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修繕の日々 [日々の出来事うっぷんばなし]

何かが壊れるときには、決まって立て続けに壊れるもの。
マンションも築20年ともなると、あっちこっちに不具合が。

この夏、ガス給湯器が2度目の交換、
ついでにガスレンジも安全装置の付いたものに交換。
なにしろ、うっかりミスが現実に起こりうるミスになりつつあるので。

さらに、水回りが次々と限界に。
キッチンと洗面所と、ついでに風呂場のシャワーの水栓を一斉に交換する予定。

一番大掛かりなのが、トイレの便器の取り換え。

まずは、タンクの水の調節がうまくいかなくなり、
ときどき空になって水が出なくなり、自力でタンクに注水しなければならなくなった。

さらに、深刻だったのは、ウォッシュレットからの油漏れ。
そのせいか、ギコギコ言うようになった。
便器の内側にオレンジ色の油が垂れて浮いているのを見つけたときには、自分の体調が悪いのかと恐怖におののいて、内科で検査してもらった。もちろん、異常なし。
人体から油が排泄されるなんてありえないよね。人造人間じゃあるまいし。(古い表現!アンドロイド?でも、アトムじゃあるまいし、最近のアンドロイドは油なんか差さないよね)

そのうちに便器の外側の床に油だまりができ、
家庭用の洗剤ではこすっても落ちなかったので、義兄に工業用洗剤を分けてもらい、きれいに落とすことができた。
やっぱりウォシュレットの不具合と確信。
全体を取り替えることにした。
業者にも連絡して、見積もりをとってもらい、ガス・水道・トイレを一斉に新しくすることにした。
(トイレの取り換えは5時間ほどかかるそうだ。その間、トイレは使えなくなる。どうすりゃいいんだ?水も飲まず、我慢するか?)


続いて、ホームページの修繕。
昨年、前のPCが壊れて、新しいPCにした際に、アプリの移行ができなかったので、
HPの更新ができなくなってしまっていた。

何度かソフトの会社とメールでやり取りして、いろいろやってみたが
どうしてもHPの更新までたどり着けず、あきらめていた。
だが、10月からのグループのメンバーを募集するためには、
どうしてもHPを更新しなければならない。
もう一度、相談係の人からのメールを印刷して、じっくり読み直し、
最初からやり直してみた。

まる1日かかって、ようやくHPの更新ページを開くことができ、
何度か試行錯誤を繰り返しながら、何とか更新内容を書き込むことができた。

ただ、右のサイドバーが消えてしまった。
フィジーの写真を載せていたのだけど。
それに画面が左に寄ってしまって、中央に来ない。
なんだか変。

でも、夜も更けてきたので、今日はこれでおしまい。
また、明日にでも気力が残っていたら、トンテンカン修理するつもり。
問題は、すべて気力なんだよね。
なにしろ、実家の整理と並行してだから、かなりしんどいのである。

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久々のリーバス警部 [本とテレビ番組]

まとまった読書の時間がとれなくなって(定年退職したのに、おかしなことだけど)、
ハヤカワのポケミスを読む機会がめっきり減った。
寝る前に読むには重くて、字が小さすぎるのだ。
そして、ひさびさ手にしたのが、イアン・ランキンのスコットランドはエジンバラを舞台にしたリーバス警部シリーズ『寝た犬を起こすな』。

リーバスもいつの間にか定年退職して、いったんは民間人となったが、迷宮入り事件の再調査に参加した(『他人の墓の中に立ち』・・・これを読んだかどうか記憶がない)後に、正式に復職した。
だが、もはや警部ではなく、部長刑事だ。
かつての部下、シボーン・クラークが今は上司(警部)である。
そこに新たに警察の内部監察室(苦情課)に所属していたマルコム・フォックスが、組織の改編で犯罪捜査課に異動になり、シボーンのチームに加わる。

英国のEU離脱によりスコットランド独立の機運が盛り上がっているのは知られているが、スコットランド警察の8管区もまもなく統合されて、ポリス・スコットランドとなるのだそうだ。ロウジアン&ボーダーズ警部本部の本部長もイングランドの新しい役職に異動するなど、警察組織が大きく揺らいでいる最中である。

ちなみに、本書に登場するフォックス警部補は、ランキンのもう一つのシリーズとなっているキャラクターである。
ルールに従わず、自由奔放に捜査を進める一匹狼リーバスに対して、警官の内部規律違反に目を光らせる立場だったフォックスという、敵同士といってもよい間柄の二人がどうやってチームを組むことができるのか。
だが、フォックスのいた内部監察室も、同じ警察官でありながら、他の仲間に忌み嫌われる存在だったので、こちらも一匹狼ではあるのだ。
そこが本書の面白いところである。
その間に入って、ヤキモキするシボーン警部。

さらにスコットランド司法次官として、スコットランド法曹界のトップに就任したエレノア・マカリが、なにやらフォックスに何事か意を含ませている様子だ。

リーバスとシボーンが手掛けることになったのは、エジンバラ空港からほど近い田園地帯の道で起きた自動車事故である。
意識不明で発見されたのは、ジェシカ・トレイナーというエジンバラ大学の学生。果たして本当に彼女が運転していたのか・・・。
実は運転していたのではないかとリーバスらが疑う彼女のボーイフレンドは、スコットランドの法務大臣の息子だった。スコットランドは英国から独立すべきだと主張している政治家だ。
一方、ジェシカの父親も、ロンドンの実業家でロンドン警視庁の上層部に知り合いがいるという。なにやら政治絡みのきな臭い匂いが。

やがて、この事件が過去の警察の闇の部分へとつながっていく。
実は、犯罪捜査課に異動してきたフォックスは、新任司法次官のマカリからある事案の捜査を頼まれていた。
それは、30年前のサマホール警察内にあった、「裏バイブルの聖人たち(セインツ)」と呼ばれる秘密結社のような警官たちのグループが捜査の過程で行っていたさまざまな不正行為である。
当時の警察は、令状なしの捜索、脅し、暴力、取引など、起訴~有罪に持ち込めるようなら、なんでもあり、だったのだ。

30年後の今、一事不再理の規則が緩和され、過去には有罪に持ち込めず、無罪放免となっていた殺人犯を再び捜査できることになったのだ。その陰にはサマホールのセインツたちが絡んでいたらしい。
その中心人物だった警部は、退職して成功した実業家となっている。
その部下たちも、引退しているが、再捜査の手が伸びるとあって、戦々恐々としている。
リーバスも新人としてその端くれだった。下手をすれば、リーバスの身分も危うくなる。仲間を裏切ることになるのか…。

こうして、1件の自動車事故と30年前の警察の不祥事と、ふたつの事案の捜査が絡み合いながら進んでいく。

イアン・ランキンのリーバス物といえば、なんとなく煤けたエジンバラの街並みとスコットランドの鉛のような曇り空を思わせる重苦しい雰囲気が漂っていたと思うのだが、しばらくぶりに読むと、心地よいテンポで話が進んでいくことに感心した。
シボーンやリーバスが勤務するゲイフィールド・スクエア署の刑事たちが、煙たい上司の裏をかいてリーバスらをあ・うんの呼吸で助けるのも面白い。
なんとなくテレビドラマを見ているようだ。

ちなみに、スコットランドでは、ドラマ”Rebus”が放映されており、シリーズ1と2はジョン・ハナーが、シリーズ3からはケン・スコットがリーバスを演じて、どちらがよりリーバスに近いかという論争が起きたようである。fbvscoela71si7mir72a Rebus.jpghttps://drama.uktv.co.uk/shows/rebus/
私はDVDでハナーのリーバスしか見たことがないが、ハナーはリーバスにしては線が細すぎ、若すぎて重厚感に欠けるように思った。
写真だけではケン・スコットに軍配が上がりそうだが、一度見てみたいものだ。
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フィンランドの森の物語 [おすすめシネマ]

6年も前に公開された映画のDVD.
積読本ならぬ、積読ビデオになっていたのをようやく観た。
クラウス・ハロ監督・脚本の『ヤコブへの手紙』。

75分という短い映画ながら、フィンランドのアカデミー賞の最多4部門を受賞し、アメリカのアカデミー賞外国語映画賞にも出品された作品。

静かな映画である。
主要な出演者もたった3人。
フィンランドの片田舎の森に一人で住むヤコブ牧師と刑務所から恩赦で出所した女性レイラ。それに、毎日ヤコブ牧師に手紙を運ぶ郵便配達人の3人だけ。
それぞれが個性的。

時代は70年代。
12年間刑務所暮らしをしていたレイラは、仕事と住まいを提供してくれるというヤコブ師のもとをバスではるばるたずねていく。
湖のほとりに立つ教会からさらに、森の中を歩いてたどり着いたのは、白樺の木々に囲まれた古ぼけた家。
迎えてくれたのは年老いたヤコブ師1人。
彼の目が見えていないことにレイラは気づく。
彼女に課せられた仕事は家事ではなく、ヤコブ師に悩める人々から毎日届く手紙を読み上げ、それに返事を書くというものだった。

嫌々ながら仕事をこなすレイラ。
いかにも70年代の服装をした、だらしなく太った中年女性を演じるカーリナ・ハザードという女優さんが、無表情の中にいかにも長い刑期を刑務所で過ごしていた人と思われるふてぶてしさと狡猾さをにじませて、うまい。
なにしろ、手紙を読み上げるほか、ほとんどセリフはないのだ。

案の定、届いた手紙を黙って捨ててしまうレイラ。
毎日、自転車で手紙を届けに来る郵便配達人は、刑務所帰りのレイラに不審と警戒の念を抱くが、身体のでっかいレイラにとても太刀打ちできない。
レイラとやせて小柄な郵便配達人のやりとりも面白い。

そんな中、突然、手紙が配達されなくなる。レイラは郵便配達人を追いかけ、問いただすが、「来ないものは来ない」と言って逃げていく。
手紙が来なくなったヤコブ牧師はふさぎ込み、日に日に身体が弱っていく。
レイラはヤコブ師が教会に行っている間に黙って出て行く決心をして、タクシーを呼ぶ。
そして、タクシーに乗り込んで「どこまで?」と運転手に問われて愕然とするレイラ。
タクシーは去っていく。
言葉はないのだが、レイラにはここよりほかに行く場所がないのだということがヒシヒシと伝わってくる。

やがてレイラは、届いた手紙を読むふりをして、自分の秘密を語り始める…。
そして、ヤコブ牧師がなぜ恩赦を受けたレイラを引き取ることにしたのか、その秘密も明かされる…。
ここで号泣(私)。

その後の展開を記すのは、控えておこう。

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マンケル・ヘニング『流砂』が伝えようとしていること [本のはなし]

2年前の2015年10月5日、北欧ミステリー「刑事ヴァランダー」シリーズの作家として有名なヘニング・マンケルが亡くなった。

 彼と彼の作品については、このブログでも何度も紹介しているが、ミステリーだけでなく、児童文学でもスウェーデンのアストリッド・リンドグレーン記念文学賞を受賞する一方で、長年アフリカに通って劇場を運営するなど、世界で幅広く活躍していた。67歳の若さでこの世を去るのは、本人にとってもさぞや無念だっただろう。

『流砂』(東京創元社)は、彼がある日突然、回復不可能な末期がんと知ってからの葛藤の日々の想いを、彼が出会ったさまざまな絵画に投影しながら綴ったエッセイ集である。
1年前に出版されてすぐ読んだのだが、なかなかブログに載せられないでいた。
内容があまりに濃く、重く、いろいろ考えさせられることがあったからである。

彼はそれより2年前の雪の日に遭遇した自動車事故がすべての始まりだと思っている。
その時は何でもなく、病院にも行かなかったのだが、その後、首が痛むようになり、事故の後遺症を疑って受診した病院で、自分にはもう時間がないことを知らされたのだった。

それ以来、彼は子ども時代のことをよく思い出すようになった。
そのとき彼は、「自分の身に起きた大惨事をどう受け止めたらいいのか、その答えを知ろうと記憶が必死にもがいているのだ」ということに、気付けなかったと書いている。

彼が思い出したのは、学校に一人で向かったある寒い朝のことである。9歳だった。

その日の朝、夢を見た。彼は薄い氷の張った川べりに立っていた。
その川では数日前に足を滑らせた男の子がおぼれて行方不明になっていた。
子ども心に死を意識したとき、と言えるだろう。
だが、夢の中で彼は、自分がおぼれないという確信があって、怖くはなかったという。
彼は同時に、村民館でよく上映された映画のことを思い出す。彼は映画好きで、子ども禁止の映画の時には忍び込んでみていたという。

そのとき彼は、突然思いがけない言葉が頭に浮かび、その場に凍り付いたように立ち尽くした。その言葉は、その後の人生に鮮明な記憶として残る瞬間だった。
「ぼくはぼくなんだ。ほかのだれでもない。ぼくはぼくだ」
私はその瞬間にアイデンティティを得た、と彼は記す。

ちなみに、9歳という年齢は、河合隼雄も子どもから大人になる重要な年齢だと言っている。
ヘニングは、8,9歳の頃、自分はどんな死に方が一番怖いだろうと真剣に考えたという。
彼がいちばん恐れたのは、湖や川の氷の上に立っているとき、突然氷が割れた小売りの下に引きずり込まれてしまい、明るい日の光が見える氷のすぐ下でおぼれることだったという。
誰にも助けてもらえないパニック。

その次に恐れたのが、本書のタイトルでもある「流砂」である。
砂漠の砂の中に引っ張り込まれ、砂に飲まれて窒息してしまう人食い砂。
彼は泣きもせず、叫びもせず、ただ、がんという流砂に引きずりこまれ、飲み込まれまいとして、ほとんど眠れないまま、10日間が経った。
そして、とうとう砂から這い上がり、事実に向き合い始める。

彼は、がんと知ったとき、突然人生が小さくなったようだったと書いているのだが、
それと相反するように、思考はどんどん拡大し、時空を超えていく。

例えば、フィンランドで、国土の母岩を深く掘り下げて、トンネルと地下室を創り、そこに原子力初天書から出る放射性廃棄物を遠い未来まで埋蔵するというニュースに、彼は放射性物質の毒性がなくなるまで、十万年、人の世代に換算すると三千世代の未来までそこに埋めておくということに思いを馳せる。

彼はそこを見学させてほしいと手紙を書くが、断られる。
1度目はその現場を犯罪小説のネタに使ってほしくないという理由で。
2度目は、見学者の安全が保障できないからという理由で。
それで、自分たちが生きてもいない十万年も先が、どうして安全といえるのか?

彼は自分の恐れを探っていく。
彼は、暗闇を恐れ、一人で寝るときは電灯を何個かつけたまま眠る。
その原因は明らかだった。
川岸に立っていた夢を見た翌年、ある晩、彼は何者かの弱々しい声で眠りから呼び覚まされる。目覚めて真っ暗闇の中で、彼はそれが父の声だと悟る。
明かりを点けてみると、父が吐いた血にまみれて倒れていた。脳出血だった。

母は彼が生まれてすぐ、彼を捨てて家を出て行った。
幸いにもその時父は生き延びたのだが、彼の頭に浮かんだのは、「父にも捨てられる」という思いと恐怖だった。
その瞬間から、暗闇の中には思いがけない恐怖があるという思いが、彼の心の中に根を下ろしてしまったのである。
彼が10代も早くから、家を出て、終生世界を住処として活動し続けたこと、とりわけアフリカへの深い愛の背景には、こうした幼い頃の傷つきからくる、孤独と恐怖があったといえるのだろう。

さて、長くなってしまった。
『流砂』は、これからも彼の生きた日々のエピソードを振り返りつつ、自分自身を見つめる作業と、人類の過去と遥かな未来とを行き来しつつ、彼の思索を辿っていく。

そうして彼は自らの恐怖を受け入れ、和解していく(これも直線状ではないが)と同時に、残していく人類に真剣な警告を発して止まないのだ。

未来に責任をもつこと。

彼が、後に残された私たちに痛切な思いを込めて訴えているのは、これである。
すべての人が真摯に受け止めるべき警告である。

それにしても、もう彼の新作を読むことができないのは、ほんとうに悲しく寂しい。

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岩波書店初の直木賞! [本のはなし]

芥川賞と直木賞が発表された。

とくに直木賞が岩波書店から出版された佐藤正午さんの『月の満ち欠け』に授与されたことは、岩波書店初の直木賞受賞作として、話題となった。
また、佐藤さん自身もかなりのキャリアをもつ作家であり、今更という感があるという。

私はこれまで彼の作品をまったく読んだことがなく、たまたま本屋で「直木賞候補に」という帯を見て、ふと読む気になって購入したのだった。

『月の満ち欠け』というタイトルが、森絵都さんの『みかづき』に似ていたこともあったかもしれない。

死者の蘇り、いわば輪廻転生のようなことがテーマとは、はっきりわかっていなかったのだが、母が亡くなったことも、どこかで影響していたのかもしれない。

帯に「久々の一気読み!」とあったのだが、本を読むのはベッドに入って寝るまでのせいぜい数十分なので、「一気読み」とはいかなかった。

で、とにかく輪廻転生だから、時代を超えて、何人もが登場し、その人ごとに人間関係があるので、とびとびに読んでいると、この人誰だっけということがしばしばあって、最後に最初のほうを読み直すことになった。

しかも、蘇るごとに新たな物語になるのではなく、関係がつながっているので、余計ややこしい。この物語を理解するには、一気読みするしかない。

それに、せっかくの受賞作をけなすようなことばかりいうようで悪いが、
女性が何度も蘇るとしたら、相手に相当な魅力がないといけないと思うのだが、
登場人物の男性にそれほど魅力を感じられなかったし、その動機も、愛情というより、執着といったほうがよいような感じで、なんでこの人のもとにまた戻ってくる必然性があるのか、ピンとこなかった。
とくに幼女が大人の男性に執着するのは、気持ち悪い。
小説の中でも誘拐犯に間違われたりしているが。
間違われちゃって気の毒というより、この女の子の気味悪さのほうが勝る。
蘇るのに事欠いて、なぜにこんな子供にする必要があったのだろう。



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ヨーロッパの映画の面白さ [おすすめシネマ]

フィンランドと言えば、今、オープンダイアローグという地域に展開する家族療法的アプローチで日本の医療福祉関係者の間では一躍有名になっている国。

そのフィンランドの生んだ映画監督といえば、アキ・カウリスマキ。
いつか見たいと思っていたが、今回、遅ればせながら、初めてDVDで彼の作品『ル・アーヴルの靴磨き』を見た。

2011年のカンヌ国際映画祭国際批評家協会賞、パルム・ドッグ審査員特別賞、同年シカゴ国際映画祭グランプリ、同年ルイ・デリュック賞などを受賞した作品。

ちなみに、パルム・ドッグ(PALM DOG)賞とは、Wikipediaによると、カンヌ国際映画祭で上映された映画の中で優秀な演技を披露した1匹またはグループの実写、もしくはアニメーションの犬に贈られる賞とのこと。
その名称は、同映画祭の最高賞であるパルム・ドールに由来する。受賞した犬(たち)には、革の首輪が贈られるのだそうだ。
この年、パルム・ドッグの受賞犬は、『アーティスト』のアギー。
たしかに、アギーには負けるかも。強敵だったわね。

ル・アーヴルは南フランスの港町。
主人公マルセルは路上で靴磨きをしている。
しかし、道行く人々の足元を見ると、ほとんどスニーカーで、革靴などはいている人はほとんど見当たらず、毎日の収入はほとんどない。
近所の店のツケで買い物をして、やっと生計をたてている。
家には愛する妻と愛犬ライカがいて、貧しいけれど幸せな毎日を送っていた。

★ ★ ★ ★ ★

犬の名前、ライカは1988年のスウェーデン映画、ラッセ・ハルストレム監督の『マイ・ライフ・アズ・ア・ドッグ』に登場する主人公、イングマル少年の愛犬のライカ犬にちなんでいるのだろう。

ライカ犬と言えば、かつてアメリカと宇宙ロケットの開発競争をしていたソ連が打ち上げた小さな人工衛星に乗せられて、世界で最初に宇宙を旅した生物となったのがライカ犬である。
イングマルの母親は病気で、父親は仕事で南洋の海に出かけたまま帰ってこない。
そんな状況でもイングラムは、あのライカ犬の運命を思えば、自分はまだましだと考えているのだ。

☆ ☆ ☆ ☆ ☆

「ル・アーブル」の話に戻って・・・
ある日、近くで何者かがピストルで殺されるという事件が起き、マルセルは靴磨き仲間のベトナム人と一緒に逃げ出す。どうやら人身売買をめぐる抗争があるようだ。
港に放置されたコンテナから、大勢のアフリカからの密航者が見つかる。

一方、マルセルの妻が突然倒れ、入院した病院で余命宣告を受けるのだが、夫には秘密にしてほしいと医師に口止めする。
そんなこととは知らないマルセルは、密航した少年が港に隠れているのを見つける。
少年は、ロンドンにいる母のところに行こうとして、祖父とコンテナに乗っていたのだ。
今や警察に追われる身の少年をマルセルは匿い、近隣の人々とも協力して祖父を探し出し、旅行費を工面しようとする。
追跡する警察・・・。果たして少年はロンドンに行けるのか?

と、まあこんな話である。
最後はびっくりするような結末なので、ここに書くのは控えるが。

すぐに気づくのは、正面から顔をアップにしたショットが多いこと。
あきらかにカウリスマキが尊敬しているという小津安二郎の影響が見て取れる。
人々の生活ぶりの描き方、雰囲気も、小津風である。

これと同じような手法が、英国とイタリアの合作映画『おみおくりの作法』でも見られた。
この映画の監督・脚本・製作を担当し、第70回ヴェネチア国際映画祭のオリゾンティ部門で監督賞を受賞したウベルト・パゾリーニも小津安二郎の大のファンで、小津の映画を意識して作ったというから、小津がヨーロッパの映画人に与えた影響がいかに大きなものだったかが分かる。

『ル・アーヴル』の中ではライカ犬だけでなく、登場人物の名前がいろいろな過去の映画にちなんでつけられていたり、
『おみおくりの作法』でもあるショットが『ほくの伯父さん』で有名なジャック・タチ監督へのオマージュとなっているなど、
過去の映画を自分の作品に積極的に反映させようとしているのは、興味深い。
普通だったら、真似だとか、ひどい場合は盗作だとかの非難を受けかねないだろうから。
どういうメッセージなのだろう。
インターネットの時代、映画の先行きが危ぶまれるから?

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掘り出し物 [こんなことあんなこと]

毎週実家の整理に通っている。やってもやっても片付かないが。

昨日は、自分の部屋の整理に取り掛かり、本棚の上にあった大きな段ボール箱を整理することにした。
外から見ているとしっかりした段ボールだと思っていたのに、下ろしてみると蓋の部分は日に焼けてボロボロ。触るとバラバラになった。

中にあったのは、手紙やはがきの束。
小学校時代から大学の教養学部の時代までが詰め込まれていた。
昔はメールやSNSはもちろん、電話だってすべての家にあったわけではなかったので、子どもでもよく手紙のやり取りをしていたのだ。
とくに、小学校の途中で東京に転向していった厚子ちゃんとは、毎週どころか、週に何回かの頻度でやり取りしていた。ほとんど日記替わりというか、LINEに近いか。
でもLINEなら、長くても数行、二言三言程度だろうが、なんと毎回、便せん数枚にわたってたわいもないことを書き綴っている。
けっこう世の中を嘆いていたりして、昔の子どもはよく考えていた?

驚いたのはその値段。
一番古いのは、手紙が10円、葉書が5円。
それがまもなく7円と15円に値上がりしている。高度経済成長期に差し掛かったのだ。

中学に入ると、カナダのケベックに住む女子中学生がペンパルになり、航空便のやり取りが始まる。
その頃はペンパルというのが流行っていたのだ。
英文で手紙を書くのは今でもしんどいものだが、最低でも月1回はやり取りしていたんじゃないかな。確かお母さんがナースをしていたと思う。

よく覚えていないのだけれど、担任だった英語の先生からの課題だろうか、数十題もの英文和訳の答えが書かれた(書いたのはもちろん私)レポート用紙5,6枚に、先生の添削と助言が書き込まれた手紙が2通もあった。
昔の先生はすごかったのね。おかげで力が付きました。

大学に入ってからも、結構同級生などとも手紙やはがきをやり取りしている。
入学してすぐ、本郷の医学部で始まった東大闘争が教養学部のある駒場にも波及してきて、クラスで討論会をやるという通知のはがきがあった。
手書きのガリ版刷りである。
駒場祭にクラスとして何を出店するかなんて話し合ったりしていて、その話し合いの結果もはがきで送られてきていた。
今のような同朋メールがあったら、もっと簡単だったと思うけど・・・。
でも、はがきや手紙だからこうして残っているわけで、メールはそう長くは取っておけないからね。

東大闘争に突入してからは、同級生や茶道同好会、当時かかわっていた救援対策本部(今もその電話番号が使われているらしくて、驚く)の仲間たちと、頻繁に手紙をやりとりしていた。とくに夏休みや冬休みなど、離れたときには、必ず。
こんなつながりあったっけ、という人もいて、
同級生が逮捕された後の、家族とのやりとりの手紙もあった。

中でも、サークルの先輩からの手紙は毎回10枚近くになる大論文。
だからって彼氏でも何でもなかったのが不思議。
安田講堂の攻防に次ぐ授業再開や休学といった疾風怒濤の時期を経て、いつのまにか疎遠になった。
どこでどうしているのやら。

毎月のお小遣いと一緒に送られてきた母親からの手紙もあった。
覚えていなかったのだけれど、ワンピースを仕立てて送ってくれたことや、今後、こういうことはできないかもということのついでに、父親が会社を辞め、上京を考えているという内容の手紙もあり、こんなこと書いて送ってきてたんだと改めて驚く。
当時は自分のことで精いっぱいだったからね。
授業再開とともに、大学に残るかどうか悩んでいたときには、父から慎重に考えるようにとの手紙があった。
科学は日進月歩、だから時間を無駄にしないようにとの内容。
まだ、理学部進学を期待されていた頃だ。

中身をいちいち出して読んでいるうちに、結局、数時間かけても整理できず、また来週に持ち越し。
こんなことをしていると絶対に片付かないね。

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学会の新機軸~疲れたぁ [こんなことあんなこと]

先週、札幌で日本精神保健看護学会があり、つごう4日間も北海道で過ごして東京に戻ってくると、あまりの蒸し暑さにゲンナリ。
札幌では最初の日の夜こそ、ダウンを着ていたが、それ以降はさほど寒くもなく(慣れたのかもしれない)、快適に過ごせた。
最後の日は雨だったけれど、帰る頃には何とか上がって、晴れ女の霊力もぎりぎり保てた。

今回の学会では、最後に「対話シンポジウム」と銘打ったプログラムがあった。
大会長の考案になる新機軸の試み。

まず、壇上に当事者のグループと、専門職(看護職)のグループの2つが上がり、最初に当事者がグループセッションを25分行い、次にそれを受けて、看護職グループがグループのセッションを20分行う。
さらにそれを受けて当事者グループを20分、そして看護職グループを15分。
ま、行ってみればリフレクティングの手法を用いたオープンダイアローグのようなもの。

その後、フロアで小グループを作って話し合った後に、それを全体にフィードバックしてもらい、壇上の2つのグループを合体させて大グループでリフレクティングセッション。
そして最後にフロアと檀上の直接的やりとり。

私は最初の看護職グループのコンダクターと両者を合体した大グループのコンダクターを頼まれて務めたが、リフレクティンググループは実際にやった経験もなく、オープンダイアローグは下平さんの講演とビデオを見た程度。
ま、いつものグループだと思ってやるしかないと、腹をくくることにした。

当事者のグループの面々は、べてるの家の伊藤さんをはじめ、地域で積極的に活動している当事者ばかり4人。中には入院経験がないという人もいた。
なので、看護師の印象を聞いても、ほとんど印象に残っていないという感じ。
むしろ「仲間」が支えになったことを強調していた。

さらにみな、ピアサポートの活動などで、援助のセミプロ的な仕事をしていたり、少なくとも過去にやった経験があり、ほとんど「当事者」と「専門職」の境がなく、むしろ生き生きと楽し気に自分のことを語っており、「専門職」がかすむくらいだった。
その悩みを聞いていると、まさにスタッフの悩みなのが面白かった。

看護職グループは、最初に当事者たちに印象が薄いという現実を突きつけられて、寂しい気持ちになっていたうえに、病院でバーンアウトして、今は訪問看護ステーションで働いているというメンバーがいたこともあって、スタッフが患者さんに癒され、サポートされるという図柄が鮮明になった。
実際、病棟でもこれが現実なのだろう。
いくら「スタッフでござい」という顔をしていてもね。

ただ、看護職グループのメンバーも、4人中3人が地域活動をしている人たちで、
残り1人も、当事者活動に理解のある看護部長さんだったので、
当事者対看護職という対比は、ちょっとぼけてたかも。

フロアの方々は皆さん、面白かったと後で言って下さったが、
フロアとのやりとりは、小グループにしたり、いったんフロアーのコンダクターにフィードバックしてもらったりせずに、もうちょっと直接的にやってもよかったんじゃないかと思う。

集団精神療法学会では、フロアが大グループとして機能するさまをよく見ているので、できると思うけど、ほかの学会では慣れないから難しいのかしら。

細切れのセッションを何回もやって、疲れてしまった。
見ていた人たちも、ハラハラして疲れたのでは?
当事者の人たちも、すごく頑張っていたから、さぞや疲れたのではないかな。
私もシンポジウム修了後にみんなをねぎらうゆとりがなかったのが、心残り。

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幸せだなあ [こんなことあんなこと]

新築マンションも20年近く住み続けていると、あちらこちらに不具合が出てくる。
それもなぜかいっぺんに。

まずはキッチンの浄水器を設置した水栓から水漏れがするようになった。
洗面所の洗面台の蛇口からも水漏れ。

リビングに2つある蛍光灯の一つがついたり消えたりするのは、何年も前から。
ただ、私の背丈では、脚立に乗っても届かなかったので、
街の電器屋さんに来てもらって取り替えようとしたが、なぜか取り外しができなかった。
製造元に取り外し方を聞いてみますと言って帰っていったが、私の方も忙しくて放っていたら、その電器屋さんが閉店してしまった。

最近になり、寝室の蛍光灯も突然消えたかと思うと、しばらくしてパッとついたりするようになった。
いままでは夜寝る前くらいしか使わなかったのが、今では寝室兼書斎となって、日中も仕事をするようになり、使用時間が長くなったせいかもしれない。
でも、自分では取り替えられないし…とグズグズしていたら、昨日、姉夫婦が工具一式を持参して来てくれて、蛍光灯を取り替えてくれることになった。ありがたい。

姉の旦那さんはこうした仕事はお茶の子さいさい。お手の物である。
電器屋さんもはずせなかった電灯にいろいろ手を焼いてはいたが、最後には見事取り外すことができた。
それで、蛍光灯の規格を確認したうえで、蛍光管と新しくLEDのシーリングライトを買いに行くことにした。

ついでなので、根津神社をお参りし、釜めしの店でランチの親子丼を食し、根津の赤札堂まで。
ここは、これが都心にあるスーパー?と初めて見た人はびっくりする。
姉たちもご同様。
なにせ不忍通りと言問い通りが交差する駅前にありながら、3階しかなく、地下もない。
エスカレータもなく、エレベータは業務用のが奥にあるだけ。普段は使わない。
蛍光管はあったけど、シーリングライトは売ってなかった。

そこで、上野のヨドバシカメラまで歩いて行こうということになった。
はじめは都バスでいこうとしたのだが、時刻表を見ると、上野公園行きは30分毎しかなく、行ったばかりだったからだ。
都心のバスが30分に1本しかない?とここでもびっくり。

外はカンカン照り。
でも、パンダ誕生で賑わっている上野公園の不忍池を突っ切っていけば、そう大変でもなさそう。
まずは、不忍池のほとりで弁天堂と、遠くに見えるスカイツリーをバックに記念写真。
さらに京成上野駅の中を突っ切って、ようやく上野駅前へ。

アメ横の入り口にめざすヨドバシカメラがあった。
電灯と同じ階に掃除機も売っていて、最新の国産のスティックタイプの軽さに驚く!
外国製のクリーナーを買ったばかりの私は、通販は手軽だけど、やっぱり店頭で実際に見て買うべきねと思う。
ただし、やたら高い!

すべてを買い揃えて、帰りは上野から山手線で。
戻ってさっそく付け替え。
蛍光管を取り替えるだけの作業は簡単だったけれど、LEDのシーリングライトを設置する段になって、ひと騒動。
蛍光管のようなものが付属していないのだ。
取説を読んでみても、LEDユニットと書いてあるだけで、ない。
ヨドバシカメラのおにいさんに、箱の中に蛍光管(?)も入っているかと聞いたら、「大丈夫です」と言っていたのに…。
ここは姉がじっくり取説を読んで、シーリングライトそのものにLEDが組み込まれているのではないかと言う。さすが、物理学科卒である。
正解だった。
ちゃんとすべてを天井の取り付け器具にはめ込んで、スイッチをONにすると、明るい光があふれた。長いこと、つかなかった明かりが…。
しかも、リモコンで白色から太陽光の色まで変えられるし、明るさも徐々に変えられる。
感動である。

その後、はずれてしまって、二度と窓枠に入らなくなった網戸まで、ああでもない、こうでもないとやってくれて、見事はめてもらった。職人芸である。
なんてありがたいんでしょう。

ついでに水栓を見てもらったけれど、こちらは業者に頼むしかないという結論に納得。

新しい電灯は明るいし、二人にいろいろ一生懸命やってもらって、ひさびさに幸福感にひたった一日となりました。

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ハガキの値上げ

6月1日、封書をポストに投函した直後、そこに貼り付けられたおしらせが目に入った。
まさにその日から、ハガキが62円になる。
ニュースで聞いてはいたが、その日から値上がりするとは。
一瞬、投函した封書の切手も足りないかもしれないと、とっさに不安になったが
そこにはハガキが62円になるということだけしか書いてなかったので、それ以外は値段は据え置きなんだと思うことにした。

後で調べたら、正解だった。
ただ、年賀状は52円の据え置き。
通常ハガキでも年賀と書いておけば52円で送れるらしい。もちろん年賀ハガキの受付期間に限るわけだけど。
でも、それじゃあ、かもめ〜るは?
正解は、62円! 変だよね。

ほかにも
「定形外」の値段が、規格内と規格外の2種類になって、規格外がかなり高くなる。
ただし、規格内だと500g以上で安くなる。
ゆうパックは当面、値上げしないそうだ。当面とはいつごろまでなのかな。

これまで研究会のおしらせ用にハガキをまとめて購入してあったので、
さっそく10円切手と絵葉書用に62円切手を購入した。

10円切手は「トキ」の図柄。
一瞬「サギ」かなと思い、すぐに「詐欺」を連想したが、違った。

62円切手は、なんと桜の図柄。
なんで、6月から使う切手なのに、桜なんだろう?
紫陽花とかだったら、ちょうどよかったのに。
もしかしたら、当初、4月1日からの値上げを目論んでいたのかもね。

ちょうど年金額の減額通知が届いたばかりだったし、
けっこうあれこれ値上げがあって、年金生活者にとっては厳しくなっていく。
私はまだいいけれど、これから高齢者が年金でやっていけなくなって(これはかなりありうる)、大半が生活保護受給なんてことになったら、日本はどういうことになるのだろう。
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