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江戸時代の市井の人々ー阿蘭陀西鶴 [本のはなし]

朝起きぬけにクシャミがでて、水っぽい鼻水がでてきた。
いよいよ花粉症の季節かと思い、アレルギーの薬を飲んだら、
眠いのなんのって。
夜飲むべき薬だったのね。
仕事もできず、たまらずトロトロと居眠りして1日を過ごしてしまった。

さて、ひさびさに本の紹介。
朝井まかて著『阿蘭陀西鶴(おらんださいかく)』(講談社文庫)

江戸前期の作家井原西鶴とその娘、おあいの物語。
井原西鶴は『好色一代男』や『世間胸算用』などの浮世草子の作者として有名だけれど、
もともとは大阪の談林派という俳壇の俳諧師だったのね。
出世欲が強く、一晩で読む俳諧の数を競う矢数俳諧の興行を打って世間を騒がすような人。
その派手さで、阿蘭陀西鶴と揶揄されたのを逆手にとって、自らそう名乗っている。

しかし、俳諧でいくら有名になったとしても本の売り上げだけでは食べていけない。
そんな父を支えるのが、盲目の娘おあいである。
この本のタイトルは『阿蘭陀西鶴』ではあるが、物語はこのおあいの目からみた(耳で聞き、感じた)父とその世界の物語である。

子供の頃から母に、裁縫や料理など家のことをすべて優しく叩き込まれたおあい。
母が病没したあと、2人の弟たちは他家に養子にやられ、
家ではおあいだけが残った。
母の薫陶のおかげで、おあいは家の中では目が見えないとは思えないほど自由に動き回れ、
人がびっくりするほど上手に料理をする。
父は自宅に人を集めるのが好きで、そのたびに娘自慢をする。
それがおあいとしては嫌でたまらない。

そんなおあいから見た父西鶴は、かえるのような声をだす、下品でどうしようもなく手前勝手な男である。
見栄っ張りで、ええ格好しいの父が、いつも盲の娘のことを心配しているようなことを言うのは、世間の同情を買うためだと、おあいは思う。
父が家のことをかえりみないせいで、母も若くして死に、弟たちとも別れ別れになってしまったと思うのだ。

江戸では松尾芭蕉が新しい俳諧師として台頭してきたのに、対抗心をもやしている。
次々と読む俳諧の矢数を競う俳諧師も増えてきた。
追い詰められた父が俳壇からのそしりもかえりみず、打って出たのが浮世草子の執筆である。
日頃人付き合いがよく、いろいろな人の話を耳にしていたのを脚色して物語にしたのだ。

西鶴は俳諧も物語も、書くときには声を出して読む。
それを聞きながら育ったおあいは、父の苦しみも焦りも、そして得意げな様子もすべて聞き取っていた。
おあいはやがて、父の真意を知ることになる。
ここでちょっと泣けた。

こうした西鶴とおあいの父娘の物語を縦糸として、さらにそのまわりに生きるさまざまな人々の物語が横糸となり、さらに江戸幕府から下される倹約令が庶民の生活におよぼす影響などの背景が描きこまれて、物語に奥行きを与えている。

これまで井原西鶴という人物とその作品については、歴史で習ってきた程度で、実際に読んだことはなかったし、まして歴史の流れの中で捉えてこともなかった。
この物語の中には、芭蕉のほかに近松門左衛門なども登場し、歌舞伎の世界もかいまみられ、ああそういうことだったのだと、学校で習った歴史がようやく動き出す感じがした。
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