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マンケル・ヘニング『流砂』が伝えようとしていること [本のはなし]

2年前の2015年10月5日、北欧ミステリー「刑事ヴァランダー」シリーズの作家として有名なヘニング・マンケルが亡くなった。

 彼と彼の作品については、このブログでも何度も紹介しているが、ミステリーだけでなく、児童文学でもスウェーデンのアストリッド・リンドグレーン記念文学賞を受賞する一方で、長年アフリカに通って劇場を運営するなど、世界で幅広く活躍していた。67歳の若さでこの世を去るのは、本人にとってもさぞや無念だっただろう。

『流砂』(東京創元社)は、彼がある日突然、回復不可能な末期がんと知ってからの葛藤の日々の想いを、彼が出会ったさまざまな絵画に投影しながら綴ったエッセイ集である。
1年前に出版されてすぐ読んだのだが、なかなかブログに載せられないでいた。
内容があまりに濃く、重く、いろいろ考えさせられることがあったからである。

彼はそれより2年前の雪の日に遭遇した自動車事故がすべての始まりだと思っている。
その時は何でもなく、病院にも行かなかったのだが、その後、首が痛むようになり、事故の後遺症を疑って受診した病院で、自分にはもう時間がないことを知らされたのだった。

それ以来、彼は子ども時代のことをよく思い出すようになった。
そのとき彼は、「自分の身に起きた大惨事をどう受け止めたらいいのか、その答えを知ろうと記憶が必死にもがいているのだ」ということに、気付けなかったと書いている。

彼が思い出したのは、学校に一人で向かったある寒い朝のことである。9歳だった。

その日の朝、夢を見た。彼は薄い氷の張った川べりに立っていた。
その川では数日前に足を滑らせた男の子がおぼれて行方不明になっていた。
子ども心に死を意識したとき、と言えるだろう。
だが、夢の中で彼は、自分がおぼれないという確信があって、怖くはなかったという。
彼は同時に、村民館でよく上映された映画のことを思い出す。彼は映画好きで、子ども禁止の映画の時には忍び込んでみていたという。

そのとき彼は、突然思いがけない言葉が頭に浮かび、その場に凍り付いたように立ち尽くした。その言葉は、その後の人生に鮮明な記憶として残る瞬間だった。
「ぼくはぼくなんだ。ほかのだれでもない。ぼくはぼくだ」
私はその瞬間にアイデンティティを得た、と彼は記す。

ちなみに、9歳という年齢は、河合隼雄も子どもから大人になる重要な年齢だと言っている。
ヘニングは、8,9歳の頃、自分はどんな死に方が一番怖いだろうと真剣に考えたという。
彼がいちばん恐れたのは、湖や川の氷の上に立っているとき、突然氷が割れた小売りの下に引きずり込まれてしまい、明るい日の光が見える氷のすぐ下でおぼれることだったという。
誰にも助けてもらえないパニック。

その次に恐れたのが、本書のタイトルでもある「流砂」である。
砂漠の砂の中に引っ張り込まれ、砂に飲まれて窒息してしまう人食い砂。
彼は泣きもせず、叫びもせず、ただ、がんという流砂に引きずりこまれ、飲み込まれまいとして、ほとんど眠れないまま、10日間が経った。
そして、とうとう砂から這い上がり、事実に向き合い始める。

彼は、がんと知ったとき、突然人生が小さくなったようだったと書いているのだが、
それと相反するように、思考はどんどん拡大し、時空を超えていく。

例えば、フィンランドで、国土の母岩を深く掘り下げて、トンネルと地下室を創り、そこに原子力初天書から出る放射性廃棄物を遠い未来まで埋蔵するというニュースに、彼は放射性物質の毒性がなくなるまで、十万年、人の世代に換算すると三千世代の未来までそこに埋めておくということに思いを馳せる。

彼はそこを見学させてほしいと手紙を書くが、断られる。
1度目はその現場を犯罪小説のネタに使ってほしくないという理由で。
2度目は、見学者の安全が保障できないからという理由で。
それで、自分たちが生きてもいない十万年も先が、どうして安全といえるのか?

彼は自分の恐れを探っていく。
彼は、暗闇を恐れ、一人で寝るときは電灯を何個かつけたまま眠る。
その原因は明らかだった。
川岸に立っていた夢を見た翌年、ある晩、彼は何者かの弱々しい声で眠りから呼び覚まされる。目覚めて真っ暗闇の中で、彼はそれが父の声だと悟る。
明かりを点けてみると、父が吐いた血にまみれて倒れていた。脳出血だった。

母は彼が生まれてすぐ、彼を捨てて家を出て行った。
幸いにもその時父は生き延びたのだが、彼の頭に浮かんだのは、「父にも捨てられる」という思いと恐怖だった。
その瞬間から、暗闇の中には思いがけない恐怖があるという思いが、彼の心の中に根を下ろしてしまったのである。
彼が10代も早くから、家を出て、終生世界を住処として活動し続けたこと、とりわけアフリカへの深い愛の背景には、こうした幼い頃の傷つきからくる、孤独と恐怖があったといえるのだろう。

さて、長くなってしまった。
『流砂』は、これからも彼の生きた日々のエピソードを振り返りつつ、自分自身を見つめる作業と、人類の過去と遥かな未来とを行き来しつつ、彼の思索を辿っていく。

そうして彼は自らの恐怖を受け入れ、和解していく(これも直線状ではないが)と同時に、残していく人類に真剣な警告を発して止まないのだ。

未来に責任をもつこと。

彼が、後に残された私たちに痛切な思いを込めて訴えているのは、これである。
すべての人が真摯に受け止めるべき警告である。

それにしても、もう彼の新作を読むことができないのは、ほんとうに悲しく寂しい。

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岩波書店初の直木賞! [本のはなし]

芥川賞と直木賞が発表された。

とくに直木賞が岩波書店から出版された佐藤正午さんの『月の満ち欠け』に授与されたことは、岩波書店初の直木賞受賞作として、話題となった。
また、佐藤さん自身もかなりのキャリアをもつ作家であり、今更という感があるという。

私はこれまで彼の作品をまったく読んだことがなく、たまたま本屋で「直木賞候補に」という帯を見て、ふと読む気になって購入したのだった。

『月の満ち欠け』というタイトルが、森絵都さんの『みかづき』に似ていたこともあったかもしれない。

死者の蘇り、いわば輪廻転生のようなことがテーマとは、はっきりわかっていなかったのだが、母が亡くなったことも、どこかで影響していたのかもしれない。

帯に「久々の一気読み!」とあったのだが、本を読むのはベッドに入って寝るまでのせいぜい数十分なので、「一気読み」とはいかなかった。

で、とにかく輪廻転生だから、時代を超えて、何人もが登場し、その人ごとに人間関係があるので、とびとびに読んでいると、この人誰だっけということがしばしばあって、最後に最初のほうを読み直すことになった。

しかも、蘇るごとに新たな物語になるのではなく、関係がつながっているので、余計ややこしい。この物語を理解するには、一気読みするしかない。

それに、せっかくの受賞作をけなすようなことばかりいうようで悪いが、
女性が何度も蘇るとしたら、相手に相当な魅力がないといけないと思うのだが、
登場人物の男性にそれほど魅力を感じられなかったし、その動機も、愛情というより、執着といったほうがよいような感じで、なんでこの人のもとにまた戻ってくる必然性があるのか、ピンとこなかった。
とくに幼女が大人の男性に執着するのは、気持ち悪い。
小説の中でも誘拐犯に間違われたりしているが。
間違われちゃって気の毒というより、この女の子の気味悪さのほうが勝る。
蘇るのに事欠いて、なぜにこんな子供にする必要があったのだろう。



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ヨーロッパの映画の面白さ [おすすめシネマ]

フィンランドと言えば、今、オープンダイアローグという地域に展開する家族療法的アプローチで日本の医療福祉関係者の間では一躍有名になっている国。

そのフィンランドの生んだ映画監督といえば、アキ・カウリスマキ。
いつか見たいと思っていたが、今回、遅ればせながら、初めてDVDで彼の作品『ル・アーヴルの靴磨き』を見た。

2011年のカンヌ国際映画祭国際批評家協会賞、パルム・ドッグ審査員特別賞、同年シカゴ国際映画祭グランプリ、同年ルイ・デリュック賞などを受賞した作品。

ちなみに、パルム・ドッグ(PALM DOG)賞とは、Wikipediaによると、カンヌ国際映画祭で上映された映画の中で優秀な演技を披露した1匹またはグループの実写、もしくはアニメーションの犬に贈られる賞とのこと。
その名称は、同映画祭の最高賞であるパルム・ドールに由来する。受賞した犬(たち)には、革の首輪が贈られるのだそうだ。
この年、パルム・ドッグの受賞犬は、『アーティスト』のアギー。
たしかに、アギーには負けるかも。強敵だったわね。

ル・アーヴルは南フランスの港町。
主人公マルセルは路上で靴磨きをしている。
しかし、道行く人々の足元を見ると、ほとんどスニーカーで、革靴などはいている人はほとんど見当たらず、毎日の収入はほとんどない。
近所の店のツケで買い物をして、やっと生計をたてている。
家には愛する妻と愛犬ライカがいて、貧しいけれど幸せな毎日を送っていた。

★ ★ ★ ★ ★

犬の名前、ライカは1988年のスウェーデン映画、ラッセ・ハルストレム監督の『マイ・ライフ・アズ・ア・ドッグ』に登場する主人公、イングマル少年の愛犬のライカ犬にちなんでいるのだろう。

ライカ犬と言えば、かつてアメリカと宇宙ロケットの開発競争をしていたソ連が打ち上げた小さな人工衛星に乗せられて、世界で最初に宇宙を旅した生物となったのがライカ犬である。
イングマルの母親は病気で、父親は仕事で南洋の海に出かけたまま帰ってこない。
そんな状況でもイングラムは、あのライカ犬の運命を思えば、自分はまだましだと考えているのだ。

☆ ☆ ☆ ☆ ☆

「ル・アーブル」の話に戻って・・・
ある日、近くで何者かがピストルで殺されるという事件が起き、マルセルは靴磨き仲間のベトナム人と一緒に逃げ出す。どうやら人身売買をめぐる抗争があるようだ。
港に放置されたコンテナから、大勢のアフリカからの密航者が見つかる。

一方、マルセルの妻が突然倒れ、入院した病院で余命宣告を受けるのだが、夫には秘密にしてほしいと医師に口止めする。
そんなこととは知らないマルセルは、密航した少年が港に隠れているのを見つける。
少年は、ロンドンにいる母のところに行こうとして、祖父とコンテナに乗っていたのだ。
今や警察に追われる身の少年をマルセルは匿い、近隣の人々とも協力して祖父を探し出し、旅行費を工面しようとする。
追跡する警察・・・。果たして少年はロンドンに行けるのか?

と、まあこんな話である。
最後はびっくりするような結末なので、ここに書くのは控えるが。

すぐに気づくのは、正面から顔をアップにしたショットが多いこと。
あきらかにカウリスマキが尊敬しているという小津安二郎の影響が見て取れる。
人々の生活ぶりの描き方、雰囲気も、小津風である。

これと同じような手法が、英国とイタリアの合作映画『おみおくりの作法』でも見られた。
この映画の監督・脚本・製作を担当し、第70回ヴェネチア国際映画祭のオリゾンティ部門で監督賞を受賞したウベルト・パゾリーニも小津安二郎の大のファンで、小津の映画を意識して作ったというから、小津がヨーロッパの映画人に与えた影響がいかに大きなものだったかが分かる。

『ル・アーヴル』の中ではライカ犬だけでなく、登場人物の名前がいろいろな過去の映画にちなんでつけられていたり、
『おみおくりの作法』でもあるショットが『ほくの伯父さん』で有名なジャック・タチ監督へのオマージュとなっているなど、
過去の映画を自分の作品に積極的に反映させようとしているのは、興味深い。
普通だったら、真似だとか、ひどい場合は盗作だとかの非難を受けかねないだろうから。
どういうメッセージなのだろう。
インターネットの時代、映画の先行きが危ぶまれるから?

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掘り出し物 [こんなことあんなこと]

毎週実家の整理に通っている。やってもやっても片付かないが。

昨日は、自分の部屋の整理に取り掛かり、本棚の上にあった大きな段ボール箱を整理することにした。
外から見ているとしっかりした段ボールだと思っていたのに、下ろしてみると蓋の部分は日に焼けてボロボロ。触るとバラバラになった。

中にあったのは、手紙やはがきの束。
小学校時代から大学の教養学部の時代までが詰め込まれていた。
昔はメールやSNSはもちろん、電話だってすべての家にあったわけではなかったので、子どもでもよく手紙のやり取りをしていたのだ。
とくに、小学校の途中で東京に転向していった厚子ちゃんとは、毎週どころか、週に何回かの頻度でやり取りしていた。ほとんど日記替わりというか、LINEに近いか。
でもLINEなら、長くても数行、二言三言程度だろうが、なんと毎回、便せん数枚にわたってたわいもないことを書き綴っている。
けっこう世の中を嘆いていたりして、昔の子どもはよく考えていた?

驚いたのはその値段。
一番古いのは、手紙が10円、葉書が5円。
それがまもなく7円と15円に値上がりしている。高度経済成長期に差し掛かったのだ。

中学に入ると、カナダのケベックに住む女子中学生がペンパルになり、航空便のやり取りが始まる。
その頃はペンパルというのが流行っていたのだ。
英文で手紙を書くのは今でもしんどいものだが、最低でも月1回はやり取りしていたんじゃないかな。確かお母さんがナースをしていたと思う。

よく覚えていないのだけれど、担任だった英語の先生からの課題だろうか、数十題もの英文和訳の答えが書かれた(書いたのはもちろん私)レポート用紙5,6枚に、先生の添削と助言が書き込まれた手紙が2通もあった。
昔の先生はすごかったのね。おかげで力が付きました。

大学に入ってからも、結構同級生などとも手紙やはがきをやり取りしている。
入学してすぐ、本郷の医学部で始まった東大闘争が教養学部のある駒場にも波及してきて、クラスで討論会をやるという通知のはがきがあった。
手書きのガリ版刷りである。
駒場祭にクラスとして何を出店するかなんて話し合ったりしていて、その話し合いの結果もはがきで送られてきていた。
今のような同朋メールがあったら、もっと簡単だったと思うけど・・・。
でも、はがきや手紙だからこうして残っているわけで、メールはそう長くは取っておけないからね。

東大闘争に突入してからは、同級生や茶道同好会、当時かかわっていた救援対策本部(今もその電話番号が使われているらしくて、驚く)の仲間たちと、頻繁に手紙をやりとりしていた。とくに夏休みや冬休みなど、離れたときには、必ず。
こんなつながりあったっけ、という人もいて、
同級生が逮捕された後の、家族とのやりとりの手紙もあった。

中でも、サークルの先輩からの手紙は毎回10枚近くになる大論文。
だからって彼氏でも何でもなかったのが不思議。
安田講堂の攻防に次ぐ授業再開や休学といった疾風怒濤の時期を経て、いつのまにか疎遠になった。
どこでどうしているのやら。

毎月のお小遣いと一緒に送られてきた母親からの手紙もあった。
覚えていなかったのだけれど、ワンピースを仕立てて送ってくれたことや、今後、こういうことはできないかもということのついでに、父親が会社を辞め、上京を考えているという内容の手紙もあり、こんなこと書いて送ってきてたんだと改めて驚く。
当時は自分のことで精いっぱいだったからね。
授業再開とともに、大学に残るかどうか悩んでいたときには、父から慎重に考えるようにとの手紙があった。
科学は日進月歩、だから時間を無駄にしないようにとの内容。
まだ、理学部進学を期待されていた頃だ。

中身をいちいち出して読んでいるうちに、結局、数時間かけても整理できず、また来週に持ち越し。
こんなことをしていると絶対に片付かないね。

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