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フーテンの寅さんは疲れる。 [こんなことあんなこと]

10月に愛媛の松山、11月の第1週に長野の松本、翌第2週は兵庫県の神戸・・・。
松本行の直前になって、ホテルの予約をしてないことに気づき、慌てて探したが、結局バカ高いホテルのツインしか取れなかった。神戸も同様。

最近はどこでもホテル代が高い!外国人観光客が増えて、どこもホテル不足なのだ。
朝食も待たされることが珍しくない。早起きしなければ、予定に間に合わないことも。

1月は、横浜と千葉の近場の仕事でひといき。
2月は、第1週に小倉で2つ仕事が入っている。川越でも。
3月にはまた、福岡。芸能人みたいだな。

おまけに11月~1月は、大学の非常勤の講義が7回。
グループと個人面接がこれに加わり、並行して週1回の実家の整理。

やっかいなのが、学会で頼まれる講演。
普通なら、講演用の資料づくりで済むはずが、その前に抄録集の原稿、講演が済めば学会誌に掲載する原稿を頼まれる。
大学の講義も90分で120分の2時間分にカウントされるのは、その前に準備があるという理由から。
学会で60分の講演をするためには、移動時間も含めると、トータル、かなりの時間を費やすことになる。
呼んでいただけるのはありがたいこと、文句を言ってはいけないとは思うものの、つい。

甥っ子に、「いつまで働くの?」と聞かれて、そうだよなあと思う。
定年になったんだもの、もっとゆっくりしてもいいはずだ。
仕事でない旅行もしたいし、ゆっくり海でも眺めていたいと思うのだが。

週1回のブログの更新が遅れたことの言い訳を書き始めたら、こんな愚痴ばかりになってしまった。
本当は原稿を書かなければいけないのだけど。
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傷だらけの人生 [こんなことあんなこと]

毎週1回、実家の整理に行くことだけが決まった仕事となり、気づいたらもう5ヶ月が経った。
姉と二人での整理作業も、果てしなく続くかに見えたが、確実に物は減っているように見える。
ただ、その減ったかなりの部分は、そのまま二人の自宅に持ち帰っているから、
自宅のほうが大変なことになっている。

なにしろむか~しからの物が押し入れ深くに眠っていて、それを引っ張り出すだけでもたいへん。暗くて中がよく見えないところを手探りで、中のものを引っ張り出していたら、
いきなりこたつ板(昔の分厚くて重い木の板)が倒れ掛かってきて、あわてて腕で抑えようとしたら、手首の外側にえらい傷を作ってしまった。

打撲と擦り傷を合わせたような傷で、1週間経ってもグジュグジュの傷が治らず、むしろ赤みが広がっていく感じだったので、近くの皮膚科を受診。
かなり前から、たまにお世話になっているお医者さんだけど、かなりのお年。
だけど、とても親切なお医者さんで、10時の診察開始のときから待っている患者が玄関の外に列をなすほど。
午前中の診察が終わるのも、2時近く。午後は3時からなんだけど、終わるのは8時ないし9時ごろになるみたい。
患者は一応、診察券を出して、「〇時間後にもう一度来ます」と告げて、出直してくる。

亜鉛クリームにステロイド剤を混ぜた特製のお薬を処方され、朝晩取り替えること2週間。
手首だもんで、会う人ごとに「自傷?」とか「リスカ?」などと聞かれる。
事情を話すと、「やっぱりそうじゃない?」と。

3週目にしてようやく、薬はもういいでしょうと言われたが、瘢痕が板の角の形に赤くくっきり盛り上がって残ってしまっている。
おまけにテープでかぶれて、赤みがかった湿疹痕のようなシミもまわりに残り、あ~れ、雪のような柔肌が・・・(だれも言ってくれないから自分で言う)。

と、そこへきて、実家からもってきたT-Falの電気ポットで、同じ手首の反対側に火傷。
表と裏に傷ができた。

目の前の棚の上のものを取ろうとして手を伸ばしたら、下に電気ポットの注ぎ口がちょうどあって、噴出した湯気がもろに手首を直撃。
あっと思った瞬間、すぐに水道水で冷やしたのだが、火傷ってなかなか厄介。
表面上はただれもなにもないのだが、
日が経つにつれ、どんどん皮膚の奥にまで赤みが進んでいくみたい。
これでまた、皮膚科受診しないといけないか…。
今、悩んでいるところ。

キッチンのガスコンロと水道栓、洗面所と風呂場の水道栓を業者に取り替えてもらって、いい気分なのだけれど、ご本体(私の身体)のほうを取り替えてもらわないと。

なにしろ、新しいガスコンロのグリルは、タイマーや温度調節のコントロール盤がついていて、おまけにメニューを選べば、魚を焼くにも、生魚/干物/姿焼きと選べるのだ。
さっそく干物を焼いてみたが、臭いもしない。
そのままトーストもできる。(トースターが不要になった)
最近のガスコンロはすごい。

すごすぎて、取り付けた業者の人が一通り、機能を説明してくれたのだけど、いざ実際に使おうと思えば、トリセツを持ち出して、調べないといけないのが難点。

でも、今のマイブームは焼き野菜。
夏野菜は焼くと最高。



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掘り出し物 [こんなことあんなこと]

毎週実家の整理に通っている。やってもやっても片付かないが。

昨日は、自分の部屋の整理に取り掛かり、本棚の上にあった大きな段ボール箱を整理することにした。
外から見ているとしっかりした段ボールだと思っていたのに、下ろしてみると蓋の部分は日に焼けてボロボロ。触るとバラバラになった。

中にあったのは、手紙やはがきの束。
小学校時代から大学の教養学部の時代までが詰め込まれていた。
昔はメールやSNSはもちろん、電話だってすべての家にあったわけではなかったので、子どもでもよく手紙のやり取りをしていたのだ。
とくに、小学校の途中で東京に転向していった厚子ちゃんとは、毎週どころか、週に何回かの頻度でやり取りしていた。ほとんど日記替わりというか、LINEに近いか。
でもLINEなら、長くても数行、二言三言程度だろうが、なんと毎回、便せん数枚にわたってたわいもないことを書き綴っている。
けっこう世の中を嘆いていたりして、昔の子どもはよく考えていた?

驚いたのはその値段。
一番古いのは、手紙が10円、葉書が5円。
それがまもなく7円と15円に値上がりしている。高度経済成長期に差し掛かったのだ。

中学に入ると、カナダのケベックに住む女子中学生がペンパルになり、航空便のやり取りが始まる。
その頃はペンパルというのが流行っていたのだ。
英文で手紙を書くのは今でもしんどいものだが、最低でも月1回はやり取りしていたんじゃないかな。確かお母さんがナースをしていたと思う。

よく覚えていないのだけれど、担任だった英語の先生からの課題だろうか、数十題もの英文和訳の答えが書かれた(書いたのはもちろん私)レポート用紙5,6枚に、先生の添削と助言が書き込まれた手紙が2通もあった。
昔の先生はすごかったのね。おかげで力が付きました。

大学に入ってからも、結構同級生などとも手紙やはがきをやり取りしている。
入学してすぐ、本郷の医学部で始まった東大闘争が教養学部のある駒場にも波及してきて、クラスで討論会をやるという通知のはがきがあった。
手書きのガリ版刷りである。
駒場祭にクラスとして何を出店するかなんて話し合ったりしていて、その話し合いの結果もはがきで送られてきていた。
今のような同朋メールがあったら、もっと簡単だったと思うけど・・・。
でも、はがきや手紙だからこうして残っているわけで、メールはそう長くは取っておけないからね。

東大闘争に突入してからは、同級生や茶道同好会、当時かかわっていた救援対策本部(今もその電話番号が使われているらしくて、驚く)の仲間たちと、頻繁に手紙をやりとりしていた。とくに夏休みや冬休みなど、離れたときには、必ず。
こんなつながりあったっけ、という人もいて、
同級生が逮捕された後の、家族とのやりとりの手紙もあった。

中でも、サークルの先輩からの手紙は毎回10枚近くになる大論文。
だからって彼氏でも何でもなかったのが不思議。
安田講堂の攻防に次ぐ授業再開や休学といった疾風怒濤の時期を経て、いつのまにか疎遠になった。
どこでどうしているのやら。

毎月のお小遣いと一緒に送られてきた母親からの手紙もあった。
覚えていなかったのだけれど、ワンピースを仕立てて送ってくれたことや、今後、こういうことはできないかもということのついでに、父親が会社を辞め、上京を考えているという内容の手紙もあり、こんなこと書いて送ってきてたんだと改めて驚く。
当時は自分のことで精いっぱいだったからね。
授業再開とともに、大学に残るかどうか悩んでいたときには、父から慎重に考えるようにとの手紙があった。
科学は日進月歩、だから時間を無駄にしないようにとの内容。
まだ、理学部進学を期待されていた頃だ。

中身をいちいち出して読んでいるうちに、結局、数時間かけても整理できず、また来週に持ち越し。
こんなことをしていると絶対に片付かないね。

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学会の新機軸~疲れたぁ [こんなことあんなこと]

先週、札幌で日本精神保健看護学会があり、つごう4日間も北海道で過ごして東京に戻ってくると、あまりの蒸し暑さにゲンナリ。
札幌では最初の日の夜こそ、ダウンを着ていたが、それ以降はさほど寒くもなく(慣れたのかもしれない)、快適に過ごせた。
最後の日は雨だったけれど、帰る頃には何とか上がって、晴れ女の霊力もぎりぎり保てた。

今回の学会では、最後に「対話シンポジウム」と銘打ったプログラムがあった。
大会長の考案になる新機軸の試み。

まず、壇上に当事者のグループと、専門職(看護職)のグループの2つが上がり、最初に当事者がグループセッションを25分行い、次にそれを受けて、看護職グループがグループのセッションを20分行う。
さらにそれを受けて当事者グループを20分、そして看護職グループを15分。
ま、行ってみればリフレクティングの手法を用いたオープンダイアローグのようなもの。

その後、フロアで小グループを作って話し合った後に、それを全体にフィードバックしてもらい、壇上の2つのグループを合体させて大グループでリフレクティングセッション。
そして最後にフロアと檀上の直接的やりとり。

私は最初の看護職グループのコンダクターと両者を合体した大グループのコンダクターを頼まれて務めたが、リフレクティンググループは実際にやった経験もなく、オープンダイアローグは下平さんの講演とビデオを見た程度。
ま、いつものグループだと思ってやるしかないと、腹をくくることにした。

当事者のグループの面々は、べてるの家の伊藤さんをはじめ、地域で積極的に活動している当事者ばかり4人。中には入院経験がないという人もいた。
なので、看護師の印象を聞いても、ほとんど印象に残っていないという感じ。
むしろ「仲間」が支えになったことを強調していた。

さらにみな、ピアサポートの活動などで、援助のセミプロ的な仕事をしていたり、少なくとも過去にやった経験があり、ほとんど「当事者」と「専門職」の境がなく、むしろ生き生きと楽し気に自分のことを語っており、「専門職」がかすむくらいだった。
その悩みを聞いていると、まさにスタッフの悩みなのが面白かった。

看護職グループは、最初に当事者たちに印象が薄いという現実を突きつけられて、寂しい気持ちになっていたうえに、病院でバーンアウトして、今は訪問看護ステーションで働いているというメンバーがいたこともあって、スタッフが患者さんに癒され、サポートされるという図柄が鮮明になった。
実際、病棟でもこれが現実なのだろう。
いくら「スタッフでござい」という顔をしていてもね。

ただ、看護職グループのメンバーも、4人中3人が地域活動をしている人たちで、
残り1人も、当事者活動に理解のある看護部長さんだったので、
当事者対看護職という対比は、ちょっとぼけてたかも。

フロアの方々は皆さん、面白かったと後で言って下さったが、
フロアとのやりとりは、小グループにしたり、いったんフロアーのコンダクターにフィードバックしてもらったりせずに、もうちょっと直接的にやってもよかったんじゃないかと思う。

集団精神療法学会では、フロアが大グループとして機能するさまをよく見ているので、できると思うけど、ほかの学会では慣れないから難しいのかしら。

細切れのセッションを何回もやって、疲れてしまった。
見ていた人たちも、ハラハラして疲れたのでは?
当事者の人たちも、すごく頑張っていたから、さぞや疲れたのではないかな。
私もシンポジウム修了後にみんなをねぎらうゆとりがなかったのが、心残り。

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幸せだなあ [こんなことあんなこと]

新築マンションも20年近く住み続けていると、あちらこちらに不具合が出てくる。
それもなぜかいっぺんに。

まずはキッチンの浄水器を設置した水栓から水漏れがするようになった。
洗面所の洗面台の蛇口からも水漏れ。

リビングに2つある蛍光灯の一つがついたり消えたりするのは、何年も前から。
ただ、私の背丈では、脚立に乗っても届かなかったので、
街の電器屋さんに来てもらって取り替えようとしたが、なぜか取り外しができなかった。
製造元に取り外し方を聞いてみますと言って帰っていったが、私の方も忙しくて放っていたら、その電器屋さんが閉店してしまった。

最近になり、寝室の蛍光灯も突然消えたかと思うと、しばらくしてパッとついたりするようになった。
いままでは夜寝る前くらいしか使わなかったのが、今では寝室兼書斎となって、日中も仕事をするようになり、使用時間が長くなったせいかもしれない。
でも、自分では取り替えられないし…とグズグズしていたら、昨日、姉夫婦が工具一式を持参して来てくれて、蛍光灯を取り替えてくれることになった。ありがたい。

姉の旦那さんはこうした仕事はお茶の子さいさい。お手の物である。
電器屋さんもはずせなかった電灯にいろいろ手を焼いてはいたが、最後には見事取り外すことができた。
それで、蛍光灯の規格を確認したうえで、蛍光管と新しくLEDのシーリングライトを買いに行くことにした。

ついでなので、根津神社をお参りし、釜めしの店でランチの親子丼を食し、根津の赤札堂まで。
ここは、これが都心にあるスーパー?と初めて見た人はびっくりする。
姉たちもご同様。
なにせ不忍通りと言問い通りが交差する駅前にありながら、3階しかなく、地下もない。
エスカレータもなく、エレベータは業務用のが奥にあるだけ。普段は使わない。
蛍光管はあったけど、シーリングライトは売ってなかった。

そこで、上野のヨドバシカメラまで歩いて行こうということになった。
はじめは都バスでいこうとしたのだが、時刻表を見ると、上野公園行きは30分毎しかなく、行ったばかりだったからだ。
都心のバスが30分に1本しかない?とここでもびっくり。

外はカンカン照り。
でも、パンダ誕生で賑わっている上野公園の不忍池を突っ切っていけば、そう大変でもなさそう。
まずは、不忍池のほとりで弁天堂と、遠くに見えるスカイツリーをバックに記念写真。
さらに京成上野駅の中を突っ切って、ようやく上野駅前へ。

アメ横の入り口にめざすヨドバシカメラがあった。
電灯と同じ階に掃除機も売っていて、最新の国産のスティックタイプの軽さに驚く!
外国製のクリーナーを買ったばかりの私は、通販は手軽だけど、やっぱり店頭で実際に見て買うべきねと思う。
ただし、やたら高い!

すべてを買い揃えて、帰りは上野から山手線で。
戻ってさっそく付け替え。
蛍光管を取り替えるだけの作業は簡単だったけれど、LEDのシーリングライトを設置する段になって、ひと騒動。
蛍光管のようなものが付属していないのだ。
取説を読んでみても、LEDユニットと書いてあるだけで、ない。
ヨドバシカメラのおにいさんに、箱の中に蛍光管(?)も入っているかと聞いたら、「大丈夫です」と言っていたのに…。
ここは姉がじっくり取説を読んで、シーリングライトそのものにLEDが組み込まれているのではないかと言う。さすが、物理学科卒である。
正解だった。
ちゃんとすべてを天井の取り付け器具にはめ込んで、スイッチをONにすると、明るい光があふれた。長いこと、つかなかった明かりが…。
しかも、リモコンで白色から太陽光の色まで変えられるし、明るさも徐々に変えられる。
感動である。

その後、はずれてしまって、二度と窓枠に入らなくなった網戸まで、ああでもない、こうでもないとやってくれて、見事はめてもらった。職人芸である。
なんてありがたいんでしょう。

ついでに水栓を見てもらったけれど、こちらは業者に頼むしかないという結論に納得。

新しい電灯は明るいし、二人にいろいろ一生懸命やってもらって、ひさびさに幸福感にひたった一日となりました。

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新しい掃除機 [こんなことあんなこと]

日々、通勤することもなく自宅で過ごしていると、
身の回りがどんどん雑然としていく。
以前から、手軽にお掃除できる器具を通販で買っては使いこなせないまま、
捨ておくことになっていた。

マキタのハンディな掃除機も、過充電で2台もつぶしてしまったし、
(なんで充電が完了したところで、スイッチが切れるようになってないんだろう)
何とかスウィーパーというのは、逆にあまり使わないでいたら
放電してしまって充電ができなくなってしまった。

今度は、スティック型の充電式掃除機を購入。
充電完了すると、赤いランプが青に変わって知らせてくれる。
1回の充電で使える時間も長い。
スティックでも使えるし、外殻を取り外してハンディ・クリーナーにもなるtwo-way.

デンマーク製なのだが、掃除機のわりに取扱説明書が分厚くて、
ヨーロッパを中心に、なんと22か国語で書かれている。
日本語は最後から2番目。
暇なとき、これで知らない外国語の勉強になるかも。

さっそく使ってみた。
軽いという触れ込みだったのだが、
問題は、スティックの長さだった!!
背の低い私が取っ手のところをもつと、必然的に床からの角度が小さくなる。
長いスティックをほぼ床に平行に突き出すような感じになって、コントロールしにくい。
おのずと手元が下がっていき、太い筒を両手で抱えるみたいになって、スティックが余るのだ。
ちっともハンディじゃない。とほほ。

片手で軽々操作しているコマーシャルは、
すらりと背の高いモデルさんだからね。
20センチは違うだろうから、このスティックもそのくらい短くしてほしい。

それでも、吸引力はさすが。
結構ごみやほこりがとれた。
それだけ汚かったってことだけど。
毎回、取れたごみを捨てて掃除機を掃除しなければいけないのが厄介かも。
ほこりがそこで飛び散るし。
う~ん。理想の掃除機はないものか…。
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知らないことがあるもんだ。 [こんなことあんなこと]

2月の10日(金)から12日(日)の3日間、びわ湖大津プリンスホテルで「アメニティフォーラム21」というイベントが開催された。

私は10日の午後に「感情労働」について話してほしいと呼ばれて行ったのだが、
その前に送られてきたプログラムを見て、その豪華さ、多彩さにびっくりしてしまった。
そして行ってみてびっくり。
大津プリンスホテルを全館借り切ってのイベントなのだ。
単なる学会の規模を超えている。

オープニングの後には、エマニュエル・トッドの「人口減少の日本社会・新しい価値を何処に求めるのか」という講演があり、(当日、トッド氏は体調不良で来日できず、ビデオでの出演だった)。
その後には「今、あらためて共生社会を」というテーマでのプログラムと「障害者のリアル×東大生のリアル」というテーマで福島智氏の講演が続く。

これだけでも、豪華すぎるラインアップである。
その後、私の講演と並行して、高次脳機能障害の夫との生活を語る人の話や生活に苦しくて罪を犯した障害者の話などが行われていた。
最後の日には、六車由美さんも登壇して、介護するからだ、耳を澄ます介護というテーマでの鼎談がおこなわれていた。
ほかにもピアサポートや障害者福祉に関するさまざまなプログラムが立て続けにあり、なんと終了時間が初日は、25時15分、2日目は25時30分などとなっている。
実際には、朝の2時、3時までも議論していたところもあったらしい。

おまけに、ボーダレス・アートミュージアムNOMAのある滋賀県らしく、アール・ブリュットの展示とシンポジウムのようなものもあり、北山修氏が登壇していた。

さらに、白井貴子「北山修/きたやまおさむ」を歌うという、きたやまおさむのレクチャー付きセッションもあったほか、内外の映画を多数上映する、映画祭のようなプログラムもあった。

私は、小室等の「ほほえむちから」というコンサートセッションに行ってみた。
若い女性がヴォーカルとウクレレを担当していて、それが彼の娘さんのこむろゆいさんだと初めて知った。
さすが小室さんの娘さん、美しく力強い声である。
父も年齢の衰えを感じさせない声量で、うれしくなった。
キーボードやアコーディオンを担当する女性も素晴らしかったが、長いこと一緒に演奏旅行をしているらしい。
チェルノブイリの原発事故の後、一緒にバスをチャーターして、被災した村の人々の慰問に行ったという話をしていた。
原発のそばまで、防護服を着て放射線の計測器をもって近づいたそうだ。
そこで創った歌も披露してくれたが、行く先々で現地の人とも歌ったのだそうだ。
でも、3.11が起こって、それでもまだ、自分にとっては他人事だったのだと気付いたと語っていた。

昔から小室等さんが千葉の外房にある一宮学園という児童養護施設にかかわっていることを、一緒に働いていたワーカーから聞いて知っていたが、このような社会的活動をずっと続けていたとは、全く知らなかった。頭が下がる思いだった。

知らないといえば、このフォーラムである。
なぜ、こんなそうそうたるメンバーを集めた豪華なイベントが滋賀で行われているのか。
実は今年でなんと21回目なのだという。
イベントの豪華さにどういう会なのかという性質が見えなくなるのだが、
中心となって運営しているのは、全国地域生活支援ネットワークという障害者福祉に携わっている人々の組織で、公益財団法人糸賀一雄記念財団というところが主催しているらしい。

糸賀一雄という人は、京都帝国大学哲学科を卒業後、滋賀県庁に勤め、要職を歴任していた人で、戦災孤児や障害をもつ子どもたちのために力を尽くし、現代福祉の父と称される人なのだそうだ。
彼は子供の養護施設である近江学園を創設し、そこでともに暮らした。
彼は、「この子らを世の光に」という有名な言葉を残して、58歳の若さで世を去った。
だが、その思想は滋賀県に根付き、それがこの大きなイベントに結実しているのである。
初日のパーティーには、海外からの招待客に交じって滋賀県や他県の知事はじめ、国会議員やら県会議員などがいっぱい参加し挨拶していた。
福祉関連の会とは思えない(?)、エネルギーに満ちた雰囲気だった。

若いワーカーが大勢参加していたが、感情労働という言葉は初めて聞くという人が多く、関心をもたれたようだ。
やはり、長く福祉職をやっている人々は、休みも返上して献身的に利用者さんに尽くすことが当たり前と考えている人が多いようで、私は間違っていたのでしょうかと話しかけられたりした。
時あたかも、相模原のやまゆり園の事件や、生活保護にまつわるジャンパー事件などが起きていただけに、よいタイミングではあったようだ。

私にとっても、かなりのカルチャーショックを受けたイベントであった。

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感情労働がついに4コマ漫画に [こんなことあんなこと]

今日の朝日新聞の夕刊の4コマ漫画「感情労働」が登場!!

「地球防衛家のヒトビト」というしりあがり寿さんの漫画。
この漫画、ただでさえ漫画が苦手な私としては、絵が面白くないし、
字は読みにくいし、でお気に入りというわけではないのだけれど、
長く連載されているところを見ると、けっこう人気があるのかな。

この回も、4コマ目のオチがごちゃごちゃしていて、よくわからない。

地球防衛家のヒトビト20170118.jpg
やりとりを書き起こすと、このようなストーリ。

①茶の間で父が新聞を読んでいる。
父「お客さんの前でキモチをおさえる感情労働って大変なんだなー」
母「感情コントロール料をとればいいんじゃないか?」

②感情コントロール料の高い店
蝶ネクタイのウェイター「おまたせしました」

③感情コントロール料の安い店
むすっとした女店員(ドン とどんぶりを置く)

④逆に感情コントロール料をもらえる店
鼻毛ぼうぼう、舌をベロベロだし、ブーっとおならをする(?)コック
「てめーなんかにオレの料理がわかるかー」
「オシリ ペンペン」と自分のおしりを叩く。
ひいてしまった父 ← お客さんのほうがおさえてる

最後のコマはともかく、
高級レストランの料理が高いのは、もともと高い感情労働の料金が含まれているから。
そのおかげで、お客さんは胃袋を満腹させるだけでなく、
丁重にもてなされたという満足感を得ることができる。

安い食堂の料理には、安い感情労働の料金。
あまり気を使わないってことね。
でも、お客さんも気楽に食事ができる。
愛想は悪いが、味で勝負っていう店もあるかも。

感情労働も、ようやく一般の人々の口の端にのぼるようになったのかしらね。
記念すべき日かも。

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師も走る季節に [こんなことあんなこと]

年も押し詰まったこの時期に、原稿の締め切りを2件かかえて
ぎりぎり締め切り日の夜にやっと書き終えて、いざファイルを保存しようとクリックしたら、が~ん!Wordが壊れてしまった!!

新しいPCにしてからも、やたらとWindowsの自動更新があり、
デフォルトのホームページが、勝手にYahooから富士通のMy Cloudのホームページに代わっていたりした。ひどい。陰謀だ。
おまけに、突然プログラム終了になることが多くなった。

ただ、これまではすぐに自動復旧が働いて、自動保存のデータが復元されて出てくるので、あんまり気にしてなかった。

ところが、今度ばかりは自動復旧が働かず、ほんとに壊れた。
バックアップを見ても、6時間近く前に保存したデータしか残ってない。

そこから必死で記憶をたどり、原稿を復元すること3時間。
ようやく日をまたいだところで完了。あやうくセ~フ。

翌日は、朝大学で講義、午後出版社でインタビュー、夜友人と会食。
その翌日は、9時から企業のコンサル。
その後、初台リハビリテーション病院への見学。
すごいスケジュール。

でも、初台は面白かった。
長嶋さんがリハビリをしてあそこまで回復したのもここ。
話はちょくちょく聞いていたので、驚きはしなかったのだけれど
やっぱり百聞は一見に如かず。

なにしろ、この病院、看護部がない!のですよ。
ケア部門があって、今はたまたま部長が看護師なのだけれど、ケア部門には看護師(准看護師・ヘルパーさんも含む)のほかに、セラピストと総称されるOT・PT・STがいて、ソーシャルワーカーもここにいる。
みんなでケアに当たるのだ。医師もチームの一員。
なにしろ制服も白衣ではなく、全員が職種の別なく上下作業着のような軽快なパンツルック。
シャツの色はブルー・ピンク・グレーなど数種類ある。

しかも私物の服ではなく、サイズの違う制服をそれぞれが棚から取って着用するのだ。
肩のところに名前が書かれたワッペンをマジックテープで付けていて(洗濯の時には外せるよう)、そのワッペンの色でようやく職種がわかる仕組み。

職種の壁はなく、夜勤はナースだけだが、早番遅番などはほかのセラピストたちも入る。
申し送りも一緒にやるし、医師(院長も)も含めてみんな一つの部屋で共有のパソコンを使っていた。部屋でパソコン仕事をしているスタッフはわずかだ。

ここの病院では、とにかく家庭に帰すことが目標なので、24時間がリハビリという考えで、どこのリハビリ施設にもある、機能訓練用の立派な機械の備わったフロアもあるのだが、病棟が家庭や外の生活に近いように環境設定してあり、そこでの生活がすべてリハビリになると考えられている。
そこでの生活のなかに治療があること、対等な立場での話し合いによる運営など、基本的な理念としては、精神科でいう治療共同体だなと思った。制服だけは違うけど。

とにかくPTやOTのプログラムが終わったら、部屋に戻ってお休み、なんてことはないのだ。
患者さんはだれも昼間はベッドに寝ていない。ベッドにオーバーテーブルなどもない。

食事も全員が食堂で食卓について椅子に座って食べ、(車いすで食べたりはしない)
お風呂も機械浴はなく、職員が抱えて入れている。


それに椅子やテーブルも木製だし、生の花と本物の大きな木のポットが飾られていて、季節柄クリスマスツリーのデコレーションがしてあり、これも、担当者の手でホテルやデパートの飾りつけのようなアートになっていた。

食事も、フロアごとに厨房があって、そこで給仕しており、
食堂の前には、レストランのような写真付きのメニューがスタンドにおいてあった。
それも本格的なメニューで、私も知らないカタカナ料理もあった。

よく病院や施設では、壁にベタベタといろんな掲示物がはってあるものだが、
ここでは掲示物は事務の担当者がすべての病棟に同じ、きれいに印刷したものを貼りだしていて、
アクリルの板で覆ってあるので、美しい。
棚に、中に入れたものをマジックで書いたシールなんてものも貼ってない。

それにスタッフ全員の名前と顔写真が廊下にこれも美しく掲示されていた。
看護以外の職種も大勢いるので、男性スタッフも多い。
男女が入り混じって仕事をしているのは、いい感じ。

見学に歩いていると、会うスタッフごとに「こんにちは」とあいさつしてくれた。
これまで実習指導に行くと、何しに来たとばかりに一瞥されたり、
無視されることが少なくなかったので、これには感心した。
ちゃんとそう指導しているとのことだった。

スタッフもスタッフステーションでおしゃべりしたりしていない。
患者さんが部屋から出てきているので、スタッフもそばにいるのだ。

そのせいか、病棟がざわめいていて、活気があった。
お年寄りの多い病棟ではよくある、昼間は患者さんはうつらうつらしていていて静かで、
突然ギャーと奇声が聞こえたり、四六時中通奏低音のようにうめき声が聞こえているような雰囲気とは違った。

トイレも、一人一人のタイミングに合わせて、昼だろうが夜だろうが連れていく。
おむつもつけないし、せん妄で暴れたからって拘束はしない。
もちろん、転倒予防のために車いすに乗せたり拘束したりもしない。
第一、拘束帯がおいてないのだ。


こないだ、腹を立てて出て行った患者さんの後を、スタッフが交代で9時間もついて回ったという話をしてくれた。
その患者さんは、自分の会社に寄ったり、いろいろ歩き回って手を焼かせたらしいのだが、説得しても聞かないので、ただついて歩いているうちに、病院に戻る気になって、戻ってきたのだそうだ。

これだけのサービスを提供するには、とにかく手のかけ方が半端ではないので、スタッフの負担も大きい。
入浴介助だけでも大変だろう。
そういうわけで、やはり体力的にきついのだろう、若いスタッフが非常に多かった。


こういうきめ細やかな"普通の日常ケア"が、高度なリハビリテーションになるというのは、精神科でも同じなのだが、なかなかそれがプロフェッショナルの仕事とは見てもらえないことが多い。
ここでも、こうした日常的なケアに力を入れていることで、「専門技術」が身につかないと思ってしまうスタッフも辞めていくということだった。

看護部がなくなると、一人一人が自分で専門職としてのアイデンティティを持たざるを得ないし、リハビリのプロとしてやるべきこと、視点といったものを自分で確立させないといけない。
それはほかの職種も同じだ。

いろいろと考えさせられた見学であった。



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ひえ〜時間が消えていく〜 [こんなことあんなこと]

あっという間に12月だあ!
どういうわけか仕事がたまって、押せ押せになって、ついに年末に来てしまった。
どうしよう……。

これまでなんとかやってきて、けっこうなんとかなるという気持ちがこの事態を招いたんだなあと思うけど。

週1回の非常勤の仕事も準備にけっこう時間がかかり、
1回講義をすると、あとは1日ぐったりしてしまう。
とはいえ、ついつい新しい体験を求める気持ちも刺激されて、昨日はお昼を別のところで食べようと、別のルートで西日暮里まで。

適当なランチを探して歩くと、JR駅の近くに海鮮料理の店を見つけた。
目立たない場所にあるせいか、けっこう空いていた。
海鮮料理の店なのに、ランチには肉料理もあり、豚肉と長ネギのオイスターソース焼きを所望。
今朝のテレビで年をとると肉も必要といっていたから(単純)。
これがボリュームもたっぷり、お味も満足。
その上、お魚のアラのお味噌汁がついてお値段も830円と安い!

ただ、完食してしまうとお腹がいっぱい。これは問題。
ということで、西日暮里から家まで歩いて帰ることにした。
スマホで見ると、徒歩12分とあったから。

ぼちぼち歩いて行くと、普段は地下鉄なので見たことのない街並み。
5分ほど歩くと、よみせ通り商店街のゲートを見つけ、ここを通って行くことにする。
よみせ通りも谷中銀座まではよく来るが、こっちまでは来ない。
けっこう新しめのおしゃれなお店が出来ている。
入ってみたいが、今日は何分くらいで帰り着くかを知りたいので、あえて素通り。
谷中銀座にも入らず、まっすぐ進む。
三崎(さんさき)坂に行く前に不忍通りに出て、ひたすら家へ。
結局、18分くらいで着いた。
スマホの12分より6分も遅くなったのは、よみせ通りを経由したから?
まっすぐ歩いているつもりが、けっこうキョロキョロしていたかも。
でも、このくらいなら歩くと健康にいいかもしれない。

ところで、昨日、テレビをつけたら報道番組で中村ユキさんが特集されていた。
『わが家の母はビョーキです』の作者だ。
彼女と統合失調症を病む母との幼い頃からの体験を再現ドラマと彼女の漫画を入れつつ、紹介していた。

母が発症する背景になった父との確執なども描かれていたが(この辺りから見た)、あとは寝ているときに母が包丁を幼い彼女の顔に突きつけていたとか、とつぜん「豹変して」、「死ね死ね」と迫ってきたとか、恐ろしい場面の再現シーンが続く。
精神科病院のシーンも、窓に鉄格子がはまっているのは、昔はそうだったかもと思うが、病棟入り口のドアまでが、よくドラマで見る刑務所のような鉄格子なのは、いくらなんでもないでしょうと思う。

最近の入院シーンの窓にも格子が見えた。これはいまどき、ないわね。ある?

解説に出ていた病院の院長が最近の治療として、自院でやっているECT(電気けいれん療法)の実際の場面を見せた。麻酔して行う修正型のECTだったが、通電がうまくいっているかを確認するため、片足だけけいれんするのを確認するというところまで見せた。

私自身は、古いタイプのECTもこのタイプも実際に見たことはなく、初めて見た。
その後、このとき施術をうけたという患者にもインタビューした(顔は隠して)が、軽やかに小走りでやってきた若く華奢な女性は、頭も心もすっきりしたと語って、また小走りで部屋を出て行った。

最後に中村ユキさんと旦那さんが、統合失調症は怖くないと口を揃えて語っていたが、この番組を見る限り、じゅうぶん怖いじゃないか!と思ってしまう。

こういう番組を作るのは、ほんとうに難しいのだなあと思う。
授業で私が話すときも、ふつうに生活していますという大多数の患者さんの様子を語るのは難しい。
ついつい印象に残る患者さんの話をすると、それは激しい症状や奇異な行動をみせた人の話になってしまいがちになる。
海外のドラマのように、登場人物の中にふつうに統合失調症の患者が出てくるような番組がもっと増えれば、いろいろなケースがあるとわかるかもしれないが。

最近では、ニューヨークに住むシャーロック・ホームズとジョンならぬジェーン・ワトソンの二人が事件の解決に挑む『エレメンタリー』では、ホームズは薬物依存を克服するためにAAに通っている。
また、ワトソンももとは外科医だが、患者を死なせた罪悪感から医師を辞め、付添人になってホームズとであったという設定。父親が統合失調症でホームレスだったということが、語られている。

終わってしまった 『ER』でもメインスタッフにも彼らの家族にも精神障害を持つ人がたくさん登場した。

ただ一方で、海外のドラマでも『羊たちの沈黙』をはじめ、最近は精神障害者(サイコパス)が凶悪な犯罪者という設定のドラマも多く、精神障害者がみんなああだと思われるのも問題ではある。

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