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昔馴染みの土地だけれど [本と旅の話]

3月のはじめ、仕事で小倉に行き、約束の時間までに余裕があったので、ホテルから小倉の市街地まで歩いてみた。

皿倉山.jpg遠く皿倉山が望めて、なつかしくうれしくなった。


でも、小倉の街は、私が暮らしていた半世紀ほど前とはすっかり様変わりして、あの小倉城が大きな現代建築の陰で小さくなっていた。
かつては、いわゆる水上生活者のバラックが立ち並んでいた、紫川という優雅な名称とは裏腹の、黒く濁った川は、今やおしゃれなお店が並ぶ優美な流れとなっていた。

1489580265809.jpg

下の写真(左)の右側に建つカラフルなモダン建築はリバーウォーク。北九州芸術劇場が入っているらしい。
タクシーの運転手さんによれば、昔デパートの玉屋があったところだとか。
1489580330626.jpg紫川の川べりは広い勝山公園になっていて、スポーツを楽しむ人や子供たちがたくさんいた。
梅の花も満開。

井筒屋.jpg













もう一つのデパート井筒屋は生き残っていて、新しいビルになっていた。
左手の奥の方に黒い建造物が小さく見えるのは、わずかに残った高炉だろう。



1489580363260.jpg




その裏の通りの壁には、松本零士の「銀河鉄道999」の絵が飾られていて、クロスロードミュージアムと書いてあった。でも、裏道みたいなところで、ちょっとさびしい。
北九州出身なのかと思ったら、久留米の出身なんだって。

1489580283948.jpg
左の青い屋根の建物は市立中央図書館。
この裏の大通りが清張通り。
かの有名な松本清張にちなんだもので、松本清張記念館もある。

中央図書館にはおしゃれなカフェがあって、有機コーヒーの看板が出ていたので寄ってみたら、知的障害があるらしい女性が元気に働いていた。

カフェの中に、地元出身かゆかりの作家たちの本が飾られていて、
どんな人たちがいるかと見てみると、へ~この人も同郷人なんだという人がたくさん。
もちろんブログでも紹介したことのある村田喜代子さんや、中学の同窓、平野啓一郎さん(生まれは愛知県蒲郡。北九州市八幡西区で育つ)は、言うまでもなく。

(ここからは敬称略で失礼します)
加納朋子、山崎ナオコーラなどの女性作家に、リリー・フランキーや松尾スズキといった作家。
中島義道、藤原新也、高橋睦郎、平出隆に大前研一や磯崎新と、そうそうたる名前が並ぶ。
驚いたのは、あの時代小説の佐伯泰英と葉室麟も。

葉室麟さんは小倉生まれで、私の1コ下。
どこかですれ違っていたりして。
昨年、「鬼神の如く 黒田叛臣伝」で第20回司馬遼太郎賞受賞。
テレビでドラマ化されたりしているから、いくつかの作品は知ってはいたのだけど、
名前と一致していなかった。

そこで、本屋にすぐ寄って『蜩(ひぐらし)ノ記』(祥伝社文庫)を購入。
佐伯泰英のほうは、何しろ冊数が多すぎて、どれから読んでいいかわからないから。
さっそく読んでみた。

これは2012年に直木賞をとった作品。
舞台は豊後(ぶんご)・羽根(うね)藩。豊後だから大分だね。

実は、八幡に住んでいたころ、家(社宅)の庭に、筑前と豊前の境を示す石柱が建っていた。
豊前は小倉から中津を含む小笠原家の領地。
筑前は八幡・戸畑から、福岡全体を含む黒田家の領地。

城内で親友と刃傷沙汰を起こした羽根藩の若侍、壇野庄三郎は、切腹と引き換えに、山あいの村に幽閉され、藩の家譜編纂を行っている戸田秋谷の手伝いをすることを命じられ、やってくる。
そこには秋谷の妻と娘、薫と息子、郁太郎がともに暮らしていた。

『蜩の記』というのは、秋谷が毎日つけている備忘録の名前である。
秋谷は、7年前に全藩主の側室との密通のかどで、10年後の切腹を言い渡され、その間に家譜の編纂をするよう命じられたのである。
あと3年で、編纂を終えなければならず、その間に逃げ出さないように見張って、不審な動きがあれば、即座に切って捨てるというのが、庄三郎に与えられた裏の任務であった。

だが、庄三郎が会った秋谷は、およそ不義密通などはしそうにない清廉な人物だった。
やがて、秋谷の無実を信じるようになる庄三郎。
秋谷の子、薫も郁太郎も、庄三郎に信頼を寄せるようになる。

秋谷らの住む村は、かつては戸田家の領地であり、秋谷は郡奉行として村人にも熱い人望を得ていた。
しかし、今や村は商人に土地を買い漁られ、村人たちは飢饉の年には重い年貢に苦しんでいた。
領主たちに反感を強める村人たち。

秋谷の過去と藩の歴史をめぐる謎、村人と侍との対立、庄三郎と秋谷一家との交流。
いくつもの糸が絡み合うようにして、物語が編まれていく。

今は時代小説ブームなんだそうだ。
たしかに、人情話と歴史とがからむ時代小説はなかなか面白いし、泣ける。
この続きも読まなくては。



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刑務所サービス? [本のはなし]

先日の福祉関係者の集まりで、福祉をサービスと呼ぶのは抵抗があると語った人がいた。

たしかに「サービス」というと、何かおまけでつけてくれるもの、というイメージがあり、「サービス品」というのは安く特別に提供しているもの、したがって安物という感じがある。

医療サービス、福祉サービスといった言葉を初めて耳にしたときは、たしかに違和感があったが、その後「患者様」などというヘンテコな呼称がまかり通るようになって、ますます医療はサービス業なのだという意識が定着したように思う。

しかし、オブホルツァ―他著『組織のストレスとコンサルテーション―対人援助サービスと職場の無意識』(金剛出版)という本を翻訳した時、「警察サービス」とか「刑務所サービス」という用語を見て、そこまでサービスと言うのかと、さすがに驚いた。

もともと英語では、人が行う人相手の仕事はすべて、「ヒューマンサービス」という。
辞書でサービスserviceを引くと、「公益事業」「官公庁業務」その「部局」などが最初にあがっている。
ほかにも「兵役」とか「軍」を指して、サービスという。
もちろん、いわゆる教会での「ミサ」、「集会礼拝」などもサービスだ。
「奉仕」という意味もある。
ちなみに「サービス品」を、日本では「奉仕品」とも言ってたっけ。
テニスやバレーボールの「サーブ」も同じだ。
そのほか、辞書にはサービスの多様な意味が山のように出てくる。

ところで。
今日紹介する本は、アン・ウォームズリー著『プリズン・ブック・クラブ』(紀伊国屋書店)。
著者はジャーナリストで、副題に「コリンズ・ベイ刑務所読書会の一年」とあるように、彼女が211年から2012年にかけて、カナダの2か所の刑務所でボランティアとして受刑者の読書会に参加した経験をつづった本である。

刑務所で読書会?
私も一瞬、驚いた。

だが、私にもかつて働いていた精神科病院で、古く病舎としては使われなくなった木造建物の一室を患者さんたちと一緒に改造し、机を椅子やソファを並べて、図書室を作った経験がある。
古本屋から安く本を購入したり寄付を集めたりして、図書館分類に従って本棚に並べ、貸し出しも行った。図書館係は患者のボランティアだった。

その図書室で、全病棟の患者さんたちに声をかけ、週1回グループ(フリートークの集まり)を行っていたのだが、実際に本を読んで感想や意見を言い合うという会ではなかった。
はっきり言おう。患者さんたちが本を読むことはあまり期待していなかったのだ。
病気や抗精神病薬のせいで、集中力が低下したり、眠気が強かったりするので無理だろうと思っていたところがある。実際、同じ本を読むには、それだけの冊数を揃えなければならないが、そんな予算もなかった。

また、患者さんの中には、元東大生という人たちも複数いたし、大学教授もいた。
その一方で、中学すらも卒業できなかったという人や、知的障害で施設育ちというような人もいたので、みんなで本を読もうという発想がなかったのだ。
本が好きで読みたい人や、病棟を離れて静かな場所で時間を過ごしたい人が利用できて、中には受験勉強中という患者さんもいたので、勉強に集中できるところがあってもいいと思っていたのである。

だが、本を読むという図書館本来の発想が希薄だったことを、この本を読んで痛切な後悔とともに認識したのである。

そもそも欧米の文化では「読書会book club」というのは人々の生活に古くから根付いているようで、いろいろな物語にも出てくる。重要なコミュニティ活動なのである。

この本に出てくるキャロルは、カナダのオンタリオ州で「刑務所読書会支援の会」を立ち上げ、ボランティアで刑務所での定期的な読書会活動を精力的に行っている女性である。
オンタリオ州と言えば、私も何年か前に行ってしばらく滞在したトロントが首都。
今は、羽生結弦選手の練習拠点として有名である。

著者のアンはトロントで女性の読書会を行っていたが、その参加者の一人キャロルに刑務所の読書会で読む図書の選定に力を貸してもらえないかと誘われ、ついでに参加することを勧められたのである。
しかし、彼女にはかつてロンドンに住んでいたころ、自宅脇の薄暗い路地で強盗に襲われ、危うく命を落としかけたというトラウマがあり、長らくPTSDに悩まされてもいた。
即座に「絶対に無理」という声が彼女の中で大きく響いた。
だが、オンタリオ州裁判所の判事だった父の「人の善を信じれば、相手は必ず応えてくれるものだよ」という父の言葉がよみがえり、ジャーナリストとしての好奇心が不安を少しばかり上回ったのである。

ここでカナダの制度を説明しておこう。
カナダの連邦刑務所では重装備から軽装備まで、刑務所ごとに警備レベルが定められており、受刑者の更生の具合を見て、収容先が変わる。
罰のための、あるいは収容のための施設ではなく、まさに矯正のための施設なのである。
だからこそ、読書会といったボランティア活動を受け入れるのだろう。
実際の作家を読書会に呼んだりもしている。
日本なら、慰問で訪れている芸能人などの話は聞いたことがあるが、発想が違うのだ。
カナダらしく、アボリジニ(原住民)を対象としたプログラムなどもあり、ハーブを燃やして邪気を払う伝統的な儀式も行われているという。

キャロルは、アンのPTSDからの回復にも、刑務所での読書会が役立つのではないかと誘った。
一方、アンは、当時、娘の拒食症が重症化し、介護のためにライターとして勤めていた投資顧問会社をクビになっていた。おまけにアルツハイマー病を患う実母の介護にも手がかかるようになっていた。その気分転換にもなると思われた。
彼女は、刑務所での図書選定委員として読書会に参加すると同時に、その体験を本にまとめることにしたのである。

厳重な身元調査を経て、初めて刑務所を訪れたアンだが、やはり恐怖は付きまとった。
体中にタトゥーのある男たちが18人ほど集まって読書会を開く場所は、本館から80メートルは離れた、看守のいない別館だった(その後、移動するが)。
頼りになるのは、教誨師(受刑者の改悛を助け、精神的安定に導く宗教者)が身に着けている小型の警報機だけ。
やがて、回を重ね、受刑者たちをよく知るようになるにつれ、徐々に恐怖感は払しょくされていく。それでも1対1で面接する際には、やはり緊張が走ったが。

ところで、この本は、読書会で読まれた本ごとに章だてされているのだが、その中には『怒りの葡萄』といったクラシックや、『夜中に犬に起こった奇妙な事件』など、比較的最近の私も読んだことのある本もあった。
だが、『ガーンジー島の読書会』『サラエボのチェリスト』『もう、服従しない』『ポーラ―ドアを開けた女』『ユダヤ人を救った動物園』『またの名をグレイス』など、けっこう社会的な問題がテーマの本が多いことに驚く。
本を購入するための資金を募り、みんなが読んで集まるのだ。
もちろん、おやつに出るクッキー目当てに参加する不埒者もいる。
そうした参加者をどうするかも、受刑者を含めて考えるのだ。

参加者たちは、カナダ生まれジャマイカ育ち、イタリア生まれなど、出自もさまざまだが、みな薬物がらみの犯罪や故殺、連続銀行強盗などの結構な重罪人である。
こうした受刑者が月1回とはいえ、上のような本を読みこなせるのかと思ってしまうのは、やはり偏見があるのだろう。
だが、大学の学生でも無理ではないかと思うのだ。
なにしろ、読み込み方がすばらしく、自分なりの意見をそれぞれが主張しあうのだから。
たとえ、刑務所内では何も楽しみがなく、お互いに自分の犯罪自慢ばかりしあうよりは、本を読んでいる方がいいという意見はもっともだと思うにしても。
どの本も読んでみたくなる。
それにしても、カナダの犯罪者は知的レベルが高いのか?

もちろん、全員が成功したというわけではない。
ほとんどが薬物がらみなので、刑務所に逆戻りしてしまった人もいる。
でも、リハビリテーションや矯正プログラムなどというと、無意識のうちに対象者を一段低い能力の人とみなしてしまう傾向がどこかにあるのだろう。
その後、刑務所での読書会が受刑者の更生に効果があるとわかり、
オンタリオ州全域、さらにはカナダの多くの州で取り入れられるようになったという。
「彼らが夢中になっているのは、もはや麻薬ではなく、書物なのだ」
でも、カナダでだって、この試みが評価されるようになったのは最近のことなのだ。
やはり、刑務所=懲罰・隔離の場という観念を崩さなければ。

精神科病院での図書室グループも、実際に本を読んでみたらどうだったんだろう。

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沖縄・戦争・ものがたり [本のはなし]

今沖縄で、辺野古のヘリパッド建設をめぐって反対する住民の抵抗運動が行われているが、
折も折、原田マハ著『太陽の棘』(文春文庫)を読んだ。

舞台は、太平洋戦争終結まもない琉球。
物語の語り手は、沖縄に駐留する米軍軍医(琉球米軍医療局士官)で、今はサンフランシスコで開業している精神科医エドワード・ウィルソン(通称エド)。
医師になりたての頃、彼は赴任した沖縄で偶然に画家たちと出会う。

この本の解説を書いた佐藤優は、「日本人が沖縄を題材とした作品を書くと、たいていが破綻してしまう」という。
確かに沖縄を描くとすれば戦争の問題は避けて通れないだろうし、太平洋戦争、なかでも沖縄戦を直接体験したことのない作家が、それを描けるのかという疑問はかならず付いて回るだろう。
沖縄人と日本(本土)人の問題も微妙に響いてくる。

佐藤は、この本がその問題をうまくクリアできた1つの要因は、主人公を若い琉球占領軍の軍医としたことだと述べている。
確かに、戦争終結後赴任した医師になりたての若い軍医、しかも精神科医という、医師のなかでもおそらく辺境の存在を設定したことで、占領軍対住民の対立の構図はあまり際立たずに済んでいる。
また、もう一方の画家たちも、戦争中は大日本帝国海軍航空本部に所属する従軍画家として戦地を転々とし、沖縄戦には居合わせなかった。
彼らは戦後、森の奥深くに仲間たちとともにニシムイ美術村という集落を作り、米軍の将校相手に細々と作品を売って生活していた。
エドたちは、休暇でドライブを楽しんでいた際に、偶然その集落を見つけたのである。

沖縄住民は占領軍の米兵を恐怖の目でみていたが、
画家たちの顔には恐れはまったくなく、光に満ちていた。
ゴーギャンのごとく、ゴッホのごとく、誇り高き画家たち、太陽の、息子たち。
彼らの描く絵画もまた、光とエネルギーに満ち溢れた、ユニークなものであった。

そのなかの一人、タイラは、若い頃にサンフランシスコの美術学校に2年間留学していたという。
かつては画家を目指していたエドにとって、そこは憧れの学校でもあった。
タイラはそこで出会った日系2世のメグミと結婚して帰国、東京美術学校に入るが、そこで沖縄出身者として差別される体験をする。
そのまま、従軍画家として南洋諸島に派遣され、戦争画を描いていたタイラは、日本の敗戦後沖縄に戻り、絵画で故郷の復興を目指すことにしたというのである。
終戦後まもなくは、米国軍政府も美術や音楽や踊りといった芸術文化が沖縄の復興の妙薬となると考え、政府内に文化部芸術科をつくり、芸術家たちを生活を含めて支援していたという。
だが、政策の転換で文化部が廃止され、自立を余儀なくされてしまい、タイラたちはこの芸術村を作ったのであった。

エドたちと芸術村の画家たちの交流がこうして始まった。
一方、沖縄では軍の兵士たちの「悪さ」の数々が問題にもなっていた。

集落のはずれに、一人の風変わりな男が住んでいた。
昼間から酒を飲んでいるというその男、ヒガの住む小屋に入ったエドたちは、
そこに不気味な絵を発見する。
どこまでも明るいタイラらの絵画と対照的に、暗闇の中に白い顔がいくつも浮かび上がっている不気味な絵。
思わず、「どうしてこんな暗い絵を描くんだ。明るい絵じゃないと誰も欲しがらないよ」と言ってしまうエド。
突然、怒り出すタイラ。「アメリカーなんて、さっさと、本国へ帰っちまえ」というその目には涙があふれていた。

このことをきっかけに、エドにも沖縄の抱える闇の部分がわかるようになってきたのである。

胸をうつ物語ではあるのだが、残念だったのは、精神科医が主人公であるからには、当然、米軍兵士の心の傷にも言及があるだろうと思っていたのだが、ほとんど出てこなかったことだ。
だが、そのことに触れようとすると、きっと佐藤優が言ったように、この物語は破綻してしまうのかもしれない。
そこまで描ききれるような作家はいないのだろうか。
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何年ぶりかの風邪? [日々の出来事うっぷんばなし]

先週あたりから、体がだるくてしようがなくなった。
いろいろな仕事を抱えて、なんとかこなしてはいるのだけれど、余裕がなくなっている。
昨年末には血圧が低くなり、降圧剤を減らしてもらったのだが、
年が明けたら、血圧が急上昇。
また、元に戻してもらった。
それでも下がらないようだ(いちいち測らないけど、体感でわかる)。
あちこち出張している疲れがたまっている?

複数の学会の役員を引き受けているのも、けっこうなストレス。
せっかく大学を退職して、めんどうな会議から解放されたのに、
学会の理事会などに出席するたびに、血圧が上がるのがわかる。

一昨日の夜あたりから、喉が痛くなり、今朝起きると、なんとなく熱っぽい。
熱を出すなんて、何年ぶりだろう。
以前、めまいで入院した時は、ものすごくストレスフルな会議の後だった。
先週末の会議が、体調不良の引き金になったのは確実。
なんてわかりやすい。

ただ、どこにもでかけずに、家でダラダラしていられるのは、自営業ならではのありがたみ。

でも、テレビではひとしきりトランプの話題でもちきりだったが、今は金正男の暗殺事件を長々とやっていて、見る気もしない。その前は、韓国大統領とその親友とかのスキャンダルだったな。
もっと日本で大事なことがあるだろうにと、苦々しい思い。
ストレスになるので、結局テレビも消してしまう。

今週末の土曜(もう日付からすると明日だ)には講演を頼まれているし、来週末は北九州へ。
こじらせないようにしなければ。




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知らないことがあるもんだ。 [こんなことあんなこと]

2月の10日(金)から12日(日)の3日間、びわ湖大津プリンスホテルで「アメニティフォーラム21」というイベントが開催された。

私は10日の午後に「感情労働」について話してほしいと呼ばれて行ったのだが、
その前に送られてきたプログラムを見て、その豪華さ、多彩さにびっくりしてしまった。
そして行ってみてびっくり。
大津プリンスホテルを全館借り切ってのイベントなのだ。
単なる学会の規模を超えている。

オープニングの後には、エマニュエル・トッドの「人口減少の日本社会・新しい価値を何処に求めるのか」という講演があり、(当日、トッド氏は体調不良で来日できず、ビデオでの出演だった)。
その後には「今、あらためて共生社会を」というテーマでのプログラムと「障害者のリアル×東大生のリアル」というテーマで福島智氏の講演が続く。

これだけでも、豪華すぎるラインアップである。
その後、私の講演と並行して、高次脳機能障害の夫との生活を語る人の話や生活に苦しくて罪を犯した障害者の話などが行われていた。
最後の日には、六車由美さんも登壇して、介護するからだ、耳を澄ます介護というテーマでの鼎談がおこなわれていた。
ほかにもピアサポートや障害者福祉に関するさまざまなプログラムが立て続けにあり、なんと終了時間が初日は、25時15分、2日目は25時30分などとなっている。
実際には、朝の2時、3時までも議論していたところもあったらしい。

おまけに、ボーダレス・アートミュージアムNOMAのある滋賀県らしく、アール・ブリュットの展示とシンポジウムのようなものもあり、北山修氏が登壇していた。

さらに、白井貴子「北山修/きたやまおさむ」を歌うという、きたやまおさむのレクチャー付きセッションもあったほか、内外の映画を多数上映する、映画祭のようなプログラムもあった。

私は、小室等の「ほほえむちから」というコンサートセッションに行ってみた。
若い女性がヴォーカルとウクレレを担当していて、それが彼の娘さんのこむろゆいさんだと初めて知った。
さすが小室さんの娘さん、美しく力強い声である。
父も年齢の衰えを感じさせない声量で、うれしくなった。
キーボードやアコーディオンを担当する女性も素晴らしかったが、長いこと一緒に演奏旅行をしているらしい。
チェルノブイリの原発事故の後、一緒にバスをチャーターして、被災した村の人々の慰問に行ったという話をしていた。
原発のそばまで、防護服を着て放射線の計測器をもって近づいたそうだ。
そこで創った歌も披露してくれたが、行く先々で現地の人とも歌ったのだそうだ。
でも、3.11が起こって、それでもまだ、自分にとっては他人事だったのだと気付いたと語っていた。

昔から小室等さんが千葉の外房にある一宮学園という児童養護施設にかかわっていることを、一緒に働いていたワーカーから聞いて知っていたが、このような社会的活動をずっと続けていたとは、全く知らなかった。頭が下がる思いだった。

知らないといえば、このフォーラムである。
なぜ、こんなそうそうたるメンバーを集めた豪華なイベントが滋賀で行われているのか。
実は今年でなんと21回目なのだという。
イベントの豪華さにどういう会なのかという性質が見えなくなるのだが、
中心となって運営しているのは、全国地域生活支援ネットワークという障害者福祉に携わっている人々の組織で、公益財団法人糸賀一雄記念財団というところが主催しているらしい。

糸賀一雄という人は、京都帝国大学哲学科を卒業後、滋賀県庁に勤め、要職を歴任していた人で、戦災孤児や障害をもつ子どもたちのために力を尽くし、現代福祉の父と称される人なのだそうだ。
彼は子供の養護施設である近江学園を創設し、そこでともに暮らした。
彼は、「この子らを世の光に」という有名な言葉を残して、58歳の若さで世を去った。
だが、その思想は滋賀県に根付き、それがこの大きなイベントに結実しているのである。
初日のパーティーには、海外からの招待客に交じって滋賀県や他県の知事はじめ、国会議員やら県会議員などがいっぱい参加し挨拶していた。
福祉関連の会とは思えない(?)、エネルギーに満ちた雰囲気だった。

若いワーカーが大勢参加していたが、感情労働という言葉は初めて聞くという人が多く、関心をもたれたようだ。
やはり、長く福祉職をやっている人々は、休みも返上して献身的に利用者さんに尽くすことが当たり前と考えている人が多いようで、私は間違っていたのでしょうかと話しかけられたりした。
時あたかも、相模原のやまゆり園の事件や、生活保護にまつわるジャンパー事件などが起きていただけに、よいタイミングではあったようだ。

私にとっても、かなりのカルチャーショックを受けたイベントであった。

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告別式

学会での仲間だった人が63歳という若さで亡くなった。
すい臓がんで9か月の闘病生活の末、最期は家族のもとで亡くなったそうだ。

式はまったく宗教色のないもので、学生時代からの親友という方がお二人、弔辞を読んだ。
最初の方は、家族ぐるみで毎年旅行するなどの本当に親しい友人だったそうだ。
弔辞を読む言葉にも唯一無二の友人を失った痛切な思いがあふれていて、心を打った。
男性同士の友情ってそういうものなのかと思った。

二番目の方も、やはり一番の親友だと述べた。
うん?2人がそれぞれ親友だというけれど、この2人の関係はどうなっているのだろうと、
最初、戸惑ってしまった。そんなこと考えるのは心根が悪すぎる?
それでも、徐々にこの方の弔辞を聞いていると、こちらにも感情移入してしまい、
涙が出そうになった。

やがて、その方が大きな声で故人の名前を呼び、「ありがとう!」と叫ぶと、
参列席からも、一人、二人、三人と、「ありがとう!」という男性の大声が響いた。
そういう演出か?とも思ったが、故人はサイコドラマティストだったから、
自発的なものなのだろう。たぶん。
最後に、車で出棺の際にも、半円形に囲んだ参列者から、大きな声が飛んだ。

弔辞を読んだ人は、故人を悪く言う人は一人もいないと語っていたが、
亡くなる数日前まで、奥様が廊下で待機して、大学で研究ゼミをやったのだそうだ。
そして、いい学生たちだろう?と奥様に言ったそうだ。
なんだか、良い人ほど早く亡くなるという思いがますます強まった。
奥様は気丈にふるまっておられ、参列者へは奥様からのお手紙も配られたが、
心情あふれるしっかりした文面だった。
亡くなって1週間以上経ってからの告別式となったので、
そういうことも可能だったのだろう。
でも、それもなんだか悲しいように思った。

最初、式場に入ったとき、故人そっくりの人がいて、びっくりした。
双子の弟さんだった。
双子の片割れが亡くなるのは、どんな気持ちなのだろう。
ほかの人も、弟さんを見るたびに、亡くなった人を思うのではないだろうか。

それに、お母さまがいらしたのは、お気の毒だった。
故人のサイコドラマの師にあたる方もいらしていて、こちらも気落ちされたような表情で、心が痛んだ。
読経や祈りの言葉がなく、人の肉声で送られるお葬式は、とても心を揺さぶられるものだった。
バックには、おそらく故人が好きだったジャズの名曲がごく静かに流れていた。

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江戸時代の市井の人々ー阿蘭陀西鶴 [本のはなし]

朝起きぬけにクシャミがでて、水っぽい鼻水がでてきた。
いよいよ花粉症の季節かと思い、アレルギーの薬を飲んだら、
眠いのなんのって。
夜飲むべき薬だったのね。
仕事もできず、たまらずトロトロと居眠りして1日を過ごしてしまった。

さて、ひさびさに本の紹介。
朝井まかて著『阿蘭陀西鶴(おらんださいかく)』(講談社文庫)

江戸前期の作家井原西鶴とその娘、おあいの物語。
井原西鶴は『好色一代男』や『世間胸算用』などの浮世草子の作者として有名だけれど、
もともとは大阪の談林派という俳壇の俳諧師だったのね。
出世欲が強く、一晩で読む俳諧の数を競う矢数俳諧の興行を打って世間を騒がすような人。
その派手さで、阿蘭陀西鶴と揶揄されたのを逆手にとって、自らそう名乗っている。

しかし、俳諧でいくら有名になったとしても本の売り上げだけでは食べていけない。
そんな父を支えるのが、盲目の娘おあいである。
この本のタイトルは『阿蘭陀西鶴』ではあるが、物語はこのおあいの目からみた(耳で聞き、感じた)父とその世界の物語である。

子供の頃から母に、裁縫や料理など家のことをすべて優しく叩き込まれたおあい。
母が病没したあと、2人の弟たちは他家に養子にやられ、
家ではおあいだけが残った。
母の薫陶のおかげで、おあいは家の中では目が見えないとは思えないほど自由に動き回れ、
人がびっくりするほど上手に料理をする。
父は自宅に人を集めるのが好きで、そのたびに娘自慢をする。
それがおあいとしては嫌でたまらない。

そんなおあいから見た父西鶴は、かえるのような声をだす、下品でどうしようもなく手前勝手な男である。
見栄っ張りで、ええ格好しいの父が、いつも盲の娘のことを心配しているようなことを言うのは、世間の同情を買うためだと、おあいは思う。
父が家のことをかえりみないせいで、母も若くして死に、弟たちとも別れ別れになってしまったと思うのだ。

江戸では松尾芭蕉が新しい俳諧師として台頭してきたのに、対抗心をもやしている。
次々と読む俳諧の矢数を競う俳諧師も増えてきた。
追い詰められた父が俳壇からのそしりもかえりみず、打って出たのが浮世草子の執筆である。
日頃人付き合いがよく、いろいろな人の話を耳にしていたのを脚色して物語にしたのだ。

西鶴は俳諧も物語も、書くときには声を出して読む。
それを聞きながら育ったおあいは、父の苦しみも焦りも、そして得意げな様子もすべて聞き取っていた。
おあいはやがて、父の真意を知ることになる。
ここでちょっと泣けた。

こうした西鶴とおあいの父娘の物語を縦糸として、さらにそのまわりに生きるさまざまな人々の物語が横糸となり、さらに江戸幕府から下される倹約令が庶民の生活におよぼす影響などの背景が描きこまれて、物語に奥行きを与えている。

これまで井原西鶴という人物とその作品については、歴史で習ってきた程度で、実際に読んだことはなかったし、まして歴史の流れの中で捉えてこともなかった。
この物語の中には、芭蕉のほかに近松門左衛門なども登場し、歌舞伎の世界もかいまみられ、ああそういうことだったのだと、学校で習った歴史がようやく動き出す感じがした。
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ネットでの「問い合わせ」の回答に丁寧語は必要か [日々の出来事うっぷんばなし]

このところ、遠出することが多くなり、ただでさえスケジュール管理の苦手は私は、毎日ミスがないか、ドキドキしながら過ごしている。

たまたま、JR東日本のたびねっとのサイトを見ていて、よくある質問のページに、次のような質問を見つけた。

「指定席を申込んだ列車に乗り遅れてしまいました。

これは、参考になりそう。
その答えは、次のようなものだった。

「列車の出発時刻を過ぎた場合は、お受取り前、お受取り後にかかわらず変更や払戻しはできません。」

やっぱりね。
でも、但し書きがあった。

「ただし、お申込みいただいた列車が出発後であっても、当日のお受取り可能な時間内であれば、お申込みいただいた指定券のお受取りは可能です。
お受取りいただいたきっぷについては、当日の「普通車自由席」を、全車指定席の列車(はやぶさ、はやて、こまち、かがやき)については、当日の立席をご利用いただけます。成田エクスプレスについては当日の空席をご利用いただけます。
※「えきねっとトクだ値」については、指定列車以外は、ご利用になれません。なお、乗車券部分のみご乗車日の当日に限り有効です。
※乗り遅れたきっぷが「はやぶさ・こまち以外」の場合は、後続のはやぶさ・こまちの立席はご利用いただけません。


※ ご乗車日当日23:00までにお受取りいただかなかった場合、指定券については購入予定代金を、「トクだ値」については発売価格の全額を、登録クレジットカードに1回払いで全額ご請求させていただきますので、お受取り忘れにご注意ください。

※ 自由席券については、お受取りいただかなかった場合でもご請求はございません。」

どうやら、切符さえ持っていれば、後続の列車に乗ることは可能なようだ。
これは参考になる。

それにしても、この回答文、わかりにくくない?
やたら「いただく」やら「ございます」を使っているので、スッと頭に入ってこない。
こんな丁寧語、必要ないじゃない?
中身を正確に伝える方が重要なんだから。

それで、丁寧語を取りのぞいてみた。

「ただし、申込んだ列車が出発後であっても、当日の受取り可能な時間内であれば、申込んだ指定券の受取りは可能です。
受取ったきっぷについては、当日の「普通車自由席」を、全車指定席の列車(はやぶさ、はやて、こまち、かがやき)については、当日の立席を利用できます。成田エクスプレスについては当日の空席を利用できます。
※「えきねっとトクだ値」については、指定列車以外は、利用できません。なお、乗車券部分のみ乗車日の当日に限り有効です。
※乗り遅れたきっぷが「はやぶさ・こまち以外」の場合は、後続のはやぶさ・こまちの立席は利用できません。


※ 乗車日当日23:00までに受取られなかった場合、指定券については購入予定代金を、「トクだ値」については発売価格の全額を、登録クレジットカードに1回払いで全額請求いたしますので、受取り忘れにご注意ください。

※ 自由席券については、お受取りにならなかった場合でも請求はいたしません。」

これで十分じゃない?

それにしても、最近の「させていただく」「ございます」の乱用は目に余る。

会議でも、「・・・です」といえばいいものを、わざわざ「・・・でございます」という。

「示してあります」→ 「示してございます」
「行いました」→ 「行ってございます」
「聞きました」→ 「聞いてございます」

侍じゃないんだから、「ござる、ござる」と連発するのはおかしい。
そんな堅苦しい言葉遣いをする場で、率直な意見なんて出にくいよね。


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感情労働がついに4コマ漫画に [こんなことあんなこと]

今日の朝日新聞の夕刊の4コマ漫画「感情労働」が登場!!

「地球防衛家のヒトビト」というしりあがり寿さんの漫画。
この漫画、ただでさえ漫画が苦手な私としては、絵が面白くないし、
字は読みにくいし、でお気に入りというわけではないのだけれど、
長く連載されているところを見ると、けっこう人気があるのかな。

この回も、4コマ目のオチがごちゃごちゃしていて、よくわからない。

地球防衛家のヒトビト20170118.jpg
やりとりを書き起こすと、このようなストーリ。

①茶の間で父が新聞を読んでいる。
父「お客さんの前でキモチをおさえる感情労働って大変なんだなー」
母「感情コントロール料をとればいいんじゃないか?」

②感情コントロール料の高い店
蝶ネクタイのウェイター「おまたせしました」

③感情コントロール料の安い店
むすっとした女店員(ドン とどんぶりを置く)

④逆に感情コントロール料をもらえる店
鼻毛ぼうぼう、舌をベロベロだし、ブーっとおならをする(?)コック
「てめーなんかにオレの料理がわかるかー」
「オシリ ペンペン」と自分のおしりを叩く。
ひいてしまった父 ← お客さんのほうがおさえてる

最後のコマはともかく、
高級レストランの料理が高いのは、もともと高い感情労働の料金が含まれているから。
そのおかげで、お客さんは胃袋を満腹させるだけでなく、
丁重にもてなされたという満足感を得ることができる。

安い食堂の料理には、安い感情労働の料金。
あまり気を使わないってことね。
でも、お客さんも気楽に食事ができる。
愛想は悪いが、味で勝負っていう店もあるかも。

感情労働も、ようやく一般の人々の口の端にのぼるようになったのかしらね。
記念すべき日かも。

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『ラニーニャ』を読んで知ったこと [本のはなし]

私にとっての伊藤比呂美さんは、詩人というよりも『良いおっぱい、悪いおっぱい』や『おなか、ほっぺおしり』といったいわゆる育児エッセイの著者という印象が強い。

最近では、年齢とともにケアの対象が子供から犬(『犬心』)や父(『父の生きる』)などに変わってきたが、そうした密着した人間関係の生々しい実体験を言葉にしてきたという点では、ユニークな文学者だと思う。

また、『とげ抜き新巣鴨地蔵縁起』では、詩ともエッセイともつかぬ、説教節と詩が融合したような独特の流れのある文体で、父や母の介護に奮闘する体験を描いていたのも、とても面白かった。

今年、岩波現代文庫に入った『ラニーニャ』は、1999年に「野間文芸新人賞」を受賞した作品なので、育児エッセイ以後、『とげ抜き』以前の期間に書かれたものということになる。
詩でもエッセイでもなく、小説。

あとがきを読むと、1997年に夫と別れて子連れでアメリカのカリフォルニアに引っ越したために、お金を稼がなくちゃということで、小説を書くことにしたのだそうだ。

この文庫に収録されているのは、『ハウス・プラント』と『ラニーニャ』と『スリー・りろ・ジャパニーズ』の3作品。
私は、この時期の伊藤比呂美さんの作品をほとんど読んでいなかったので、
この文庫を読みだしたときには、てっきり育児エッセイの続きのように思っていた。
子連れでカリフォルニアにきて、外国人の夫と暮らしているというシチュエーションが、本人のものとそっくりだったので。
ただ、『ハウス・プラント』では「子ども」としか呼ばれない子どもが一人だけだし、『ラニーニャ』では、カノコちゃんではなくあい子ちゃんだし、サラコちゃんではなくグミちゃんだし。
で、これはエッセイじゃないんだと途中で認識した次第。

でも、性や生理にかかわる生々しい言葉はやはり伊藤比呂美だし、『とげ抜き』につながる、説教節的な文体はここにも見られる。
ただ、お金が必要だからと書いたからなのか、なんだか読んでいても苦しくなるような世界だ。
とくに子どもの神経症的な反応が描かれていると、気持ちが落ち込む。
なにせ生まれたころから知ってるからね。
単なる読者なんだけど、ともだちの子みたいな感じがあって。


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