているとはたしかに言い難いし…。
続いてこんなことが・・・

 4/8~4/14の間は、あなたの住まいや家族関係、専門分野について、大きな動きがあるでしょう。・・・5/19頃、そろそろ覚悟を決めなければならないようですよ! だって。

 なんの覚悟だろう…。

 で、今日のおすすめブックは、停滞することのない、女の物語。
 おなじみ、高田郁の『あきない世傳 金と銀』の第3巻「奔流編」が出た。

 幼くして父と兄を失った幸は、実家を遠く離れ、女衆として大坂天満の呉服商「五鈴屋」に入る。やがてその聡明さを買われて、父が嫌った商人の嫁となる。店主、四代目徳兵衛の後添いになったのである。だが、夫は不慮の事故であっけなく死亡、17歳にして寡婦となってしまう。
ところが、四代目の弟、惣次が幸を娶ることを条件に五代目徳兵衛を継ぐと宣言する…。これが前巻までのあらすじ。
 無能な四代目とは異なり、惣次は商売には熱心ではあるものの、雇い人の扱いが酷く、人間的な面で受け入れ難いところがあるのだ。
 だが、幸の脳裏にかつての五鈴屋の番頭、治兵衛の、「今は、商い戦国時代」「お前はんは戦国武将になれる器だすのや」という言葉が蘇る。商いの戦国武将になってやろうと決心する幸。

惣次は言う。「私には商いしか生きる道はない、と思うてる。商いでは誰にも負けとうはない。そのためには今のままではあかんのだす」「あんたを嫁にしたら、もっと強うなれるやろ」

一緒になってからは、惣次は幸を慈しみ、一層、商いに励むようになる。やがて江戸に店をだすという計画を明かす惣次。そのためには資金を蓄えなければならない。
惣次は母の反対にも耳を貸さず、取り立てのやり方を変え、番頭から丁稚まで一人一人に売上のノルマを科す。皆が言われたことをやるのではなく、自分の頭を使って売上を伸ばす工夫をしろというのである。
 その一方で、生糸の産地として名高い近江に目をつけ、絹織の生産を勧めるべく、みずから近江に出向いていく。

ところで、最近、朝日新聞に滋賀県長浜で相撲のまわしが織られているという記事が載っていた。この強い絹織物こそ、この物語に出てくる絹織なのだ。
 
 幸は、自分なりに店に貢献できることはないかと考え、新しい宣伝の方法を次々と考え出す。それは人気を呼び、五鈴屋は広くその名を知られるようになる。一方で、それが自分の手柄ではなく、惣次のおかげと振舞う幸。惣次は自分が幸を守る。幸は自分の影に隠れていれば良いと考えていることを知っているからだ。商いの戦国武将となると決意した幸と惣次との間に広がっていく間隙。

 それは、惣次が近江の村との商いの中でとった信義にもとるやり方が明るみに出たときに、決定的なものとなる。幸に手を挙げる惣次。どうなる幸…。

 相変わらず、波乱万丈の物語は続いていく…。

 たしかに幸の生活と比べれば、私の生活は停滞していると言わざるを得ない。ふ〜む。5/19までに何か考えなければいけないか。

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ああ、マシュー様 [テレビ番組]

英国BBCの超人気ドラマ『ダウントン・アビー』。

ハイクレア城と呼ばれる、実在のエリザベス朝スタイルの貴族の邸宅を使った英国ドラマは、全世界的に爆発的な人気を博している。
ほかのドラマの中でも、関係ないのにセリフの中に「ダウントン・アビーじゃあるまいし」などと、よく登場する。

ちなみに、ドラマの製作者であり脚本家でもあるジュリアン・フェローズは、父親が外交官で男爵の爵位を持ち、貴族院の保守会員という人物。貴族の生活をよく知りぬいた人なのだ。

今日の注目は、グランサム伯爵の長女、メアリー・クローリーの遠い親戚であり、やがて夫となるダン・クローリーを演じたドン・スティーブンス。
金髪と薄いブルーの瞳が超魅力的な美男子。

ドラマの中では、さまざまな紆余曲折を経て、ようやくメアリーと結ばれ、子どもも生まれたという幸せの絶頂で、まさかの事故死を遂げてしまった。

なぜだ、なぜなの?

あまりに典型的な美男子であり過ぎたため、意識の端にしまって隠しておいたのに、突然死んでからはなんだかとっても残念で、がぜん気になる存在になった。

いろいろと検索して調べてみると、海外でも今を時めく人気俳優となっているということがわかった。
なんと、日本でも4月に公開されるディズニーの実写版『美女と野獣』で野獣の役をやるという。
あえて、あの美しいお顔を野獣の面に隠しての演技。

本名、ダニエル・ジョナサン・スティーブンス。
パブリックスクールを出て、ケンブリッジ大学で英文学を学ぶ。良い家柄のようだが、彼自身は養子なのだそうだ。
そんなこともあってか、

最近FOXテレビで始まった『レギオン』というアメリカのドラマで、彼は主人公のレギオン(デヴィッド・ハラー)を演じている。
というので、期待して見始めたのだが、これが何が何やら訳が分からないストーリー。
公式サイトの紹介をまとめると…

幼い頃から続く幻覚や幻聴に悩まされていた主人公デヴィッド・ハラーは、5年前のある日、首を吊り自殺を図る。
死にきれずに精神科病院に入院させられ、統合失調症の疑いから5年も精神科病院に入院することになったが、薬を飲んでも病状はよくならなかった。

ある日、同じ病院に美しい女性シドニーが現れ、一目惚れしたデヴィッドからのアプローチで付き合うことに。
しかし、シドニーは誰からも触られたくないという。
シドニーの退院の日、デヴィッドが思い切ってキスをすると、不思議な現象が起きた。

実は彼こそが、他人の精神を自在に操ることができる地上最強のテレパスで“X-MEN”創始者のチャールズ・エグゼビア(=プロフェッサーX)の息子であった。
デヴィッド自身も、また父のチャールズでさえ知らなかったその事実は、新たに始まる巨大なる陰謀劇の幕開けを意味していた…。デヴィッドの中で覚醒するミュータント“レギオン”の持つ、未知の力とは一体…!?

このことをきっかけに、デヴィッドはおかしな幻覚だと思っていたものが現実のものなのかもしれないと考え始める。
やがて、ディビジョン3の施設から逃げ出し、シドニーたちとある場所に避難したデヴィッドは、そこで “記憶療法”を受ける。
病気と思われていたものが、実は特殊能力であるという事実を、記憶をたどりながら確認していくというのだが、デヴィッドは治療中、イヤな記憶がよみがえり混乱してしまう。
その後、MRIで脳の回路調査を受けていると、突然、姉エイミーの声が聞こえ、その姿を見るのだった…。

このドラマの謳い文句は、「大ヒット映画「X-MEN」シリーズが初めてTVドラマとなって登場!原作コミックで描かれる世界を基にした、もうひとつの物語」というものなのだが、そもそも「X-MEN」の原作コミックも映画も知らないので、ピンとこないのだが、とにかくSFチックなドラマであることは確か。

CGが多用され、開始前に強い光にご注意くださいとの注意書きが流れるほど、ピカピカチカチカ、画面は次から次に飛び、出演者も飛び、記憶も飛び、見ているだけで頭がクラクラする。そうかと思うと、途中で突然ミュージカルのように、出演者が歌い踊りだす。
なんでも視聴者にデヴィッドと同じ体験をしてもらいたいというのが製作者の意図なんだってさ。

見続けていられるか、ちょっと心配。
それに新しい衣をまとってはいるけれど、このドラマ、精神科病院や精神医療への偏見に満ち満ちているような気がする。


なお、『ダビントン・アビー』はシーズン6でとうとう最終章を迎え、民放のスターチャンネルは4月から放送とのこと。もう来週です。

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にわか歴女~小倉城のなぞ [歴史の話]

子どもの頃住んでいた北九州市八幡区(当時)の社宅は、当時としては珍しい鉄筋コンクリート造りの二階建て、英国式に言えば「セミ・デタッチド」、つまり2軒がつながって1棟となっている家だった。
 その庭に、新しい家屋とはそぐわない古びた石柱が建っていた。そこには、筑前(ちくぜん)国・豊前(ぶぜん)国境という文字が刻まれていた。
何となくそこだけ「江戸時代」であった。
 
今回、小倉に行き、小倉城などを眺めて帰ってきてから、北九州の歴史を知りたくなった。
当時カトリックの学校に通っていたので、学芸会で「細川ガラシャ夫人」などが演じられていて、小倉城は細川家と関係があるくらいのことは知っていたが、それ以上のことはまったく知らなかった。

そこで、ネットで検索してみると、江戸時代の全国の諸藩の地図なんてものもすぐ見つかった。http://www.asahi-net.or.jp/~me4k-skri/han/kyushu_map.html
それを見ると、筑前は八幡あたりから福岡、佐賀のあたりまでの黒田家の領地。豊前は、小倉藩と中津藩を含む主に小笠原家の領地であった。中津藩は福沢諭吉が生まれた土地だ。

江戸初期の北九州を見てみると、けっこう出入りが激しい。

関ヶ原の戦いの後、そのときの論功の結果、黒田家が筑前福岡に移り、そのあとに丹後宮津にあった細川忠興が豊前中津に入って、豊前一国と豊後の一部を領し、小倉もその中津藩領内となったとある。細川忠興は当初、中津に入るが、小倉に築城して移り、小倉藩が成立する。

ちなみに、細川忠興の正室が細川ガラシャ夫人。明智光秀の三女である。知らなかった。
織田信長の勧めで嫁入りしたんだそうな。
彼女の時世の歌「散りぬべき 時知りてこそ 世の中の 花も花なれ 人も人なれ」はあまりにも有名。
彼女の数奇な運命は大河ドラマになるわねと思ったら、なんだ、とっくになっていたんじゃないの。2011年の『江~姫たちの戦国~』。ぜんぜん見なかった。

その後、肥後熊本の加藤家が改易になって、細川家が肥後に移ると、当然、それまで外様ばかりであった九州の抑えとして、譜代の大名を置く必要があると考えられ、細川家の旧領には家康の外孫、外曾孫たちである小笠原家一門四家が配置された。

小笠原家は八幡太郎源義家の弟、新羅三郎源の義光が甲斐に入って、裔は源頼朝に仕え、足利尊氏に仕え、小笠原貞慶の時に信濃深志に拠るが武田信玄に攻められ、徳川家康を頼る。
従っていわゆる三河譜代ではないが、徳川譜代の中では重きを成す家なのだそうだ。
名家中の名家であり、鎌倉・足利・徳川の各幕府の臣として家を全うするとともに、小笠原式礼法を家伝として伝授する家でもある。

というところで、次の文章に驚いた。

小倉藩と言って、まず記憶にのぼるのは、不名誉ながら、幕末の第二次長州征伐での小倉城陥落だろう。

な、な、なんだ? 小倉城陥落なんて聞いたことないぞ。

ということで、次はネットで「第二次長州征討」を調べなきゃ。
第一次のほうは、とりあえずパスして。

小倉口では、総督・小笠原長行が指揮する九州諸藩と高杉・山縣有朋ら率いる長州藩との戦闘(小倉戦争)が関門海峡をはさんで数度行われたが、小笠原の指揮はよろしきを得ず、優勢な海軍力を有しながら渡海侵攻を躊躇している間に6月17日に長州勢の田野浦上陸を、7月2日には大里上陸を許して戦闘の主導権を奪われ、その後も諸藩軍・幕府歩兵隊とも拱手傍観の体で小倉藩が単独抗戦を強いられる状態だった。また、佐賀藩は出兵を拒んだ。

関門海峡を挟んで小倉が長州とやりあった「小倉戦争」だなんて、これまた初耳だぞ。

7月27日の赤坂・鳥越の戦い(現在の北九州市立桜丘小学校付近)では肥後藩細川氏の軍が参戦し、長州勢を圧倒する戦いを見せた。
しかし依然として小笠原総督の消極的姿勢は改まらず、事態の収拾に動くこともなかったことから、肥後藩を含む諸藩は総督への不信を強め、この戦闘後に一斉に撤兵・帰国し、小笠原総督自身も将軍家茂の薨去を理由に戦線を離脱した。
孤立した小倉藩は8月1日に小倉城に火を放って香春に退却し、小倉は長州藩の占領下となったまま停戦。
そのため、小笠原家は藩庁を香春(かわら)に移し、小倉は占領下のまま、維新を迎える。

その後、小倉藩は家老・島村志津摩らの指導により軍を再編して粘り強く長州藩への抵抗を続け、戦闘は長期化してゆくこととなるが、これで事実上幕府軍の全面敗北に終わる。

この後の歴史の動きがすごい。

戦いの長期化に備えて各藩が兵糧米を備蓄した事によって米価が暴騰し、全国各地で一揆や打ちこわしが起こる原因となった(世直し一揆)。

戦況不利の最中の7月20日に家茂が死去、徳川将軍家を継いだ徳川慶喜は大討込と称して、自ら出陣して巻き返すことを宣言したが、小倉陥落の報に衝撃を受けてこれを中止し、家茂の死を公にした上で朝廷に働きかけ、休戦の勅命を発してもらう。
また慶喜の意を受けた勝海舟と長州の広沢真臣・井上馨が9月2日に宮島で会談した結果、停戦合意が成立し、大島口、芸州口、石州口では戦闘が終息した。
なお、慶喜は停戦の直後から、フランスの支援を受けて旧式化が明らかとなった幕府陸軍の軍制改革に着手している。

ところが、
朝廷の停戦の勅命と幕府・長州間の停戦合意成立にもかかわらず、小倉方面では長州藩は小倉藩領への侵攻を緩めず、戦闘は終息しなかった。
この長州藩の違約に対し、幕府には停戦の履行を迫る力はなく、小倉藩は独自に長州藩への抵抗・反撃を強力に展開した。
10月に入り、長州藩は停戦の成立した他戦線の兵力を小倉方面に集中して攻勢を強め、企救郡南部の小倉藩の防衛拠点の多くが陥落するに及んで小倉・長州両藩間の停戦交渉が始められ、慶応3年(1867年)1月にようやく両藩の和約が成立した。

第二次征討の失敗によって、幕府の武力が張子の虎であることが知れわたると同時に、長州藩と薩摩藩への干渉能力がほぼ無くなる結果を招いた。そのため、この敗戦が江戸幕府滅亡をほぼ決定付けたとする資料も見られる。

名家とうたわれた小笠原家の小倉藩が、かくももろく陥落し、みずから火を放つという失態を演じたなんて郷土の歴史は教わらなかった。公立学校では教えていたんだろうか。

父の故郷、福島の会津若松では、白虎隊の悲劇は知らない人はいないのに。

でも、それが江戸幕府の終焉のきっかけとなったというのもすごいじゃない?

にわか歴女になってしまった。

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昔馴染みの土地だけれど [本と旅の話]

3月のはじめ、仕事で小倉に行き、約束の時間までに余裕があったので、ホテルから小倉の市街地まで歩いてみた。

皿倉山.jpg遠く皿倉山が望めて、なつかしくうれしくなった。


でも、小倉の街は、私が暮らしていた半世紀ほど前とはすっかり様変わりして、あの小倉城が大きな現代建築の陰で小さくなっていた。
かつては、いわゆる水上生活者のバラックが立ち並んでいた、紫川という優雅な名称とは裏腹の、黒く濁った川は、今やおしゃれなお店が並ぶ優美な流れとなっていた。

1489580265809.jpg

下の写真(左)の右側に建つカラフルなモダン建築はリバーウォーク。北九州芸術劇場が入っているらしい。
タクシーの運転手さんによれば、昔デパートの玉屋があったところだとか。
1489580330626.jpg紫川の川べりは広い勝山公園になっていて、スポーツを楽しむ人や子供たちがたくさんいた。
梅の花も満開。

井筒屋.jpg













もう一つのデパート井筒屋は生き残っていて、新しいビルになっていた。
左手の奥の方に黒い建造物が小さく見えるのは、わずかに残った高炉だろう。



1489580363260.jpg




その裏の通りの壁には、松本零士の「銀河鉄道999」の絵が飾られていて、クロスロードミュージアムと書いてあった。でも、裏道みたいなところで、ちょっとさびしい。
北九州出身なのかと思ったら、久留米の出身なんだって。

1489580283948.jpg
左の青い屋根の建物は市立中央図書館。
この裏の大通りが清張通り。
かの有名な松本清張にちなんだもので、松本清張記念館もある。

中央図書館にはおしゃれなカフェがあって、有機コーヒーの看板が出ていたので寄ってみたら、知的障害があるらしい女性が元気に働いていた。

カフェの中に、地元出身かゆかりの作家たちの本が飾られていて、
どんな人たちがいるかと見てみると、へ~この人も同郷人なんだという人がたくさん。
もちろんブログでも紹介したことのある村田喜代子さんや、中学の同窓、平野啓一郎さん(生まれは愛知県蒲郡。北九州市八幡西区で育つ)は、言うまでもなく。

(ここからは敬称略で失礼します)
加納朋子、山崎ナオコーラなどの女性作家に、リリー・フランキーや松尾スズキといった作家。
中島義道、藤原新也、高橋睦郎、平出隆に大前研一や磯崎新と、そうそうたる名前が並ぶ。
驚いたのは、あの時代小説の佐伯泰英と葉室麟も。

葉室麟さんは小倉生まれで、私の1コ下。
どこかですれ違っていたりして。
昨年、「鬼神の如く 黒田叛臣伝」で第20回司馬遼太郎賞受賞。
テレビでドラマ化されたりしているから、いくつかの作品は知ってはいたのだけど、
名前と一致していなかった。

そこで、本屋にすぐ寄って『蜩(ひぐらし)ノ記』(祥伝社文庫)を購入。
佐伯泰英のほうは、何しろ冊数が多すぎて、どれから読んでいいかわからないから。
さっそく読んでみた。

これは2012年に直木賞をとった作品。
舞台は豊後(ぶんご)・羽根(うね)藩。豊後だから大分だね。

実は、八幡に住んでいたころ、家(社宅)の庭に、筑前と豊前の境を示す石柱が建っていた。
豊前は小倉から中津を含む小笠原家の領地。
筑前は八幡・戸畑から、福岡全体を含む黒田家の領地。

城内で親友と刃傷沙汰を起こした羽根藩の若侍、壇野庄三郎は、切腹と引き換えに、山あいの村に幽閉され、藩の家譜編纂を行っている戸田秋谷の手伝いをすることを命じられ、やってくる。
そこには秋谷の妻と娘、薫と息子、郁太郎がともに暮らしていた。

『蜩の記』というのは、秋谷が毎日つけている備忘録の名前である。
秋谷は、7年前に全藩主の側室との密通のかどで、10年後の切腹を言い渡され、その間に家譜の編纂をするよう命じられたのである。
あと3年で、編纂を終えなければならず、その間に逃げ出さないように見張って、不審な動きがあれば、即座に切って捨てるというのが、庄三郎に与えられた裏の任務であった。

だが、庄三郎が会った秋谷は、およそ不義密通などはしそうにない清廉な人物だった。
やがて、秋谷の無実を信じるようになる庄三郎。
秋谷の子、薫も郁太郎も、庄三郎に信頼を寄せるようになる。

秋谷らの住む村は、かつては戸田家の領地であり、秋谷は郡奉行として村人にも熱い人望を得ていた。
しかし、今や村は商人に土地を買い漁られ、村人たちは飢饉の年には重い年貢に苦しんでいた。
領主たちに反感を強める村人たち。

秋谷の過去と藩の歴史をめぐる謎、村人と侍との対立、庄三郎と秋谷一家との交流。
いくつもの糸が絡み合うようにして、物語が編まれていく。

今は時代小説ブームなんだそうだ。
たしかに、人情話と歴史とがからむ時代小説はなかなか面白いし、泣ける。
この続きも読まなくては。



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刑務所サービス? [本のはなし]

先日の福祉関係者の集まりで、福祉をサービスと呼ぶのは抵抗があると語った人がいた。

たしかに「サービス」というと、何かおまけでつけてくれるもの、というイメージがあり、「サービス品」というのは安く特別に提供しているもの、したがって安物という感じがある。

医療サービス、福祉サービスといった言葉を初めて耳にしたときは、たしかに違和感があったが、その後「患者様」などというヘンテコな呼称がまかり通るようになって、ますます医療はサービス業なのだという意識が定着したように思う。

しかし、オブホルツァ―他著『組織のストレスとコンサルテーション―対人援助サービスと職場の無意識』(金剛出版)という本を翻訳した時、「警察サービス」とか「刑務所サービス」という用語を見て、そこまでサービスと言うのかと、さすがに驚いた。

もともと英語では、人が行う人相手の仕事はすべて、「ヒューマンサービス」という。
辞書でサービスserviceを引くと、「公益事業」「官公庁業務」その「部局」などが最初にあがっている。
ほかにも「兵役」とか「軍」を指して、サービスという。
もちろん、いわゆる教会での「ミサ」、「集会礼拝」などもサービスだ。
「奉仕」という意味もある。
ちなみに「サービス品」を、日本では「奉仕品」とも言ってたっけ。
テニスやバレーボールの「サーブ」も同じだ。
そのほか、辞書にはサービスの多様な意味が山のように出てくる。

ところで。
今日紹介する本は、アン・ウォームズリー著『プリズン・ブック・クラブ』(紀伊国屋書店)。
著者はジャーナリストで、副題に「コリンズ・ベイ刑務所読書会の一年」とあるように、彼女が211年から2012年にかけて、カナダの2か所の刑務所でボランティアとして受刑者の読書会に参加した経験をつづった本である。

刑務所で読書会?
私も一瞬、驚いた。

だが、私にもかつて働いていた精神科病院で、古く病舎としては使われなくなった木造建物の一室を患者さんたちと一緒に改造し、机を椅子やソファを並べて、図書室を作った経験がある。
古本屋から安く本を購入したり寄付を集めたりして、図書館分類に従って本棚に並べ、貸し出しも行った。図書館係は患者のボランティアだった。

その図書室で、全病棟の患者さんたちに声をかけ、週1回グループ(フリートークの集まり)を行っていたのだが、実際に本を読んで感想や意見を言い合うという会ではなかった。
はっきり言おう。患者さんたちが本を読むことはあまり期待していなかったのだ。
病気や抗精神病薬のせいで、集中力が低下したり、眠気が強かったりするので無理だろうと思っていたところがある。実際、同じ本を読むには、それだけの冊数を揃えなければならないが、そんな予算もなかった。

また、患者さんの中には、元東大生という人たちも複数いたし、大学教授もいた。
その一方で、中学すらも卒業できなかったという人や、知的障害で施設育ちというような人もいたので、みんなで本を読もうという発想がなかったのだ。
本が好きで読みたい人や、病棟を離れて静かな場所で時間を過ごしたい人が利用できて、中には受験勉強中という患者さんもいたので、勉強に集中できるところがあってもいいと思っていたのである。

だが、本を読むという図書館本来の発想が希薄だったことを、この本を読んで痛切な後悔とともに認識したのである。

そもそも欧米の文化では「読書会book club」というのは人々の生活に古くから根付いているようで、いろいろな物語にも出てくる。重要なコミュニティ活動なのである。

この本に出てくるキャロルは、カナダのオンタリオ州で「刑務所読書会支援の会」を立ち上げ、ボランティアで刑務所での定期的な読書会活動を精力的に行っている女性である。
オンタリオ州と言えば、私も何年か前に行ってしばらく滞在したトロントが首都。
今は、羽生結弦選手の練習拠点として有名である。

著者のアンはトロントで女性の読書会を行っていたが、その参加者の一人キャロルに刑務所の読書会で読む図書の選定に力を貸してもらえないかと誘われ、ついでに参加することを勧められたのである。
しかし、彼女にはかつてロンドンに住んでいたころ、自宅脇の薄暗い路地で強盗に襲われ、危うく命を落としかけたというトラウマがあり、長らくPTSDに悩まされてもいた。
即座に「絶対に無理」という声が彼女の中で大きく響いた。
だが、オンタリオ州裁判所の判事だった父の「人の善を信じれば、相手は必ず応えてくれるものだよ」という父の言葉がよみがえり、ジャーナリストとしての好奇心が不安を少しばかり上回ったのである。

ここでカナダの制度を説明しておこう。
カナダの連邦刑務所では重装備から軽装備まで、刑務所ごとに警備レベルが定められており、受刑者の更生の具合を見て、収容先が変わる。
罰のための、あるいは収容のための施設ではなく、まさに矯正のための施設なのである。
だからこそ、読書会といったボランティア活動を受け入れるのだろう。
実際の作家を読書会に呼んだりもしている。
日本なら、慰問で訪れている芸能人などの話は聞いたことがあるが、発想が違うのだ。
カナダらしく、アボリジニ(原住民)を対象としたプログラムなどもあり、ハーブを燃やして邪気を払う伝統的な儀式も行われているという。

キャロルは、アンのPTSDからの回復にも、刑務所での読書会が役立つのではないかと誘った。
一方、アンは、当時、娘の拒食症が重症化し、介護のためにライターとして勤めていた投資顧問会社をクビになっていた。おまけにアルツハイマー病を患う実母の介護にも手がかかるようになっていた。その気分転換にもなると思われた。
彼女は、刑務所での図書選定委員として読書会に参加すると同時に、その体験を本にまとめることにしたのである。

厳重な身元調査を経て、初めて刑務所を訪れたアンだが、やはり恐怖は付きまとった。
体中にタトゥーのある男たちが18人ほど集まって読書会を開く場所は、本館から80メートルは離れた、看守のいない別館だった(その後、移動するが)。
頼りになるのは、教誨師(受刑者の改悛を助け、精神的安定に導く宗教者)が身に着けている小型の警報機だけ。
やがて、回を重ね、受刑者たちをよく知るようになるにつれ、徐々に恐怖感は払しょくされていく。それでも1対1で面接する際には、やはり緊張が走ったが。

ところで、この本は、読書会で読まれた本ごとに章だてされているのだが、その中には『怒りの葡萄』といったクラシックや、『夜中に犬に起こった奇妙な事件』など、比較的最近の私も読んだことのある本もあった。
だが、『ガーンジー島の読書会』『サラエボのチェリスト』『もう、服従しない』『ポーラ―ドアを開けた女』『ユダヤ人を救った動物園』『またの名をグレイス』など、けっこう社会的な問題がテーマの本が多いことに驚く。
本を購入するための資金を募り、みんなが読んで集まるのだ。
もちろん、おやつに出るクッキー目当てに参加する不埒者もいる。
そうした参加者をどうするかも、受刑者を含めて考えるのだ。

参加者たちは、カナダ生まれジャマイカ育ち、イタリア生まれなど、出自もさまざまだが、みな薬物がらみの犯罪や故殺、連続銀行強盗などの結構な重罪人である。
こうした受刑者が月1回とはいえ、上のような本を読みこなせるのかと思ってしまうのは、やはり偏見があるのだろう。
だが、大学の学生でも無理ではないかと思うのだ。
なにしろ、読み込み方がすばらしく、自分なりの意見をそれぞれが主張しあうのだから。
たとえ、刑務所内では何も楽しみがなく、お互いに自分の犯罪自慢ばかりしあうよりは、本を読んでいる方がいいという意見はもっともだと思うにしても。
どの本も読んでみたくなる。
それにしても、カナダの犯罪者は知的レベルが高いのか?

もちろん、全員が成功したというわけではない。
ほとんどが薬物がらみなので、刑務所に逆戻りしてしまった人もいる。
でも、リハビリテーションや矯正プログラムなどというと、無意識のうちに対象者を一段低い能力の人とみなしてしまう傾向がどこかにあるのだろう。
その後、刑務所での読書会が受刑者の更生に効果があるとわかり、
オンタリオ州全域、さらにはカナダの多くの州で取り入れられるようになったという。
「彼らが夢中になっているのは、もはや麻薬ではなく、書物なのだ」
でも、カナダでだって、この試みが評価されるようになったのは最近のことなのだ。
やはり、刑務所=懲罰・隔離の場という観念を崩さなければ。

精神科病院での図書室グループも、実際に本を読んでみたらどうだったんだろう。

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沖縄・戦争・ものがたり [本のはなし]

今沖縄で、辺野古のヘリパッド建設をめぐって反対する住民の抵抗運動が行われているが、
折も折、原田マハ著『太陽の棘』(文春文庫)を読んだ。

舞台は、太平洋戦争終結まもない琉球。
物語の語り手は、沖縄に駐留する米軍軍医(琉球米軍医療局士官)で、今はサンフランシスコで開業している精神科医エドワード・ウィルソン(通称エド)。
医師になりたての頃、彼は赴任した沖縄で偶然に画家たちと出会う。

この本の解説を書いた佐藤優は、「日本人が沖縄を題材とした作品を書くと、たいていが破綻してしまう」という。
確かに沖縄を描くとすれば戦争の問題は避けて通れないだろうし、太平洋戦争、なかでも沖縄戦を直接体験したことのない作家が、それを描けるのかという疑問はかならず付いて回るだろう。
沖縄人と日本(本土)人の問題も微妙に響いてくる。

佐藤は、この本がその問題をうまくクリアできた1つの要因は、主人公を若い琉球占領軍の軍医としたことだと述べている。
確かに、戦争終結後赴任した医師になりたての若い軍医、しかも精神科医という、医師のなかでもおそらく辺境の存在を設定したことで、占領軍対住民の対立の構図はあまり際立たずに済んでいる。
また、もう一方の画家たちも、戦争中は大日本帝国海軍航空本部に所属する従軍画家として戦地を転々とし、沖縄戦には居合わせなかった。
彼らは戦後、森の奥深くに仲間たちとともにニシムイ美術村という集落を作り、米軍の将校相手に細々と作品を売って生活していた。
エドたちは、休暇でドライブを楽しんでいた際に、偶然その集落を見つけたのである。

沖縄住民は占領軍の米兵を恐怖の目でみていたが、
画家たちの顔には恐れはまったくなく、光に満ちていた。
ゴーギャンのごとく、ゴッホのごとく、誇り高き画家たち、太陽の、息子たち。
彼らの描く絵画もまた、光とエネルギーに満ち溢れた、ユニークなものであった。

そのなかの一人、タイラは、若い頃にサンフランシスコの美術学校に2年間留学していたという。
かつては画家を目指していたエドにとって、そこは憧れの学校でもあった。
タイラはそこで出会った日系2世のメグミと結婚して帰国、東京美術学校に入るが、そこで沖縄出身者として差別される体験をする。
そのまま、従軍画家として南洋諸島に派遣され、戦争画を描いていたタイラは、日本の敗戦後沖縄に戻り、絵画で故郷の復興を目指すことにしたというのである。
終戦後まもなくは、米国軍政府も美術や音楽や踊りといった芸術文化が沖縄の復興の妙薬となると考え、政府内に文化部芸術科をつくり、芸術家たちを生活を含めて支援していたという。
だが、政策の転換で文化部が廃止され、自立を余儀なくされてしまい、タイラたちはこの芸術村を作ったのであった。

エドたちと芸術村の画家たちの交流がこうして始まった。
一方、沖縄では軍の兵士たちの「悪さ」の数々が問題にもなっていた。

集落のはずれに、一人の風変わりな男が住んでいた。
昼間から酒を飲んでいるというその男、ヒガの住む小屋に入ったエドたちは、
そこに不気味な絵を発見する。
どこまでも明るいタイラらの絵画と対照的に、暗闇の中に白い顔がいくつも浮かび上がっている不気味な絵。
思わず、「どうしてこんな暗い絵を描くんだ。明るい絵じゃないと誰も欲しがらないよ」と言ってしまうエド。
突然、怒り出すタイラ。「アメリカーなんて、さっさと、本国へ帰っちまえ」というその目には涙があふれていた。

このことをきっかけに、エドにも沖縄の抱える闇の部分がわかるようになってきたのである。

胸をうつ物語ではあるのだが、残念だったのは、精神科医が主人公であるからには、当然、米軍兵士の心の傷にも言及があるだろうと思っていたのだが、ほとんど出てこなかったことだ。
だが、そのことに触れようとすると、きっと佐藤優が言ったように、この物語は破綻してしまうのかもしれない。
そこまで描ききれるような作家はいないのだろうか。
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