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ライトノベルにチャレンジ [本のはなし]

一穂ミチ『きょうの日はさようなら』を読んだ。
集英社オレンジ文庫というシリーズ。
2015年1月に創刊されたそうで、サイトを見ると

ちょっとミステリー、
ちょっとファンタジー、
ちょっとロマンス、
ちょっと読みたい
極上のエンターテインメント、
ここにあります。
物語好きのあなたに贈るライト文芸レーベルです。

とある。ライト文芸、ライトノベルをラノベともいうらしい。なんでも短縮するのね。

ところで「きょうの日はさようなら」って森山良子のヒット曲だわよね。
(「きょうの日」って日本語としておかしいね)
30年以上前に中野の患者会にかかわっていたとき、毎月の定例会の最後は、決まってこの歌を合唱して終わった。定番の曲だ。
あらためて調べてみた。

1966年のヒット曲。金子詔一作詞作曲。
こんな歌詞。

 いつまでも 絶えることなく
 友達でいよう
 明日の日を夢見て
 希望の道を

 空を飛ぶ鳥のように
 自由に生きる
 今日の日はさようなら
 またあう日まで

 信じあうよろこびを
 大切にしよう
 今日の日はさようなら
 またあう日まで
 またあう日まで

いかにも60年代の、希望に満ちた時代の歌だ。
今歌うのはこっぱずかしいかも。

で、この歌をモチーフにしたのがこの小説。
主人公は、17歳の女子高生明日子(あすこ)。
といってもややこしいのだが、時代は2025年の近未来。

双子の弟 ひきこもりの日々人と父の3人で暮らしている。
母は病気で亡くなった。
以来、3人の間に会話はない。なぜかきょうだいは父を憎んでいるのだ。
明日子と日々人も、メールでの会話だ。

この作品、あとで語り手が代わるのだが、明日子が語り手のところでは、今風(といっても10年後だが)の言葉遣いで、おまけに汚い男言葉があふれている。
日々人が「ほかに男できたんだろ、クソビッチ」と送れば、「黙れ童貞」と明日子が返すという具合。こんなふたりのやり取りがず~と続くのだから、たまらない。

しかも、「イミフな言葉」とか短縮ワードだらけで、まったく意味不明なことも。

ま、気を取り直して、作品の紹介を。


退屈な夏休み
父が、突然、聞いたこともないいとこがいて、我が家に引き取ると宣言した。
名前は今日子。生まれは1978年。
とすると、年齢は47歳になるはずなのだが、父は今日子たちと同世代だという。

30年前に、自宅が火事になり、彼女以外の一家全員が焼死してしまうという事故があり、
命を取り留めた今日子は、将来の治療を期待して冷凍保存されていたというのだ。
だが、今日子のことは、これまでのいきさつも含めて、一切口外してはならないと父はいう。
理由も明かせないと。

そして、30年ぶりに解凍されてやってきた今日子は、17歳のまま、大好きなセーラー服を昼も夜も着ているという、ちょっと変わった女の子だった。
同世代ではあるのだが、やはり30年の時代のギャップは大きい。
今日子はゲームやコミックの大ファンで、相当な腕前なのだが、
日々人のやっているゲームとはかなり違う。
古いゲーム機を引っ張り出して、打ち興じる日々人と今日子。
どんどん二人は接近していく。
父でさえも、夕食までには帰宅して、今日子と楽しそうに、だが敬語で話している。
母が亡くなって以来、失われていた団らん。

二人は、父の言いつけを無視して、希望する今日子を外に連れ出す。
今日子は、自分の過去を知りたがっていたのだ。

だが、その過去には、恐るべき秘密が潜んでいた…。

と、途中からちょっとミステリータッチになるのだけれど、
そこはライべ、さほど深刻にも重たくもなく、話は進んでいく。
最後も、決してハッピーエンドとはいえないのだけれど。

こういう小説が売れるのね。
集英社文庫では、2017年ノベル大賞募集ですって。
現代っ子の風俗をあまりに知らなさすぎて、とても応募するような作品はかけないわね。










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高田郁のできるまで [本のはなし]

先週末は松江へ。日本集団精神療法学会の研修会。
すでに何度も訪れているが、まだまだ見どころは満載のようだ。
今回のハイライトは、「松江フォーゲルパーク」と震度4の鳥取地震。
それに帰りの飛行機が、羽田で鳥にぶつかって2時間半ちかくの遅れ。
何十年も飛行機に乗っているが、こんなのは初めて。
同時に、大阪伊丹からの便も鳥が衝突して途中で引き返した。
渡りの季節とはいえ、やっぱり地震で地磁気がおかしくなっているのでは?
それにしても、”鳥づくし”の旅だった。

ところで、今回のおすすめブックは、高田郁著『晴れ ときどき涙雨』(幻冬舎文庫)。

平成17年4月から同21年9月までに創美社発行の女性漫画誌『オフィスユー』に連載されたエッセイにその後のコメントを入れたもの。

『みをつくし』シリーズで名高い作者の実像が、いろいろと知れて面白い。
なんといっても、高田郁という時代小説作家が、もともと「川富士立夏」という漫画原作者だったとは・・・。それも15年も。
けっこう、女性作家には漫画とのつながりが強いということを改めて認識。
この本は、「漫画原作者・川富士立夏」が「時代小説作家・高田郁」になるまでを綴ったもの。

そもそも漫画原作者というものがどのような職業なのかがまったくわからなかったが、
絵をかかないだけで、ストーリーを創り出すために
綿密な取材と場面構成を考える頭がなくてはならないということらしい。

この取材も、単に資料を読み込むだけでなく、現場に行って情景を見、人と会って証言を引き出さなければならない。
まるで文化人類学者の仕事だ。

ところで、高田郁さん、漫画原作者になるまでは、中央大学法学部を出て司法試験に何度も挑戦しては失敗していたというから驚きだ。
後に倒産する学習塾の講師などもやっていたという。
司法試験の結果を聞くたびに「あかんたれやなあ」と落胆する父を見かねて、たまたま「オフィスユー」主催の漫画原作大賞に初めて応募して、特別賞を受賞したのが、漫画原作者への第1歩になった。
それも、まったく原作の書き方など、習ったこともなかったのに。
今では、漫画原作者になるにもシナリオ学校で学ぶらしい。

出身は、兵庫県宝塚市。
つまり、あの阪神淡路大震災で被災しているのだ。
短いエッセイのそこここに、阪神淡路大震災が顔を出す。
震災のために長年借金を抱え、同時に、家では父親が17,8回も入院し、10回以上手術をしていた。
そんな背景があるせいか、彼女の取材対象はたいてい夜間中学に通う在日1世のハルモニや、70代半ばにして朝7時から夜10時まで地域医療にはげむ老医師など、市井の人々。
取材する側の構えにも、敏感だ。

また、中学一年生のときには、女性の体育教師から
「このクラスで一番気に食わんのはお前や」と名指しされたときから、いじめが始まり、
2学期の始業式のときに男子生徒から暴力を受けて、肋骨骨折と内臓損傷で入院といった試練を体験している。
しかもよくあるように、いじめの事実を誰にも言わず抱え込み、学校も「事故」として処理した。
そんな経験をして、すべてが嫌で嫌でたまらなかったのに「死」の誘惑に取りつかれなかったのは、入院した小児病棟で、子どもに先立たれた親が嘆き悲しむ声を聴いたからだという。

しかし、その女性教師の言葉は「私は人から嫌われる人間なのだ」という自己否定の種となって、成人してからも、心を縛っていた。
だが、数年前にその女性教師が無銭飲食と飲酒運転で逮捕されたという新聞記事を見て、
「こんな人間のために今まで・・・・・・」と、呪いの鎖のようなものが、音を立ててはじけ飛んだという。

そもそも漫画の原作を書きながら、いつか時代小説を書きたいと、独学で時代考証を学んでいた高田さんが実際に時代小説を書くことになったのは、両眼の網膜に孔があくということがあり、このままでは大きな心残りになると思ったことがきっかけだという。

こうした数々の経験や、交通事故で九死に一生を得たものの、中心性脊髄損傷で握力を失うというような体験が、あの繰り返し災難が降りかかっても、前に向かって進んでいく「澪」につながるのだ。
まさに「艱難辛苦、汝を玉にす」である。

この本のなかに、「ふるさと銀河線」というエッセイがあった。
北海道の北見から池田までを結ぶ第3セクターの鉄道。
その鉄道を知ったのは、漫画の原作を書いたことがきっかけだった。
その後、いろいろなことに行き詰って仕事を辞めようと思った際に、思い立って北海道に飛んだ。

銀河線の小さな車両に揺られ、一時間半ほどで、陸別に着く。

というところで、私は思わず、「あっ」と小さく叫んだ。
あの『あい』の舞台となった陸別だ。
すっかり「みをつくし」の作者という頭で読んでいて、『あい』のことはすっ飛んでいた。

このとき、陸別の知り合いの家の本棚に彼女の作品が掲載されている雑誌が何冊も並んでいたのを見て、彼女は仕事を続けることができたらしい。
銀河線は廃止されてしまったのだが。

漫画原作を書くために陸別に何度も足を運ぶうちに、いつか書きたいというある物語が生まれた。
それが『あい』だったのだ。

大河小説の陰に、作者自身の物語があることを知ると、物語にまた別のあじわいがでてくるような気がする。

おまけ

この中に「差し入れ屋」というエッセイがあった。
刑務所の前にある雑貨屋のような店で、受刑者に差し入れするためのものを売っている店だ。
私も、60年代の終わりの学生運動で逮捕・収監された友人に差し入れをするために、府中刑務所や小菅の東京拘置所などに通ったことを思い出した。
やっぱり差し入れ屋でメリヤスの下着を買って、本と一緒に差し入れたものだった。
私の人生もけっこうおもしろいもんだ。






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東日本大震災後の人知れぬ救援活動 [本のはなし]

FaceBookをやっていると、世の中、動物好きの人たちがいかに多いかがわかる。
私の周辺にも犬好き、猫好きが多い。

本屋でこの人も犬好きだったのかという本を見つけた。
それも単なる犬好きではない。
身を挺して犬や猫を救出しようとする活動をみずから取材して書かれた本だ。
それも、著者はあの森絵都さん。
『おいで、一緒に行こう』(文春文庫)

文庫で出たのは1年前。
単行本が出たのは2012年3月だから、震災から1年目だ。
このドキュメントが始まるのは2011年5月28日だから、震災からわずか2か月余のこと。
まだ、津波被害も原発事故による放射能汚染の問題も生々しい、危機的な時期である。

絵都さんはご主人と一緒に車で都内の自宅から南相馬市に向かう。
車のトランクには「ペットレスキュー用品」を山のように詰めて。
同行するのは文芸春秋社の編集者とカメラマン、週刊文春の記者それぞれ1名。
目的は、原発事故の後の警戒区域に取り残されているペットの救援活動の取材。
知らなかったが、絵都さんはそれより数年前に、犬の保護問題をあつかったノンフィクション本を上梓していたのだという。ずっと気にかけていたのだ。

当時、いち早く取り残されたペットの救援に乗り出した動物愛護家たちがブログやツイッターでいろいろとその状況を報告し、発信していたらしい。参照:http://tohoku-dogcat-rescue.com/
そのなかの一人、中山ありこさんという福井在住の40代の女性と知り合い、彼女の現地でのレスキュー活動に同行し、記事にすることになったのだ。

震災後の恐ろしい道路事情や被災地の様子については、救援に向かった日赤関係者の話をいろいろと聞いていたが、そこにわざわざ入っていき、飼い主も家もエサも失った動物たちをレスキューしようと考える人がいるとは、想像だにしなかった。

しかも、立ち入り禁止区域ともなれば、見つかれば逮捕されてしまう。
警察に見つからぬよう、まるで犯罪者のように活動しなければならないのだ。
それも、夜を徹して姿を求めて探しまわったり、保護用のケージに入ってくるのを待ったり。

見つけて保護したとしても、ペットたちはけがをしていたり、病気だったりしてその手当が必要になる。里親も探さなければならない。
わざわざ福井から定期的に被災地に出かけてこの活動をしているありこさんのブログは今も活動中。
http://blog.livedoor.jp/ariko602/archives/2016-10.html 
http://ameblo.jp/ariko602/
FaceBookは、こちら。https://www.facebook.com/ariko.nakayama?fref=ts

家に置いてきた犬や猫を何か月も警戒区域に入って探し求める人。
保護された犬や猫の里親になる人。
みんなほんとうに動物好きの人たちなんだなと思う。
ペットを飼ったこともなく、さほど飼いたいとも思わない私でさえ、保護された犬や猫の様子を知ると、涙が出てくる。
レスキュー活動中の写真や、その後の保護犬たちの様子を描いたイラストなども。

それに対して、動物たちについては知らんぷり、保護活動をする人たちを取り締まる警察や行政は、ほんとに何をやっているのだと、怒りがわいてくる。
やんばるの海でいま起こっていることも、同じなんだな。
貴重な自然や動物を守ろうといくら呼びかけたって、為政者たちは痛くもかゆくもないわけだ。
沖縄の人さえも、大事には思っていないのだろう。
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おすすめでない本の話 [本のはなし]

週1回のアップに、文字通りアップアップしています。
おすすめブックスも、毎回、いい本に当たるわけではないので。
今回は、仕方がないので、おすすめでない本の話をすることにしました。
もちろん、これは私個人の趣味の問題ですので、どうぞ興味がある方はお手に取ってお読みください。

はじめて読んだ作家(のはず)です。なにせ最近記憶が定かでなく…。
中村文則著『去年の冬、きみと別れ』(幻冬舎文庫)です。
そもそもなぜ、この本を購入したのか…我ながら謎です。

帯にある「予測不能のミステリー。話題のベストセラー、ついに文庫化!」というのに惹かれたのか。裏表紙にも「話題騒然のベストセラー」とあり…。
著者紹介には、デビュー作で新潮新人賞をとり、野間新人賞、芥川賞、大江健三郎賞と、華麗なる受賞歴が。2014年には日本人で初めて米文学賞、デイビッド・グディス賞を受賞とある。
これで読もうと思ったのか…。全然記憶なし。
薄い本なので、旅のお供に買ったのかもしれない。

ロマンチックなタイトルから、切ない恋愛がらみのミステリーかと思いきや、
とんでもなくグロテスクな物語で、男女は登場するのだけれど、
恋愛というにはあまりにも病的で…。

すでに2人の女を焼き殺したとして逮捕され、刑に服している男がいて、
その男にインタビューしにいく若い作家がいる。
男にはミステリアスな、というかボーダーラインチックな姉がいて、
その姉にたぶらかされたという弁護士やら、
生きた人間そのものにしかみえない人形を作る男が登場し…。
そして、インタビューを企画した編集者がいる。

ま、大体登場するのはこれくらいなのだが、とにかく全員、共感しようにも観念的すぎ、関係も入り組んでいて、筋を追うので精いっぱい。
すべてが頭の中で構想された物語。
だれが犯人なのか、だれが被害者なのか、
そもそも果たして殺人事件はあったのか…。
゛予測不能のミステリー”って面白くもなんともないのだな。

読み終わっても、物語として像をむすばない物語。

こういうのが最近は受けるのだろうか。
ロジックを楽しむ人にはいいのか。
それが海外で評価されたのだろうか。

わたしからすると、なんだかお金と時間を無駄にした感じ。

「おすすめでない本」で、今回はすみません。
別の楽しみ方があるんだったら、教えてほしい。

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進化する時代小説 [本のはなし]

進化する時代小説、なんてタイトルをつけてみたが、それではまるで時代小説をたくさん読んでいる評論家みたいで気が引けるが・・・。

それでも、山本周五郎や池波正太郎、藤沢周平と、好きな作家の本はずいぶん読んだから、許していただこう。それに、前回紹介した高田郁さんやあさのあつこさんなど、最近の女性作家の書く時代小説も好きだし。
さん付けにしたり、しなかったりは、身近さの違いかな?

それにしても、テレビでは時代劇というジャンルが、NHKの大河ドラマを除いて、ほとんど消えかかっているのに、小説だけは時代物が大流行りなのはどうしてなんだろう。

そして、今日、紹介するのは、朝井まかてさんの『恋歌』(講談社文庫)。
2014年の直木賞受賞作だ。
その時はあまり関心をもたず、朝井まかてという変わった名前の作家が、果たして女性なのか男性なのかも知らなかった。
今回、本屋で偶然この本を手に取って、著者紹介に「甲南女子大学卒業」と書いてあるのを読んで、ああ女性なんだとわかったという次第。

それに甲南女子大学は、ついこないだ呼ばれていったばかりだし…。
樋口一葉が出てくるし…。樋口一葉は今私が住んでいるあたりで生きていたし…。
というわけで、読むことにした。

で、進化する時代小説というわけは、一つはこの小説が、現代小説によくある入れ子構造になっているところ。しかも、現代を舞台とした物語の中に、世紀を超えて過去の物語が挿入される形式はよくあるが、これは明治後期を舞台とした物語の中に、それから数十年前の江戸末期から明治の初めにかけての物語が挿入されている。つまり、過去のなかに大過去が入れ込まれているわけ。

序章は、明治時代の女流小説家の嚆矢、三宅花圃(かほ)が書斎で万年筆で小説を書いている場面から始まる。

花圃が通っていた歌塾「萩の舎(はぎのや)」には、伊藤夏子と樋口夏子という2人の夏子がいたので、イ夏、ヒ夏と呼びわけていた。ヒ夏こそ、のちの樋口一葉である。
しばし、そのヒ夏の消息が語られる。
そこへ使いが来て、花圃らが「師の君」と呼ぶ歌人、中島歌子が入院したという連絡が入る。
遥か千年の昔から受け継がれてきた「やまとうた」の潮流は、維新後30年を経たことから急に変わった。ことに、与謝野晶子が登場してからは、その流れは決定的なものとなった。
己が心をより直截に大胆に歌うものほど、称賛されるようになった今、かつては一世を風靡した師の君の時代ではなくなってきていたのだ。
その師の君から、花圃はお見舞い品の分配や礼状の代筆のついでに、書類の整理を頼まれる。
蒔絵で萩が描かれた文箱のなかに、分厚い半紙の束があった。和歌の類ではない。
師はいつ、何のためにこれを書いたのか。
やがて花圃は我を忘れて読み始めていた…。

そして第1章。
17歳の登世が母親につれられて、お見合いをしにいやいや浅草の市村座の芝居見物に出かけるところである。
ここからは、登世が「私」と一人称で語る。現代風の言文一致の文体である。
しっかり者の母は、水戸藩のご定宿をつとめる池田屋の女主人。
時は安政7(1860)年。幕府がアメリカと通商条約を結ぶ2年後のことだ。
尊王攘夷の急先鋒であった水戸藩は、徳川の御三家であったにもかかわらず、大老井伊直弼の安政の大獄により、藩主は蟄居を命じられ、藩内には不満が渦巻き、天狗党と諸生党と真っ二つに割れていた。
その水戸藩の若き藩士、林忠左衛門以徳(もちのり)に登世が一目ぼれしてしまったのだ。
そんなとき、水戸藩士による井伊大老の暗殺事件が起こる、世にいう桜田門外の変である。
それに加担した以徳は、逃げ延び、登世のもとに姿を現す。
やがて登世は、母を説き伏せ、以徳のもとに嫁ぐ決心をする。そして、子どもの頃から仕えてくれた爺やとともに、以徳の待つ水戸をめざす。

その後は、水戸藩の血で血を洗う内紛と、尊王攘夷か開国かをめぐって変転する薩長の動きのなかで、翻弄される登世。
登世がその目で見、そして語る、残酷な場面の数々は、あまり知られることのない、日本の歴史における暗部。ナチスドイツどころではない残酷さ。
その中で、人としての心をたもつよすがとなったのが、歌なのである。

江戸から明治にかけての激動の時代の人々の生きざま、とくに男と女の愛を描いている点では、偶然にも前に紹介した高田郁さんの『あい』とも通じるものがある。
しかし、こうした歴史を経て現代の日本が出来上がってきたということを、今の日本人はあまりに知らなさすぎると思う。

ところで、「進化する時代小説」という感想をもったのは、主人公が「私」で語ること、すなわち自我をもっていることに気づいたからなのである。
明治以降の言文一致というのも、まさにそういうことだったのでしょうね。
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おいち 不思議がたり [本のはなし]

以前、あさのあつこ著『おいち不思議がたり 桜舞う』を紹介し、
知らずに購入したこの本が、実はシリーズ2作目であると書いた。

その後、ずっと1冊目を探していて、見つからないでいたのだが
友人が旅先の盛岡の書店で見つけてくれた。
『おいち不思議がたり』(PHP文芸文庫)である。

この巻では、おいちの不思議な能力、夢見の能力が物語の中心をなしている。
最初に見たのは、漆黒の闇に浮かぶゆがんだ若い女の顔。確かに苦しんでいる。
助けて、誰か・・・助けて・・・・・・。
苦しい・・・誰か。

それに対照的なのが、亡き母の姉、おうたの存在だ。
口うるさく、横柄で、情が深いこの伯母は、
おいちを気にかけ、今回も有名な生薬屋(きぐすりや)の若旦那との縁談話をもってくる。

このおうたと、菖蒲長屋で町医者として働くおいちの父、松庵との掛け合い漫才のようなやりとりが、おいちの心の目に映る恐ろし気な世界と対比して描かれる。

その店は3代続いた老舗、若旦那も評判の男前、しかも親孝行の働き者という三拍子そろったいい男。
そんなよい縁談が、長屋の町医者の娘に舞い込んでくるにはわけがあった。
前に大店の薬種問屋の一人娘をもらったのだが、それがわがまま放題で、苦労した挙句、病死したのだという。

そのお夜、おいちは再び、苦しんで助けを求める若い女の夢を見る。
そうした夢をみた後には、きっと当の人が表れるのに、その日に限って何事もなく過ぎた。

おいちの父松庵は、どんなに忙しい時にも、患者の長々と語る話に耳を傾ける。
もっと要点だけ聞けばいいのに、とおいちは思う。
何であんなに年寄りのおしゃべりに根気よく付き合うのかというおいちの問いに答えて、父はこう答える。

 「おいち、人間には心と身体がある。どちらも病むものだ。そして、かなり緊密につながっている。」・・・「身体が病めば心が塞ぐ。心が傷つけば身体も具合が悪くなる。人間とはそうしたものだ。どちらの治療も難しい。とくに心は見えないから、余計に難しい。傷の深さも闇の深さも推し量るしかないからな」

そこへ入ってきた男がいる。長屋には似合わない、いかにも裕福そうないで立ち。
おいちの縁談の相手、生薬や『鵜野屋』の若旦那直介だった。
実は、30年前に子どもだった直介の命を、松庵が救ったことがあるのだという。
その後、店は傾き、ようやくのことで今の店にまで立て直したという。
その間、ずっと恩人である松庵を探していたが、ようやく見つけたら、縁談の主だったというのである。お礼に、高価な薬を原価でいくらでもゆずってくれるという。

直介が別れを告げようとしたとき、おいちの目の奥が鈍く痛み、ほんの一瞬漆黒の闇が眼前に広がる。助けを求めるあの女。

「どうかしましたか」という直介の声に、おいちは意識を取り戻すが、直介の後に苦しみに顔をゆがめた女のおぼろな影が揺れて見え、次の瞬間かき消える。直介があの女を背負っているのだ。

気になって仕方がないおいちは、居てもたってもおられず、鵜野屋を訪れることにする。
そこで出会ったのは、お絹という女中。
いきなりおいちに、ここの若旦那と夫婦になってはだめだという。「殺されますよ」と。

やがて通された奥の間で、おいちは病に伏す、直介の父、直右衛門と面会する。
直右衛門は、これまでの苦労を語り、このごろ、やはり淋しいと語る。そして死に際になると、罪を償いたくなるという。

息子の直介には思いをかわすお梅という女中がいた。しかし、店のことを考えて二人の仲を引き裂いたのだという。その後、おうめも病死した。
---------
というわけで、鵜野屋を巡る謎が明かされていく。

また、“剃刀の仙”と呼ばれる仙五郎親分も登場。
鵜野屋の若女将と女中が相次いで病死したことに不審の念をもっていたらしく、
おいちの話を聞いて、ふたたび調べ始める。

その後の謎解きまでは、これから読む人のために書かないでおくことにしよう。
お楽しみに。

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スウェーデンの黒歴史 [本のはなし]

あっという間に1週間が経ちました。
昨日は、午前3時間、午後6時間+3時間、PCの前に座りっぱなしでした。

Pintoという、椅子の上に載せて使うシートを買ったら、
お値段はけっこう高かったけど、座りごこちがよくて。
背中~腰を脇からしっかり支えてくれるので、疲れにくいのです。
ただね、おしりが痛くならないのはいいけれど、蒸れるのよね。
やっぱり時々立ち上がって、身体を動かさないとね。

で、今日の本はカミラ・レックバリ『死神遊び』(集英社文庫)
久しぶりのエリカ&パトリック事件簿シリーズの第8弾。
ケーブルテレビで見て、想像したよりパトリックがふけているのがショックだったのだけれど、この本では、体重も増えてけっこうな中年になっている。
前の翻訳が出たのが1年半前だから、印象としても時間が経ったと思えるけど、
年を取るのが早すぎる感じ。でも、本とドラマのイメージが近づいてきたのはいいのかな。

このシリーズには、登場人物リストに加えて、人物関係図というのが毎回載っていて、とても助かる。
それでなくても、大勢の登場人物のややこしい関係を頭に入れておくのは難しいのに、耳慣れないスウェーデンの名前ときたら、読んでいても何が何やらになってしまう。
今回は、とくになんどもこの人物関係図を参照しながら読んだ。
(年を取っただけのせいかもしれないけれど)

主な登場人物は、おなじみのエリカ(作家)&パトリック(刑事)のほかに、夫を亡くし、エリカの元カレと暮らしているエリカの妹アンナ。(落ち着いたかにみえたけど、やっぱりね、といった役どころ)
それに、幼い子どもを火事で亡くし、エリカたちの住むフィエルバッカの向かいにあるヴァール島に戻ってきたエッバ(妻)とモーテン(夫)夫婦。
自分たちの手で、家を改装しようとしていた最中、ふたたび火事に見舞われる。

ヴァール島のその家は、もともとエッバの父親ルーネが男子だけの寄宿学校として作った建物だった。エッバの母イーネスは、ルーネの後妻。エッバのほかに、3人の異母きょうだいがいた。

物語は、エリカたちが住むフィエルバッカとヴァール島を舞台とした現在進行中のドラマと並行して、同じ場所での過去のドラマが、1908年以降、1912、1915、1919、1920、1925、1929、1931、1936、1939、1949、1951、1961、1970、1972、1973、1974年と、ときにストックホルムやロンブロー病院、聖ヨルゲン病院などに場所を移しながら、フラッシュバックのように挿入されていくのだ。そして、そのたびに現在に近づいていく。

過去のドラマの主人公は、エッバの曾祖母にあたるダグマル。
彼女の母親は、預かっていた幼児を次々と手にかけて床下に埋めたとして逮捕され、“死の託児所経営者”と呼ばれ、夫ともども絞首刑になった。
以来、養父母のあいだを転々とするダグマル。
あるとき、養家のパーティで出会ったドイツ人と一夜をともにし、妊娠する。それがエッバの母、ラウラである。
そのドイツ人こそ、ヒットラーの片腕となるゲーリングその人。
ダグマルはゲーリングにとりつかれ、徐々に精神のバランスを崩していく。
聖ヨルゲン病院というのは、ダグマルが入院させられた精神科病院である。

なぜ、スウェーデンの物語にゲーリングが?と思うだろう。
でも、確かにゲーリングがスウェーデンと深い関係をもっていたのは歴史的にも確かなことのようだ。今では中立国とみなされているスウェーデンの歴史の暗黒部分である。

そして、1974年の復活祭前日、ある出来事が起きる。エッバの両親ときょうだいが幼いエッバだけを残して忽然と姿を消したのだ。
その日、一家のほか島にいたのは、寄宿学校の5人の生徒だけ。しかも5人は船で釣りに行っていたという。捜査は行き詰まり、未解決のままになっていた。

こうして、ダグマルの物語が娘ラウラに引き継がれ、さらにその娘イーネスへと引き継がれていく。
そして、最後の最後にエッバの今の物語にピースがぴたりとはまる仕組み。
そしてエンディングは、1991年のストックホルムの新聞が伝える、ゲーリングの妻の遺骨が見つかったという謎めいたニュース。

現代のドラマにも、スウェーデンの政界に大きな位置を占めようとする極右団体が登場したり、無能で外見ばかり気にする警察署長など、スウェーデンの現在が映しだされる。
まさにスウェーデンミステリの本領発揮といったところである。
ただ、気になるのは、登場する女性たちがみんな、夫やら子どもやら親らを失って不幸このうえないこと。

エリカとパトリックは仲がいいのだけれど、相変わらずエリカは好奇心旺盛で、夫に黙って事件に首を突っ込んで行っては危ない目に合うし、そんな妻を苦々しく思いながらも受け入れてしまうパトリックも、どうなの?と言いたくなる。少なくとも警官としてどうなの?夫としてもね。






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あさのあつこさんの時代物シリーズ [本のはなし]

先週、あさのあつこさんの本を2冊見つけたと書いて、一冊(『ミヤマ物語』)しか紹介できませんでした。

今週はもう一冊の「おいち 不思議がたり」シリーズ(PHP文芸文庫)から、
『桜舞う』のご紹介。

これは、このシリーズの2作目なのだということを、読みながら知って、1作目を探しているのだが、PHP文芸文庫をおいてある本屋が見当たらない。
注文すればいいのだけれど、積んどく本の山を見ると、わざわざ注文する気にもなれず…。
いずれ探し出しましょう。

というわけで、シリーズ2作目となるのだが、
舞台は江戸深川。その菖蒲長屋に住む17歳の娘・おいちが主人公。
17歳と言えば、もう番茶も出花。そろそろいき遅れが気になる年頃。

だが、父・松庵は貧しい長屋で医者として働いているが
収入はあがらず、おいちはそんな父の仕事を献身的に手伝いながら、
自分も父のような医者になりたいという夢をもっている。
母親の顔は知らない。

だが、シリーズ名「不思議がたり」が示すように、おいちには知られざるある能力があった。予知夢である。
死にゆく人や死んだ人の思いを、夢でみることができるのだ。

この2作目、
親友である呉服問屋の娘・おふねが倒れて、おいちを呼んでいるとの知らせを受けて、
おいちはとるものもとりあえず駆け出したのだが、途中で鼻緒が切れ、2人のごろつきにからまれてしまうところから物語は始まる。

おっとりとしたおふねと、女房を亡くし、どこかタガが外れてしまった父親と幼い妹二人の面倒をみるしっかり者のお松は、境遇は違っていても、おいちの大の親友である。
お互いに誰よりも思いやっているのだ。

ごろつきに下駄をなげつけ、何とかかわしてたどり着いた呉服問屋には、お松も駆けつけていた。
だが、おふねは血みどろになって死にかけていた。赤子を死産したのだ。
でもなぜ?
傍には店のかかりつけ医とその助手が控えており、おいちたちを追い払おうとする。
必死に蘇生を試みようとするおいち。
だが、おふねはおいちの手を取りながら死んでいった。

おいちとお松は、おふねをこんな目にあわせた者への復讐を心に誓うが
ふたたび同じごろつきにからまれてしまう。
そこを助けたのは、おふねのそばにいた医者の若い助手。田澄十斗(たすみじっと)。
近々、長崎まで蘭学を学びにいくという。
うらやましく思うおいち。

その後、このごろつきたちの死体があがる。
ここで、”剃刀の仙”という通り名をもつ相生町の仙五朗という岡っ引きが登場するのだが、どうやら第1作目から登場する重要人物のようだ。
松庵やおいちを見守ってくれているらしい。

と、捕物帳的要素と、長屋の人情話とが合わさった上に
おいちの出生の秘密が絡み合い、物語が進んでいく。
そうそう、おいちの夢見の能力も。

なので、これ以上はこれから読む人のために、紹介するのは控えておこう。
第1作目を探さなくちゃね。

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あさのあつこの新境地? [本のはなし]

最近、本屋にいく頻度が減った。積んどく本の山がどんどん高くなるばかりだから。
でも、たまに寄ると、この本もあの本もと手に取りたくなって
おもしろそうな本に出あうと、うれしくて涙が出そうになる。
本っていいよね。

そのなかで、あさのあつこさんの本2冊を見つけた。
どちらもシリーズ物。

最初に紹介するのは、『ミヤマ物語―第一部 二つの世界 二人の少年』(角川文庫)
副題にあるように、この物語には二人の主人公がおり、それぞれ異次元の世界に住んでいる。
児童文学には、ナルニア国やライラの冒険、はてしない物語(エンデ)など、この種の異次元の世界を行ったり来たりする物語が多い。不思議の国のアリスもそうだ。

たいがい、普段の人間社会に住む主人公が、ひょんなことから異界への入口を発見し、そこから一歩踏み出していく、という段取りになっている。

だが、この『ミヤマ物語』は、深い山のなか、ウンヌの森に棲むハギの物語から始まる。
副題を意識せずに読み始めたので、まるで上橋菜穂子さんの小説のようではないかと驚いてしまった。

ウンヌの村で一番偉いのは、お屋敷のミドさま。次に大樹に住むロウロウの一族。
その下に雑木や花木を住み場とするニクルがいて、ハギはその下のクサジの一族だ。
最下層のクサジは、ロウロウの屋敷に雇われいろいろな仕事をしているが、そまつな衣服しか許されず、裸足だ。それぞれに厳しい掟があり、それを犯すと舌を抜かれたり殺されたりする。

一方、ウンヌの村の外には、ヒトという恐ろしい生き物が住んでいて、みつかると引き裂かれ、食べられてしまうと言い伝えられている。

と、ここで第2章。透流の物語である。
透流の父親は10年前に病気で他界。
その父との生活を綴ったエッセイで、一躍注目されるエッセイストとなった美人の母。
姉もスカウトされるような美しい高校生。
そんな一家の中で透流だけが、学校でひどいいじめにあって不登校となり、居場所がない。

そして、第3章はふたたびハギの物語。
ハギの母はロウロウの屋敷に水を汲み届ける仕事をしていたが、ちょっとした怪我で水を血で汚したとして捉えられ、死罪を宣告される。
愛する母を助けようとしてロウロウの屋敷に潜入するハギ。
母を見つけ助け出そうとしたとたん、ロウロウの見張りに見つかり逃げ惑うハギと母親。

というふうに、交互に語られていたハギと透流の物語がここで交差する。

で、この先どうなるか、というところで第一部が終わるので、
はやく続きを読みたいという気持ちだけがはやる。

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ライトノベル時代小説? [本のはなし]

なんとなく、時代小説でも医師が登場するものは読んでみようかという気になる。
なぜだか説明はつかないのだけれど。

それで、作者も知らない小説を読んだ。
幡大介著『やぶ医 薄斎(はくさい)』(角川文庫)

解説によると、作者は2008年に文庫書下ろし時代小説『快刀乱麻 天下御免の信十郎』でデビューしたそうだ。
時代小説も次から次へと新しい作家が登場しますね。
テレビでも映画でも時代物はとんと見かけないのに。なぜだろう。

ところで、この小説の主人公の名は、枯田薄斎(かれた はくさい)。
本名ではないらしい。
裏店に住む変わり者の医師で、患者に養生をすすめるだけで、薬も出さないから儲からない貧乏医である。
そこに無理やり弟子入りしたのが、やたら調子ばかりよい与之助。

この凸凹2人組が、なぜか遠江の黒岩山藩から御殿医として招聘される。
ところが、これもなぜか薬も処方しないのに、藩主の病を治してしまう。
どうやら、奥方の陰謀が・・・?
小説の幕開けは、この黒岩山藩でのドタバタ。
なにが何だか訳が分からないままに、読み進める。

すると江戸に帰った薄斎たちに、公儀隠密が近づく・・・。
薄斎が忍び?

二人は越中国の尻高藩から往診を頼まれ、でかける。
それが紀州の尾張との暗闘に巻き込まれることとも知らずに。

あれよあれよという間に、何組もの忍びに追われる二人。
金鉱の大爆発。
立ちはだかる大きな熊。
腕の立つ女忍者。
カリブの海賊も真っ青な、船上の活劇。

というわけで、時代物といってもいろいろだし、医者物といってもいろいろなのだ。
ゲーム感覚の時代物なのかもしれない。
よくわからん。

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