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フーテンの寅さんは疲れる。 [こんなことあんなこと]

10月に愛媛の松山、11月の第1週に長野の松本、翌第2週は兵庫県の神戸・・・。
松本行の直前になって、ホテルの予約をしてないことに気づき、慌てて探したが、結局バカ高いホテルのツインしか取れなかった。神戸も同様。

最近はどこでもホテル代が高い!外国人観光客が増えて、どこもホテル不足なのだ。
朝食も待たされることが珍しくない。早起きしなければ、予定に間に合わないことも。

1月は、横浜と千葉の近場の仕事でひといき。
2月は、第1週に小倉で2つ仕事が入っている。川越でも。
3月にはまた、福岡。芸能人みたいだな。

おまけに11月~1月は、大学の非常勤の講義が7回。
グループと個人面接がこれに加わり、並行して週1回の実家の整理。

やっかいなのが、学会で頼まれる講演。
普通なら、講演用の資料づくりで済むはずが、その前に抄録集の原稿、講演が済めば学会誌に掲載する原稿を頼まれる。
大学の講義も90分で120分の2時間分にカウントされるのは、その前に準備があるという理由から。
学会で60分の講演をするためには、移動時間も含めると、トータル、かなりの時間を費やすことになる。
呼んでいただけるのはありがたいこと、文句を言ってはいけないとは思うものの、つい。

甥っ子に、「いつまで働くの?」と聞かれて、そうだよなあと思う。
定年になったんだもの、もっとゆっくりしてもいいはずだ。
仕事でない旅行もしたいし、ゆっくり海でも眺めていたいと思うのだが。

週1回のブログの更新が遅れたことの言い訳を書き始めたら、こんな愚痴ばかりになってしまった。
本当は原稿を書かなければいけないのだけど。
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話題のアメリカのTVドラマ『This Is Us 36歳、これから』 [テレビ番組]

『ダウントンアビー』が終了してから、NHK総合の海外ドラマなどは見ないでいたのだが、たまたま、AAのミーティングのような場面をやっていて、ついつい引き込まれてしまったドラマがあった。『This is us 36歳、これから』である。
毎週日曜 午後11時に放映。

昨年、アメリカで放映されて大ヒットした話題作だという。
ただ、それから録画して毎回見ているのだが、シチュエーションがよくわからず、登場人物の関係もよくわからないでいた。
なにしろ、ケヴィンという主人公の声の吹き替えをやっている高橋一生が、あまりに下手くそで、台本を棒読みしているみたいなのが気になって、ストーリーに身が入らないのだ。
初の吹き替えということで、鳴り物入りで宣伝しているのだが、何とかならないものか・・・。
いくら自信がなく、今の仕事に悩んでいる役とはいえ、一本調子の声の固さは・・・。
字幕版が早く見たい。

ということで、NHKのサイトhttp://www4.nhk.or.jp/this-is-us/27/でこのドラマのことを調べてようやく、わかった。

このドラマには、主要な登場人物が3人いるのだが、タイトルが示しているように、3人とも36歳である。内、ケヴィンとケイトは白人、残り1人のランダルは黒人。3人とも同じ日に生まれた。

見ていてややこしいのは、現在の3人の物語の中に、彼らの両親の若かりし頃の物語が、時々入れ替わって挿入されるからだ。
最初、昔のシーンだとわからないで見ていたから、白人と黒人の3人の子どもを持つ家族が別にいるのだと思っていた。

番組サイトを見て分かったのは、ケヴィンとケイトは男女の双子。実際は、三つ子だったのだが、3人目が死産で、同じ日に新生児室に運び込まれた黒人の捨て子ランダルをその場で引き取り、養子にして育てたのだ。そうだったのか・・・。
ちなみに、父親はヒスパニックの建設会社に勤務する労働者である。
現在はすでに亡くなっており、ケイトが骨壺にいれた遺灰を手放せないでいる。
母親は夫の亡き後だか、生前だかはわからないのだが、夫の親友だった男性と再婚して、子どもたちとは別れて暮らしている。

兄のケヴィンは俳優で、TVのコメディードラマで人気を博している。
妹のケイトは兄のマネージャーをしているが、肥満に悩んでいる。
これがほんとうに大きな女優さん(マツコ・デラックスさんを若くしたような)で、しかも美人。

こういう女優さんが主役級を演じられるアメリカのTV界はいいなあと思う。
しかも、ケイトは肥満に悩む人たちのセルフヘルプグループに参加しているのだ。
これが、私がこのドラマを見て、AAのようだと思ったシーンだった。

で、ケイトとケヴィンの二人は、お互いに共依存関係にある。
だが、外見だけの軽い男の役に嫌気がさしたケヴィンがドラマの降板を一方的に宣言し、ニューヨークの舞台のオーディションに挑戦することになり、二人は別れ、それぞれの人生を歩み始める。

黒人のランダルは、この3人の中ではもっとも成功した人生を歩んでいると言える。頭もよく、今はエリート・ビジネスマン。結婚し、2人の娘もいる。
3人を分け隔てなく育ててくれた両親には愛されたという気持ちはあるのだが、やはり実の親に捨てられたという傷を抱えている。
彼は実の父を探し当て、会いに行くのだが、父親は元薬物依存症のミュージシャン、現在は余命わずかだとわかる。
そこで、ランダルは父親だということを妻にも知らせず、友人だと言って家にひきとる。

とまあ、これが全体のシチュエーション。
ここには、人種の問題、依存症の問題、父親と母親の子育ての悩みと親子関係、階級の問題、生と死の問題などなど、多くの人が抱えている問題がてんこ盛りなのである。声高に訴えているわけではないが。
ケイトがセルフヘルプグループで、努力して痩せてきたというメンバー(後に恋人になる)に不満をぶつけるシーンなど、リアルに描かれていて感心する。

番組のサイトには、出演俳優たちがドラマについて毎回語り合う楽屋トークの動画https://www.nhk.or.jp/d-garage/program/?program=20もあって、こちらも面白いので、ぜひ。
とくに、36歳という年齢が、人生の折り返し地点に近づいていながら、自分はちっとも大人になり切れていないと感じる、微妙な年齢だと語られているのは、そうかもしれないと思う。
ただし、その後もいつまでたっても大人になり切れていない感は残るのだが…。

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実家の整理にてんてこ舞い

毎週実家で姉と落ち合って、整理をしはじめて早や半年。
まずは押し入れからものを引き出し、タンスを空にし、捨てるものは捨てて、
売れそうなものはリサイクルショップに売りに行くという作業を繰り返している。
そんな中から、自分の母子手帳だとか、戦前の戦時債の債券だとかが出土し、自分と日本の歴史を目の当たりにすることになった。

父が調べた先祖の系譜は、江戸時代までさかのぼっていた。
ガラス写真などもあったが、もはや誰だかわからず、ゴミとなった。
赤十字に寄付したか何かしてもらった勲章はすっかり日に焼け、さび付いて、これもゴミ。
だが、父の学位記などは捨てるに捨てられず…。
なにせ、墓碑にも〇〇博士と掘ってほしいというのが遺志だったくらいなので。
働きながら取った博士号に誇りとこだわりをもっていたのだ。

Book-Offのリサイクルショップにも何度か通ったが、ここは未使用のものしか売れないことがわかった。
イギリスでは、毎週末にどこかでジャンブルセール(不用品市)が開かれていて、
けっこうみんな好きなものを見つけて買ったり、売ったりしていたけどな。
研修の半年間の日用品や衣類などは、けっこうそれで賄った。

今回、リサイクルショップに衣装箱に2箱以上、車で運んでも、せいぜい1000円ちょっと。
それでもただでゴミに出す、場合によってはお金を払って処分してもらうことを考えたら、まだまし。
ショップでたまたま見つけたバッグを買ったら、持ち込んだ品物の売値を上回ったこともあった。

古本屋さんにも来てもらったが、これも古く焼けた本はだめ。
もったいなくって捨てられない本だが、もって行き場がない。
着物のリサイクルにも来てもらい、タンス2さおに一杯だった母の着物も、2時間近くかけて査定してもらい5000円ちょっと。
それでもよくこの値段が出たというべきところらしい。

時間がかかったのは、その場で売れそうな着物を選び、写メをとってその場でオークションにかけ、買値を点けるという方式だったから。
貸衣裳屋さんに売るのだそうだ。
でも、貸衣装やさんを利用するのは、そんな着物を本格的には着たことがないというような若い人。なので渋い柄は売れない。
羽織やらコートなども売れない。
着物はほとんど母が若かりし頃に買ったものなので、柄的にはまずまずだったのだが、何しろ身長が低かったので、今の若い人にはちょっと。
その点が減点材料だったらしい。
でも、売れるものは売れたので、残りは心置きなく捨てることにした。

レコードなどもリサイクルショップがありそうなので、これから連絡。

リサイクルショップではアルバム類など、個人情報が含まれているものは売るのはもちろんだが、処分もしてくれないと聞いてショック!
ものすごい数の写真の数々。
ついつい子どもの頃の写真などに見入っていると、時間ばかりがかかってしまう。

あとの品々は、甥っ子やら姪っ子らにもっていってもらったり、
姉と私が引き取ったり・・・。
もう自宅のほうが収納の限界にきていて、本気で断捨離に挑戦することにした。

自宅の本もせっせとBook-Offに持ち込んでいる。
ここも文庫本は1冊5円から。
ずいぶん価格差がある。

やっぱり普段から簡素に暮らさないといけないね。

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スウェーデンが出てこないスウェーデン・ミステリ [本のはなし]

それにしても時の経つのが早すぎる。
繰り返し言っていることだけれど。

一つは、最近再び数独にはまって、無駄な時間が過ぎていくせい。
とくにスマホの数独は,Hardの段階に達して、ときどきギブアップせざるを得ない問題が出る。
そういうのがあると、ますます熱が入ってしまうのだ。
いいかげんにしないと。とは思うものの・・・。
これがアディクションなのね。

で、ブログを更新する時間もなくなり、それより本を読む時間も無くなるので、書くことがなくなるのが致命的。
ケーブルテレビのミステリドラマは録画して、何度も同じものを見直したりしているのだが…。
これでは頭がボケてしまう。

なんて、グタグタ言い訳するのはよして、おすすめブックスの紹介と行きましょう。

トーヴェ・アルステルダール『海岸の女たち』(創元推理文庫)。
スウェーデン・マルメ生まれで、現在は3人の娘とストックホルムで暮らす著者は、もともと映画や演劇のシナリオライターとして25年のキャリアをもち、ベストセラー作家の編集者も務めていたという。
これが50歳を前にしてのデビュー作なのだが、当然ながら完成度が高く、一気にベストセラーの仲間入りして、「北欧ミステリの新女王」と呼ばれるようになったのだそうだ。
最近の北欧ミステリの傾向を反映して、国際的な社会問題が物語にからんでいる。

最初のシーンは、スペインの観光地タリファの海岸。
どうやら船で運ばれてきて、上陸寸前に海に投げ出されたアフリカからの難民とおぼしき女性が、必死に生き延びようとして、海岸にたどり着く。
名前はない。

次の場面では、テレーセという若い女性の観光客が登場する。
ハンサムなサーファーに誘惑されて、酒と薬を飲まされた挙句、レイプされ、タリファの海岸に放り出されたのだ。
あわてて逃げ出そうとして、何かを踏みつける。
何か、ぐにゃりとした物体。黒人の死体だった。

その同じ日、ニューヨークでは、劇場の舞台美術家として評価を得つつあったアリーが、待望の妊娠をしたことに気づく。
フリーランスのジャーナリストである夫のパトリックは、取材のためにパリに行ったまま連絡がない。
夫から劇場に届いた封筒には、謎の写真の入ったディスクと手帳が。
夫の行方を捜すために、アリーは単身パリへと向かう。

一方、テレーセは、父親が警察と赤十字に事情を話したため、警察に呼ばれて海岸で見つかった死体のことを聞かれる。
ここには遠くアフリカから密航してくる難民たちが大勢流れつくのだ。
幸運にも生き延びた難民たちには、ヨーロッパのあちこちで奴隷のような運命が待っている。
どうやら、パトリックはその取材をしていたようだ。
なにか大きな情報をつかんだのかもしれない。

というわけで、スペインやらアフリカやら、ニューヨークやらが出てくるのだが、肝心のスウェーデンはほとんど出てこない。


このアリー。生まれはチェコスロバキアのプラハだが、幼い頃、母とともにアメリカにやってきたという背景をもつ。
そこには、1968年の「プラハの春」や、その後の弾圧、そして、1989年のベルリンの壁の崩壊に続く、チェコスロバキアの「ビロード革命」いった激動の歴史があった。

しかし、アリーナと言う名前もアメリカ風にアリーと変え、母国語も忘れた。
アリーの夫を探す旅は、自らの過去と初めて向き合い、そのルーツを探る旅ともなっていくのだ。

パリで夫の足取りを追ううちに、アリーは奴隷労働を強いられている難民の救出にあたっているボランティア団体と知り合う。
夫もこの活動に賛同していたようだ。
徐々に難民を奴隷にする闇の勢力の存在があきらかになっていく。
だが、誰が味方で、誰が敵なのか…。


妊娠してつわりに苦しみながら、パリからリスボンへ、そしてタリファへと向かうアリー。
飲まず食わずであちこち走り回り、襲われてもめげない主人公に、ありえな~いとつい声を出したくなるのだが…。

一方、地中海を密航して命からがら生き延びたアフリカ女性の悲惨な行程も描かれ、最後にアリーの行程と交差する。
なかなかできた構成である。
手に汗握る冒険活劇を物語る技は女性離れしていて、さすがシナリオライターで鍛えただけある。

この舞台美術家が探偵役というのは私も初めてだが、著者の経験や知識が物語のあちこちに行かされていて、面白い。


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傷だらけの人生 part 2 [日々の出来事うっぷんばなし]

寒くなってきた。
もっとも苦手とする季節。
私の前世はクマだったかも。
寒くなると同時に眠くなり、動きが緩慢になる。

先週のこと。
夜ゴミ出しに行った帰りに、エレベータを使わず、非常階段を上っていて、途中で段につまずいてしまい、前につんのめってしまった。
足が思っているほど上に上がらなかったのだ。
サンダル履きだったのも悪かった。

これでは、転倒リスクの高い高齢患者さんと同じじゃないか…。とほほ。
“ふまねっと”体操をしなくては。

しかも倒れたとき、思わず上の段に両手を突いたので、手首を骨折したかも!?と思い、おそるおそる両手を動かしてみた。
だって、お年寄りの転倒で多いのは、大腿骨の骨折か、手をついての手首の骨折だから。
大丈夫、痛みもない。

ところがである。左のつま先が痛いのなんのって・・・
動かしてみると動くから、ありがたいことに骨折はなさそう。
急いで戻って、保冷材でつま先をしっかりクーリング。
たまたま、近所の整形外科でもらったばかりのインテバンクリームを刷り込む。

だけど。
翌朝見て見ると、つま先の爪が内出血しており、周りが赤く腫れていた。
それに痛みも引いていない。
靴が履けない。左足先をつくと痛くて、びっこをひいてしまう。
週末に松山行きを控えて、これは大変なことになったと、朝昼晩とクリームを塗りこむ。
だけど、赤みは消えず、爪の脇の痛みが増したみたい。
ひょうそう?
あわてて家にあったゲンタシン軟膏を刷り込む。

これが効いた。
日に日に赤みは収まり、腫れも引いた。
松山に行くときには、靴も履けるようになり、歩き方ももとに戻った。
でも、いまだに爪の内側は赤紫。
爪がはがれなきゃいいんだけど・・・。


そうそう、インテバンクリーム。
数週間前から左の手首の関節部が痛み出したのだ。
最初は、何かの拍子に触るとヒリヒリした痛みを感じたのだが、徐々に、動かすと痛くなった。
小さなこぶが出来ているような気もした。

それで、近所の整形外科に行った。
お医者さんは私の手を見て(見ただけで)、電子カルテに発赤「なし」、腫脹「なし」をクリックし、レントゲンを撮るという。
手を取って見るわけでもなく、ましてや触って腫脹を確かめるでもない。
小さなこぶのことは言いそびれたが、まあ、レントゲンを見ればわかるだろうと思った。

その結果、どうやら骨の長さが左右違っていて、関節のところで骨が神経にあたって痛むらしい。
レントゲン写真を見ながら説明してくれたのだが、よくわからなかった。
こぶの有無も確認できず。

実は、徒歩1分のところに別の整形外科があり、そこに以前はかかっていたのだが、どうも診療報酬の不正請求をしていそうなうさん臭さがあったので、今度かかった整形外科にしたのだった。

整形外科はお年寄りがたくさんかかっていて、診察のほかにさまざまな理学療法をやっている。
理学療法士もたくさん雇って、機械も高いようだし、お金を儲けなければならないのだろうか。

ちょっと前に右手首の打撲でかかった皮膚科の先生は、とてもよく診てくれたけれど、混んでいて時間がかかるという難点があった。
満足のいく医療って難しい。








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ワンダー! [本のはなし]

2017-10-10T12:47:21.jpg

たまたまのぞいた近所の書店の児童書コーナーで、美しい黄緑色の分厚い本がうず高く平積みされていた。
ハリー・ポッターシリーズでもないのに何だろうと見てみると、「世界累計1000万部の話題作」というシールが貼ってある。
『もうひとつのWonder ワンダー』(ほるぷ出版)という本だった。

『もうひとつの』というのは、前作である『Wonderワンダー』という本が2年前に翻訳出版されて、児童書ながら米国ではNYタイムズベストセラー第1位となっていたのだ。

『もうひとつの』の山の中に『Wonderワンダー』が1冊だけ残っていたので、こちらをとりあえず読んでみることにした。ちなみにこれも出版の翌年にはすでに6刷まで出ていた。

この本の主人公はオーガストという男の子だ。
なぜこの本の題名が「ワンダー」なのかは、冒頭に掲げられたナタリー・マーチャントの楽曲「ワンダー」の一節から推測できる。

  遠い町から医師たちが
  私を見るためにやってきた
  揃ってベッドのわきに立ち
  目にしたものに息をのむ
  
  そして言う
  これは神の手による奇跡だと。
  とんなに頭をひねっても、説明することなどできないと

Part1は彼の語りだ。
その章の初めにも「ワンダー」の一節が紹介されている。
 
  この子が私のゆりかごにきて、
  運命の女神はほほえんだ

オーガストは「下顎顔面異骨症」という重大な先天異常をもって生まれてきた。そのために、飲食や呼吸さえも危うくなって何度も形成手術を繰り返したが、両親と姉の深い愛情と庇護のもとになんとか生き延びてきた。
しかし、手術のためだけでなく、見る人をぎょっとさせる特異な顔貌のために、学校には通わず、母が自宅で勉強を教えてきた。

そのオーガストが10歳になり、両親はいよいよ学校に通わせる決断をしたのである。
10歳というのは、日本では小学生だが、オーガストが通うことにした私立学校では中学の1年生にあたるらしい。
小さい頃には近所の公園で一緒に遊んだ友達もいたが、ほとんどが初対面。
あらかじめ校長先生はジャック・ウィルとジュリアンとシャーロットという3人の同級生に彼を引き合わせ、学校を案内するように頼む。

ジャックと優等生のシャーロットは、驚き怖気づきながらもオーガストに親切にふるまう。
だが、ジュリアンだけは嫌悪と怒りを隠さない。いろいろな意地悪を始めるのだ。
おまけにジュリアンの母は、オーガストの存在が子どもたちの心を傷つけると言い、特別入学を許されたのは問題だと、転校させるように騒ぎ出す。

Part2は、オーガストの美人の姉、ヴィアの語り。
章の初めにはデヴィッド・ボウイの『スペース・オディティ』の一節。いわば彼女のテーマだ。
 
  はるかなる世界
  蒼い地球
  そして、なすすべもないわたし

弟を気づかう優しい姉で、弟にひどい対応をする人は友達といえども断固許さず向かっていく。だが、両親が弟ばかりに目を向けていることに、苛立ちと不満をかかえてもいる、普通の思春期の女の子だ。自分が同じ遺伝子を持っていたら…とひそかに悩んでもいる。

 Part3は、学校の食堂でオーガストの隣に来て親しくなった、サマーという女の子。テーマはクリスティーナ・アギレラの『ビューティフル』
 Part4は、ジャック。テーマはサン=テグジュペリの『星の王子さま』
 Part5は、ヴィアのボーイフレンド、ジャスティン。テーマは戯曲『エレファントマン』から。
 Part6は、再びオーガスト。ここでのテーマは『ハムレット』から。
 Part7は、ヴィアの友達のミランダ。テーマはアンダイン『美しいもの』から
 そして最後は、オーガスト。ユーリズミックス『ビューティフルチャイルド』から

  あなたなら、空に手がとどく
  飛びなさい・・・・・・美しい子どもよ
 

こんなふうに章ごとにオーガスト本人の視点から友人、きょうだいの視点へとかわり、その子どもたちの住む体験世界が重層的に描かれていく。
 この1作目でさえ、読んでいて涙があふれてきたのだが、2冊目となるとさらに・・・。

 『もうひとつの・・・』では、1作目でいじめっ子だったジュリアン、幼なじみのクリストファー、優等生のシャーロット(うわべだけの親切?)が語り手となって、オーガストをどう体験していたかを語る。

作者のR・J・パラシオは、なぜ1作目でジュリアンやシャーロットを描かなかったかとよく聞かれたが、いじめっ子の話をいじめられる子どもの話と一緒に語るわけにはいかないと書いている。それでは、単純な相対化に終わってしまうからだろう。

巻を変えて、じっくり彼らの語りに耳を澄ませると、これまた涙がこぼれ落ちてくるのである。あたたかな涙である。

今年の秋には映画も公開されるそうだ。
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天才数学者のひ孫 ポアンカレ捜査官がカオスを呼ぶ! [本のはなし]

ハヤカワのポケミスの『捜査官ポアンカレ-叫びのカオス』というミステリーを本屋で見つけて、さっそく購入した。刊行されたのは2013年8月だから、すでに4年前になるのだが、どういうわけか気づかなかった。
主人公はアンリ・ポアンカレという名のインターポールのベテラン捜査官。
世界的に有名な数学者のひ孫という設定である。

曾祖父のジュール=アンリ・ポアンカレという人物は、19世紀後半から20世紀初頭にかけて数学や数理物理学、天体力学の分野で数々の功績を残し、世界的な賞も多数獲得しているフランスの実在の天才数学者である。カオス理論などでも有名で、科学を志した人ならば、その名を聞いたことのない人はいないだろう。
最近でも、ミレニアム懸賞問題として100万ドルの懸賞金がかけられたポアンカレ予想とよばれる仮説を、2002~3年にかけてペレルマンというロシアの数学者が証明したというニュースが世界を駆け巡り、彼が100万ドルの懸賞金を受け取る、いや受け取らないということが話題になった。

といっても、内容はチンプンカンプンなのだが。
これでも受験勉強をしていた頃は、数学の難問に挑戦するのがクイズ感覚で楽しくて仕方がなくて、難問ばかりを集めた問題集を次々と片づけていたのだが、東大の理科一類に入学したとたん、そんなものは数学と言えるものではないということをつくづく思い知らされたのだった。
なにしろ、数学科や物理学科などに進む人の頭はとびぬけているという印象があった。
ところが、その数学科に進学した同級生が、「世の中にはとんでもなく頭がいい奴がいるんだよ」と情けなさそうな声で言った。
「数式を見ただけで、それが図になって見えるんだって」

そんなわけで、そのポアンカレのひ孫という設定に、これは読まねばと思ったのは、過去のコンプレックスがうずいたからだった。

この本をパラパラとめくって驚いたのは、ミステリなのに、自然科学の論文のように写真や図像がいくつも提示されていたことだった。それも、木の葉や地図や人体の血管など。
これは「単連結な3次元閉多様体は3次元球面S3 に同相である」というポアンカレ予想(Wikipediaからの拝借)になぞらえて、地球上には相同的な形をなすものが多数存在するという仮説がこの物語のなかに重要なヒントとして繰り返し出てくるのだ。

ミステリだから当然事件が起こる。
アムステルダムのホテルの最上階で、世界貿易機関で講演する予定だった数学者が爆死するという事件である。それもジェット燃料を使って、その部屋だけがすっぽり破壊されるという極めて手の込んだものだった。
なぜ数学者が殺されなければならなかったのか?

数学者の死に曾祖父からの因縁を感じたポアンカレが捜査に乗り出すのだが、そこに彼が逮捕したセルビア内戦の戦争犯罪者パノヴィッチの陰謀の影が…。私怨か?テロか?

彼はヨーロッパとアメリカを股にかけて捜査に当たる。
今、スペインにいたかと思えば、次にはイギリスにいたり、アメリカのボストンやNYにいたり…。ものすごいテンポ。
第三世界の過激派やら、終末の預言者やら、過激派組織やらが登場するかと思えば、その合間合間に数学者の遺した、謎の写真や図像に関する考察が混じり…。

副題の「叫びのカオス(All Cry Chaos)」というのもジュール・ポアンカレのカオス理論にちなんだものだろうが、物語もカオスなのだ。わからないところは、すっ飛ばして読み進むしかない。

作者のレナード・ローゼンは、このデビュー作でアメリカ探偵作家クラブ賞最優秀新人賞にノミネートされたという。
数学から、経済、政治、聖書、化学、ロケットなどの多方面の知識がちりばめられた内容からてっきり理系アタマの人かと思ったら、もともと英語を教える高校教師から出発し、ハーヴァード大などで英作文講座の教壇にも立ったことがある、文系の人だった。そちら方面での著作もあり、ラジオのコメンテータなども務めたことがあるという。
博覧強記の相当アタマのいい人なんでしょうね。

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商いの戦国武将のたたかい、第4巻 [本のはなし]

高田郁さんの『あきない世傳 金と銀』の第4巻「貫流編」。
貫いて流れる川の流れですよ。

武庫郡津門村に学者の子として生まれ、生活のために齢9つにして大坂天満の呉服商、五鈴屋に女衆奉公に出た幸(さち)は、番頭の治兵衛に見込まれ、商いのいろはを学ぶ。
五鈴屋は、2代目徳兵衛の妻、富久が「お家さん」として夫亡きあとも店を守ってきた。
しかし、息子の3代目徳米が病没し、3人の孫たちに店は託される。
しかし、4代目徳兵衛となった長男は、商いには興味をもたず、遊び明かして嫁も去ってしまう。そして、幸を後添えに迎えるが、その4代目もやがて不慮の死を遂げる。

3代目の突然の死に、次男の惣治が幸をめとることを条件に5代目を襲名。
惣治は長男と違って商才にたけ、必死で店を大きくしようと各地を奔走するが、せっかく羽二重の産地として育てた江州波村に前貸ししていた銀4貫の預り手形が、両替商の分散により、紙くずと化してしまった。
しかも、その人情を解さない性質のため、惣治は情のないやり方で波村の人々の怒りを買い、奉公人らの眼前で「店主の器でない」となじられてしまう。
これが、前巻までのあらすじ。

惣治は長兄の4代目と違って、幸を妻としていつくしむのだが、女は商売に口出しすべきではないという考え。
何度か幸のアイデアで、店は危機を脱するのだが、幸もそんな夫の気持ちを忖度して、夫を立てることを忘れなかった。
そんなプライドが高い次男坊の惣治である。奉公人らの眼前で「店主の器でない」「幸が店主ならばいい」とまで言われて激高した惣治は、幸の顔面を殴って店を出奔、そのまま姿をくらましてしまう。
しかし、あれほどまでに店に命をかけていた夫が、店を黙って放りだすとは幸には解せないのだった。

そんなある日、浮世草子の道で生きていくと店を出て貸本屋に身を寄せていた3男、智蔵(ともぞう)が惣治から預かったという文をもって、店にやってくる。
そこには、「店を出て隠居したい」としたためられていた。
さらに、店は弟智蔵に託すとあり、すでに呉服仲間にも申し入れしてあるという。
商売が嫌いで店を飛び出した智蔵である。商才もないことは本人もよくわかっている。
お家さんの富久もまた、そのことは百も承知で、幸を養女にすると言い出す。
しかし、養女にしたところで、大坂天満には「女名前 禁止」という掟があった。
女は家持ちにも店主にもなれないのである。

このあたり、中島京子さんの『かたづの』に似たテーマである。『おんな城主直虎』も?
たしかに、幸ももと番頭の治兵衛に「商いの戦国武将になれる器」と言われていた。

その後、さらに話は急転する。
惣治から幸を離縁する「去り状」が出されたのだ。
幸を人形浄瑠璃にさそった智蔵はその帰り道、幸に「自分の嫁になってくれないか」と言いだす。

智蔵はまだ家にいたときから、ひそかに幸に思いを寄せていたふしはあった。
幸も、学者を目指していながら夭折した兄の面影を智蔵に見ていたこともある。
しかし、そもそも長男の後添えになり、長男が亡くなって次男の嫁になっただけでも世間の噂になった幸である。次男が行方をくらまして、今度は三男の嫁になるとは・・・。いくら何でもあり得ない・・・と読んでいて、私も思った。

智蔵は、自分は人形になるという。人形浄瑠璃の人形である。
使うのは幸。その商いの才能を十二分に生かしてもらい、自分はその道具となるというのである。

そんなわけで、幸はまた新たな商いの人生を歩んでいくことになる。
だんだんスケールアップですぞ。
続きは読んでのお楽しみ・・・

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歓びというより苦みを感じさせるイタリア映画 [おすすめシネマ]

再び下高井戸シネマへ。
今回はイタリア映画『歓びのトスカーナ』

2人の女性が精神病院から脱走して…
みたいな予告編を読んで、まず連想するのは『カッコーの巣』と『テルマ & ルイーズ』ですね。

片や男性、片や女性中心目線の映画だけれど、いずれも抑圧から解き放たれて…
というような内容。
なにせ『歓びの』ですからね。

トスカーナと映画と言えば、14,5年前にダイアン・レイン主演の『トスカーナの休日』という映画があった。
夫に裏切られ離婚した寂しい中年女性が、傷心の旅で訪れたトスカーナで、かつての伯爵邸を格安で衝動買い、そして出会いが…
なんて映画があったくらいだから、トスカーナってところは欧米の人たちのあこがれの土地なんでしょうね。
ずっと昔、サウンドトラックが大ヒットした『ブーベの恋人』も舞台はトスカーナなんですって。知らなかった。

この映画の舞台は、トスカーナの郊外、緑豊かな丘の上にある石造りのお屋敷のような館。
精神障害者が暮らす施設である。
修道女やソーシャルワーカーがいるけれど、医師はいない様子。
でも、けっこう具合の悪そうな患者もいて、長期滞在者も多そう。
ここはどんな施設だろうと、首をかしげる。
なにせ、イタリアは精神病院(今は、正式には精神科病院というのだが)を廃止したのではなかったか?
こうした大勢が世話を受けて暮らすリハビリ施設はあるのね。
映画制作にあたって、スタッフやキャストはこうした施設をいろいろ見て歩いたそうだ。

たしかに庭は広く、菜園もあって、入所者たちは昼間は自由に過ごしている様子。
ただ、夜はいくつもの部屋にかなりの人数が寝ていて、ドアもなく、カーテンで仕切られているだけだったり、プライバシーも何もあったものではない感じ。
寝る前の薬はスタッフが、入所者の口へ入れているし…。
その薬をすぐ吐き出して、高値でベアトリーチェに売る入所者たち…。ベアトリーチェという、いかにもお嬢様の名前の中年女性、これがこの映画の主役の一人である。
なんとなく、『カッコー』のマックを連想する。
調子が高く(イタリア人で調子が高いとなると、とんでもないことになる)、お節介焼きで、映画パンフレットによると「虚言癖」という診断名?がついているらしい。
なにしろ、有名セレブや貴族や政治家や法曹界の人たちを知り合いだというのが口癖だ。

そこに自殺企図のうつ病患者、ドナテッラが入所してくる。
アンジェリーナ・ジョリーに風貌の似たドナテッラ。全身タトゥーをしていて、いかにも傷ついてきた女という感じ。
彼女にはレイプされて生んだ息子がいたが、その後、薬物依存や犯罪歴を理由に、無理やり引き離され、養子に出されてしまったのだ。会いたい思いで、夜には一人で涙する毎日。
さっそく世話を焼くベアトリーチェ。(でもタトゥーには批判的)
迷惑がるドナテッラ。
そんな二人をスタッフは、けっこうお互いによい影響を及ぼしあっていると見ていた。

やがてドナテッラが回復したところで、スタッフは二人揃って近くの農園に院外作業に行かせることにする。
二人が院外に出ていれば、ここは静かで助かるというのが本音。いかにもあるある。

ドナテッラはこつこつと働くが、ベアトリーチェは綺麗なスカーフを首に巻き、パラソルをもって作業する人たちをただ眺めて止まらぬお喋りをするばかり。
でも、毎週1回の給料日には、おなじ賃金が支払われる。だれも文句は言わない。
二人はそのお給料をもって街に買い物に出かける。
田舎だと思ったら、街にはとってもおしゃれなショッピングセンターがあって、都会風。

その後、農園に戻った二人は、通りかかったバスに飛び乗る。
ベアトリーチェはドナテッラに息子に合わせるといい、引っ張り出したのだ。
さあ、ドナテッラは息子と会えるのか…。

行き当たりばったりの旅のように見えるが、ベアトリーチェにも目的があった。
それは夫との再会(決して口にはしないが)。
そして、彼女の意外な背景が明らかになる。彼女の狂気に潜む悲しみ。
ベアトリーチェ役のヴァレリア・ブルーニ・テデスキは、いかにも迷惑なお騒がせ女を演じるが、どこか気品があって、実の妹はサルコジ元フランス大統領の夫人なのだそうだ。
『欲望という名の電車』のブランチを思わせるところもある。

これ以上はネタバレになるので書かないが、問題はタイトルである。
『歓びのトスカーナ』
これはないんじゃない?
原題は“La Pazza Gioia”. ネットでの翻訳では「狂牛病の喜び」。変ですね。
どうやら「狂った歓び」という意味らしい。
(日本語にも狂喜乱舞という言葉があるけれど、ちょっと違う。)
いずれにせよ、解放の喜びとはほど遠い、最初はやたらうるさくて、やがて人生の苦さを感じさせる映画である。

映画の最後に、イタリアでは2015年に法律で司法精神病院も廃止されたということが告知される。たしかに、この映画の中にもドナテッラが警察につかまって司法精神病院に搬送される場面があるが、半世紀以上は前の設備を思わせる、日本の精神科病院だって今やこんなところはないという巨大な部屋にいくつものベッドが並ぶ収容施設だ。
でも、結局のところ、何らかの世話をしてもらう環境を必要とする人たちが社会には一定程度存在するという現実を、どうやって受け止めて、よりよい制度を作っていくかは、まだどこにも正解が得られてないということなのだろう。

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チベット映画『草原の河』を観る [おすすめシネマ]

『歓びのトスカーナ』というイタリア映画を見ようと思ってネットで検索したら、
銀座での上映は終わっていて、東京近辺では下高井戸シネマというところで、やっているという情報を得た。

この映画館のことは、全く知らなかったが、下高井戸シネマのサイトで上映予定の映画のリストを見てみると、けっこう良質の映画が並んでいた。
シニア料金もあるし、近ければ会員になってちょくちょく行きたいなあと思ったが、はて、下高井戸ってどうやっていけばいいのか。
でも、千代田線は新お茶の水で都営新宿線の小川町駅に接続していて、さらに笹塚で京王線の各駅に乗り換えれば、意外と時間もかからないことが判明。
これは、ラッキーかも。

で、9月の上映リストの中に『歓びの~』より前に、チベットの映画があった。
タイトルは『草原の河』。1日1回、10時からの上映。
かつてチベット語を学んでいたという友人を思い出したので、連絡を取ると、すぐに行く!ということで、さっそく一緒に観に行った。

彼女によれば、チベットといっても、チベット族の居住する地域は、大きく3つの地域に分かれていて、言葉もそれぞれ方言があって違うのだという。

一つは、ラサを首都とするチベット自治区。「ウー・ツァン」と呼ばれる。
ヒマラヤ山脈の北にあって、ネパールに国境を接している。
ここがふつう私たちがチベットというときに、想像する地域である。

もう一つは、その東側に位置する、中華人民共和国の四川省と一部雲南省にまたがる「カム」と呼ばれる地域。
さらに、その2つの地域の北側、中国青海省の「アムド」と呼ばれる海南チベット族自治州。

この映画が撮られたのは、このアムド地区であり、海抜は約3060メートル。
青海湖と呼ばれる広い湖があり、大部分がどこまでも続く草原である。
一部は砂漠化しているという。
遠くに雪を頂く険しい山々が臨めるが、そもそもこの海抜なので、さほど高く見えない。

ここはこの映画の監督、ソンタルジャの故郷で、
主人公のヤンチェン・ラモ(本名のまま出演)は、監督の遠い親戚なのだそうだ。
(監督の妹のダンナの弟がヤンチェン・ラモの父。遠い姪っ子ってこと?)
家族はアムドで半農反牧の暮らしをしており、映画に登場する放牧地、畑、テント、羊の群れはすべてヤンチェン・ラモの家族のものだという。

監督が里帰りした際に、偶然会って、とくべつなオーラをもっている子だと気付いたことから、この映画の構想が浮かんだという。
そして、彼女の家族とともに生活し、撮影しながら、脚本をつくっていったのだそうだ。
つまり、この映画はこの6歳の女の子によって実現したといってもよい作品なのである。
彼女は上海国際映画祭で、アジア新人賞と最優秀女優賞を史上最年少で受賞した。

父親役のグル(これも本名のまま)も監督の親戚で、アムドの生粋の牧畜民である。
母親ルクドル役のルンゼン・ドルマだけが、チベットの有名な歌手で、監督の友人なのだそうだ。

牧畜民といっても、もともとは放牧で生活を立てていた人々で、今は定住しているが、
春になると草原に出かけ、テントのような家をはって、牧草の種をまき、羊の放牧をしている。
ただ、かつては馬に乗って、羊を追いかけていた牧畜民も、現在ではそれがオートバイに代わった。
(どこで給油するのだろうと、見ていて不思議だったが。)

そんな家族と暮らすヤンチェン・ラモは甘えっ子で、6歳になっても乳離れができていない。
お父さんに買ってもらった大きなクマのぬいぐるみを肌身離さずもっている。

母に甘え、ときにすねる彼女の表情の豊かさ!
母が妊娠しもうすぐ赤ん坊が生まれるということを知り、不安を抱く子どもの心の葛藤をヤンチェン・ラモはみごとに表現する。

この家族にはもう一人の重要人物がいる。父方の祖父である。
今は村から離れた山の洞窟にこもって仏教の修行をしており、人々からは「行者さま」とあがめられている。
だが、父自身は、この祖父と確執があり、何年も会っていない。
これがこの映画のもう一つのストーリーの柱である。

そこにはチベットー中国の激動の歴史がからんでくる。
若い頃、仏教を学ぶ修行をしていた祖父は、
文化大革命でチベット仏教が弾圧されたときに、還俗を強いられたのだ。
その後、家族をもち、子どもも生まれたのだが、「改革開放」政策によって、仏教が再び認められると、祖父は向学の志止みがたく、家族を捨て再び出家したのである。

父グルからすれば、自分の父に捨てられたのである。
さらに、母が癌になり、亡くなる前に父と会わせたいとグルは山へ迎えに行くが、行ってできることはなにもないと、断られてしまう。
それ以来、グルは父を許せないでいたのだ。

だが、この父も病で残された時間も長くない、なぜ会いに行ってやらないのだと信徒に責められ、グルはヤンチェン・ラモをオートバイの後ろに乗せ、父を山の洞窟に訪ねていくのだが…。

この祖父の役を演じたのは、キードゥプという地元に暮らす僧侶である。適役の人を見つけるのに苦労し、何度も足を運んで、ようやく出演を承諾してもらったのだそうだ。

さらに、この映画にはとんでもない名優が出演している。
仔羊のジャチャである。
ヤンチェン・ラモは、母羊を狼に殺され、みなしごになった仔羊に乳をやり、ジャチャと名付けて可愛がる。
やがて成長したジャチャを群れに帰す時がやってきた。
だが、どこまでもヤンチェン・ラモを追いかけるジャチャ。
しかし、そのジャチャの姿が見えなくなる。

チベットの高原に広がる大自然の、息を呑むような美しさと過酷さ。
そして、こんなところにまで及ぶ政治の動き。
その中に生きる人々の、普遍的な愛と憎しみの葛藤。

久々に映画を堪能した感じがした。

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