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言い返そう! [本と映画のはなし]

実は前回アップした西加奈子さんの『サラバ!』は、つい最近みた映画も一緒に加えて感想を書いてみるつもりだった。
ところが、『サラバ!』の話が思いのほか長くなってしまったので、2回に分けることにしたのだ。

その映画、タイトルは『TALK BACK~沈黙を破る女たち』という、
私のFB「友達」でもある坂上香さんが製作・監督した、ドキュメンタリー映画である。

坂上さんと知り合ったのは、10数年前に彼女から治療共同体についての勉強会で話をしてほしいと頼まれたのがきっかけだった。
その後、逆に大学で講演をお願いしようと思っていながら、なかなか実現できないまま、私が退職してしまったので、お会いできる機会もないかと思っていたら、近所のミニシアター、シネマ・チュプキ田端でこの映画の上映会があり、そこで彼女のトークショーも行われるというので、行ってみることにした。

この映画館、驚いたことに本当にミニで、20数席しかない。
関心のある仲間たちが集まっての上映会にはもってこいの場所であった。

で、この映画である。
公開されたのは2013年というから、すでに4年が経っていた。
さらに彼女がこの映画の製作を開始してから完成までに8年かかったというから、私が会ったころはもう、撮影を始めていたようである。

彼女は、終身刑や死刑を言い渡された重罪犯(多くは薬物依存症者)についての映画『ライファーズ』を製作した後に、この映画に取り掛かり、やがて津田塾大学に職を得て、研究費をこの映画に充てていたらしいが、大学のあまりの多忙さに(そうだろう!!)、結局辞めて、この映画の製作に専念することにしたのだという。

日本と違い、海外では刑務所での収監者たちの更生プログラムとしての表現活動が豊富にあり(以前、このブログで取り上げた「読書会」などもその一つ)、坂上さんはそれらを一つ一つ調べては訪ねて行ったという。
そうしたなかで出会ったのが、ローデッサ・ジョーンズというアフリカ系アメリカ人女性が代表を務める「メデア・プロジェクト」という団体。だが、取材は受け入れてくれたものの、やはり映画にするとなると、なかなかOKが出るまでには、時間がかかったそうだ。

メデアは、薬物依存や犯罪で刑に服した女性たちが、自分たちのこれまでの体験を言葉(詩)にして語り、踊り、自らの内にあるものを表現するという活動を行っている。
刑務所の中で希望者を募り、それぞれが自分の言葉や表現法を見出すのを助けるのだ。
最後には、ニューヨークやサンフランシスコなどの市内の劇場で一般の人々に向けての公演を行う。刑務所から手錠をはめられた受刑者たちがバスに乗せられて劇場に行き、戻ってくるのだという。

この映画は、そうしたメデア・プロジェクトに参加した女性たち一人一人を追う。
彼女たちの多くはアフリカ系だが、ヨーロッパのアングロサクソン系、アジア(日)系なども参加している。たいがいは貧しい家庭で育っているが、中にはそうではない人もいる。
だが、共通しているのは、過去に悲惨な性的虐待やレイプなどの外傷体験をしているということである。その結果、ほとんどがHIV+となっているのだ。
AIDSを発症し、余命わずかな人も仲間にいる。

だが、そうした悲惨な体験は、言葉にすることができない。
中には、記憶すらもなく、この活動をするうちに、凍り付いた記憶が溶け出し、よみがえってきたと話す人もいる。
まずは、日記のように書いてみるのだが、それを読み上げるのでさえ弱々しい声で、躊躇する気持ちが透いて見える。
だが何度も読むうちに、声が変わっていくのだ。
さらに、内容もだんだん体験の本質に近づき、真実味が加わっていく。
ごまかしは徐々にはぎとられる。

そして、その声に合わせて身体を動かし、他のメンバーたちが加わって歌い、踊り始める。代表のローデッサも加わり、最後は大迫力の”爆発”だ!

この映画のタイトルの「TALK BACK」というのは、「言い返す」「異議申し立て」のような意味だが、このメデアの公演の後に、いつも行う、客席の観客と出演者との質疑応答のセッションもこう呼ばれている。
こうして、演じる人ー観る人の垣根を越え、人間としての普遍的体験の理解へと進むのである。

シネマ・チュプキでの上映会の後も、坂上香さんとダルク女性ハウスの上岡陽江さんがトークショーを行い、観客も交えての「トークバック・セッション」となった。

実はこの映画は「市民参加型映画」と銘打たれているのだが、編集にダルクなどの当事者たちが加わって、その意見を取り入れながら試写と編集を繰り返し、完成させたのだという。

そこに関与するすべての人が、常に率直な意見を求められ、一緒に何かを創り上げていく…。それこそが治療共同体であり、あらゆる回復を支える活動に必要なものなのだ。
言葉とエンパワメント。

人に隷従して生きていく中で、性的に搾取され、薬物に依存することで現実から逃避するしか生き延びるすべがなかった人が、そんな生き方にNO!と言い、自分はこういう人間だ!と自己主張し始めるのだ。

この映画を観ていて、私が「自分には故郷がない」と言っているのは、実はみずから故郷をつくることを回避してきたのではないか?という疑問が湧いてきた。
それは私にとって、新しい疑問。ぎくりとした。









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『サラバ!』で考えさせられた [本のはなし]

前から読みたいと思っていながら、分厚い単行本2冊を読み通すエネルギーがなさそうで、文庫本になるのを待っていた西加奈子著『サラバ!』が、3年たってようやく文庫本3分冊になったので、さっそく購入して読んだ。
彼女の本は初めて読む。

帯も表紙の裏のあらすじも読まず、まったく予備知識なしで読みだしたので、第1章「猟奇的な姉と、僕の幼少時代」の次が、第2章「エジプト、カイロ、ザマレク」というタイトルだったので、いったいこれは何の話だろうと戸惑った。
なにせ、日本の小説の章のタイトルで、外国の地名-しかもエジプト、カイロ、ザマレク!―が出てくるなんて予想もしていなかったので。

実は、今から30年以上も前に、商社に就職した友達がカイロに語学留学していたので、2週間ほどエジプトを旅したことがあった。
なので、ザマレク近辺の様子は思い浮かべることができる。街に響き渡るコーラン(アザーン)の放送の声も。ナイルに浮かぶ白い帆の小舟ファルーカも。

著者の西加奈子さん自身がイラン・テヘランで生まれ、カイロで育ったという経歴を知って、なるほどどうりで街の風景などの描写が詳しいわけだと納得。自身の体験から描いているのだろう。

エジプトに行った時、「ナイルの水を飲んだ者は、かならずナイルに戻ってくる」と聞いたので、いつかまた訪れてみたいと思っていながら、その後のエジプトでのテロ事件や政情不安で、とても行けそうもないと思っていたので、この小説の中で再訪できたような気がして嬉しかった。

そんなことに驚きながら読み始めたのだが、物語はそうした旅情とはかけ離れた(ファンタジーと言ってもよいような)ドラマが、激動の世界情勢と主人公圷(あくつ)歩の一家の物語が交錯する形で展開していく。

歩は、父の海外赴任先のテヘランで生まれ、イラン革命でいったん帰国し大阪に住むが、すぐに新しい土地にも溶け込んだ歩と違い、姉貴子はなかなかなじむことが出来ず、孤立を深めていく。

姉はガリガリに痩せていて、その不器用な態度に同級生から「ご神木」というあだ名を頂戴するような子どもで、しょっちゅう怒りにまかせて部屋中を破壊したり、部屋に引きこもったりするのである。
母親との関係は最悪なのだが、この母親も、ほかの人の気持ちには無頓着な自己中心の女性として描かれる。

一家の悩みの種は、奇矯なふるまいをする「猟奇的な」姉である。
周囲のことは一切お構いなしにひどい騒ぎを起こすこの姉を見ながら、歩はひたすら目立たないよう、まわりに気に入られるよう、「良い子」として生き延びていこうとする。
彼は、姉とは対照的に顔立ちもよく、どこに行っても人気者である。それを自分でもよくわかっている。
こうした歩の、表向きの顔とは裏腹の、醜い顔、内心の意地の悪い思いがしばしば吐露されているのだが、実際には相手の反応が読めるので、口に出して言わなかった、ということが繰り返し記述される。

それでもカイロでは、歩はヤコブというコプト人の少年と親しくなる。言葉の壁を越えて(というところがミソ)、理解しあえる友となるのだが、両親の離婚でエジプトも後にせざるを得なくなる。
ここで「サラバ!」の意味が分かり、涙。

日本に帰国後、母は次々に恋人をつくり、姉は近所のおばちゃんが教祖とされた正体不明の宗教にのめり込んでいく。そこへ阪神大震災が起こる。
逃げるように東京に移った歩は大学生になってからも、あいかわらずモテモテで、次から次へと女性と関係をもつ。

この小説の中で、このような二面性をもつ人間として歩は描かれるのだが、醜い内心を(文章で)さらした後に、決まってその醜さを自分から指摘するのである。まるで言い訳するように。
このパターンが繰り返されるので、なんだかずるいなという気がしてきた。腹黒い嫌な奴なのに、自分は腹黒いとわかっているから許して(本当はいい奴なんだ)、と言っているようで。

この後の話はネタバレになるから書かないが、歩にも大きな変化、しかも自分ではどうしようもない変化が洗われることだけは言っておこう。
そして、対照的な姉と弟、自己中心的な母親と出家する(徹底的な愛他主義の)父親の対比などを通して、自己とは何かということが問われていく。
自分の欲求のままに生きるのが、正しい自己としての生き方なのか。他人の考えや期待に沿って生きるのは、だめなのか。
自己と他者との関係について、深く考えさせられた小説だった。

とても面白く感動もし、著者の力量に感服もしたが、1か所だけ気になったところがあった。
それは、最後のほうで大人になった歩が姉と対峙するシーン。

姉がかつてのめりこんだ教会の建物の跡地に建った2棟の大きなマンションを背に、姉が立っているのだが、「西日が背中から当たって、姉の顔を影にしていた」と描写されているのだ。
大きなマンションがあって、それを背にして立ったら、背中に夕陽は当たらないだろうに・・・。
この場面がクライマックスと言ってもよいだけに、こんなことに引っかかっても仕方がないと思いながら、でもね・・・。

と書いて、最初投稿したのだが、後で読み直すと、背中は歩の背中なのかもしれないと思えてきた。
つまり、姉の前に立つ歩の背中に夕陽があたって、目の前の姉の顔が(自分の)影になっている・・・と考えると、矛盾はない。なるほど、これならすっきり。
でもなぜ、大事な対決シーンなのに、作者は姉の顔を隠そうとするのだろう…。
歩自身へのコンフロンテーションを行うのは、姉でも他者でもなく、歩自身だということの暗喩なのだろうか。
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フーテンの寅さんは疲れる。 [こんなことあんなこと]

10月に愛媛の松山、11月の第1週に長野の松本、翌第2週は兵庫県の神戸・・・。
松本行の直前になって、ホテルの予約をしてないことに気づき、慌てて探したが、結局バカ高いホテルのツインしか取れなかった。神戸も同様。

最近はどこでもホテル代が高い!外国人観光客が増えて、どこもホテル不足なのだ。
朝食も待たされることが珍しくない。早起きしなければ、予定に間に合わないことも。

1月は、横浜と千葉の近場の仕事でひといき。
2月は、第1週に小倉で2つ仕事が入っている。川越でも。
3月にはまた、福岡。芸能人みたいだな。

おまけに11月~1月は、大学の非常勤の講義が7回。
グループと個人面接がこれに加わり、並行して週1回の実家の整理。

やっかいなのが、学会で頼まれる講演。
普通なら、講演用の資料づくりで済むはずが、その前に抄録集の原稿、講演が済めば学会誌に掲載する原稿を頼まれる。
大学の講義も90分で120分の2時間分にカウントされるのは、その前に準備があるという理由から。
学会で60分の講演をするためには、移動時間も含めると、トータル、かなりの時間を費やすことになる。
呼んでいただけるのはありがたいこと、文句を言ってはいけないとは思うものの、つい。

甥っ子に、「いつまで働くの?」と聞かれて、そうだよなあと思う。
定年になったんだもの、もっとゆっくりしてもいいはずだ。
仕事でない旅行もしたいし、ゆっくり海でも眺めていたいと思うのだが。

週1回のブログの更新が遅れたことの言い訳を書き始めたら、こんな愚痴ばかりになってしまった。
本当は原稿を書かなければいけないのだけど。
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話題のアメリカのTVドラマ『This Is Us 36歳、これから』 [テレビ番組]

『ダウントンアビー』が終了してから、NHK総合の海外ドラマなどは見ないでいたのだが、たまたま、AAのミーティングのような場面をやっていて、ついつい引き込まれてしまったドラマがあった。『This is us 36歳、これから』である。
毎週日曜 午後11時に放映。

昨年、アメリカで放映されて大ヒットした話題作だという。
ただ、それから録画して毎回見ているのだが、シチュエーションがよくわからず、登場人物の関係もよくわからないでいた。
なにしろ、ケヴィンという主人公の声の吹き替えをやっている高橋一生が、あまりに下手くそで、台本を棒読みしているみたいなのが気になって、ストーリーに身が入らないのだ。
初の吹き替えということで、鳴り物入りで宣伝しているのだが、何とかならないものか・・・。
いくら自信がなく、今の仕事に悩んでいる役とはいえ、一本調子の声の固さは・・・。
字幕版が早く見たい。

ということで、NHKのサイトhttp://www4.nhk.or.jp/this-is-us/27/でこのドラマのことを調べてようやく、わかった。

このドラマには、主要な登場人物が3人いるのだが、タイトルが示しているように、3人とも36歳である。内、ケヴィンとケイトは白人、残り1人のランダルは黒人。3人とも同じ日に生まれた。

見ていてややこしいのは、現在の3人の物語の中に、彼らの両親の若かりし頃の物語が、時々入れ替わって挿入されるからだ。
最初、昔のシーンだとわからないで見ていたから、白人と黒人の3人の子どもを持つ家族が別にいるのだと思っていた。

番組サイトを見て分かったのは、ケヴィンとケイトは男女の双子。実際は、三つ子だったのだが、3人目が死産で、同じ日に新生児室に運び込まれた黒人の捨て子ランダルをその場で引き取り、養子にして育てたのだ。そうだったのか・・・。
ちなみに、父親はヒスパニックの建設会社に勤務する労働者である。
現在はすでに亡くなっており、ケイトが骨壺にいれた遺灰を手放せないでいる。
母親は夫の亡き後だか、生前だかはわからないのだが、夫の親友だった男性と再婚して、子どもたちとは別れて暮らしている。

兄のケヴィンは俳優で、TVのコメディードラマで人気を博している。
妹のケイトは兄のマネージャーをしているが、肥満に悩んでいる。
これがほんとうに大きな女優さん(マツコ・デラックスさんを若くしたような)で、しかも美人。

こういう女優さんが主役級を演じられるアメリカのTV界はいいなあと思う。
しかも、ケイトは肥満に悩む人たちのセルフヘルプグループに参加しているのだ。
これが、私がこのドラマを見て、AAのようだと思ったシーンだった。

で、ケイトとケヴィンの二人は、お互いに共依存関係にある。
だが、外見だけの軽い男の役に嫌気がさしたケヴィンがドラマの降板を一方的に宣言し、ニューヨークの舞台のオーディションに挑戦することになり、二人は別れ、それぞれの人生を歩み始める。

黒人のランダルは、この3人の中ではもっとも成功した人生を歩んでいると言える。頭もよく、今はエリート・ビジネスマン。結婚し、2人の娘もいる。
3人を分け隔てなく育ててくれた両親には愛されたという気持ちはあるのだが、やはり実の親に捨てられたという傷を抱えている。
彼は実の父を探し当て、会いに行くのだが、父親は元薬物依存症のミュージシャン、現在は余命わずかだとわかる。
そこで、ランダルは父親だということを妻にも知らせず、友人だと言って家にひきとる。

とまあ、これが全体のシチュエーション。
ここには、人種の問題、依存症の問題、父親と母親の子育ての悩みと親子関係、階級の問題、生と死の問題などなど、多くの人が抱えている問題がてんこ盛りなのである。声高に訴えているわけではないが。
ケイトがセルフヘルプグループで、努力して痩せてきたというメンバー(後に恋人になる)に不満をぶつけるシーンなど、リアルに描かれていて感心する。

番組のサイトには、出演俳優たちがドラマについて毎回語り合う楽屋トークの動画https://www.nhk.or.jp/d-garage/program/?program=20もあって、こちらも面白いので、ぜひ。
とくに、36歳という年齢が、人生の折り返し地点に近づいていながら、自分はちっとも大人になり切れていないと感じる、微妙な年齢だと語られているのは、そうかもしれないと思う。
ただし、その後もいつまでたっても大人になり切れていない感は残るのだが…。

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実家の整理にてんてこ舞い

毎週実家で姉と落ち合って、整理をしはじめて早や半年。
まずは押し入れからものを引き出し、タンスを空にし、捨てるものは捨てて、
売れそうなものはリサイクルショップに売りに行くという作業を繰り返している。
そんな中から、自分の母子手帳だとか、戦前の戦時債の債券だとかが出土し、自分と日本の歴史を目の当たりにすることになった。

父が調べた先祖の系譜は、江戸時代までさかのぼっていた。
ガラス写真などもあったが、もはや誰だかわからず、ゴミとなった。
赤十字に寄付したか何かしてもらった勲章はすっかり日に焼け、さび付いて、これもゴミ。
だが、父の学位記などは捨てるに捨てられず…。
なにせ、墓碑にも〇〇博士と掘ってほしいというのが遺志だったくらいなので。
働きながら取った博士号に誇りとこだわりをもっていたのだ。

Book-Offのリサイクルショップにも何度か通ったが、ここは未使用のものしか売れないことがわかった。
イギリスでは、毎週末にどこかでジャンブルセール(不用品市)が開かれていて、
けっこうみんな好きなものを見つけて買ったり、売ったりしていたけどな。
研修の半年間の日用品や衣類などは、けっこうそれで賄った。

今回、リサイクルショップに衣装箱に2箱以上、車で運んでも、せいぜい1000円ちょっと。
それでもただでゴミに出す、場合によってはお金を払って処分してもらうことを考えたら、まだまし。
ショップでたまたま見つけたバッグを買ったら、持ち込んだ品物の売値を上回ったこともあった。

古本屋さんにも来てもらったが、これも古く焼けた本はだめ。
もったいなくって捨てられない本だが、もって行き場がない。
着物のリサイクルにも来てもらい、タンス2さおに一杯だった母の着物も、2時間近くかけて査定してもらい5000円ちょっと。
それでもよくこの値段が出たというべきところらしい。

時間がかかったのは、その場で売れそうな着物を選び、写メをとってその場でオークションにかけ、買値を点けるという方式だったから。
貸衣裳屋さんに売るのだそうだ。
でも、貸衣装やさんを利用するのは、そんな着物を本格的には着たことがないというような若い人。なので渋い柄は売れない。
羽織やらコートなども売れない。
着物はほとんど母が若かりし頃に買ったものなので、柄的にはまずまずだったのだが、何しろ身長が低かったので、今の若い人にはちょっと。
その点が減点材料だったらしい。
でも、売れるものは売れたので、残りは心置きなく捨てることにした。

レコードなどもリサイクルショップがありそうなので、これから連絡。

リサイクルショップではアルバム類など、個人情報が含まれているものは売るのはもちろんだが、処分もしてくれないと聞いてショック!
ものすごい数の写真の数々。
ついつい子どもの頃の写真などに見入っていると、時間ばかりがかかってしまう。

あとの品々は、甥っ子やら姪っ子らにもっていってもらったり、
姉と私が引き取ったり・・・。
もう自宅のほうが収納の限界にきていて、本気で断捨離に挑戦することにした。

自宅の本もせっせとBook-Offに持ち込んでいる。
ここも文庫本は1冊5円から。
ずいぶん価格差がある。

やっぱり普段から簡素に暮らさないといけないね。

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スウェーデンが出てこないスウェーデン・ミステリ [本のはなし]

それにしても時の経つのが早すぎる。
繰り返し言っていることだけれど。

一つは、最近再び数独にはまって、無駄な時間が過ぎていくせい。
とくにスマホの数独は,Hardの段階に達して、ときどきギブアップせざるを得ない問題が出る。
そういうのがあると、ますます熱が入ってしまうのだ。
いいかげんにしないと。とは思うものの・・・。
これがアディクションなのね。

で、ブログを更新する時間もなくなり、それより本を読む時間も無くなるので、書くことがなくなるのが致命的。
ケーブルテレビのミステリドラマは録画して、何度も同じものを見直したりしているのだが…。
これでは頭がボケてしまう。

なんて、グタグタ言い訳するのはよして、おすすめブックスの紹介と行きましょう。

トーヴェ・アルステルダール『海岸の女たち』(創元推理文庫)。
スウェーデン・マルメ生まれで、現在は3人の娘とストックホルムで暮らす著者は、もともと映画や演劇のシナリオライターとして25年のキャリアをもち、ベストセラー作家の編集者も務めていたという。
これが50歳を前にしてのデビュー作なのだが、当然ながら完成度が高く、一気にベストセラーの仲間入りして、「北欧ミステリの新女王」と呼ばれるようになったのだそうだ。
最近の北欧ミステリの傾向を反映して、国際的な社会問題が物語にからんでいる。

最初のシーンは、スペインの観光地タリファの海岸。
どうやら船で運ばれてきて、上陸寸前に海に投げ出されたアフリカからの難民とおぼしき女性が、必死に生き延びようとして、海岸にたどり着く。
名前はない。

次の場面では、テレーセという若い女性の観光客が登場する。
ハンサムなサーファーに誘惑されて、酒と薬を飲まされた挙句、レイプされ、タリファの海岸に放り出されたのだ。
あわてて逃げ出そうとして、何かを踏みつける。
何か、ぐにゃりとした物体。黒人の死体だった。

その同じ日、ニューヨークでは、劇場の舞台美術家として評価を得つつあったアリーが、待望の妊娠をしたことに気づく。
フリーランスのジャーナリストである夫のパトリックは、取材のためにパリに行ったまま連絡がない。
夫から劇場に届いた封筒には、謎の写真の入ったディスクと手帳が。
夫の行方を捜すために、アリーは単身パリへと向かう。

一方、テレーセは、父親が警察と赤十字に事情を話したため、警察に呼ばれて海岸で見つかった死体のことを聞かれる。
ここには遠くアフリカから密航してくる難民たちが大勢流れつくのだ。
幸運にも生き延びた難民たちには、ヨーロッパのあちこちで奴隷のような運命が待っている。
どうやら、パトリックはその取材をしていたようだ。
なにか大きな情報をつかんだのかもしれない。

というわけで、スペインやらアフリカやら、ニューヨークやらが出てくるのだが、肝心のスウェーデンはほとんど出てこない。


このアリー。生まれはチェコスロバキアのプラハだが、幼い頃、母とともにアメリカにやってきたという背景をもつ。
そこには、1968年の「プラハの春」や、その後の弾圧、そして、1989年のベルリンの壁の崩壊に続く、チェコスロバキアの「ビロード革命」いった激動の歴史があった。

しかし、アリーナと言う名前もアメリカ風にアリーと変え、母国語も忘れた。
アリーの夫を探す旅は、自らの過去と初めて向き合い、そのルーツを探る旅ともなっていくのだ。

パリで夫の足取りを追ううちに、アリーは奴隷労働を強いられている難民の救出にあたっているボランティア団体と知り合う。
夫もこの活動に賛同していたようだ。
徐々に難民を奴隷にする闇の勢力の存在があきらかになっていく。
だが、誰が味方で、誰が敵なのか…。


妊娠してつわりに苦しみながら、パリからリスボンへ、そしてタリファへと向かうアリー。
飲まず食わずであちこち走り回り、襲われてもめげない主人公に、ありえな~いとつい声を出したくなるのだが…。

一方、地中海を密航して命からがら生き延びたアフリカ女性の悲惨な行程も描かれ、最後にアリーの行程と交差する。
なかなかできた構成である。
手に汗握る冒険活劇を物語る技は女性離れしていて、さすがシナリオライターで鍛えただけある。

この舞台美術家が探偵役というのは私も初めてだが、著者の経験や知識が物語のあちこちに行かされていて、面白い。


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傷だらけの人生 part 2 [日々の出来事うっぷんばなし]

寒くなってきた。
もっとも苦手とする季節。
私の前世はクマだったかも。
寒くなると同時に眠くなり、動きが緩慢になる。

先週のこと。
夜ゴミ出しに行った帰りに、エレベータを使わず、非常階段を上っていて、途中で段につまずいてしまい、前につんのめってしまった。
足が思っているほど上に上がらなかったのだ。
サンダル履きだったのも悪かった。

これでは、転倒リスクの高い高齢患者さんと同じじゃないか…。とほほ。
“ふまねっと”体操をしなくては。

しかも倒れたとき、思わず上の段に両手を突いたので、手首を骨折したかも!?と思い、おそるおそる両手を動かしてみた。
だって、お年寄りの転倒で多いのは、大腿骨の骨折か、手をついての手首の骨折だから。
大丈夫、痛みもない。

ところがである。左のつま先が痛いのなんのって・・・
動かしてみると動くから、ありがたいことに骨折はなさそう。
急いで戻って、保冷材でつま先をしっかりクーリング。
たまたま、近所の整形外科でもらったばかりのインテバンクリームを刷り込む。

だけど。
翌朝見て見ると、つま先の爪が内出血しており、周りが赤く腫れていた。
それに痛みも引いていない。
靴が履けない。左足先をつくと痛くて、びっこをひいてしまう。
週末に松山行きを控えて、これは大変なことになったと、朝昼晩とクリームを塗りこむ。
だけど、赤みは消えず、爪の脇の痛みが増したみたい。
ひょうそう?
あわてて家にあったゲンタシン軟膏を刷り込む。

これが効いた。
日に日に赤みは収まり、腫れも引いた。
松山に行くときには、靴も履けるようになり、歩き方ももとに戻った。
でも、いまだに爪の内側は赤紫。
爪がはがれなきゃいいんだけど・・・。


そうそう、インテバンクリーム。
数週間前から左の手首の関節部が痛み出したのだ。
最初は、何かの拍子に触るとヒリヒリした痛みを感じたのだが、徐々に、動かすと痛くなった。
小さなこぶが出来ているような気もした。

それで、近所の整形外科に行った。
お医者さんは私の手を見て(見ただけで)、電子カルテに発赤「なし」、腫脹「なし」をクリックし、レントゲンを撮るという。
手を取って見るわけでもなく、ましてや触って腫脹を確かめるでもない。
小さなこぶのことは言いそびれたが、まあ、レントゲンを見ればわかるだろうと思った。

その結果、どうやら骨の長さが左右違っていて、関節のところで骨が神経にあたって痛むらしい。
レントゲン写真を見ながら説明してくれたのだが、よくわからなかった。
こぶの有無も確認できず。

実は、徒歩1分のところに別の整形外科があり、そこに以前はかかっていたのだが、どうも診療報酬の不正請求をしていそうなうさん臭さがあったので、今度かかった整形外科にしたのだった。

整形外科はお年寄りがたくさんかかっていて、診察のほかにさまざまな理学療法をやっている。
理学療法士もたくさん雇って、機械も高いようだし、お金を儲けなければならないのだろうか。

ちょっと前に右手首の打撲でかかった皮膚科の先生は、とてもよく診てくれたけれど、混んでいて時間がかかるという難点があった。
満足のいく医療って難しい。








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ワンダー! [本のはなし]

2017-10-10T12:47:21.jpg

たまたまのぞいた近所の書店の児童書コーナーで、美しい黄緑色の分厚い本がうず高く平積みされていた。
ハリー・ポッターシリーズでもないのに何だろうと見てみると、「世界累計1000万部の話題作」というシールが貼ってある。
『もうひとつのWonder ワンダー』(ほるぷ出版)という本だった。

『もうひとつの』というのは、前作である『Wonderワンダー』という本が2年前に翻訳出版されて、児童書ながら米国ではNYタイムズベストセラー第1位となっていたのだ。

『もうひとつの』の山の中に『Wonderワンダー』が1冊だけ残っていたので、こちらをとりあえず読んでみることにした。ちなみにこれも出版の翌年にはすでに6刷まで出ていた。

この本の主人公はオーガストという男の子だ。
なぜこの本の題名が「ワンダー」なのかは、冒頭に掲げられたナタリー・マーチャントの楽曲「ワンダー」の一節から推測できる。

  遠い町から医師たちが
  私を見るためにやってきた
  揃ってベッドのわきに立ち
  目にしたものに息をのむ
  
  そして言う
  これは神の手による奇跡だと。
  とんなに頭をひねっても、説明することなどできないと

Part1は彼の語りだ。
その章の初めにも「ワンダー」の一節が紹介されている。
 
  この子が私のゆりかごにきて、
  運命の女神はほほえんだ

オーガストは「下顎顔面異骨症」という重大な先天異常をもって生まれてきた。そのために、飲食や呼吸さえも危うくなって何度も形成手術を繰り返したが、両親と姉の深い愛情と庇護のもとになんとか生き延びてきた。
しかし、手術のためだけでなく、見る人をぎょっとさせる特異な顔貌のために、学校には通わず、母が自宅で勉強を教えてきた。

そのオーガストが10歳になり、両親はいよいよ学校に通わせる決断をしたのである。
10歳というのは、日本では小学生だが、オーガストが通うことにした私立学校では中学の1年生にあたるらしい。
小さい頃には近所の公園で一緒に遊んだ友達もいたが、ほとんどが初対面。
あらかじめ校長先生はジャック・ウィルとジュリアンとシャーロットという3人の同級生に彼を引き合わせ、学校を案内するように頼む。

ジャックと優等生のシャーロットは、驚き怖気づきながらもオーガストに親切にふるまう。
だが、ジュリアンだけは嫌悪と怒りを隠さない。いろいろな意地悪を始めるのだ。
おまけにジュリアンの母は、オーガストの存在が子どもたちの心を傷つけると言い、特別入学を許されたのは問題だと、転校させるように騒ぎ出す。

Part2は、オーガストの美人の姉、ヴィアの語り。
章の初めにはデヴィッド・ボウイの『スペース・オディティ』の一節。いわば彼女のテーマだ。
 
  はるかなる世界
  蒼い地球
  そして、なすすべもないわたし

弟を気づかう優しい姉で、弟にひどい対応をする人は友達といえども断固許さず向かっていく。だが、両親が弟ばかりに目を向けていることに、苛立ちと不満をかかえてもいる、普通の思春期の女の子だ。自分が同じ遺伝子を持っていたら…とひそかに悩んでもいる。

 Part3は、学校の食堂でオーガストの隣に来て親しくなった、サマーという女の子。テーマはクリスティーナ・アギレラの『ビューティフル』
 Part4は、ジャック。テーマはサン=テグジュペリの『星の王子さま』
 Part5は、ヴィアのボーイフレンド、ジャスティン。テーマは戯曲『エレファントマン』から。
 Part6は、再びオーガスト。ここでのテーマは『ハムレット』から。
 Part7は、ヴィアの友達のミランダ。テーマはアンダイン『美しいもの』から
 そして最後は、オーガスト。ユーリズミックス『ビューティフルチャイルド』から

  あなたなら、空に手がとどく
  飛びなさい・・・・・・美しい子どもよ
 

こんなふうに章ごとにオーガスト本人の視点から友人、きょうだいの視点へとかわり、その子どもたちの住む体験世界が重層的に描かれていく。
 この1作目でさえ、読んでいて涙があふれてきたのだが、2冊目となるとさらに・・・。

 『もうひとつの・・・』では、1作目でいじめっ子だったジュリアン、幼なじみのクリストファー、優等生のシャーロット(うわべだけの親切?)が語り手となって、オーガストをどう体験していたかを語る。

作者のR・J・パラシオは、なぜ1作目でジュリアンやシャーロットを描かなかったかとよく聞かれたが、いじめっ子の話をいじめられる子どもの話と一緒に語るわけにはいかないと書いている。それでは、単純な相対化に終わってしまうからだろう。

巻を変えて、じっくり彼らの語りに耳を澄ませると、これまた涙がこぼれ落ちてくるのである。あたたかな涙である。

今年の秋には映画も公開されるそうだ。
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天才数学者のひ孫 ポアンカレ捜査官がカオスを呼ぶ! [本のはなし]

ハヤカワのポケミスの『捜査官ポアンカレ-叫びのカオス』というミステリーを本屋で見つけて、さっそく購入した。刊行されたのは2013年8月だから、すでに4年前になるのだが、どういうわけか気づかなかった。
主人公はアンリ・ポアンカレという名のインターポールのベテラン捜査官。
世界的に有名な数学者のひ孫という設定である。

曾祖父のジュール=アンリ・ポアンカレという人物は、19世紀後半から20世紀初頭にかけて数学や数理物理学、天体力学の分野で数々の功績を残し、世界的な賞も多数獲得しているフランスの実在の天才数学者である。カオス理論などでも有名で、科学を志した人ならば、その名を聞いたことのない人はいないだろう。
最近でも、ミレニアム懸賞問題として100万ドルの懸賞金がかけられたポアンカレ予想とよばれる仮説を、2002~3年にかけてペレルマンというロシアの数学者が証明したというニュースが世界を駆け巡り、彼が100万ドルの懸賞金を受け取る、いや受け取らないということが話題になった。

といっても、内容はチンプンカンプンなのだが。
これでも受験勉強をしていた頃は、数学の難問に挑戦するのがクイズ感覚で楽しくて仕方がなくて、難問ばかりを集めた問題集を次々と片づけていたのだが、東大の理科一類に入学したとたん、そんなものは数学と言えるものではないということをつくづく思い知らされたのだった。
なにしろ、数学科や物理学科などに進む人の頭はとびぬけているという印象があった。
ところが、その数学科に進学した同級生が、「世の中にはとんでもなく頭がいい奴がいるんだよ」と情けなさそうな声で言った。
「数式を見ただけで、それが図になって見えるんだって」

そんなわけで、そのポアンカレのひ孫という設定に、これは読まねばと思ったのは、過去のコンプレックスがうずいたからだった。

この本をパラパラとめくって驚いたのは、ミステリなのに、自然科学の論文のように写真や図像がいくつも提示されていたことだった。それも、木の葉や地図や人体の血管など。
これは「単連結な3次元閉多様体は3次元球面S3 に同相である」というポアンカレ予想(Wikipediaからの拝借)になぞらえて、地球上には相同的な形をなすものが多数存在するという仮説がこの物語のなかに重要なヒントとして繰り返し出てくるのだ。

ミステリだから当然事件が起こる。
アムステルダムのホテルの最上階で、世界貿易機関で講演する予定だった数学者が爆死するという事件である。それもジェット燃料を使って、その部屋だけがすっぽり破壊されるという極めて手の込んだものだった。
なぜ数学者が殺されなければならなかったのか?

数学者の死に曾祖父からの因縁を感じたポアンカレが捜査に乗り出すのだが、そこに彼が逮捕したセルビア内戦の戦争犯罪者パノヴィッチの陰謀の影が…。私怨か?テロか?

彼はヨーロッパとアメリカを股にかけて捜査に当たる。
今、スペインにいたかと思えば、次にはイギリスにいたり、アメリカのボストンやNYにいたり…。ものすごいテンポ。
第三世界の過激派やら、終末の預言者やら、過激派組織やらが登場するかと思えば、その合間合間に数学者の遺した、謎の写真や図像に関する考察が混じり…。

副題の「叫びのカオス(All Cry Chaos)」というのもジュール・ポアンカレのカオス理論にちなんだものだろうが、物語もカオスなのだ。わからないところは、すっ飛ばして読み進むしかない。

作者のレナード・ローゼンは、このデビュー作でアメリカ探偵作家クラブ賞最優秀新人賞にノミネートされたという。
数学から、経済、政治、聖書、化学、ロケットなどの多方面の知識がちりばめられた内容からてっきり理系アタマの人かと思ったら、もともと英語を教える高校教師から出発し、ハーヴァード大などで英作文講座の教壇にも立ったことがある、文系の人だった。そちら方面での著作もあり、ラジオのコメンテータなども務めたことがあるという。
博覧強記の相当アタマのいい人なんでしょうね。

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商いの戦国武将のたたかい、第4巻 [本のはなし]

高田郁さんの『あきない世傳 金と銀』の第4巻「貫流編」。
貫いて流れる川の流れですよ。

武庫郡津門村に学者の子として生まれ、生活のために齢9つにして大坂天満の呉服商、五鈴屋に女衆奉公に出た幸(さち)は、番頭の治兵衛に見込まれ、商いのいろはを学ぶ。
五鈴屋は、2代目徳兵衛の妻、富久が「お家さん」として夫亡きあとも店を守ってきた。
しかし、息子の3代目徳米が病没し、3人の孫たちに店は託される。
しかし、4代目徳兵衛となった長男は、商いには興味をもたず、遊び明かして嫁も去ってしまう。そして、幸を後添えに迎えるが、その4代目もやがて不慮の死を遂げる。

3代目の突然の死に、次男の惣治が幸をめとることを条件に5代目を襲名。
惣治は長男と違って商才にたけ、必死で店を大きくしようと各地を奔走するが、せっかく羽二重の産地として育てた江州波村に前貸ししていた銀4貫の預り手形が、両替商の分散により、紙くずと化してしまった。
しかも、その人情を解さない性質のため、惣治は情のないやり方で波村の人々の怒りを買い、奉公人らの眼前で「店主の器でない」となじられてしまう。
これが、前巻までのあらすじ。

惣治は長兄の4代目と違って、幸を妻としていつくしむのだが、女は商売に口出しすべきではないという考え。
何度か幸のアイデアで、店は危機を脱するのだが、幸もそんな夫の気持ちを忖度して、夫を立てることを忘れなかった。
そんなプライドが高い次男坊の惣治である。奉公人らの眼前で「店主の器でない」「幸が店主ならばいい」とまで言われて激高した惣治は、幸の顔面を殴って店を出奔、そのまま姿をくらましてしまう。
しかし、あれほどまでに店に命をかけていた夫が、店を黙って放りだすとは幸には解せないのだった。

そんなある日、浮世草子の道で生きていくと店を出て貸本屋に身を寄せていた3男、智蔵(ともぞう)が惣治から預かったという文をもって、店にやってくる。
そこには、「店を出て隠居したい」としたためられていた。
さらに、店は弟智蔵に託すとあり、すでに呉服仲間にも申し入れしてあるという。
商売が嫌いで店を飛び出した智蔵である。商才もないことは本人もよくわかっている。
お家さんの富久もまた、そのことは百も承知で、幸を養女にすると言い出す。
しかし、養女にしたところで、大坂天満には「女名前 禁止」という掟があった。
女は家持ちにも店主にもなれないのである。

このあたり、中島京子さんの『かたづの』に似たテーマである。『おんな城主直虎』も?
たしかに、幸ももと番頭の治兵衛に「商いの戦国武将になれる器」と言われていた。

その後、さらに話は急転する。
惣治から幸を離縁する「去り状」が出されたのだ。
幸を人形浄瑠璃にさそった智蔵はその帰り道、幸に「自分の嫁になってくれないか」と言いだす。

智蔵はまだ家にいたときから、ひそかに幸に思いを寄せていたふしはあった。
幸も、学者を目指していながら夭折した兄の面影を智蔵に見ていたこともある。
しかし、そもそも長男の後添えになり、長男が亡くなって次男の嫁になっただけでも世間の噂になった幸である。次男が行方をくらまして、今度は三男の嫁になるとは・・・。いくら何でもあり得ない・・・と読んでいて、私も思った。

智蔵は、自分は人形になるという。人形浄瑠璃の人形である。
使うのは幸。その商いの才能を十二分に生かしてもらい、自分はその道具となるというのである。

そんなわけで、幸はまた新たな商いの人生を歩んでいくことになる。
だんだんスケールアップですぞ。
続きは読んでのお楽しみ・・・

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