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意外な作家の闘病記 [本のはなし]

このところ、身の回りに予期せぬ出来事が相次ぎ、とくにこの1週間はあたふたしているうちに時間が過ぎてしまった。
朝も6時台に目が覚めて、なんだかボーっとしている。
しばらくはまだ落ち着かない日々が続きそうだ。

  ☆ ☆ ☆

先月小倉に行ったときに知った郷土の作家たちの作品を一人ずつ読んでいるところで、今日紹介するのは、加納朋子さんの『無菌病棟より愛をこめて』(文春文庫)。
『ななつのこ』や『七人の敵がいる』など、好きな作家のひとりである。

『無菌病棟』は、その加納さんが、なんと『七人の敵がいる』を書いた直後に急性白血病を発症した、その闘病記なのである。
そんな大変な体験をしていたなんて全く知らなかったので、書店でこの本を見つけたときはびっくりしてしまった。

この本で、夫も同業者だとあって、調べてみたらなんと、推理作家の貫井徳郎だった。これまたびっくり。
売れっ子作家同士で結婚して子どもまでいて、二人ともたくさんの作品を次々に発表しているなんて、すごい。
そこに急性白血病だなんて。しかも、厄介なタイプのものだったらしい。

だが、なにしろ、作家である。
たとえ重篤な病気であっても、興味津々、しっかり観察し、情報を集め、書いてやろうと意気盛んである。ちゃっかりと主治医に将来の取材の約束まで取り付けている。
それだけではない。患者としてうろたえる姿も、放射線治療や化学療法の苦痛にあえぐ場面も、リアルにとらえて描写している。
(巻末に、彼女に骨髄移植をした弟の詳細な体験レポートも載っている。)

それは、作家としての性というだけではない。自分の体験を伝えることで、同じような苦しみや恐怖を体験している人の助けになればという気持ちなのだ。
彼女自身、無菌病棟に入院して出会った患者同士のコミュニケーションにたいへん助けられた経験があるからだ。
実際、私の身近にも癌と告知され、これから入院・手術を待っている人がいるので、事細かに入院に必要な物品、不要な物品などを書いてくれているのはありがたいことだった。

その一方で、かつて40歳そこそこで急性白血病で逝った友人のことを思い出し、ああ、こんなことを知っていればやってあげたのに、なんで何もしてやらなかったんだろうと、後悔の念も湧いた。

加納さんは、もともとポジティブ志向の人なのだろう。苦しい治療に耐える(病気に耐えるのではなく、というのが、こうした悪性新生物の厄介なところだ)ために、入院中も歩いたり、階段昇降や腕立て伏せを繰り返したりして体力を維持しようとする。
また、体力と体重を維持するために、治療の副作用で味覚異常が起きて食欲がなくても、吐いても食べられそうな食品を探しては無理にも食べようとしたり、呆れられるほどの頑張りようなのだ。
彼女は、そうした頑張りのおかげで、回復したと信じているのだが、読者(たぶん患者の家族だろう)から、頑張っても駄目だった人もいる、そういう人は頑張りが足りなかったというふうにとれる書き方はひどいとお叱りの手紙をもらったそうだ。

それにしても、治療の過酷さはすさまじい。癌細胞をやっつけるために、致死量の薬を投与されるなんて、想像を絶する。

彼女の場合、骨髄のすべてが完璧にマッチし、さらに若く体格もよい弟からの骨髄移植が可能であったという幸運もあった。
夫や義母、父や姉妹の熱心な協力も万全であった。
さらに言えば、高額な治療費や部屋代を払える経済力もあった。これは夫が貫井徳郎と知れば、そのくらいは出せるだろうなと納得するが、知らなかったときは、どうするんだろうと他人事ながら心配になった。それくらいかかるのだ。

さらに治療が功を奏して寛解状態になったとはいえ、100%健康になったとはいえないようである。

この本を読んだおかげで、たまたま郵便局の人が勧誘に来たので、さっそくがん保険に入った。女性特約付き。
我ながら、影響されやすい・・・。

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あきない世傳 金と銀 波乱万丈の奔流編 [本のはなし]

ある雑誌の星占いにこんなことが書いてあった。ちなみに星座は山羊座。

 現在、あなたの人生で何かが停滞しています。完成直前だったあなたの「巣」が、作りかけのまま放置されているか、度重なる嵐のダメージによって、見るも無残な状態になっているのかも−−? 

 ドッキリである。たしかに停滞感はある。オフィスを開設して2年経つが、自宅でパソコンに向かって仕事していることのほうが多く、活用されているとはたしかに言い難いし…。
続いてこんなことが・・・

 4/8~4/14の間は、あなたの住まいや家族関係、専門分野について、大きな動きがあるでしょう。・・・5/19頃、そろそろ覚悟を決めなければならないようですよ! だって。

 なんの覚悟だろう…。

 で、今日のおすすめブックは、停滞することのない、女の物語。
 おなじみ、高田郁の『あきない世傳 金と銀』の第3巻「奔流編」が出た。

 幼くして父と兄を失った幸は、実家を遠く離れ、女衆として大坂天満の呉服商「五鈴屋」に入る。やがてその聡明さを買われて、父が嫌った商人の嫁となる。店主、四代目徳兵衛の後添いになったのである。だが、夫は不慮の事故であっけなく死亡、17歳にして寡婦となってしまう。
ところが、四代目の弟、惣次が幸を娶ることを条件に五代目徳兵衛を継ぐと宣言する…。これが前巻までのあらすじ。
 無能な四代目とは異なり、惣次は商売には熱心ではあるものの、雇い人の扱いが酷く、人間的な面で受け入れ難いところがあるのだ。
 だが、幸の脳裏にかつての五鈴屋の番頭、治兵衛の、「今は、商い戦国時代」「お前はんは戦国武将になれる器だすのや」という言葉が蘇る。商いの戦国武将になってやろうと決心する幸。

惣次は言う。「私には商いしか生きる道はない、と思うてる。商いでは誰にも負けとうはない。そのためには今のままではあかんのだす」「あんたを嫁にしたら、もっと強うなれるやろ」

一緒になってからは、惣次は幸を慈しみ、一層、商いに励むようになる。やがて江戸に店をだすという計画を明かす惣次。そのためには資金を蓄えなければならない。
惣次は母の反対にも耳を貸さず、取り立てのやり方を変え、番頭から丁稚まで一人一人に売上のノルマを科す。皆が言われたことをやるのではなく、自分の頭を使って売上を伸ばす工夫をしろというのである。
 その一方で、生糸の産地として名高い近江に目をつけ、絹織の生産を勧めるべく、みずから近江に出向いていく。

ところで、最近、朝日新聞に滋賀県長浜で相撲のまわしが織られているという記事が載っていた。この強い絹織物こそ、この物語に出てくる絹織なのだ。
 
 幸は、自分なりに店に貢献できることはないかと考え、新しい宣伝の方法を次々と考え出す。それは人気を呼び、五鈴屋は広くその名を知られるようになる。一方で、それが自分の手柄ではなく、惣次のおかげと振舞う幸。惣次は自分が幸を守る。幸は自分の影に隠れていれば良いと考えていることを知っているからだ。商いの戦国武将となると決意した幸と惣次との間に広がっていく間隙。

 それは、惣次が近江の村との商いの中でとった信義にもとるやり方が明るみに出たときに、決定的なものとなる。幸に手を挙げる惣次。どうなる幸…。

 相変わらず、波乱万丈の物語は続いていく…。

 たしかに幸の生活と比べれば、私の生活は停滞していると言わざるを得ない。ふ〜む。5/19までに何か考えなければいけないか。

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刑務所サービス? [本のはなし]

先日の福祉関係者の集まりで、福祉をサービスと呼ぶのは抵抗があると語った人がいた。

たしかに「サービス」というと、何かおまけでつけてくれるもの、というイメージがあり、「サービス品」というのは安く特別に提供しているもの、したがって安物という感じがある。

医療サービス、福祉サービスといった言葉を初めて耳にしたときは、たしかに違和感があったが、その後「患者様」などというヘンテコな呼称がまかり通るようになって、ますます医療はサービス業なのだという意識が定着したように思う。

しかし、オブホルツァ―他著『組織のストレスとコンサルテーション―対人援助サービスと職場の無意識』(金剛出版)という本を翻訳した時、「警察サービス」とか「刑務所サービス」という用語を見て、そこまでサービスと言うのかと、さすがに驚いた。

もともと英語では、人が行う人相手の仕事はすべて、「ヒューマンサービス」という。
辞書でサービスserviceを引くと、「公益事業」「官公庁業務」その「部局」などが最初にあがっている。
ほかにも「兵役」とか「軍」を指して、サービスという。
もちろん、いわゆる教会での「ミサ」、「集会礼拝」などもサービスだ。
「奉仕」という意味もある。
ちなみに「サービス品」を、日本では「奉仕品」とも言ってたっけ。
テニスやバレーボールの「サーブ」も同じだ。
そのほか、辞書にはサービスの多様な意味が山のように出てくる。

ところで。
今日紹介する本は、アン・ウォームズリー著『プリズン・ブック・クラブ』(紀伊国屋書店)。
著者はジャーナリストで、副題に「コリンズ・ベイ刑務所読書会の一年」とあるように、彼女が211年から2012年にかけて、カナダの2か所の刑務所でボランティアとして受刑者の読書会に参加した経験をつづった本である。

刑務所で読書会?
私も一瞬、驚いた。

だが、私にもかつて働いていた精神科病院で、古く病舎としては使われなくなった木造建物の一室を患者さんたちと一緒に改造し、机を椅子やソファを並べて、図書室を作った経験がある。
古本屋から安く本を購入したり寄付を集めたりして、図書館分類に従って本棚に並べ、貸し出しも行った。図書館係は患者のボランティアだった。

その図書室で、全病棟の患者さんたちに声をかけ、週1回グループ(フリートークの集まり)を行っていたのだが、実際に本を読んで感想や意見を言い合うという会ではなかった。
はっきり言おう。患者さんたちが本を読むことはあまり期待していなかったのだ。
病気や抗精神病薬のせいで、集中力が低下したり、眠気が強かったりするので無理だろうと思っていたところがある。実際、同じ本を読むには、それだけの冊数を揃えなければならないが、そんな予算もなかった。

また、患者さんの中には、元東大生という人たちも複数いたし、大学教授もいた。
その一方で、中学すらも卒業できなかったという人や、知的障害で施設育ちというような人もいたので、みんなで本を読もうという発想がなかったのだ。
本が好きで読みたい人や、病棟を離れて静かな場所で時間を過ごしたい人が利用できて、中には受験勉強中という患者さんもいたので、勉強に集中できるところがあってもいいと思っていたのである。

だが、本を読むという図書館本来の発想が希薄だったことを、この本を読んで痛切な後悔とともに認識したのである。

そもそも欧米の文化では「読書会book club」というのは人々の生活に古くから根付いているようで、いろいろな物語にも出てくる。重要なコミュニティ活動なのである。

この本に出てくるキャロルは、カナダのオンタリオ州で「刑務所読書会支援の会」を立ち上げ、ボランティアで刑務所での定期的な読書会活動を精力的に行っている女性である。
オンタリオ州と言えば、私も何年か前に行ってしばらく滞在したトロントが首都。
今は、羽生結弦選手の練習拠点として有名である。

著者のアンはトロントで女性の読書会を行っていたが、その参加者の一人キャロルに刑務所の読書会で読む図書の選定に力を貸してもらえないかと誘われ、ついでに参加することを勧められたのである。
しかし、彼女にはかつてロンドンに住んでいたころ、自宅脇の薄暗い路地で強盗に襲われ、危うく命を落としかけたというトラウマがあり、長らくPTSDに悩まされてもいた。
即座に「絶対に無理」という声が彼女の中で大きく響いた。
だが、オンタリオ州裁判所の判事だった父の「人の善を信じれば、相手は必ず応えてくれるものだよ」という父の言葉がよみがえり、ジャーナリストとしての好奇心が不安を少しばかり上回ったのである。

ここでカナダの制度を説明しておこう。
カナダの連邦刑務所では重装備から軽装備まで、刑務所ごとに警備レベルが定められており、受刑者の更生の具合を見て、収容先が変わる。
罰のための、あるいは収容のための施設ではなく、まさに矯正のための施設なのである。
だからこそ、読書会といったボランティア活動を受け入れるのだろう。
実際の作家を読書会に呼んだりもしている。
日本なら、慰問で訪れている芸能人などの話は聞いたことがあるが、発想が違うのだ。
カナダらしく、アボリジニ(原住民)を対象としたプログラムなどもあり、ハーブを燃やして邪気を払う伝統的な儀式も行われているという。

キャロルは、アンのPTSDからの回復にも、刑務所での読書会が役立つのではないかと誘った。
一方、アンは、当時、娘の拒食症が重症化し、介護のためにライターとして勤めていた投資顧問会社をクビになっていた。おまけにアルツハイマー病を患う実母の介護にも手がかかるようになっていた。その気分転換にもなると思われた。
彼女は、刑務所での図書選定委員として読書会に参加すると同時に、その体験を本にまとめることにしたのである。

厳重な身元調査を経て、初めて刑務所を訪れたアンだが、やはり恐怖は付きまとった。
体中にタトゥーのある男たちが18人ほど集まって読書会を開く場所は、本館から80メートルは離れた、看守のいない別館だった(その後、移動するが)。
頼りになるのは、教誨師(受刑者の改悛を助け、精神的安定に導く宗教者)が身に着けている小型の警報機だけ。
やがて、回を重ね、受刑者たちをよく知るようになるにつれ、徐々に恐怖感は払しょくされていく。それでも1対1で面接する際には、やはり緊張が走ったが。

ところで、この本は、読書会で読まれた本ごとに章だてされているのだが、その中には『怒りの葡萄』といったクラシックや、『夜中に犬に起こった奇妙な事件』など、比較的最近の私も読んだことのある本もあった。
だが、『ガーンジー島の読書会』『サラエボのチェリスト』『もう、服従しない』『ポーラ―ドアを開けた女』『ユダヤ人を救った動物園』『またの名をグレイス』など、けっこう社会的な問題がテーマの本が多いことに驚く。
本を購入するための資金を募り、みんなが読んで集まるのだ。
もちろん、おやつに出るクッキー目当てに参加する不埒者もいる。
そうした参加者をどうするかも、受刑者を含めて考えるのだ。

参加者たちは、カナダ生まれジャマイカ育ち、イタリア生まれなど、出自もさまざまだが、みな薬物がらみの犯罪や故殺、連続銀行強盗などの結構な重罪人である。
こうした受刑者が月1回とはいえ、上のような本を読みこなせるのかと思ってしまうのは、やはり偏見があるのだろう。
だが、大学の学生でも無理ではないかと思うのだ。
なにしろ、読み込み方がすばらしく、自分なりの意見をそれぞれが主張しあうのだから。
たとえ、刑務所内では何も楽しみがなく、お互いに自分の犯罪自慢ばかりしあうよりは、本を読んでいる方がいいという意見はもっともだと思うにしても。
どの本も読んでみたくなる。
それにしても、カナダの犯罪者は知的レベルが高いのか?

もちろん、全員が成功したというわけではない。
ほとんどが薬物がらみなので、刑務所に逆戻りしてしまった人もいる。
でも、リハビリテーションや矯正プログラムなどというと、無意識のうちに対象者を一段低い能力の人とみなしてしまう傾向がどこかにあるのだろう。
その後、刑務所での読書会が受刑者の更生に効果があるとわかり、
オンタリオ州全域、さらにはカナダの多くの州で取り入れられるようになったという。
「彼らが夢中になっているのは、もはや麻薬ではなく、書物なのだ」
でも、カナダでだって、この試みが評価されるようになったのは最近のことなのだ。
やはり、刑務所=懲罰・隔離の場という観念を崩さなければ。

精神科病院での図書室グループも、実際に本を読んでみたらどうだったんだろう。

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沖縄・戦争・ものがたり [本のはなし]

今沖縄で、辺野古のヘリパッド建設をめぐって反対する住民の抵抗運動が行われているが、
折も折、原田マハ著『太陽の棘』(文春文庫)を読んだ。

舞台は、太平洋戦争終結まもない琉球。
物語の語り手は、沖縄に駐留する米軍軍医(琉球米軍医療局士官)で、今はサンフランシスコで開業している精神科医エドワード・ウィルソン(通称エド)。
医師になりたての頃、彼は赴任した沖縄で偶然に画家たちと出会う。

この本の解説を書いた佐藤優は、「日本人が沖縄を題材とした作品を書くと、たいていが破綻してしまう」という。
確かに沖縄を描くとすれば戦争の問題は避けて通れないだろうし、太平洋戦争、なかでも沖縄戦を直接体験したことのない作家が、それを描けるのかという疑問はかならず付いて回るだろう。
沖縄人と日本(本土)人の問題も微妙に響いてくる。

佐藤は、この本がその問題をうまくクリアできた1つの要因は、主人公を若い琉球占領軍の軍医としたことだと述べている。
確かに、戦争終結後赴任した医師になりたての若い軍医、しかも精神科医という、医師のなかでもおそらく辺境の存在を設定したことで、占領軍対住民の対立の構図はあまり際立たずに済んでいる。
また、もう一方の画家たちも、戦争中は大日本帝国海軍航空本部に所属する従軍画家として戦地を転々とし、沖縄戦には居合わせなかった。
彼らは戦後、森の奥深くに仲間たちとともにニシムイ美術村という集落を作り、米軍の将校相手に細々と作品を売って生活していた。
エドたちは、休暇でドライブを楽しんでいた際に、偶然その集落を見つけたのである。

沖縄住民は占領軍の米兵を恐怖の目でみていたが、
画家たちの顔には恐れはまったくなく、光に満ちていた。
ゴーギャンのごとく、ゴッホのごとく、誇り高き画家たち、太陽の、息子たち。
彼らの描く絵画もまた、光とエネルギーに満ち溢れた、ユニークなものであった。

そのなかの一人、タイラは、若い頃にサンフランシスコの美術学校に2年間留学していたという。
かつては画家を目指していたエドにとって、そこは憧れの学校でもあった。
タイラはそこで出会った日系2世のメグミと結婚して帰国、東京美術学校に入るが、そこで沖縄出身者として差別される体験をする。
そのまま、従軍画家として南洋諸島に派遣され、戦争画を描いていたタイラは、日本の敗戦後沖縄に戻り、絵画で故郷の復興を目指すことにしたというのである。
終戦後まもなくは、米国軍政府も美術や音楽や踊りといった芸術文化が沖縄の復興の妙薬となると考え、政府内に文化部芸術科をつくり、芸術家たちを生活を含めて支援していたという。
だが、政策の転換で文化部が廃止され、自立を余儀なくされてしまい、タイラたちはこの芸術村を作ったのであった。

エドたちと芸術村の画家たちの交流がこうして始まった。
一方、沖縄では軍の兵士たちの「悪さ」の数々が問題にもなっていた。

集落のはずれに、一人の風変わりな男が住んでいた。
昼間から酒を飲んでいるというその男、ヒガの住む小屋に入ったエドたちは、
そこに不気味な絵を発見する。
どこまでも明るいタイラらの絵画と対照的に、暗闇の中に白い顔がいくつも浮かび上がっている不気味な絵。
思わず、「どうしてこんな暗い絵を描くんだ。明るい絵じゃないと誰も欲しがらないよ」と言ってしまうエド。
突然、怒り出すタイラ。「アメリカーなんて、さっさと、本国へ帰っちまえ」というその目には涙があふれていた。

このことをきっかけに、エドにも沖縄の抱える闇の部分がわかるようになってきたのである。

胸をうつ物語ではあるのだが、残念だったのは、精神科医が主人公であるからには、当然、米軍兵士の心の傷にも言及があるだろうと思っていたのだが、ほとんど出てこなかったことだ。
だが、そのことに触れようとすると、きっと佐藤優が言ったように、この物語は破綻してしまうのかもしれない。
そこまで描ききれるような作家はいないのだろうか。
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江戸時代の市井の人々ー阿蘭陀西鶴 [本のはなし]

朝起きぬけにクシャミがでて、水っぽい鼻水がでてきた。
いよいよ花粉症の季節かと思い、アレルギーの薬を飲んだら、
眠いのなんのって。
夜飲むべき薬だったのね。
仕事もできず、たまらずトロトロと居眠りして1日を過ごしてしまった。

さて、ひさびさに本の紹介。
朝井まかて著『阿蘭陀西鶴(おらんださいかく)』(講談社文庫)

江戸前期の作家井原西鶴とその娘、おあいの物語。
井原西鶴は『好色一代男』や『世間胸算用』などの浮世草子の作者として有名だけれど、
もともとは大阪の談林派という俳壇の俳諧師だったのね。
出世欲が強く、一晩で読む俳諧の数を競う矢数俳諧の興行を打って世間を騒がすような人。
その派手さで、阿蘭陀西鶴と揶揄されたのを逆手にとって、自らそう名乗っている。

しかし、俳諧でいくら有名になったとしても本の売り上げだけでは食べていけない。
そんな父を支えるのが、盲目の娘おあいである。
この本のタイトルは『阿蘭陀西鶴』ではあるが、物語はこのおあいの目からみた(耳で聞き、感じた)父とその世界の物語である。

子供の頃から母に、裁縫や料理など家のことをすべて優しく叩き込まれたおあい。
母が病没したあと、2人の弟たちは他家に養子にやられ、
家ではおあいだけが残った。
母の薫陶のおかげで、おあいは家の中では目が見えないとは思えないほど自由に動き回れ、
人がびっくりするほど上手に料理をする。
父は自宅に人を集めるのが好きで、そのたびに娘自慢をする。
それがおあいとしては嫌でたまらない。

そんなおあいから見た父西鶴は、かえるのような声をだす、下品でどうしようもなく手前勝手な男である。
見栄っ張りで、ええ格好しいの父が、いつも盲の娘のことを心配しているようなことを言うのは、世間の同情を買うためだと、おあいは思う。
父が家のことをかえりみないせいで、母も若くして死に、弟たちとも別れ別れになってしまったと思うのだ。

江戸では松尾芭蕉が新しい俳諧師として台頭してきたのに、対抗心をもやしている。
次々と読む俳諧の矢数を競う俳諧師も増えてきた。
追い詰められた父が俳壇からのそしりもかえりみず、打って出たのが浮世草子の執筆である。
日頃人付き合いがよく、いろいろな人の話を耳にしていたのを脚色して物語にしたのだ。

西鶴は俳諧も物語も、書くときには声を出して読む。
それを聞きながら育ったおあいは、父の苦しみも焦りも、そして得意げな様子もすべて聞き取っていた。
おあいはやがて、父の真意を知ることになる。
ここでちょっと泣けた。

こうした西鶴とおあいの父娘の物語を縦糸として、さらにそのまわりに生きるさまざまな人々の物語が横糸となり、さらに江戸幕府から下される倹約令が庶民の生活におよぼす影響などの背景が描きこまれて、物語に奥行きを与えている。

これまで井原西鶴という人物とその作品については、歴史で習ってきた程度で、実際に読んだことはなかったし、まして歴史の流れの中で捉えてこともなかった。
この物語の中には、芭蕉のほかに近松門左衛門なども登場し、歌舞伎の世界もかいまみられ、ああそういうことだったのだと、学校で習った歴史がようやく動き出す感じがした。
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『ラニーニャ』を読んで知ったこと [本のはなし]

私にとっての伊藤比呂美さんは、詩人というよりも『良いおっぱい、悪いおっぱい』や『おなか、ほっぺおしり』といったいわゆる育児エッセイの著者という印象が強い。

最近では、年齢とともにケアの対象が子供から犬(『犬心』)や父(『父の生きる』)などに変わってきたが、そうした密着した人間関係の生々しい実体験を言葉にしてきたという点では、ユニークな文学者だと思う。

また、『とげ抜き新巣鴨地蔵縁起』では、詩ともエッセイともつかぬ、説教節と詩が融合したような独特の流れのある文体で、父や母の介護に奮闘する体験を描いていたのも、とても面白かった。

今年、岩波現代文庫に入った『ラニーニャ』は、1999年に「野間文芸新人賞」を受賞した作品なので、育児エッセイ以後、『とげ抜き』以前の期間に書かれたものということになる。
詩でもエッセイでもなく、小説。

あとがきを読むと、1997年に夫と別れて子連れでアメリカのカリフォルニアに引っ越したために、お金を稼がなくちゃということで、小説を書くことにしたのだそうだ。

この文庫に収録されているのは、『ハウス・プラント』と『ラニーニャ』と『スリー・りろ・ジャパニーズ』の3作品。
私は、この時期の伊藤比呂美さんの作品をほとんど読んでいなかったので、
この文庫を読みだしたときには、てっきり育児エッセイの続きのように思っていた。
子連れでカリフォルニアにきて、外国人の夫と暮らしているというシチュエーションが、本人のものとそっくりだったので。
ただ、『ハウス・プラント』では「子ども」としか呼ばれない子どもが一人だけだし、『ラニーニャ』では、カノコちゃんではなくあい子ちゃんだし、サラコちゃんではなくグミちゃんだし。
で、これはエッセイじゃないんだと途中で認識した次第。

でも、性や生理にかかわる生々しい言葉はやはり伊藤比呂美だし、『とげ抜き』につながる、説教節的な文体はここにも見られる。
ただ、お金が必要だからと書いたからなのか、なんだか読んでいても苦しくなるような世界だ。
とくに子どもの神経症的な反応が描かれていると、気持ちが落ち込む。
なにせ生まれたころから知ってるからね。
単なる読者なんだけど、ともだちの子みたいな感じがあって。


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話題の『みかづき』 [本のはなし]

今年最後のおすすめブックは森絵都さんの『みかづき』。

発売当初から話題で、年末にきていろいろTVにも取り上げられているので、今更なんですが。

書評を見て通販で購入し、届いた本の分厚さに、まずびっくり。
昔の大きなアルミのお弁当箱くらいある。(この比喩がわかる人はかなり年配だわね)

さらに、読みだすといきなり、主人公(の一人)大島吾郎が運命の出会いをするのが、昭和36年、千葉県習志野市立野瀬小学校、と具体的な年と地名が出てくるので、おやっと思い、これまでのファンタジックな森絵都さんの世界ではないぞと、思わず居ずまいを正した。

子どもが主人公ではない。
とはいえ、最初に登場する舞台が小学校なので、当然子どもはたくさん登場する。
吾郎はこの小学校の用務員なのだが、「勉強がわからない」という子供たちの勉強を用務員室で見てあげているうちに、教え方のうまさから子供たちがたくさん集まるようになったのだ。
その中に、勉強ができるらしいのに、なぜかやってくる女の子、蕗子がいた。

蕗子の母、大島千明はシングルマザーで蕗子を育てながら、家庭教師をやっている。
千明は吾郎の教育の才に目を付け、一緒に塾をやらないかと誘う。

千明は、戦争中、尋常小学校が国民学校に名前を変えた年に入学し、小国民として教育させられた挙句、卒業した年には敗戦で再び小学校に名前を変えたというみずからの体験から、文部省と公教育を目の敵にしているのだ。そして、理想の教育を追い求めているらしい。
公教育が太陽なら、私塾などは月だというわけだ。

最初から、いきなり教育の話?と戸惑う。
その一方で、吾郎が子供の勉強を見てやる気のいいだけの男かと思ったら、
その子供たちの母親と関係をもち、首になるという
性格破たん者のような面をもつことがわかってくる。


ちょっと絵都さんの作品に、こんなドロドロした男と女の話?
と、これも戸惑う。

とにかく、吾郎と蕗子の母、千明は結ばれて、塾を経営することになる。
ときはベビーブームの子どもたちが大勢生まれ、
東京への通勤圏となった習志野周辺もどんどん開発が進み、住民が爆発的に増えてきたころだ。
教え方のうまい吾郎のおかげで塾は大繁盛。
おのずと塾同士の競争もし烈になるのだが、公教育にはない真の教育を追求しようという千明の経営する塾では、塾講師の採用にも教育にも心を砕いているので、評判が評判を呼んで、有名塾となり、次々、近辺に教室を拡大していく。

その一方で、吾郎との間に二人の女の子が生まれる。
蕗子と二人の娘たちも、それぞれ親の影響を受けて、育っていくのだが…。

というわけで、あっという間に年が過ぎ、話が展開していくのだが、
そこに当時の世相が具体的に描かれ、単に男と女の物語ではおさまらない、
社会小説のような展開となる。

絵都さんのインタビューをテレビで見たが、絵都さんはこの小説を書くにあたって、膨大な資料を集め、独自の年表を作ったのだそうだ。実際その年表を見せてくれていた。
たしかに、その甲斐はあって、具体的な商業施設や娯楽施設の名前などもでてくるので、ああ、あの頃はあんなことがあったなあ、と思いをはせつつ読むという楽しみもある。
だが、年表をたどりながら書いたな、という感じがにじみ出ていて、
ちょっとと思ったのも事実。

だが、一家の塾の経営をめぐる波乱万丈の物語を通して、戦前から現代にいたる日本社会の、しかも教育制度に光をあてて、物語を書こうとした発想も意欲もすごいと思う。知らないことも多々あった。
それをだいたい目撃したり体験したりしてきて、とくに大学闘争を経験した私としては、よくぞ書いてくれましたという感じである。

そこに娘たち三人三様の個性あふれる生き方も面白い。
かつてカフェーで女給をしていたという千明の母、頼子というキャラクターもユニークだし。
女たちの歴史として読むこともできる。
ただ、重いのがね。

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アート小説というジャンル [本のはなし]

原田マハさんは前にも取り上げたことがあったと思うが、今回は『デトロイト美術館の奇跡』。
マハさんお得意の名画シリーズ、アート小説というらしい。
帯に「アメリカの美術館で本当に起こった感動の物語」とある。

折しも、上野の森美術館で「デトロイト美術館展」を開催中。
そちらを見てからブログに紹介しようと思っていたのだけれど、この分では行けるかどうかわからないので、紹介してしまうことにした。

デトロイト美術館に所蔵されているセザンヌの<マダム・セザンヌ>がこの本のテーマ。
デトロイトといえば、自動車産業で栄えた都市。
自動車産業とともに衰退した都市でもある。

第1章は、その自動車工場に長年勤めたアフリカン・アメリカン、フレッド・ビルと妻のジェシカの物語。つましい生活の中で、デトロイト美術館(通称DIA)に行き、この小さな<マダム・セザンヌ>の肖像画を見ることを楽しみに生きてきた人たちである。

第2章は、ロバート・タナヒルの物語。フレッドと対照的な大金持ちで、若い時からヨーロッパ美術の有名なコレクターだったが、やはり<マダム・セザンヌ>をこよなく愛し、豪邸のリビングにも飾っていた。死後、その多くをDIAに寄贈し、モダンアートの「ロバート・タナヒル・コレクション」として有名になる。

第3章は、DIAのキューレーター、ジェフリー・マクノイドの物語。やはり、<マダム・セザンヌ>を愛し、そのために故郷から遠いDIAに勤めたほど。膨大な「ロバート・タナヒル・コレクション」のカタログを製作者である。
ところが、自動車産業の破綻により、デトロイト市も財政破綻し、破産が決定的となる。
その穴埋めとして、DIAのコレクションの売却計画が持ち上がる。

そのとき、フレッド・ビルが訪ねてくる。そして、いかに今は亡き妻や自分がここのコレクションを愛してきたか、この絵画こそが友であったこと、もっとも「気の合う友人」が<マダム・セザンヌ>であることを語る。

そして、第4章はデトロイト美術館の<奇跡>。
いかにしてDIAは生き延びたのか。 

そして、今、上野の森美術館でDIAのコレクションが見られるというわけだ。
これは見に行かないわけには行かないではないか。
それに、これだけ近く(歩いていける)に美術館があるのだから、
フレッドのように、ちょくちょく絵画に会いにいってもいいではないか。

と思ったわけ。

ただ、気になったことがあった。
この4章からなるそれぞれのセザンヌ愛が語られているのだが、当の絵に対する3人の感想が、同じようなのだ。
たとえば、どっしりした構図なのに、どこかしら軽やかさを感じる。
服の青は単純な青ではなく、ほんのりとバラ色が混じって、まるで朝焼けの空をまとったようなやわらかさと清々しさがある。それは夫人の頬のほんのり差したバラ色と見事に呼応している・・・。

それほど惚れ込んだ絵画なら、それぞれがそれぞれの言葉で表現できるはずではないか?
まるでカタログの文言をそのまま引用したように、表現するなんて…。

せっかくの名画に傷を見つけたみたいに、残念な気持ちになった。
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ライトノベルにチャレンジ [本のはなし]

一穂ミチ『きょうの日はさようなら』を読んだ。
集英社オレンジ文庫というシリーズ。
2015年1月に創刊されたそうで、サイトを見ると

ちょっとミステリー、
ちょっとファンタジー、
ちょっとロマンス、
ちょっと読みたい
極上のエンターテインメント、
ここにあります。
物語好きのあなたに贈るライト文芸レーベルです。

とある。ライト文芸、ライトノベルをラノベともいうらしい。なんでも短縮するのね。

ところで「きょうの日はさようなら」って森山良子のヒット曲だわよね。
(「きょうの日」って日本語としておかしいね)
30年以上前に中野の患者会にかかわっていたとき、毎月の定例会の最後は、決まってこの歌を合唱して終わった。定番の曲だ。
あらためて調べてみた。

1966年のヒット曲。金子詔一作詞作曲。
こんな歌詞。

 いつまでも 絶えることなく
 友達でいよう
 明日の日を夢見て
 希望の道を

 空を飛ぶ鳥のように
 自由に生きる
 今日の日はさようなら
 またあう日まで

 信じあうよろこびを
 大切にしよう
 今日の日はさようなら
 またあう日まで
 またあう日まで

いかにも60年代の、希望に満ちた時代の歌だ。
今歌うのはこっぱずかしいかも。

で、この歌をモチーフにしたのがこの小説。
主人公は、17歳の女子高生明日子(あすこ)。
といってもややこしいのだが、時代は2025年の近未来。

双子の弟 ひきこもりの日々人と父の3人で暮らしている。
母は病気で亡くなった。
以来、3人の間に会話はない。なぜかきょうだいは父を憎んでいるのだ。
明日子と日々人も、メールでの会話だ。

この作品、あとで語り手が代わるのだが、明日子が語り手のところでは、今風(といっても10年後だが)の言葉遣いで、おまけに汚い男言葉があふれている。
日々人が「ほかに男できたんだろ、クソビッチ」と送れば、「黙れ童貞」と明日子が返すという具合。こんなふたりのやり取りがず~と続くのだから、たまらない。

しかも、「イミフな言葉」とか短縮ワードだらけで、まったく意味不明なことも。

ま、気を取り直して、作品の紹介を。


退屈な夏休み
父が、突然、聞いたこともないいとこがいて、我が家に引き取ると宣言した。
名前は今日子。生まれは1978年。
とすると、年齢は47歳になるはずなのだが、父は今日子たちと同世代だという。

30年前に、自宅が火事になり、彼女以外の一家全員が焼死してしまうという事故があり、
命を取り留めた今日子は、将来の治療を期待して冷凍保存されていたというのだ。
だが、今日子のことは、これまでのいきさつも含めて、一切口外してはならないと父はいう。
理由も明かせないと。

そして、30年ぶりに解凍されてやってきた今日子は、17歳のまま、大好きなセーラー服を昼も夜も着ているという、ちょっと変わった女の子だった。
同世代ではあるのだが、やはり30年の時代のギャップは大きい。
今日子はゲームやコミックの大ファンで、相当な腕前なのだが、
日々人のやっているゲームとはかなり違う。
古いゲーム機を引っ張り出して、打ち興じる日々人と今日子。
どんどん二人は接近していく。
父でさえも、夕食までには帰宅して、今日子と楽しそうに、だが敬語で話している。
母が亡くなって以来、失われていた団らん。

二人は、父の言いつけを無視して、希望する今日子を外に連れ出す。
今日子は、自分の過去を知りたがっていたのだ。

だが、その過去には、恐るべき秘密が潜んでいた…。

と、途中からちょっとミステリータッチになるのだけれど、
そこはライべ、さほど深刻にも重たくもなく、話は進んでいく。
最後も、決してハッピーエンドとはいえないのだけれど。

こういう小説が売れるのね。
集英社文庫では、2017年ノベル大賞募集ですって。
現代っ子の風俗をあまりに知らなさすぎて、とても応募するような作品はかけないわね。










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高田郁のできるまで [本のはなし]

先週末は松江へ。日本集団精神療法学会の研修会。
すでに何度も訪れているが、まだまだ見どころは満載のようだ。
今回のハイライトは、「松江フォーゲルパーク」と震度4の鳥取地震。
それに帰りの飛行機が、羽田で鳥にぶつかって2時間半ちかくの遅れ。
何十年も飛行機に乗っているが、こんなのは初めて。
同時に、大阪伊丹からの便も鳥が衝突して途中で引き返した。
渡りの季節とはいえ、やっぱり地震で地磁気がおかしくなっているのでは?
それにしても、”鳥づくし”の旅だった。

ところで、今回のおすすめブックは、高田郁著『晴れ ときどき涙雨』(幻冬舎文庫)。

平成17年4月から同21年9月までに創美社発行の女性漫画誌『オフィスユー』に連載されたエッセイにその後のコメントを入れたもの。

『みをつくし』シリーズで名高い作者の実像が、いろいろと知れて面白い。
なんといっても、高田郁という時代小説作家が、もともと「川富士立夏」という漫画原作者だったとは・・・。それも15年も。
けっこう、女性作家には漫画とのつながりが強いということを改めて認識。
この本は、「漫画原作者・川富士立夏」が「時代小説作家・高田郁」になるまでを綴ったもの。

そもそも漫画原作者というものがどのような職業なのかがまったくわからなかったが、
絵をかかないだけで、ストーリーを創り出すために
綿密な取材と場面構成を考える頭がなくてはならないということらしい。

この取材も、単に資料を読み込むだけでなく、現場に行って情景を見、人と会って証言を引き出さなければならない。
まるで文化人類学者の仕事だ。

ところで、高田郁さん、漫画原作者になるまでは、中央大学法学部を出て司法試験に何度も挑戦しては失敗していたというから驚きだ。
後に倒産する学習塾の講師などもやっていたという。
司法試験の結果を聞くたびに「あかんたれやなあ」と落胆する父を見かねて、たまたま「オフィスユー」主催の漫画原作大賞に初めて応募して、特別賞を受賞したのが、漫画原作者への第1歩になった。
それも、まったく原作の書き方など、習ったこともなかったのに。
今では、漫画原作者になるにもシナリオ学校で学ぶらしい。

出身は、兵庫県宝塚市。
つまり、あの阪神淡路大震災で被災しているのだ。
短いエッセイのそこここに、阪神淡路大震災が顔を出す。
震災のために長年借金を抱え、同時に、家では父親が17,8回も入院し、10回以上手術をしていた。
そんな背景があるせいか、彼女の取材対象はたいてい夜間中学に通う在日1世のハルモニや、70代半ばにして朝7時から夜10時まで地域医療にはげむ老医師など、市井の人々。
取材する側の構えにも、敏感だ。

また、中学一年生のときには、女性の体育教師から
「このクラスで一番気に食わんのはお前や」と名指しされたときから、いじめが始まり、
2学期の始業式のときに男子生徒から暴力を受けて、肋骨骨折と内臓損傷で入院といった試練を体験している。
しかもよくあるように、いじめの事実を誰にも言わず抱え込み、学校も「事故」として処理した。
そんな経験をして、すべてが嫌で嫌でたまらなかったのに「死」の誘惑に取りつかれなかったのは、入院した小児病棟で、子どもに先立たれた親が嘆き悲しむ声を聴いたからだという。

しかし、その女性教師の言葉は「私は人から嫌われる人間なのだ」という自己否定の種となって、成人してからも、心を縛っていた。
だが、数年前にその女性教師が無銭飲食と飲酒運転で逮捕されたという新聞記事を見て、
「こんな人間のために今まで・・・・・・」と、呪いの鎖のようなものが、音を立ててはじけ飛んだという。

そもそも漫画の原作を書きながら、いつか時代小説を書きたいと、独学で時代考証を学んでいた高田さんが実際に時代小説を書くことになったのは、両眼の網膜に孔があくということがあり、このままでは大きな心残りになると思ったことがきっかけだという。

こうした数々の経験や、交通事故で九死に一生を得たものの、中心性脊髄損傷で握力を失うというような体験が、あの繰り返し災難が降りかかっても、前に向かって進んでいく「澪」につながるのだ。
まさに「艱難辛苦、汝を玉にす」である。

この本のなかに、「ふるさと銀河線」というエッセイがあった。
北海道の北見から池田までを結ぶ第3セクターの鉄道。
その鉄道を知ったのは、漫画の原作を書いたことがきっかけだった。
その後、いろいろなことに行き詰って仕事を辞めようと思った際に、思い立って北海道に飛んだ。

銀河線の小さな車両に揺られ、一時間半ほどで、陸別に着く。

というところで、私は思わず、「あっ」と小さく叫んだ。
あの『あい』の舞台となった陸別だ。
すっかり「みをつくし」の作者という頭で読んでいて、『あい』のことはすっ飛んでいた。

このとき、陸別の知り合いの家の本棚に彼女の作品が掲載されている雑誌が何冊も並んでいたのを見て、彼女は仕事を続けることができたらしい。
銀河線は廃止されてしまったのだが。

漫画原作を書くために陸別に何度も足を運ぶうちに、いつか書きたいというある物語が生まれた。
それが『あい』だったのだ。

大河小説の陰に、作者自身の物語があることを知ると、物語にまた別のあじわいがでてくるような気がする。

おまけ

この中に「差し入れ屋」というエッセイがあった。
刑務所の前にある雑貨屋のような店で、受刑者に差し入れするためのものを売っている店だ。
私も、60年代の終わりの学生運動で逮捕・収監された友人に差し入れをするために、府中刑務所や小菅の東京拘置所などに通ったことを思い出した。
やっぱり差し入れ屋でメリヤスの下着を買って、本と一緒に差し入れたものだった。
私の人生もけっこうおもしろいもんだ。






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