So-net無料ブログ作成

喪中はがき [こんなことあんなこと]

今年もあとわずか。
ぼちぼち喪中はがきが届き始めた。
その中に、高校時代の化学の先生の奥様から、先生が亡くなったとのお知らせ葉書があった。

当時、私は化学クラブの唯一の生徒だった。
その先生は大学を出たばかりで、意気込んでいたのだろう。
いろいろ考えさせるテストをしたりしていた。
だが、同級生の中には家庭教師について勉強していて、
難しい問題も正答する生徒が結構いて、
先生は、自分に教えることはあるのだろうかと落ち込んでしまい、
私はその愚痴の聞き役になっていた。

実験室は私にとっても避難所みたいだったから、
せっせと薬品棚を整理したり、汚い暗幕を洗濯したりした。
だけど、汚かったのは薬品が飛び散ったせいで、
洗濯したら、ボロボロになってしまった。

他のクラスの実験がうまくいかないときには、
私が授業中でも呼び出され、実験助手のような手伝いもした。
それを暗黙の了解で許してくれる先生もいたのだ。

競馬が趣味で、日本中の競馬場に出向いていた。
そんな話を授業中に楽しそうにしていた。

そうそう。私が高校時代に通っていた塾は、
奥さんの経営する美容院の2階の畳部屋が教室だった。

いわゆる、「髪結いの亭主」というわけだ。
厳しくて有名な先生だったが、酒好きで、ちびちび酒を飲みながらの指導だった。
親もそれを承知で通わせていたのだから、のんびりした時代だった。

つまり、私の世話になった先生は、ギャンブル依存症とアルコール依存症だったわけ。

この塾に通っていた私の同級生とほかの高校の生徒が、数年後、お見合いで結婚した。
偶然だというが、びっくりしたものだ。

けれど、その同級生も急な病でもう亡くなってしまった。
訃報を同窓生に知らせる役割を私に頼んでくれと言い残したそうで、
旦那さんから電話をもらって、北九州にかけつけた。
年の瀬の押し詰まったころに病気が発覚して即入院となり、
年末年始を自宅にいったん帰宅して過ごし、年明けに手術し、
手術は成功といわれたものの、急変して亡くなったのだった。

そのいったん帰宅した際に、一人で子供たちや親せきや、自営業の旦那さんの会社の人などに一人ひとり、こまやかなお礼状をしたためていた。
それを葬儀で旦那さんが読み上げたときには、本当にやるせなかった。
そんなまわりに気を遣う、きちんとしたいい人だから、早死にしちゃうんだよと。

今年喪中はがきが届いた化学の先生も、まだ70代半ば。
まだまだ早すぎる死だ。
だが、なん年か前に娘さんが亡くなったとの、これまた喪中はがきをいただいていた。
すぐに電話してみると、
娘さんには高校生の息子さんがいて、その子を引き取って育てていると話していた。
どんな毎日だったのだろう。
それ以前から心臓手術を受けたことがあるとも聞いていたので、心労がたたったのだろうか。

年の瀬の喪中はがきは、いろいろな思いにかられることが多い。
nice!(0)  コメント(0) 

nice! 0

コメント 0

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

メッセージを送る