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昔馴染みの土地だけれど [本と旅の話]

3月のはじめ、仕事で小倉に行き、約束の時間までに余裕があったので、ホテルから小倉の市街地まで歩いてみた。

皿倉山.jpg遠く皿倉山が望めて、なつかしくうれしくなった。


でも、小倉の街は、私が暮らしていた半世紀ほど前とはすっかり様変わりして、あの小倉城が大きな現代建築の陰で小さくなっていた。
かつては、いわゆる水上生活者のバラックが立ち並んでいた、紫川という優雅な名称とは裏腹の、黒く濁った川は、今やおしゃれなお店が並ぶ優美な流れとなっていた。

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下の写真(左)の右側に建つカラフルなモダン建築はリバーウォーク。北九州芸術劇場が入っているらしい。
タクシーの運転手さんによれば、昔デパートの玉屋があったところだとか。
1489580330626.jpg紫川の川べりは広い勝山公園になっていて、スポーツを楽しむ人や子供たちがたくさんいた。
梅の花も満開。

井筒屋.jpg













もう一つのデパート井筒屋は生き残っていて、新しいビルになっていた。
左手の奥の方に黒い建造物が小さく見えるのは、わずかに残った高炉だろう。



1489580363260.jpg




その裏の通りの壁には、松本零士の「銀河鉄道999」の絵が飾られていて、クロスロードミュージアムと書いてあった。でも、裏道みたいなところで、ちょっとさびしい。
北九州出身なのかと思ったら、久留米の出身なんだって。

1489580283948.jpg
左の青い屋根の建物は市立中央図書館。
この裏の大通りが清張通り。
かの有名な松本清張にちなんだもので、松本清張記念館もある。

中央図書館にはおしゃれなカフェがあって、有機コーヒーの看板が出ていたので寄ってみたら、知的障害があるらしい女性が元気に働いていた。

カフェの中に、地元出身かゆかりの作家たちの本が飾られていて、
どんな人たちがいるかと見てみると、へ~この人も同郷人なんだという人がたくさん。
もちろんブログでも紹介したことのある村田喜代子さんや、中学の同窓、平野啓一郎さん(生まれは愛知県蒲郡。北九州市八幡西区で育つ)は、言うまでもなく。

(ここからは敬称略で失礼します)
加納朋子、山崎ナオコーラなどの女性作家に、リリー・フランキーや松尾スズキといった作家。
中島義道、藤原新也、高橋睦郎、平出隆に大前研一や磯崎新と、そうそうたる名前が並ぶ。
驚いたのは、あの時代小説の佐伯泰英と葉室麟も。

葉室麟さんは小倉生まれで、私の1コ下。
どこかですれ違っていたりして。
昨年、「鬼神の如く 黒田叛臣伝」で第20回司馬遼太郎賞受賞。
テレビでドラマ化されたりしているから、いくつかの作品は知ってはいたのだけど、
名前と一致していなかった。

そこで、本屋にすぐ寄って『蜩(ひぐらし)ノ記』(祥伝社文庫)を購入。
佐伯泰英のほうは、何しろ冊数が多すぎて、どれから読んでいいかわからないから。
さっそく読んでみた。

これは2012年に直木賞をとった作品。
舞台は豊後(ぶんご)・羽根(うね)藩。豊後だから大分だね。

実は、八幡に住んでいたころ、家(社宅)の庭に、筑前と豊前の境を示す石柱が建っていた。
豊前は小倉から中津を含む小笠原家の領地。
筑前は八幡・戸畑から、福岡全体を含む黒田家の領地。

城内で親友と刃傷沙汰を起こした羽根藩の若侍、壇野庄三郎は、切腹と引き換えに、山あいの村に幽閉され、藩の家譜編纂を行っている戸田秋谷の手伝いをすることを命じられ、やってくる。
そこには秋谷の妻と娘、薫と息子、郁太郎がともに暮らしていた。

『蜩の記』というのは、秋谷が毎日つけている備忘録の名前である。
秋谷は、7年前に全藩主の側室との密通のかどで、10年後の切腹を言い渡され、その間に家譜の編纂をするよう命じられたのである。
あと3年で、編纂を終えなければならず、その間に逃げ出さないように見張って、不審な動きがあれば、即座に切って捨てるというのが、庄三郎に与えられた裏の任務であった。

だが、庄三郎が会った秋谷は、およそ不義密通などはしそうにない清廉な人物だった。
やがて、秋谷の無実を信じるようになる庄三郎。
秋谷の子、薫も郁太郎も、庄三郎に信頼を寄せるようになる。

秋谷らの住む村は、かつては戸田家の領地であり、秋谷は郡奉行として村人にも熱い人望を得ていた。
しかし、今や村は商人に土地を買い漁られ、村人たちは飢饉の年には重い年貢に苦しんでいた。
領主たちに反感を強める村人たち。

秋谷の過去と藩の歴史をめぐる謎、村人と侍との対立、庄三郎と秋谷一家との交流。
いくつもの糸が絡み合うようにして、物語が編まれていく。

今は時代小説ブームなんだそうだ。
たしかに、人情話と歴史とがからむ時代小説はなかなか面白いし、泣ける。
この続きも読まなくては。



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信州・上田の旅の収穫 [本と旅の話]

今月上旬、仕事で信州は上田に行ってきた。

上田は、病院に勤めていた頃、同僚から勧められて読んだ池波正太郎の『真田太平記』にはまって以来、ずっと惹かれていた場所。
上田に着いたのが夕方の4時半で、観光する時間もなかったので、タクシーで上田城の周りをぐるっと回ってもらい、そのまま池波正太郎真田太平記館へと向かった。
ここには池波正太郎の生原稿はもちろんのこと、すばらしく達者な絵や自筆の年賀はがき、愛用の万年筆など身の回りの品々が展示されていて、彼の人となりを初めてよく知ることができた。

彼は、大正12年1月に東京・浅草に生まれたが、同年9月に関東大震災で被災し、親戚を頼って浦和へと移り、6歳まで過ごしたという。その後、東京に戻って谷中に住んだりしていて、なんだか私の身近な所に暮らしていたと知ると、ますます親近感が湧いた。

彼の人生に興味をもったので、売店で昭和43年(私が大学に入った年!)に出版された『青春忘れもの』(新潮文庫)を購入、自宅に戻ってさっそく読んだ。

これは彼がいかにして作家となったかを、自身の半生をたどりながら書いたものだ。
浦和もちょこっと出てくる。
だが、なるほどと思ったのは、やはり彼の家庭環境だ。
時代小説を書く人には、単に歴史の知識だけでなく、江戸を始めとする日本の昔の人々の生活や文化、そして芸能などへの造詣がなくてはならないと思うのだが、とくに池波正太郎の小説には、食へのこだわりとともに、そうした文化が生き生きと伝わってくる感じがしていた。

彼の祖父は東京でも名の通った宮大工の棟梁。義太夫や芝居が大好きで、孫をよく芝居に連れて行ったという。
彼の父はその長男。だが、変わり者で大酒のみために夫婦別れして、母子は苦労することになる。
だが、彼自身は父親が悪い親だったとはいわない。むしろ、気の強い母親にも責任がある、というような口ぶりである。
この母親、後に再婚して家を出ていき、彼は祖父や伯父のもとに預けられる。その後、再び出戻った母親の腕には小さな男の子が。彼が「その子誰」と聞くと、母親は「あんたの弟だよ」と答えた。

父方の伯母は吉原の芸妓で、有名な日本画家のお妾さん。
二番目の伯母は引手茶屋を営み、下の叔母は歌舞伎座で小鼓を打っていた人に嫁いだ。
というわけで、6歳で東京・下谷に戻った彼は、幼い頃から花柳界や歌舞伎座などに出入りして、芝居や芸事だけでなく日本画などにも親しんでいたのだ。
彼の小説の色っぽさは、筋金入りなのだ。

彼は寝ているのが大好きで、ほかには画を描いていれば何もいらないというような子どもであり、将来は鏑木清方の弟子になるつもりだったそうだ。確かに、展示されている絵はとても上手だ。

それにおいしい食べ物への執着も、子どもの頃から。貧乏で普段はおいしいものを食べられなくても、大人に食べに連れて行ってもらったり、たまにお駄賃をもらっておいしいものを食べる喜びはひとしおだったのだろう。人生の中でおいしいものの話が途切れることはない、という感じ。

生涯の友というべき「留吉」と会ったのも、常連となった牛めし屋でめしの値段を巡って取っ組み合いの喧嘩になったのがきっかけだった。そのときなんと、10歳だというから驚きである。

小学校を出た後、彼は母の勧めで「カブ屋」になる。株式仲買の仕事だ。言ってみれば、人のカネでばくちを打つようなもの。子どもなのにあぶく銭を身につけ、留吉と一緒に芝居を見に行ったり、おいしいものを食べ歩いたり、長唄を習ったりしている。
吉原の芸妓に面倒をみてもらったり…。彼の小説は実体験がかなり反映しているんですね。
実際、この『青春忘れもの』という本には、これまでの人生を描いたエッセイの後に、「同門の宴」と題した時代物の小説がついている。そこに登場する人物の像は、彼の半生記に登場する人物とほとんど重なっており、彼も自分の作品がどのようにして生まれるのかを示したくて、この小説を付けたのだという。

太平洋戦争では海軍に入り、それなりの苦労をしたようだが、一貫して苦労を苦労とは思わず、父親のことも母親のことも(海軍の厳しい上官に対しても)かなり距離がある書き方だ。彼の小説に登場する親子関係とはちょっと違うようだ。

終戦後は、なんと驚いたことに、下谷の役場で、GHQから支給されたDDTを撒布する仕事に就く。下谷の保健所だ。またまた私の知っている場所。
若い人は知らないだろうが、私も子供の頃は夜寝る前に頭から寝巻の中から、筒状の入れ物をパフパフさせて、白い粉だらけになったものだ。ノミやシラミを退治するためだ。

実は、彼は67歳という若さで亡くなっているのだが、その死因が白血病だという。
この若い時期のDDT撒布と関係がありそうな気がするのだが・・・。

子どもの頃から吉原に出入りしたような人が公務員になり、新国劇の劇作家になり、やがて何冊もの小説を書いて世に広く認められるようになり、最後は白血病であっけなく亡くなるなんて、その人生自体がドラマのようではないか。

     ★ ★ ★

ちなみに池波正太郎真田太平記館には、真田家の品々もたくさん展示してあり、真田幸村の自筆の手紙(読めない!昔の人はどうしてこれが読めたのだろう)も数々ある。

それに大阪夏の陣・冬の陣の戦いの様子をCGで見せる仕掛けもあって、小説では想像力が及ばないところを補ってくれる。
忍忍洞というまっくらな通り道もあって、真田家の草の者(忍者)について紙芝居のような仕掛けで見せてくれたりする。










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同時代人としてのグレアム・グリーン [本と旅の話]

グレアム・グリーンといえば、『第三の男』が有名。

オーソン・ウェルズ主演で映画化されて有名になったこの小説は、実はキャロル・リード監督による映画化を前提に、ウィーンを舞台にした物語を書いてほしいという依頼で書いた本だという。
出版されたのは、1950年。
ウィーンはまだ第二次世界大戦による破壊から復興してはいなかった。

この印象が強いので、私はグレアム・グリーンは戦前の作家だと勝手に思い込んでいた。
かつて論じたこともある 『燃え尽きた人間』も、1950年代のベルギー領コンゴにあるハンセン病施設を舞台にした物語だったし、カトリックの作家というプロフィールも、よけいに一時代前の作家という印象を強めていた。50年代といえば、戦後なんだけど。なぜかな。

ところが、やはり彼の代表作の一つと言われる『ヒューマン・ファクター』(早川書房)を読んで、
同時代人なのだと分かり、驚いてしまった。
なにしろ、ロンドンにトヨタの小型車が走っているし、
登場人物が「プレイボーイ」誌を読んでいたりする。
「水爆が原爆を単なる戦術兵器にしてしまった」なんていう記述もあり、アメリカの誘導ミサイルや衛星の追跡局といった言葉も出てくる。

この原作が出版されたのは1978年。私が精神科ナースとして働きだしたころだ。
ちなみに彼が亡くなったのは、1991年。
つい最近ではないか(なんていうと、いかにも年寄りに思われるだろうが)。

 ☆ ☆ ☆

この小説の主人公は、英国の諜報機関に勤務する初老の男、カッスルである。
アフリカで勤務していたときに、黒人女性と愛し合うようになり、その息子とともに英国へ脱出する際に「敵方」であるソ連の諜報部員の力を借りたことがきっかけで、二重スパイとなる。
(ジェームズ・ボンドを暴力的過ぎると批判するくだりもある)

英国国教会からカトリックに改宗し、共産主義にも傾倒したグリーンにとっては
「裏切り」は常につきまとうテーマだ。
実際に、第二次世界大戦中は諜報機関に勤めたこともあり、実在した有名な二重スパイ、キム・フィルビーの部下だったという。

だが、この本はそうしたスパイ物のサスペンスもありながら、描かれているのは愛だ。
「愛と憎しみはどちらも危険だ」とか、「怖れと愛は不可分である」といった文章を読むと、
彼がどれだけ葛藤していたかがわかる。
「絆を求める者は敗れる。それは転落の病菌に蝕まれた証し」というコンラッドの一節が引用されていたりする。

実は、まだベルリンの壁が崩壊する前、私はミステリだけでなく、スパイ小説のファンでもあった。
ル・カレはもちろん、フリーマントルなども愛読した。
騙し、騙される心理戦がとてもスリリングで、楽しめたからだ。

英国に半年いた時には、ケンブリッジのフルボーン病院でお世話になったデイビッド・クラークが、007の生みの親イアン・フレミングを診察したことがあると聞いたこともあった。
また、『MI6』という英国秘密諜報機関についての本を読んで、これまたお世話になったソーシャルワーカーのデイビッド・アンダーソンが実はスパイではないかと、本気で疑ったこともあった。
なにしろ数か国語を使え、諜報機関に勤めたことがあるとも聞いていたので。

本人に、おそるおそる「あなたはもしかして、スパイ?」と聞いてみたら
デイビッドは大真面目で"How did you find out?"(どうしてわかった?)と答えた。

当時は、東西冷戦による緊張が続いていて、夜、雷雨が襲ったとき、「爆撃か?」と飛び起きたこともあった。実際、東ベルリンに行ったときの恐ろしさは、今も生々しく記憶に残っている。
ドイツにいた友人は、テレビに緊急速報が流れると、すぐに「戦争か?」と反応していた。

今は、そんな時代は去り、資本主義の一人勝ちの世界となってしまった。
大国同士の戦争の危険は遠くなったが、世界中にコンフリクトが蔓延し、
大量の死者や負傷者が生まれている。
情報戦は見えないネットワーク上で展開されていて、疑心暗鬼と不安の広がりはかつての比ではない。

この先、世の中、どうなっていくのだろうか。

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小鳥好きにはたまらない? [本と旅の話]

私の周りには、何人かの小鳥好きがいる。
とくにオカメインコ。
彼らの話を聞いていると、まるでペットの犬や猫のように感情表現が豊かで、「人間的な」コミュニケーションができるようだ。

私自身は犬や猫はもちろん、ペットというものを飼ったことがないので、
そのあたりのところはよくわからない。
本当に小さいころ、鶏を飼っていて、毎日鶏小屋の糞を掃除し、卵を取っていたのを思い出した。
でも愛着を覚えた記憶はなく、あれはペットとはいえない。

おまけに、ケンブリッジの病院の看護師宿舎に滞在していた時に
看護学生が自宅からインコを持ち込んで、
よりによって共同で使っているキッチンのシンクの脇にその籠を置いたので、とても不快に感じたことを覚えている。
なにしろ餌を食べ散らかしたり、羽をバタバタしてゴミやほこりをあたり一面にまき散らすので、
とっても不潔に感じたのだ。

ここで、小鳥好きにはたまらない本のご紹介。
小川糸『リボン』(ポプラ社)

お気に入り『食堂かたつむり』『つるかめ助産院』の著者だ。

「リボン」というのは、ひばりちゃんという小学生と、彼女がすみれさんと呼ぶおばあちゃんが、親鳥が抱卵をやめてしまった卵を、なんとすみれさんの髪の毛の中で何日も大事にあたためて孵化させ、育てたオカメインコだ。

このすみれさんというおばあちゃんが、
長いスカートに帽子をかぶって、2階の物干し台に藤の揺り椅子に座り、一日中、コーヒーをちびちびと飲みながら、バードウォッチングをしているという、とてもユニークな人なのである。
戦争が始まる前、ヨーロッパに留学して声楽を学んだという経歴をもつ。

やがて孵化したリボンは、ひばりちゃんとすみれさんに愛されて育つ。
このあたりのエピソードや描写は、小鳥を飼っている人はあるあると思うだろう。
そしてリボンを介して、ひばりちゃんは若いころのすみれさんを知ることになる。

でも、何年か後、リボンは籠の掃除をするために外に出したときに
大空に飛び立って姿を消してしまったのだ。

次の物語は、おなかの子供を亡くしてしまった妻の短い物語。
悲しみにくれる妻の目の前に幻のような黄色い小鳥が突然現れる。

次の物語に登場するのはもう一人、傷ついた鳥たちのためのサンクチュアリを運営する青年。
小学生だった頃に、レモンというオカメインコを飼っていて、自分の不注意から死なせてしまったことが、この仕事に就くきっかけだった。
そしてここに黄色いオカメインコのバナナが連れてこられる。
ゴミとしてケーキの箱に入れて捨てられていたのだ。
はじめは何を与えても食べようとせず、衰弱するばかりだったのが、唯一食べたのがバナナだったので、この名前が付けられた。
やがて、バナナは人に慣れ、お見合いをして新しい飼い主にもらわれていった。

・・・

という具合に、黄色いオカメインコを巡る物語が、何の見出しもなく、続く。

スエヒロは、1杯400円のビールだけを出すビヤホールのママが店で飼っている鳥だ。
ここに通う客が、スエヒロの憂いを含んだ眼差しが高校生時代に付き合って傷つけたまま別れた女の子に煮ていることに気づく。
次の瞬間、スエヒロは壊れた籠から逃げ出し、姿を消す。残されたのは黄色い羽根が一つ。

次の物語はスエヒロという名のインコが、病院で余命宣告を受けた直後に、公園で休んでいた「私」の肩に飛んできて止まる場面から始まる。

これが、あのスエヒロなのかはわからない。「私」は画家だ。
そして次は、その画家に挿絵を依頼する編集者の視点で物語が語られる。
スエヒロも、画家の死後、物語といっしょに編集者に託される。

こんなふうに、風にふわりふわりと舞う鳥の羽のように物語が進んでいくのだが、
途中で、とつぜんリボンが戻ってくる。
リボンは姿を消したままなのだが。
ひばりちゃんは成長しているが、すみれさんは年を取って元気を失っていく。
そして、ひばりちゃんに若き頃のドイツでの思い出を語って聞かせるのだ。

ここで物語の急展開に、違和感すら抱く。
何しろ、舞台はドイツのベルリン。時代は1961年に一気に飛ぶのだ。
冷戦が厳しさを増すなかで、東西ベルリンを隔てる壁が建てられた年だ。
このとき、すみれさんは愛するハンスさんと引き裂かれ、二度と再会することはなかった。

私も70年代にベルリンに行き、恐ろしい思いをした体験があるので
物語の設定自体は現実離れした話に感じるのに、
その情景だけはリアルに想像でき、
なんだか妙な気分になった。

物語酔いみたいな感じ。

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未知の国、ボツワナ。 [本と旅の話]

前に紹介した、アレグザンダー・マコール・スミス著「no.1レディーズ探偵社」シリーズを読み進むにつれ、その舞台であるボツワナ共和国に興味をもつようになった。

というのも、主人公のマ・ラモツエ(マは女性に呼びかけるときにつける)が、
しきりとボツワナは、アフリカのほかの国とは全く違った、平和ですばらしい民主国家だと繰り返すのだ。

どうしても、アフリカというと、どこも独裁につきものの虐殺と腐敗の国家、あるいは内戦と飢餓の続く国々、というイメージが付きまとう。
そんな素晴らしい国があるのか、と半信半疑で、ネットでいろいろと調べてみた。

ウィキペディアによれば、
ボツワナは、「南部アフリカの内陸に位置する共和制国家で、イギリス連邦加盟国である。南を南アフリカ共和国、西と北をナミビア、東をジンバブエ、北をザンビアに囲まれた内陸国」とある。

国の大部分がカラハリ砂漠とそれを取り巻くサバンナからなる熱帯平原だが、国土の全体が海抜1000メートルのところにあり、冬の朝晩は氷点下にまで冷え込みむという。
カラハリ砂漠は、「no.1レディーズ探偵社」シリーズにもよく出てくる。
とにかく自然環境が厳しく、交通路が開けなかったため、ボツワナは奴隷貿易の対象ともならずにすんできたという。
このボツワナへの道を初めて踏破したのが、有名な探検家であり宣教師であったリビングストンである。

現在、人々が多く住んでいるのは、南アフリカ共和国に面した南部だけ。首都は探偵社のあるハボローネ。

本の中にもよく出身部族を確かめる場面が出てくるが、ボツワナは多民族(部族)国家なのである。もっとも多いのは、南アフリカ共和国を構成する一民族でもあるツワナ系の人々だという。
ボツワナというのは「ツワナの国」という意味。

先住民は、「サン」いわゆるブッシュマンであるが、マ・ラモツエが養子にした姉弟もブッシュマンだった。
このサンについて、次のような興味深い記事を見つけた(『ボツワナの歴史』)。

サンは、口承伝承をほとんど持たない。祖先を崇拝せず、直接記憶に残る親族より古いものの記録は残っていない。恒久的な墓を持たず、偉人や偉大な祖先を讃えることをしない。特定の未来を表す単語を持たず、暦を用いず、4以上の数を数えない。徹底した平等主義者であり、集団内部に職業集団などの階級はなく、リーダーもいない。父と父の兄弟、母と母の姉妹を区別しないため、出自集団もなく、従って部族、クランといったサン内部の共同体組織・組織化された社会集団も存在しない。さらに物質的な蓄積に関心がないため、村を作らず、獣を使役せず、直接背負える道具以上の家財も持たない。このため研究が難しい民族でもある。

ただし以上のような特徴からサンが「野蛮」であると判断するのは早計である。サンは現実を最重要視する民族であり、厳しい生活環境に適応する知識、技術に特化しているといえる。集団の力で生きるツワナ人が餓死してしまうような歴史に残る干ばつの年でも、サンは影響を受けない。蓄えもなく、ツワナ人よりも過酷な環境に暮らしているにもかかわらず。これはサバンナの樹木1本1本を固有名詞で呼び、砂漠に住む全ての生物に関する知識と、これを生かす技術があるからだ。例えばたった1人で射程数mの弓のみを使って大型の草食動物を倒し、地中の昆虫を試行錯誤することなく直接掘り当て食料とすることもできる。


サンの現実主義的なDNAは現代に至るまで生きつづけ、ボツワナの発展を根元で支えているように思える。第一に、このサンの文化のおかげで、ボツワナはキリスト教による教化もほかの国々と比べて進まなかったが、かといって白人排斥のアフリカ化にも陥らなかったのである。

Flag_of_Botswana_svg.pngボツワナは第二次世界大戦後英国の保護領ベチュアナランドとなっていたが、1966年、ボツワナ共和国として独立した。初代大統領セレッツェ・カーマは、本の中でも尊敬される指導者として語られている。
周囲をナミビア、ローデシア、南アフリカ共和国と、白人絶対優位主義の国々に囲まれながら、
独立して間もなく世界最大級のダイヤモンド鉱脈が発見されたことから、ボツワナ経済は世界最速の経済成長を記録し続けることになった。

他の国々と違ったのは、初代大統領カーマが汚職に対し強力な対抗策をとったことである。
政府腐敗の少なさと潤沢な資金による開発計画の実行により、 行政効率は向上し、他国からの援助も効果的に使われるようになった。
また、建国当初よりカーマは人種間の融和を重んじ、他国において急速に進められた政府職員のアフリカ化を積極的には行わず、無理のない形で徐々に進めていった。
これに よって他国にて起こった行政能力の低下がおこらず、以後の国家の発展に外国人職員は重要な役割を果たした。

このあたりの事情が、ジンバブエ生まれのスコットランド人である著者のボツワナ礼賛につながっているのだろう。著者の父はボツワナの植民者だったという。

ボツワナは、アパルトヘイトの国、南アフリカからの越境攻撃やローデシアの内戦などにもさらされながら、みずからは反撃せず、難民を受け入れる姿勢を取り続けた。
現在も、民主的な選挙で大統領が選ばれており、安定した政権が続いている。

このような国がアフリカの真ん中にあったことをまったく知らなかったのは、本当に無知だったと思う。
サンの狩猟を描いた古代の洞窟画をいつかは見てみたいと思う。


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大阪へ行ってきました。 [本と旅の話]

週末にお仕事で大阪へ。
大阪は、中学校の修学旅行で降り立って以来。
まだ新幹線もなく、早朝で、大阪城を外側から見ただけで、京都に向かったように記憶している。
だから、大阪は本当に初めて。

タクシーの中から、天満橋、天神橋という地名を見て、わくわくしてしまった。
というのも、直前に高田郁の『銀2貫』(幻冬舎時代小説文庫)を読んだばかりだったから。

この本、2010年に出てたらしいのだが、気づかなかった。

舞台は大阪天満、寒天問屋井川屋の主人、和助が仇討にあい、父を惨殺されみずからも殺されそうになっていた少年鶴之輔を救う。その命の引き換えに払ったのが銀二貫。
大火で焼失した天満宮再建のために、コツコツ働いて貯めた大金だった。

和助に助けられた少年は、武士の身分を捨て、名も松吉と変えられて、真冬の寒天づくりの現場に投げ込まれる。
煮たてられる天草の匂いに耐えられず、繰り返し嘔吐する松吉。

やがて、和助のもとに戻った松吉は、番頭の厳しいしつけにも耐え、同輩の丁稚に助けられながら献身的に働くようになる。
番頭は、天満宮へ寄贈する予定だった、銀二貫を松吉のために失ったことが許せないのだった。
そんなとき出会ったのが、真帆家の料理人嘉平とまだ幼かった愛娘真帆。

寒天をつかった新たな料理で真帆家は有名になるが、
またもや襲った大火で、嘉平は死に真帆は行方不明となる。
嘉平の最後の言葉をたよりに、松吉は新たな寒天づくりに挑戦する。
何年にも及ぶ試行錯誤と失敗の連続。

そして、真帆の行方は?

で、銀二貫が繰り返しカギになるのですが、天満橋と天神橋を行ったり来たりしながら、物語が進みます。

現代の天満橋も天神橋も、往事をしのばせるものはありませんでしたが
私はタクシーの中からまぼろしを見ていました。

やっぱり、泣けます。

解説に、高田郁さんが小説を書くために、何度も図書館で資料を探すだけでなく、
実際に何度も料理を作ったりしているということが書いてありました。
寒天も、何度も煮ていたらしいです。
リアルな描写は、そうやってできるのですね。
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