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自分の身体をチェック [こんなことあんなこと]

カードのポイントがたまったので、タニタ食堂おすすめ、という体重計に交換した。
正しくは、「体組成計」というらしい。

これまで毎週実家に行くたびに、入浴前に古い体重計に乗っていたが、それも処分してしまったので、お正月にぶくぶく太ったのではないかと心配になって。

新しい体重計、もとい体組成計は、従来のより厚さも幅も、重さもぐっとスリムになって、何処に置いても邪魔にならない。
大体A4版サイズを正方形にした感じ。

おまけに、立てておいても、横にして使うときには、機械の誤差を自動的に調整するんだそうだ。
というか、立てておくと誤差が生じるなんてこと自体、知らなかった。

おまけに、
「健康をはかる」「カラダをまるごとチェック」と標榜している通り、測るのは体重だけではない。
もちろん、実家の体重計もBMIらしき数字をはじき出し、4とか5とか数字で評価してくれていたけれど。
こちらは、最初に生年月日と性別、身長、体重を入力すれば、あとは乗るだけで体重の表示が出て、下りると、BMI→体脂肪率が次々と表示される。
さらに、筋肉量 → 内臓脂肪レベル → 基礎代謝 の数値が出て、最後に 「体内年齢」というのが、表示されるのだ。かしこい!

それに、それぞれの測定値に標準より上か下かなども判定してくれ、これまで実家の体重計ではちょっとBMIが標準を上回る?と心配していたのだが、標準と判定された。よかった。

たいていが標準の中に納まり、内臓脂肪も大丈夫だったし、基礎代謝も多いと判定されたのだが、唯一、筋肉量が少ない!と出た。
日ごろの運動不足が如実に表れたわけで、機械に叱られた感じ。

それでも、最終判断としての体内年齢は、なんと実年齢より10歳も若かった!! まだ50代ですよ!!
でも・・・
翌日、ちょっと食べすぎたかなと思ったら、体内年齢が1歳増えていた。
そんな、1日で1歳年を取るなんて…。
翌日は、若干食べる量をセーブしたら、元に戻っていた。感じやすいのね。

とうぶん、この機械の指導に従ってみよう。
そうそう、あと「骨密度」を測定してくれると文句ないんだけどな。





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家仕舞い [こんなことあんなこと]

今日、実家の家仕舞いをした。

これまで毎週通って、姉と一緒に少しずつ整理をしてきたが、1月いっぱいで不動産屋さんに引き渡すため、最後はリサイクル業者を頼んで、家の中を空っぽにすることになった。

売れるものは売り、譲れるものは譲り、捨てるものは捨ててきた。
なので、2、3時間もあれば済むだろうと思っていたが、甘かった。

10時前にトラック3台が到着。スタッフも5、6人。
タンスや本棚、ベッド、ふとん(たくさん)、机、ソファー、サイドテーブル、ダイニングセット、エアコンなどなどの大物家具のほかに、電器製品、本、服や靴、食器、人形、化粧品、洗剤や薬品、掃除道具など、細々としたものが出るわ出るわ。
タンスの裏にはびっしり綿ぼこり。
あれだけ捨ててもこんなにあったかと驚くばかり。
それでもさすが本職の方々。狭いところをせっせと運びだす。
さらには、外の大きな物置、エアコン室外機、物干しや植木鉢や棚の類も運ぶ。
木の枝が邪魔になって運び出せず、お隣さんから枝切り鋏を借りて、枝切り。
お昼休みを入れて、終わったのは午後4時。
6時間の大仕事。
やっと終わって、3台のトラックが出て行った直後、門扉の脇の灯りが残っていることに気づき、電話で呼び戻す。

48年前、姉と二人で、九州から実家の荷物を積んだトラックを新居に迎えたときのことを思い出す。
そして今、やっぱり姉と二人で残りの荷物を積みこんだトラックが出て行くのを見送った。
ほぼ半世紀にわたるこの家の歴史がこうして閉じた。

母が亡くなってから、よくひとからお寂しいでしょうと聞かれるが、
素直に「はい、そうですね」と言えない複雑な気持ちがある。
正直に言ってほっとした気持ちもあるし、言葉にとてもしにくい。

だが、この土地との縁がこれですっかりなくなってしまうと思うと、それは悲しいし、寂しい。
育った九州の土地にもすでに家は影も形もなくなっており、親しい友達も亡くなってしまったりしてつながりがほとんどなくなってしまった。

こうやって人生が終わっていくのかなあと思うと、それも寂しい気持ちになる。
時間が過ぎるのが本当に早すぎて、ついていけない感じ。
あとは、自分自身がどうしていくのか、真剣に考えなくちゃいけないのだな。


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おかたづけ [こんなことあんなこと]

ほぼ一週間というもの、大みそかと元旦に根津神社に出かけたくらいで、あとはずっと自宅にこもって誰とも会わず、しゃべらずの日々。
周辺の商店は、3が日が過ぎてもまだお正月休みのところが多く、お買物もできない。
(セブンイレブンだけはやっていたが)
今日、ようやく近所の小さなスーパーが開いた。
東京と言ってもお正月は不便だ。
だからこそのおせちなんだろうけれど、すっかり忘れていた。

昨年末は、実家から運び込んだ段ボール箱の片づけであけくれ。
そのためのワイヤーの棚を2基購入。
女性でも一人で組み立てられますということで、やってみたが
何とか形にはなったものの、ちょっとちゃちで若干棚が斜め?

あとは本や衣類を処分して、空きスペースをつくるしかない。
クラシックのCD30枚はBook-Offにもっていき、940円。
ほとほと困るのは、ペーパー類。
プリントアウトした大量の資料を、改めて内容ごとに分類はしてみたものの、
ついつい手が止まり、読んでしまう。結局、はかどらない。
しかも、それで減るわけでなし…

会議の資料なんか、思い切って破棄してもよいのだが、
そうしたものに限って、後で必要になるのは、何故なんだろう。

USBに保存しても、けっこう探すのが厄介。
保存したことを忘れていたりするからなおさら。

身の回りには、みんな不要と言えば言えるものばかり。
必要なのは断捨離か…

母は、晩年、やたら片づけまくっていたけれど、それでも呆れるほど物が溜まっていた。
住まいが広ければ広いほど、物は溜まる。
すると、収納用品を購入する→しまい込み、忘れる→ないと思い、また買う・・・の悪循環だったのだ。

棚を買ったのは、間違いだったか…

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年末の中華街 [こんなことあんなこと]

ほぼ実家の整理がついて、今年は初めて実家に行かないお正月。
姉に秋田に誘われたけど、寒いところはとんでもないので、今年は一人で過ごすことにした。
でも、今日は横浜に住む甥っ子夫婦を誘って、石川町の広東料理のお店に行ってみた。
中華街でどこかおいしいお店を教えて、と横浜の友人に尋ねたら、
中華街においしい店はない!おいしい店はみんな東京にある!という驚くべき返事。

それでもと、石川町の鴻というお店を紹介してくれた。
こじんまりとした家庭的な雰囲気。
東京のホテルで修業したシェフが店を継いで、新しくしたみたい。
リセンヌ小路という場所にあった。

最初に頼んだのが、今日のおすすめ料理の「よだれ鶏」という料理。
焼いた鶏に甘辛くスパイシーな黒酢のたれがかかって、これが絶品。
パクチーが載ってて、これが美味しさを引き立てていた。
お店のおかみさんのお勧めで、残ったたれを水餃子に絡めて食べたら、これも絶品。
白麻婆豆腐は、色白なのに、ものすごいからい!青とうがらしを使っているんですって。
野菜とホタテの炒め物もおいしかったし、最後の杏仁豆腐もなめらかで、白いプリンのようだった。
帰りに中華街に寄って、いろいろなお茶を購入。ついでにタイガーバウムも。
肉まんは夕飯に。

それにしても、40年前に来た時に比べると、中華街の何という拡大ぶり!
だってあの頃は、まだ日中国交回復間もない頃で、そんなに中国人が日本中にあふれているなんて考えられなかった時代だものね。

70年代の半ば、浦和でべ平連の人たちと一緒に中国語教室を開き、
NHKの教育テレビで中国語講座の先生だった女性を呼んで、みんなで勉強しあった。
そのつてで、中華街の知り合いのお店に連れて行ってもらったのだった。
もっとも目的は、横浜港に入った中国の船を訪問して、中国人船員との交流をすること。
当時は、たばこが贅沢品だったらしく、たばこをふるまわれたりした。吸わなかったけど。
他にも、当時話題になった中国雑技団の公演の手伝いもして、楽屋裏で衣装にアイロンをかけたりもした。

文化大革命の時代だが、今でも記憶に残っていることがある。
若い中国人女性に将来のことを聞いた時、どのような職業に就きたいかという質問に、
「上の人が塩梅してくれる」。
「結婚はどんな人と?」と聞くと、それにも「上の人が塩梅してくれる」と答えたのだ。
上の人というのは、党の人らしい。共産党である。
「障害者」という言葉が通じなかったことにも驚いた。
街で車椅子に乗った人をみることなどないようだった。
まだまだそれどころではない経済状態だったのかもしれない。

そんなこんな経験から『天の半分』というフランスのフェミニストたちが文革時代の中国を訪問して、中国での女性の状況を報告した本を翻訳したのだった。
ちなみに『天の半分』というのは、毛沢東が天の半分は女性が担っているといった言葉から来ている。
でも、フランス人フェミニストの目には、そうした表向きの掛け声の裏に、伝統的な中国文化が抜きがたく残っていることがはっきりと映っていた。
なにせ、纏足の文化だったのですからね。
池谷薫監督の『延安の娘』にも、そうした現代中国の一面がよく描かれていた。
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フーテンの寅さんは疲れる。 [こんなことあんなこと]

10月に愛媛の松山、11月の第1週に長野の松本、翌第2週は兵庫県の神戸・・・。
松本行の直前になって、ホテルの予約をしてないことに気づき、慌てて探したが、結局バカ高いホテルのツインしか取れなかった。神戸も同様。

最近はどこでもホテル代が高い!外国人観光客が増えて、どこもホテル不足なのだ。
朝食も待たされることが珍しくない。早起きしなければ、予定に間に合わないことも。

1月は、横浜と千葉の近場の仕事でひといき。
2月は、第1週に小倉で2つ仕事が入っている。川越でも。
3月にはまた、福岡。芸能人みたいだな。

おまけに11月~1月は、大学の非常勤の講義が7回。
グループと個人面接がこれに加わり、並行して週1回の実家の整理。

やっかいなのが、学会で頼まれる講演。
普通なら、講演用の資料づくりで済むはずが、その前に抄録集の原稿、講演が済めば学会誌に掲載する原稿を頼まれる。
大学の講義も90分で120分の2時間分にカウントされるのは、その前に準備があるという理由から。
学会で60分の講演をするためには、移動時間も含めると、トータル、かなりの時間を費やすことになる。
呼んでいただけるのはありがたいこと、文句を言ってはいけないとは思うものの、つい。

甥っ子に、「いつまで働くの?」と聞かれて、そうだよなあと思う。
定年になったんだもの、もっとゆっくりしてもいいはずだ。
仕事でない旅行もしたいし、ゆっくり海でも眺めていたいと思うのだが。

週1回のブログの更新が遅れたことの言い訳を書き始めたら、こんな愚痴ばかりになってしまった。
本当は原稿を書かなければいけないのだけど。
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傷だらけの人生 [こんなことあんなこと]

毎週1回、実家の整理に行くことだけが決まった仕事となり、気づいたらもう5ヶ月が経った。
姉と二人での整理作業も、果てしなく続くかに見えたが、確実に物は減っているように見える。
ただ、その減ったかなりの部分は、そのまま二人の自宅に持ち帰っているから、
自宅のほうが大変なことになっている。

なにしろむか~しからの物が押し入れ深くに眠っていて、それを引っ張り出すだけでもたいへん。暗くて中がよく見えないところを手探りで、中のものを引っ張り出していたら、
いきなりこたつ板(昔の分厚くて重い木の板)が倒れ掛かってきて、あわてて腕で抑えようとしたら、手首の外側にえらい傷を作ってしまった。

打撲と擦り傷を合わせたような傷で、1週間経ってもグジュグジュの傷が治らず、むしろ赤みが広がっていく感じだったので、近くの皮膚科を受診。
かなり前から、たまにお世話になっているお医者さんだけど、かなりのお年。
だけど、とても親切なお医者さんで、10時の診察開始のときから待っている患者が玄関の外に列をなすほど。
午前中の診察が終わるのも、2時近く。午後は3時からなんだけど、終わるのは8時ないし9時ごろになるみたい。
患者は一応、診察券を出して、「〇時間後にもう一度来ます」と告げて、出直してくる。

亜鉛クリームにステロイド剤を混ぜた特製のお薬を処方され、朝晩取り替えること2週間。
手首だもんで、会う人ごとに「自傷?」とか「リスカ?」などと聞かれる。
事情を話すと、「やっぱりそうじゃない?」と。

3週目にしてようやく、薬はもういいでしょうと言われたが、瘢痕が板の角の形に赤くくっきり盛り上がって残ってしまっている。
おまけにテープでかぶれて、赤みがかった湿疹痕のようなシミもまわりに残り、あ~れ、雪のような柔肌が・・・(だれも言ってくれないから自分で言う)。

と、そこへきて、実家からもってきたT-Falの電気ポットで、同じ手首の反対側に火傷。
表と裏に傷ができた。

目の前の棚の上のものを取ろうとして手を伸ばしたら、下に電気ポットの注ぎ口がちょうどあって、噴出した湯気がもろに手首を直撃。
あっと思った瞬間、すぐに水道水で冷やしたのだが、火傷ってなかなか厄介。
表面上はただれもなにもないのだが、
日が経つにつれ、どんどん皮膚の奥にまで赤みが進んでいくみたい。
これでまた、皮膚科受診しないといけないか…。
今、悩んでいるところ。

キッチンのガスコンロと水道栓、洗面所と風呂場の水道栓を業者に取り替えてもらって、いい気分なのだけれど、ご本体(私の身体)のほうを取り替えてもらわないと。

なにしろ、新しいガスコンロのグリルは、タイマーや温度調節のコントロール盤がついていて、おまけにメニューを選べば、魚を焼くにも、生魚/干物/姿焼きと選べるのだ。
さっそく干物を焼いてみたが、臭いもしない。
そのままトーストもできる。(トースターが不要になった)
最近のガスコンロはすごい。

すごすぎて、取り付けた業者の人が一通り、機能を説明してくれたのだけど、いざ実際に使おうと思えば、トリセツを持ち出して、調べないといけないのが難点。

でも、今のマイブームは焼き野菜。
夏野菜は焼くと最高。



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掘り出し物 [こんなことあんなこと]

毎週実家の整理に通っている。やってもやっても片付かないが。

昨日は、自分の部屋の整理に取り掛かり、本棚の上にあった大きな段ボール箱を整理することにした。
外から見ているとしっかりした段ボールだと思っていたのに、下ろしてみると蓋の部分は日に焼けてボロボロ。触るとバラバラになった。

中にあったのは、手紙やはがきの束。
小学校時代から大学の教養学部の時代までが詰め込まれていた。
昔はメールやSNSはもちろん、電話だってすべての家にあったわけではなかったので、子どもでもよく手紙のやり取りをしていたのだ。
とくに、小学校の途中で東京に転向していった厚子ちゃんとは、毎週どころか、週に何回かの頻度でやり取りしていた。ほとんど日記替わりというか、LINEに近いか。
でもLINEなら、長くても数行、二言三言程度だろうが、なんと毎回、便せん数枚にわたってたわいもないことを書き綴っている。
けっこう世の中を嘆いていたりして、昔の子どもはよく考えていた?

驚いたのはその値段。
一番古いのは、手紙が10円、葉書が5円。
それがまもなく7円と15円に値上がりしている。高度経済成長期に差し掛かったのだ。

中学に入ると、カナダのケベックに住む女子中学生がペンパルになり、航空便のやり取りが始まる。
その頃はペンパルというのが流行っていたのだ。
英文で手紙を書くのは今でもしんどいものだが、最低でも月1回はやり取りしていたんじゃないかな。確かお母さんがナースをしていたと思う。

よく覚えていないのだけれど、担任だった英語の先生からの課題だろうか、数十題もの英文和訳の答えが書かれた(書いたのはもちろん私)レポート用紙5,6枚に、先生の添削と助言が書き込まれた手紙が2通もあった。
昔の先生はすごかったのね。おかげで力が付きました。

大学に入ってからも、結構同級生などとも手紙やはがきをやり取りしている。
入学してすぐ、本郷の医学部で始まった東大闘争が教養学部のある駒場にも波及してきて、クラスで討論会をやるという通知のはがきがあった。
手書きのガリ版刷りである。
駒場祭にクラスとして何を出店するかなんて話し合ったりしていて、その話し合いの結果もはがきで送られてきていた。
今のような同朋メールがあったら、もっと簡単だったと思うけど・・・。
でも、はがきや手紙だからこうして残っているわけで、メールはそう長くは取っておけないからね。

東大闘争に突入してからは、同級生や茶道同好会、当時かかわっていた救援対策本部(今もその電話番号が使われているらしくて、驚く)の仲間たちと、頻繁に手紙をやりとりしていた。とくに夏休みや冬休みなど、離れたときには、必ず。
こんなつながりあったっけ、という人もいて、
同級生が逮捕された後の、家族とのやりとりの手紙もあった。

中でも、サークルの先輩からの手紙は毎回10枚近くになる大論文。
だからって彼氏でも何でもなかったのが不思議。
安田講堂の攻防に次ぐ授業再開や休学といった疾風怒濤の時期を経て、いつのまにか疎遠になった。
どこでどうしているのやら。

毎月のお小遣いと一緒に送られてきた母親からの手紙もあった。
覚えていなかったのだけれど、ワンピースを仕立てて送ってくれたことや、今後、こういうことはできないかもということのついでに、父親が会社を辞め、上京を考えているという内容の手紙もあり、こんなこと書いて送ってきてたんだと改めて驚く。
当時は自分のことで精いっぱいだったからね。
授業再開とともに、大学に残るかどうか悩んでいたときには、父から慎重に考えるようにとの手紙があった。
科学は日進月歩、だから時間を無駄にしないようにとの内容。
まだ、理学部進学を期待されていた頃だ。

中身をいちいち出して読んでいるうちに、結局、数時間かけても整理できず、また来週に持ち越し。
こんなことをしていると絶対に片付かないね。

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学会の新機軸~疲れたぁ [こんなことあんなこと]

先週、札幌で日本精神保健看護学会があり、つごう4日間も北海道で過ごして東京に戻ってくると、あまりの蒸し暑さにゲンナリ。
札幌では最初の日の夜こそ、ダウンを着ていたが、それ以降はさほど寒くもなく(慣れたのかもしれない)、快適に過ごせた。
最後の日は雨だったけれど、帰る頃には何とか上がって、晴れ女の霊力もぎりぎり保てた。

今回の学会では、最後に「対話シンポジウム」と銘打ったプログラムがあった。
大会長の考案になる新機軸の試み。

まず、壇上に当事者のグループと、専門職(看護職)のグループの2つが上がり、最初に当事者がグループセッションを25分行い、次にそれを受けて、看護職グループがグループのセッションを20分行う。
さらにそれを受けて当事者グループを20分、そして看護職グループを15分。
ま、行ってみればリフレクティングの手法を用いたオープンダイアローグのようなもの。

その後、フロアで小グループを作って話し合った後に、それを全体にフィードバックしてもらい、壇上の2つのグループを合体させて大グループでリフレクティングセッション。
そして最後にフロアと檀上の直接的やりとり。

私は最初の看護職グループのコンダクターと両者を合体した大グループのコンダクターを頼まれて務めたが、リフレクティンググループは実際にやった経験もなく、オープンダイアローグは下平さんの講演とビデオを見た程度。
ま、いつものグループだと思ってやるしかないと、腹をくくることにした。

当事者のグループの面々は、べてるの家の伊藤さんをはじめ、地域で積極的に活動している当事者ばかり4人。中には入院経験がないという人もいた。
なので、看護師の印象を聞いても、ほとんど印象に残っていないという感じ。
むしろ「仲間」が支えになったことを強調していた。

さらにみな、ピアサポートの活動などで、援助のセミプロ的な仕事をしていたり、少なくとも過去にやった経験があり、ほとんど「当事者」と「専門職」の境がなく、むしろ生き生きと楽し気に自分のことを語っており、「専門職」がかすむくらいだった。
その悩みを聞いていると、まさにスタッフの悩みなのが面白かった。

看護職グループは、最初に当事者たちに印象が薄いという現実を突きつけられて、寂しい気持ちになっていたうえに、病院でバーンアウトして、今は訪問看護ステーションで働いているというメンバーがいたこともあって、スタッフが患者さんに癒され、サポートされるという図柄が鮮明になった。
実際、病棟でもこれが現実なのだろう。
いくら「スタッフでござい」という顔をしていてもね。

ただ、看護職グループのメンバーも、4人中3人が地域活動をしている人たちで、
残り1人も、当事者活動に理解のある看護部長さんだったので、
当事者対看護職という対比は、ちょっとぼけてたかも。

フロアの方々は皆さん、面白かったと後で言って下さったが、
フロアとのやりとりは、小グループにしたり、いったんフロアーのコンダクターにフィードバックしてもらったりせずに、もうちょっと直接的にやってもよかったんじゃないかと思う。

集団精神療法学会では、フロアが大グループとして機能するさまをよく見ているので、できると思うけど、ほかの学会では慣れないから難しいのかしら。

細切れのセッションを何回もやって、疲れてしまった。
見ていた人たちも、ハラハラして疲れたのでは?
当事者の人たちも、すごく頑張っていたから、さぞや疲れたのではないかな。
私もシンポジウム修了後にみんなをねぎらうゆとりがなかったのが、心残り。

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幸せだなあ [こんなことあんなこと]

新築マンションも20年近く住み続けていると、あちらこちらに不具合が出てくる。
それもなぜかいっぺんに。

まずはキッチンの浄水器を設置した水栓から水漏れがするようになった。
洗面所の洗面台の蛇口からも水漏れ。

リビングに2つある蛍光灯の一つがついたり消えたりするのは、何年も前から。
ただ、私の背丈では、脚立に乗っても届かなかったので、
街の電器屋さんに来てもらって取り替えようとしたが、なぜか取り外しができなかった。
製造元に取り外し方を聞いてみますと言って帰っていったが、私の方も忙しくて放っていたら、その電器屋さんが閉店してしまった。

最近になり、寝室の蛍光灯も突然消えたかと思うと、しばらくしてパッとついたりするようになった。
いままでは夜寝る前くらいしか使わなかったのが、今では寝室兼書斎となって、日中も仕事をするようになり、使用時間が長くなったせいかもしれない。
でも、自分では取り替えられないし…とグズグズしていたら、昨日、姉夫婦が工具一式を持参して来てくれて、蛍光灯を取り替えてくれることになった。ありがたい。

姉の旦那さんはこうした仕事はお茶の子さいさい。お手の物である。
電器屋さんもはずせなかった電灯にいろいろ手を焼いてはいたが、最後には見事取り外すことができた。
それで、蛍光灯の規格を確認したうえで、蛍光管と新しくLEDのシーリングライトを買いに行くことにした。

ついでなので、根津神社をお参りし、釜めしの店でランチの親子丼を食し、根津の赤札堂まで。
ここは、これが都心にあるスーパー?と初めて見た人はびっくりする。
姉たちもご同様。
なにせ不忍通りと言問い通りが交差する駅前にありながら、3階しかなく、地下もない。
エスカレータもなく、エレベータは業務用のが奥にあるだけ。普段は使わない。
蛍光管はあったけど、シーリングライトは売ってなかった。

そこで、上野のヨドバシカメラまで歩いて行こうということになった。
はじめは都バスでいこうとしたのだが、時刻表を見ると、上野公園行きは30分毎しかなく、行ったばかりだったからだ。
都心のバスが30分に1本しかない?とここでもびっくり。

外はカンカン照り。
でも、パンダ誕生で賑わっている上野公園の不忍池を突っ切っていけば、そう大変でもなさそう。
まずは、不忍池のほとりで弁天堂と、遠くに見えるスカイツリーをバックに記念写真。
さらに京成上野駅の中を突っ切って、ようやく上野駅前へ。

アメ横の入り口にめざすヨドバシカメラがあった。
電灯と同じ階に掃除機も売っていて、最新の国産のスティックタイプの軽さに驚く!
外国製のクリーナーを買ったばかりの私は、通販は手軽だけど、やっぱり店頭で実際に見て買うべきねと思う。
ただし、やたら高い!

すべてを買い揃えて、帰りは上野から山手線で。
戻ってさっそく付け替え。
蛍光管を取り替えるだけの作業は簡単だったけれど、LEDのシーリングライトを設置する段になって、ひと騒動。
蛍光管のようなものが付属していないのだ。
取説を読んでみても、LEDユニットと書いてあるだけで、ない。
ヨドバシカメラのおにいさんに、箱の中に蛍光管(?)も入っているかと聞いたら、「大丈夫です」と言っていたのに…。
ここは姉がじっくり取説を読んで、シーリングライトそのものにLEDが組み込まれているのではないかと言う。さすが、物理学科卒である。
正解だった。
ちゃんとすべてを天井の取り付け器具にはめ込んで、スイッチをONにすると、明るい光があふれた。長いこと、つかなかった明かりが…。
しかも、リモコンで白色から太陽光の色まで変えられるし、明るさも徐々に変えられる。
感動である。

その後、はずれてしまって、二度と窓枠に入らなくなった網戸まで、ああでもない、こうでもないとやってくれて、見事はめてもらった。職人芸である。
なんてありがたいんでしょう。

ついでに水栓を見てもらったけれど、こちらは業者に頼むしかないという結論に納得。

新しい電灯は明るいし、二人にいろいろ一生懸命やってもらって、ひさびさに幸福感にひたった一日となりました。

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新しい掃除機 [こんなことあんなこと]

日々、通勤することもなく自宅で過ごしていると、
身の回りがどんどん雑然としていく。
以前から、手軽にお掃除できる器具を通販で買っては使いこなせないまま、
捨ておくことになっていた。

マキタのハンディな掃除機も、過充電で2台もつぶしてしまったし、
(なんで充電が完了したところで、スイッチが切れるようになってないんだろう)
何とかスウィーパーというのは、逆にあまり使わないでいたら
放電してしまって充電ができなくなってしまった。

今度は、スティック型の充電式掃除機を購入。
充電完了すると、赤いランプが青に変わって知らせてくれる。
1回の充電で使える時間も長い。
スティックでも使えるし、外殻を取り外してハンディ・クリーナーにもなるtwo-way.

デンマーク製なのだが、掃除機のわりに取扱説明書が分厚くて、
ヨーロッパを中心に、なんと22か国語で書かれている。
日本語は最後から2番目。
暇なとき、これで知らない外国語の勉強になるかも。

さっそく使ってみた。
軽いという触れ込みだったのだが、
問題は、スティックの長さだった!!
背の低い私が取っ手のところをもつと、必然的に床からの角度が小さくなる。
長いスティックをほぼ床に平行に突き出すような感じになって、コントロールしにくい。
おのずと手元が下がっていき、太い筒を両手で抱えるみたいになって、スティックが余るのだ。
ちっともハンディじゃない。とほほ。

片手で軽々操作しているコマーシャルは、
すらりと背の高いモデルさんだからね。
20センチは違うだろうから、このスティックもそのくらい短くしてほしい。

それでも、吸引力はさすが。
結構ごみやほこりがとれた。
それだけ汚かったってことだけど。
毎回、取れたごみを捨てて掃除機を掃除しなければいけないのが厄介かも。
ほこりがそこで飛び散るし。
う~ん。理想の掃除機はないものか…。
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